めくるめく捲る―13
この日もおかしな朝を迎えることなく、小鳥の囀りと甲高い金属音に眠りを妨げられて起きることが出来た。
四月三十日。三日目。天候も快晴であり宮杜に言わせてみれば愉快凛々な心持ちである。
といっても宮杜は物理の宿題をしてきてないのだろうな、と考えながら家を出た。まあ、宮杜にとって宿題をしていないという事実が自らの心を曇らせる要因になるとは思えないけど。
「あ、おはよう。永久大地君。今日もいい天気だね。こんな天気のいい日には俳句を一つ書きたくならないかい? 私はなるんだよ。でも、僕の俳句はどれもセンスがないと評判だけどね。永久大地君の俳句も一度拝見してみたいなあ。若く燻る情熱の一句は後々から見れば恥ずかしい部分もあるけれど、いい思い出には違いない。それじゃあね、永久大地君」
「……」
これからジョギングでもするのか管理人の冴葉さんが走り去っていった。
僕はまだ一言も口を開いていない。勝手に挨拶されて勝手に別れられた。これは自己中心的を越えて、地球の軸は私だとでも言いかねない領域の性格だ。
冴葉さんはまだ青年である。あんな話し方に趣味は俳句と少々年齢不詳な点が出ているが、見た目は好青年で歳も二十二歳と納得のいく歳である。一風変わった人ではあるが悪い人ではない。僕のような家族構成でも「何も問題はないよ」と一言で住ませてくれたし。
別府駅までの道のりで珍しく宮杜と会うことは無かったけれど、ホームで電車を待っている時に後ろから抱きつかれて周囲の注目を浴びた。
「お前なあ。こんな所で接触していたら恋人に間違われるだろう?」
小さな体を精一杯ふんぞり返らせて堂々と宮杜は言い切った。
「見せつけてやればいいじゃないかっ!」
会話になっていなかった。
「ふう。まあ、あれだな。珍しく遅いじゃないか」
宮杜の僕の都合はお構いなしの発言と討論することは諦めて言う。
「ちょびっとだけねぼすけさんだったんだー」
「へえ。本当に珍しいことだな」
「でしょでしょー? 多分、今日はあんまり乗れない日なんだよー」
「のれない日ってなんだ?」
「ノリに乗れない日の事だよー。知らないの? 塩梅がいくないってことだよー」
そりゃあ僕も日本人なのに日本語を正しく使えない時はあるかもしれない。それでも“塩梅がいくない”と言うような少女に造語にもならない造語を説明されるのは妙に癪なように感じた。
「初耳だよ」
「大地は国語がからっきしだねー」
ここまで自信満々に無い胸を張られるとまるで僕が本当に日本語学低脳者に思えてくるから不思議なものだ。自信のない正しい理論よりも自信のある間違った理論の方が上だということか。宮杜が言っている全てが全て間違いなわけではないけれど。
突風と共に電車が颯爽と現れて人波に揉まれながら車内に入り込む。相変わらず宮杜はなんなく僕の隣をキープしている。たまに他人の鞄が頭に当たっているのを見て背が小さいのも不憫だな、と思った。
田慈宮駅に着いてぎゅうぎゅう詰めだった圧迫感から開放され、大きな深呼吸を一つした。今日は人が同じ時間に偏っていたのかいつもより苦しかった。
そんな僕の肩にぽんと手が置かれて、振り向くとそこには咲と天海さんがいた。
「おはよう」
「おはようございます」
咲は一つ笑顔を作って挨拶。
「おっはよー」
ちっこいのも逸れることなく付いてきた様だった。小さい為、普通に見失うことが多い。
四人で学園に向かっている最中、今まで他愛なく昨日のテレビの話をしていた宮杜が唐突に話題を変えた。
「ねーねー天海さんってさ、どんな人がタイプなの?」
「どうしていきなり花咲く恋愛話になったんだよ」
「ふと思い立ったんだよっ。ねーねー?」
何をするにも堂々と自分を正当化する奴である。対して急にそんなことを聞かれて天海さんは困った表情をしていたが、律儀にお人好しに子供の我侭に付き合う姉さながらに答え始めた。
「そうですね。私が好きになりそうな人といいますと、正義感の強い人ですかね。ヒーローみたいな人です。困っている人をつい助けちゃうような、そんな人ですね」
聞いていて思うがそれは要するに咲のことではないだろうか? 二日前も痴漢事件で天海さんを助けていたし。
「ふーん。それじゃあさ、天海さんは好きな人にはどんな風に接するのー?」
やけに根掘り葉掘り聞く宮杜に納得がいかず一瞬止めようかとも思ったが、天海さんが全く気にする様子もなく口を開いたので黙って聞くことにした。興味がない訳でもないのだし。
「私は尽くしたがりな気がしますから、好きな人の言うことを守ったり、好きな人のしたい事を手伝ったりするんじゃないでしょうか? でも、実際にそうなってみないと解りませんよ。恋愛経験が未熟なものですから」
そう言って天海さんは微笑んだ。優等生らしい上品な笑顔だ。
ということは、天海さんは現在好きな人がいないのだろうか? やはりそれは勘違いだったのだろうか? 咲と天海さんが恋人同士になったら性格的な面ではお似合いなのにな、と一人思いに老けながらも、足は正しい方向に進んでいる。
「あ、そうだ。思い出したよ大地様っ」
急にそんな風に呼ばれれば怪訝な目を向けざるを選ない。と、同時に、早く宮杜に勉強を教えなきゃな、と先日の事を思い出す自分がいた。
「お願いっ! 理科の宿題を――」
「理科は早く卒業しろよ」
全国共通で理科は中学で卒業している筈なのだ。当然、田慈宮学園も例外はなく、理科なんて授業はない。