キスが終わるまで待ってくれてる化け物は紳士に違いない
夜の森は静かだった。
静かすぎるほどに。
風が吹くたびに木々が揺れ、その隙間から月明かりが差し込む。
その光が照らしているのは、一軒の古びた山小屋。
外からは唸るような化け物の声。
もしここが映画館なら、観客はもう理解しているだろう。
ああ、これはホラー映画だ、と。
「…」
ライアン・ウォーカーは、どこにでもいる大学生――ではなかった。
少なくとも見た目だけなら。
百八十五センチを超える長身。
日焼けした肌。
適度に鍛えられた体。
短く整えられたブラウンヘア。
そして映画俳優のように整った顔立ち。
大学ではアメフト部のスター選手。
(大丈夫だ、体力に自信はある)
斧を眼前に構えて目つきが鋭くなる。
しかし、それだけのフィジカルをもってしてもあの化け物と互角に対峙できないであろうことは理解していた。
電話は繋がらない。
車は壊れている。
仲間たちはみんな犠牲になった。
ホラー映画を嗜む人なら誰もが知る、あの展開だった。
理不尽で、残酷で、救いのない。
「ダメよ、ライアン……!」
「……エミリー」
肩まで伸びたブロンドの髪。
月明かりを浴びると金色に輝いて見える。
透き通るような白い肌。
整った鼻筋。
柔らかな唇。
澄んだ青い瞳。
その瞳がこちらを捉えて離さなかった。
_6人いた仲間たちはみんないなくなってしまった。既に山小屋にいるのは俺ら2人だけだ。
ここに来るまでキャンピングカーでどんちゃん騒ぎをしていたあの時がひどく昔のことのように思える。
突然現れたソイツは全てを、日常を無情にも奪い去っていった。
鋭い爪を持っていた黒い2足歩行の狼がキャンピングカーを襲い、仲間の一人マイクは腸を鋭い爪で引きずり出され断末魔をあげながら頭からムシャムシャといただかれた。
しばらく5人で行動を共にしていたが途中でその化け物に見つかり命からがらこの山小屋まで逃げ延びたのだ。
「誰かがやらなきゃならない」
ライアンは言った。
「必ず、戻る」
エミリーが首を振る。
涙が零れる。
「死ぬわ……!」
「かもな」
「だったら……!」
言葉にならなかった。
二人とも理解していた。
これは別れだ。
ライアンは笑った。
震える足を必死に誤魔化しながら。
「好きだった」
エミリーが目を見開く。
しばらく見つめ合っていた二人はおもむろに熱いキスを交わす。
唇が重なる。
長く。
熱く。
切なく。
明日などないかもしれない。
だから今だけは。
二人は互いを求め合った。
しばらくして、二人の唇が離れる。
その時だった。
――ドゴォン!!
山小屋全体が揺れた。
エミリーが悲鳴を上げる。
ライアンは反射的に彼女を背中へ庇った。
外壁に巨大な衝撃。
古びた木材が悲鳴を上げる。
そして。
ガリガリガリガリッ――
何かが爪で壁を削っていた。
ライアンの額を汗が伝う。
来た。
ついに来た。
仲間たちを殺した化け物。
黒き狼。
森の支配者。
死そのもの。
ドォォォォン!!
二度目の衝撃。
壁が弾け飛んだ。
木片が室内へ飛び散る。
そして。
月明かりの中から巨大な影が姿を現した。
全身を黒い体毛に覆われた二足歩行の狼。
三メートル近い巨体。
血に濡れた牙。
赤く輝く瞳。
そして人間の頭蓋骨すら握り潰せそうな巨大な爪。
グルルルルル……
低い唸り声が山小屋に響く。
エミリーが震える。
ライアンも恐怖で吐きそうだった。
だが、逃げるわけにはいかなかった。
ここで逃げればエミリーが死ぬ。
ならば、男としてやることは一つだ。
ライアンは斧を握り締める。
「来いよ……!犬っころが…!!!」
化け物が笑ったような気がした。
次の瞬間。
狼男が地面を蹴る。
速い。
人間では反応できない速度。
死。
その文字が脳裏をよぎった。
だがライアンも覚悟を決めていた。
「…!!ああああああああ…!!!!!」
斧を振り上げる。
人生最大の一撃。
自分の全てを賭けた一撃。
だが。
その前に。
狼男の背後で。
銀色の閃光が走った。
「――【神速剣術】」
ズバッ。
狼男の右腕が飛んだ。
まるでピクルスでも切り落とすかのように_
「グギャァァァァ!?」
狼男が絶叫する。
ライアンは固まった。
何が起きた?
