めくるめく捲る―1
じりりりと甲高い金属音が耳につきながらも、僕はまだ起きることが出来ずに半覚醒状態のままうつらうつら夢の中を彷徨っていた。けれど金属音は鳴り止むことを知らずに際限無く発せられ続けるのだから、僕は嫌でも目が覚めてしまい、大きく髪を掻き毟る。
音の出所である目覚まし時計を恨めしく寝惚けた目を擦って見る。胴が丸く、上に丸い金属の耳のようなものが二つ付き、その間に耳を打ち続ける金色のハンマーが付いている一般的な目覚まし時計だ。僕はそいつを頭から叩いて甲高い金属音を止めた。
ベッドに寝そべっていた体を起こして首を軽く回した。骨の音が小気味良く鳴る。
僕の家はお世辞にも広いとは言えず、それどころか狭いと罵られても否定出来ないような、おんぼろアパートの一室だ。足を動かせば床が軋み、トラック等の重量車が走れば壁が振るう。壁は今時土壁で、気をつけないとぽろぽろと屑が落ちてしまうのか難点だ。と、こういう言い方をすれば良点があるかのように思うのかもしれないのだが、残念ながら一つも無い。幅一メートルも無い正方形のシャワールームも、滅多に使わない和式型のぼっとん便所も、唾を吐き捨てたくなるような家であっても喜んで住み入りたい家ではない。
まあ、文句を言えた義理ではないのだが。
僕は家にベッドと机と冷蔵庫しか置いていない。生活に必要最低限な小物は持っているけれど、一般的な高校一年生の住む家や部屋にしては物寂しいを通り越して少し異常なのかもしれないなと苦笑してしまう部分もある。けれど、それ以外の物を置こうとも考えないし、欲しい物も考えつかない。加えて、余計な出費は避けなければいけないのだから、どの道僕に選択肢はないのだった。
一人暮らしの為、あの甲高い目覚まし時計は重宝している。なにせ、朝は弱い性分なのかそんじょそこらの目覚まし時計では起きられない。この目覚まし時計を購入する前に小鳥の鳴き声に劣る小鳥の姿を模した電子音タイプの目覚まし時計を使っていたのだが、それは一週間で使われなくなった。とてもじゃないが起きられず、毎日毎日高校に昼登校と重役出勤していたのだから。
そういう経緯もあり、僕の家には甲高い目覚まし時計と電子音タイプの目覚まし時計とで二つの時計がベッドの近くに置かれている。
そして、全く使わない小鳥の時計の針が止まっていた。いつも使わないのだし放って置いても良かったのだけど、二つ並んだ時計の内の一つが動いていて一つが止まっているという光景が不思議と気味が悪かったので、机の引き出しに入っている単四電池を二本取り出して古い電池と取り替えた。秒針が音を立てて動き出したのを確認してからベッドの横に戻した。
カーテンの付いていない窓を開けて柔らかな日差しと心地よい風を目一杯体に浴びせる。今日で高校に入学して一ヶ月。桜は散ってしまったけれど春の陽気は健在だ。
大きく背伸びをして体中の骨を鳴らした。
「今日も一日、適当に過ごすとしますか」
一日の始まりを自分に告げて学校に行く準備を開始する。先にやかんで湯を沸かしておいて、今日は四月二十八日の火曜日。時間割に沿った教材を鞄に入れていった。
「げっ、世界史があるのかよ」
僕の中であれ程に退屈な授業はなくて、眠気を誘う授業もまたない。それはもしかしたら教師の教え方が悪くて生徒の関心を引けてないのではないだろうか? と思う辺り僕は屈折しているようだ。
制服に着替えた頃には湯が沸いていて、インスタントコーヒーの粉をコップに入れ、湯と混ぜて掻き回した。
一人で暮らすようになってから飲み始めたブラックコーヒー。眠気覚ましに何か無いかと考えた所、思いついたのが在り来たりな存在だった。最初の二週間までは苦くて仕方なかったのだが、毎日毎朝飲んでいればそれなりに馴れるようで、今では僕の唯一の嗜好品として活躍している。
机の前の椅子に座って湯気の昇るコーヒーにゆっくりと口をつけて、ずずっと小さく飲み込んだ。自然と深呼吸を静かにして、慌しくもない静かで閑静な朝で心を落ち着けた。
意識したわけではなく、机の上に置かれた写真立てを見詰めていた。写真の中にはまだ幼い笑顔の僕。笑顔の父。笑顔の母。笑顔の姉。後ろには大きな樹。広大な空。雲がかった山の並び。とても幸せそうな家族の光景を一枚だけ抜き取った幸福溢れる一枚の写真。
そして、首にしているネックレス。
「父さん、母さん、姉さん……」
家族が僕を残して死んでしまったのはもう四年も前のことだ。その時のことを僕は鮮明に覚えているけれど、思い出したくない過去として記憶の底に石を括りつけて沈めている。
最初の内は落ち込み続けていた。浮上することを知らないかのように絶望の底を眺め続けていた。といっても、僕が完璧に立ち直れたのは最近の話であり、去年の冬でさえ僕は苦しんでいた。
けれど、立ち直る切欠としてはあまりにも問題の大きかったその一日に、過程はどうあれ僕は立ち直れたのだ。
だから僕は今日も笑う。笑い、そして、一日を生きる。
「行って来ます」
遠い場所で見守ってくれている気がする家族に向かって、そう言った。