断罪の場で、私は泣かなかった
断罪の日は、晴れていた。
謁見の間の高い窓から差し込む光が、石床に白い四角を作っていた。私はその光の手前に立って、正面のエドワード王太子を見ていた。泣いていなかった。震えてもいなかった。
「リディア・ハーネット侯爵令嬢」エドワードは低く言った。「貴女の罪状を読み上げる。学園において、平民出身の令嬢ユーナ・クレインに対し、繰り返し嫌がらせと妨害を行い、精神的苦痛を与えたこと。これは貴族令嬢としての品格を著しく損なう行為であり——」
私は聞きながら、少し遠い目をしていた。
そうか、今日か、と思った。
この世界に転生してから六年。乙女ゲーム「星降る王宮の恋人たち」の悪役令嬢、リディア・ハーネットとして生きてきた。ゲームの知識は全部頭の中にあった。断罪エンド、というものがあることも知っていた。王太子ルートのクライマックスで、ヒロインのユーナが泣きながら告白し、リディアが悪事を暴かれて断罪される。テキストで何十回も読んだシーンだった。
だから準備していた。
弁護士代わりになる書類を揃えた。身の回りの整理もした。最悪の場合に備えて、実家の父にも連絡していた。泣く必要も、震える必要もなかった。今日という日は、六年前から決まっていた日だったから。
「——よって、王太子エドワードとの婚約を破棄し、社交界からの追放を命じる」
エドワードが言い終えた。
場が静まりかえった。
私は何も言わなかった。頷きもしなかった。ただ、まっすぐエドワードを見ていた。
廷臣たちがざわめき始めた。誰かが小さく「なぜ泣かないのだ」と言うのが聞こえた。エドワードの眉がかすかに寄った。傍らに立つユーナが、潤んだ瞳でこちらを窺っていた。シナリオ通りだった。
泣き崩れて許しを乞う悪役令嬢の姿を、みんな期待していたのだろう。でも私には泣く理由がなかった。覚悟していたことが来ただけだった。
「リディア令嬢」エドワードが言った。声に、わずかな戸惑いがあった。「何か言うことはないか」
「ございません」と私は言った。「粛々と受け入れます」
*
その言葉が落ちた瞬間、謁見の間の扉が開いた。
誰も呼んでいなかった。
入ってきたのは第二王子アシュルだった。白い軍服のまま、埃をかぶった靴で堂々と歩いてきた。北の視察から戻ったばかりの格好だった。供も連れていなかった。
「兄上」とアシュルは言った。「少し待ってもらえますか」
「アシュル、今は——」
「二分でいい」
アシュルはそのままエドワードの前まで歩いていって、懐から書類の束を取り出した。
「ユーナ・クレイン嬢の件です。リディア令嬢の罪状の根拠になった証言と証拠、全部偽造です」
場が、今度は別の意味で凍った。
「何を言っている」エドワードの声が低くなった。
「偽造です」アシュルは繰り返した。「ユーナ嬢がリディア令嬢に嫌がらせをされたと証言した三名、全員にユーナ嬢の実家から金が渡っています。証人への買収記録がここにある。それから、リディア令嬢が学園の食堂でユーナ嬢の食事に異物を混入したとされる件、その日リディア令嬢は風邪で学園を休んでいます。欠席届がここにある。出席簿の写しもある」
書類が一枚ずつ広げられるたびに、廷臣たちのざわめきが大きくなった。
「私は北の視察の帰りに王都へ入る前、たまたまこれを掴んだ。間に合ってよかった」アシュルは振り返って私を見た。「令嬢、随分落ち着いていましたね」
「覚悟していましたので」と私は言った。
「どういう意味ですか」
「いつかこうなると、わかっていました」
アシュルは少し目を細めた。それ以上は聞かなかった。
*
ユーナが崩れたのは、アシュルが買収の証拠を読み上げ始めてから五分後だった。
最初は「違います」と言っていた。次に「誤解です」と言った。エドワードが「ユーナ、これはどういうことだ」と詰めると、「私は何も……」と言いかけて、そこで黙った。
沈黙が続いた。
廷臣の一人が「ユーナ・クレイン嬢、答えよ」と言った。
ユーナは俯いたまま、何も言わなかった。
それで全部わかった。
エドワードの顔が青くなっていくのが見えた。自分が何をしたか、今更理解したのだろう。でも私はそれを見て、怒りも、悲しみも、特に何も感じなかった。そうなるとわかっていたから。ゲームの中で何度も読んだシーンが、今目の前で起きているだけだった。
「リディア」エドワードが言った。令嬢付けを忘れた呼び方だった。「すまなかった。俺は……」
「お気になさらず」と私は言った。
「気になさらず、とは」
「調べもせずに信じたことは、殿下の落ち度です」私は穏やかに言った。怒鳴るつもりはなかった。「でも、それを今更責めても仕方がない。ユーナ嬢の演技はよほど巧みだったのでしょう。私だって見抜けなかった」
エドワードは何か言おうとして、言葉が出ないようだった。
「ただ」と私は続けた。「婚約の件はこのまま解消していただいて構いません」
「なぜ」
「信じてもらえなかったから、ということではありません」私は少し考えてから言った。「ただ、六年間、殿下が私を一度でも信じようとしたか、思い出せないので」
エドワードの顔が歪んだ。
私はそれを見届けてから、アシュルの方を向いた。
「助けていただいてありがとうございました」
「間に合ってよかった」アシュルはまた言った。「令嬢は最初から知っていたのですか。こうなると」
「薄々」と私は答えた。
「それで泣かなかった」
「泣く必要がなかっただけです」
アシュルはしばらく私を見ていた。それから、小さく笑った。
「面白い人だ」と彼は言った。「よければ、後で話を聞かせてもらえますか。令嬢がどこまで知っていたのか、少し興味があります」
*
謁見の間を出たとき、初めて少しだけ足が震えた。
廊下の柱に手をついて、一度だけ深く息を吸った。覚悟していたとはいえ、やはり緊張していたらしかった。自分でも気づいていなかった。
後ろから足音がした。アシュルだった。
「大丈夫ですか」
「はい」と私は言った。「少し、力が抜けただけです」
「無理もない」彼は柱の向こうに立ったまま言った。「あれだけ落ち着いていたんだ、その分どこかに出る」
私は苦笑した。
「本当のことを言えば」と私は言った。「泣きたかったかもしれません。ずっと前から。ただ、泣いても何も変わらないので、やめました」
「何年も前から」
「六年、くらい」
アシュルは少し黙った。
「それは長い」と彼は言った。「よく保ちましたね」
私は答えなかった。
窓の外、晴れた空が見えた。断罪の日は、晴れていた。それだけが、少しおかしかった。