理解できない。
狼男も理解できていない。
そして。
「【連撃奥義】」
ズババババババババババババッ!!
無数の斬撃が狼男を襲う。
肉が裂ける。
骨が砕ける。
血飛沫が舞う。
たった一秒。
本当に一秒だった。
三メートルの巨体が。
数百の肉片になって宙へ散った。
ベチャリ。
ライアンの足元へ狼男の耳が落ちる。
沈黙。
静寂。
誰も動けない。
そして。
肉片の向こう側から。
一人の男が姿を現した。
黒髪。
旅人のような服装。
背中には巨大な剣。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。
男は肉片を見下ろしながら呟いた。
「ん?」
そしてライアンを見る。
斧を振り上げたまま固まっているライアンを見る。
エミリーを見る。
少し考える。
そして。
「あ、ごめん」
男は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ここ、君たちの家だった?血まみれにしちゃってごめん…」
「……」
「……」
仲間を皆殺しにした怪物だった。
マイクを喰った。
ジェシカを引き裂いた。
軍人崩れのデイブですら勝てなかった。
その化け物が。
たった今。
数秒で肉片になった。
しかも目の前の男は汗一つかいていない。
まるで道端の石ころでも蹴飛ばしたかのような態度だった。
「お、お前……なんなんだ?」
ライアンがようやく声を絞り出す。
男は少し考えてから答えた。
「通りすがりの旅人?」
「疑問形で返すなクソが!」
思わずツッコんでしまった。
男は首を傾げる。
そして何かを思い出したように言った。
「ああ、でも危ないぞ」
「は?」
「この辺まだ狼男いるし」
ライアンとエミリーが固まる。
「な…は…?」
「…?早く逃げた方がいいよ」
男はあっさり言った。
「群れだったから」
沈黙。
数秒の沈黙。
そして。
「群れ?」
ライアンは聞き返した。
聞き間違いだと思った。
聞き間違いであってほしかった。
「群れ」
男は頷く。
「十数匹くらい」
「冗談だろ…!?」
ライアンの叫びが山小屋に響いた。
一匹でこれだ。
一匹で六人いた仲間が壊滅した。
それが十数匹。
そんなもの軍隊でも全滅する。
エミリーの顔から血の気が引く。
だが男は不思議そうだった。
「そんな驚くか?」
「…!」
本気で理解していない顔だった。
こいつはだめだ。話が通じない。さっさとここから逃げ_
いや、まて。群れがいるのが本当ならなんでこいつは無事なんだ?
まさかここに誘い込んだのでは…!?
男は肩に担いでいた巨大な袋を床へ落とした。
ドサリ。
重い音。
嫌な予感しかしない。
「ちなみにこれ」
袋の口が開く。
ライアンの顔が引きつった。
狼男の首。
狼男の腕。
狼男の耳。
狼男の尻尾。
狼男。
狼男。
狼男。
全部狼男。
まるで狩猟帰りのハンターだった。
違うのは獲物のサイズだけである。
「……」
「……」
ライアンとエミリーは言葉を失った。
男は指を折りながら数え始める。
「最初に三匹」
えーとと頭を捻る。
「森で五匹」
あーとと天井を仰ぐ。
「川で四匹」
うん!と頷いて手を叩く。
「さっきので合計十三匹かな」
ライアンは頭を抱えた。
どう考えてもおかしい。
どう考えても人間じゃない。きっとこいつの方が化け物だ。
ついさっきまで、ライアンは命を賭けて化け物と戦う覚悟を決めていたのだ。
最後の別れ。
涙のキス。
全てが茶番に思えた。
男はそんな二人を見て首を傾げた。
「なんか変なこと言った?」
ライアンは思った。
変なことしか言ってない。
そして同時に理解した。
目の前の男は。
怪物退治の専門家とか。
軍人とか。
そういうレベルではない。
もっと根本的に世界観が違う。
その時だった。
森の奥から遠吠えが響く。
オォォォォォォン!!
ライアンの身体が強張る。
反射的に斧を握る。
だが男は少しだけ顔を上げた。
「あと5匹くらいいるなー」
その声には恐怖も緊張もない。
ただ、畑に残った雑草を見つけた農夫のような面倒くささだけがあった。
「【加速移動】」
ビュン!!!!!
男の姿が一瞬で消える。
「……」
「……」
ドサッ
床に座り込む。
「ははっ…」
乾いた笑いが出る。何が何だかわからないが
ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!
森の奥から化け物たちの断末魔が響いた。
俺たちはどうやら命拾いしたらしい_
映画っていいですよね




