【1−6】幼馴染の約束
ラビナの家は、街の中心地から少し離れた路地にある。
石造りの赤い屋根の家が多いアルノールでは、土地勘のないものが家を探すのは至難の業。
さすがに自分の家なのでラビナはすいすい進んで行くが、アトレとバルは追いかけるのに必死だった。
右に曲がり、左に曲がった末、明かりのついた二階建ての家に辿り着いた。煙突からは香ばしい匂いが漂っている。
ドアを開けて元気に叫ぶ。
「ただいま!」
中から三十代後半くらいの若い男性が出てきた。茶髪の彼はラビナの父のようだ。
「おかえりラビナ、遅かったじゃないか。うん? そこにいるのはアトレさんじゃないですか。こんばんは。それとお隣にいらっしゃる方は?」
「こんばんは、フォール様。私、アトレお嬢様の執事、バル・ミッテランでございます」
「これはご丁寧に。いつも娘がお世話になっております」
「パパ、今日アトレちゃんを泊めていい? わたしから誘ったの、いいでしょ?」
「自分の部屋で一緒に寝るならいいぞ。使ってない客室があるからミッテランさんはそこでもよろしいですか」
「お気遣いありがとうございます」
「お邪魔します」
玄関の正面には小さな階段があった。香ばしい匂いは、左にあるキッチンからしていた。キッチンには若い女性が料理をしていた。
「ただいま! 今日のご飯は何?」
「トマトスープを作ってるの。あら、今日は可愛いお客さんがいるのね。これは腕によりをかけなくちゃ」
この時、アトレは違和感を感じた。
ラビナに兄弟はいないはずなのに、彼女によく似た若い女性がいるのだから。気になったので小声で聞いてみることにした。
「ねえラビナ、あなたにお姉さんっていたっけ?」
「いや、一人っ子だけど。もしかしてママのこと?」
「うそっ、若くない?」
「ママ、ああ見えて四十代なんだよ。実はパパの方が若いんだ」
どうやらラビナの可愛さは母親譲りらしい。
「あら、お世辞はいいのよ〜。ラビナ、早くお風呂入ってきなさい。もうすぐご飯ができるから」
あれが美魔女と言うものか。
母はラビナにさっさと入ってくるよう料理を作りながら促した。さらには料理のいい匂いが風呂を指差した。
「ねえねえ、一緒にお風呂入ろうよ。ね、いいでしょ」
「えっ、ちょっと待って! 一人で入るから〜!」
アトレの手を引いて風呂場に向かった。
「元気ですな」
「元気すぎて困るくらいだよ」
ラビナの父は腕を組んで苦笑していた。
* * *
先に体を洗い終わったアトレは小さな湯船に浸かっていた。実家で使っていたものに比べるととても小さく、体を折り曲げないと浸かれなかった。
「……ラビナはいいな。そんなにあって」
「ん? 何か言った?」
「なんでもない」
ジトっと湯船の外を見て呟いた。
するとラビナがアトレのいる湯船に侵入してきた。とてもじゃないけど湯船は二人用ではないサイズだ。
「ちょっと! 狭いよ」
「えへへ、いいのいいの」
二人が入った湯船から水が大量に溢れ出た。
「昔、トスカとうちに遊びに来たの覚えてる?」
「覚えてるよ、だってこんなに大きな家なんて初めてだもん」
壁に当てながら腕を大きく回す。
「まさかおうちのお風呂が泳げるくらいなんて」
「そうそう、あの時ラビナがはしゃぎすぎて転んじゃってたもん」
「そんなことあったっけな〜」
二人は笑い合って想いにふけっていた。
「ねえ、私が二人に初めて会った時のこと覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。でもあれはアイツが悪いんだよ。トスカが『あっちに大きなお城がある』なんて言うからさ、ついて行ったわけよ。そしたら門の前で転んじゃって」
「あの時柵を越えてきたボールはそうだったんだ」
「そうそう、そしたら中からちっちゃい女の子が出てきてびっくりしたよ。まさか怒られるんじゃないかって思ってたから。しかも、それに驚いて『一緒に遊ぼう』って言ったら、『うん』って返ってきたからびっくり」
「あの後私ね、お父様にこっぴどく怒られたよ。そしたらーー」
二人の会話を切り裂いて声がした。
「二人ともーご飯できたよー!」
「ご飯だ! ほら行くよ」
「私はもう少しいるから先に行ってて」
「了解! 公爵様」
元気に答える。
「ちょっと、からかわないで」
静かになった湯船にアトレは目まで浸かった。少しだけ後悔してきたのだ。こんな楽しい時間なんて二度と訪れないんじゃないかと。
でも、こんなところでクヨクヨしてもしょうがないので、一気に湯船から上がった。
白いパジャマに着替えたが、なぜか胸の辺りが緩かった。多分ラビナのだ。
食卓にはたくさん料理が並べられていた。
三人で食べるには、十分過ぎるくらい小さなテーブルいっぱいに。
それにアトレは驚いた。こんな小さなテーブルでご飯を食べるとは思わなかったのだ。
「いただきます」
まずはトマトスープから食べた。庶民的な見た目だったが、今まで食べたことのない味に戸惑いを隠せなかった。
とろみのあるスープに甘酸っぱいトマトの味。その全てがアトレの舌から常識を変えた。
「あの、ラビナのお母様。後でこのレシピを教えてください!」
「あら、そんなに美味しかった? まさかお貴族様に合うとは思わなかったわ。後でレシピを書いてあげるから」
食べ終わって二人はラビナの部屋に入った。シングルサイズのベットが一つ、机と椅子が一つずつ。
床は足の踏み場が無いほど散らかっていたが、流れるようにラビナがクローゼットの奥へ押し込んだ。
部屋の明かりを消して、アトレはベットに、ラビナは床に横になった。
父に床で寝ろと言われたからだ。
そして意を決したのかラビナは口を開いた。
「ねえアトレちゃん、この際だから聞くけど、どうして庶民のわたしなんかがアトレちゃんの友達になれたの」
「……嬉しかったの。私、昔から貴族の女の子として育てられていたから。でもラビナが初めて私を、普通の女の子として接してくれたの。それが、本当に嬉しかったの。それは今も同じ。世界中探しても、こんなふうにしてくれるのはラビナとトスカだけ。だからありがとう。私の大好きな親友ちゃん」
「アトレちゃん……ううん、こんなしんみりしちゃ眠れないよ。ほら、おやすみ!」
下を見るとラビナの目が光って見えた。それが月の光が反射したのか、涙なのかは分からない。
「おやすみラビナ」
ゆっくり目を閉じた。寝ている時少し息苦しかったが気にはならなかった。
朝は急な圧迫感で起きた。だが、甘くて優しい香りがして、後ろを見た。
「……えっ、……ラビナ?」
「……もう、食べられないよ……むにゃむにゃ」
ラビナがアトレに抱きついて寝ていた。どうやら床が嫌だったらしい。
その後、彼女を起こして朝食を食べた。もちろんパジャマを返してもらった。
「お世話になりました。では行きましょう、お嬢様」
「じゃあねラビナ。絶対帰ってくるから」
「うんっ、絶対っ、帰ってくるんだよ。もしっ、来なかったら、お仕置きだからねっ」
ラビナは泣いていた。彼女の涙を初めてみたアトレは思わず泣きそうになった。しかし我慢をした。
別れの涙は、次に会う時きっと恥ずかしいから。
二人は振り返ることなく歩き出した。
突如、アトレの背中が重くなる。嗅ぎ慣れた甘い香り——まさしくラビナだった。
「やっぱり、お別れなんて嫌だよ。まだ、一緒にいたい」
アトレは初めて振り返り、彼女を抱きしめた。
「私もだよ。まだっ、行きたくない」
「ふふっ、泣いてるじゃん」
「ラビナもっ、でしょっ」
アトレも深く抱きしめて、そっと手を放した。
「じゃあね、ラビナ。行ってきます」
「いってらっしゃい、アトレちゃん!」
あとがき
ラビナ・フォールとトスカ・ルクレール、二人はなぜ名門校「フランクール法学校」に入学できたのか。
答えは簡単。アトレを一人にさせないため。
もちろん、このことは彼女に言っていない。
元々、フランクール法学校は、ずっと昔のエマニュエリ公爵家が開設した学校だ。
今は分家に経営を任せているが、歴代の本家の当主は必ずと言っていいほど入学している。ちゃんと正規の入学方法で。
順当にいけばアトレも入る必要があった。
だが、フランクール法学校は魔法学を専門とした学校だ。このままだと魔法が使えないアトレは、いつかそのことがバレてしまい虐められてしまうかもしれない。
公爵とはいえ旧貴族は身分が高くない。そのうえ創設者の子孫となればそれが災いして格好の的になってしまうだろう。
ラビナとトスカはそのことを密かに心配していたので、大金を叩いて入学した。
では逆に、一般人の二人が浮いてしまうのではないか。
でも実際は違った。ラビナは天才的な魔力操作の才能を開花させ、アトレと同様慕われる存在に。トスカは勉強はできないものの愛されるバカ的存在で男子の中での人気者になった。
二人はうまく貴族社会に馴染めたのだ。
その結果、アトレの事情が隠されたまま、あの三人組は「なんかすごい奴ら」的な存在で入学後から一目置かれることとなった。




