【1−4】旅立つ君へ
アトレの告白の後、家の明かりは消えることがなかった。
アトレは荷造りを始めてからワクワクが止まらなかった。
(着替えも入れたし、路銀もある。ぬいぐるみは……いらないかっ!)
革でできたトランクケースに荷物を詰めた。いつ帰ってくるか分からない我が家に、忘れ物はないかと入念に。そして、一本の銀色の剣を拭いた。
アトレは剣を扱うことができた。父曰く、貴族たるもの音楽と剣術は教養らしいので、人よりは使いこなせた。もっとも、魔法がないアトレには唯一の攻撃手段だが。
「これからはあなたが私を守ってね」
ピカピカに磨かれた剣にはアトレの顔が反射した。まるで、剣がアトレに応えたように輝く。磨き終わって、アトレは鞘に剣をしまった。
ひと段落したアトレは、最後の休息を行った。シルクのパジャマに着替えたアトレは明かりを消し、眠りについた。明日はどこで一夜を過ごすか分からない。それでも確かなのは、家のベッドが一番心地よいということだった。
* * *
一方、護衛として行くことになったバルは大忙しだった。
普段住み込みで働いている彼だったが、護衛兼執事で同行するのは初めてのことだったので、何を持って行けばいいのか分からずじまい。お嬢様用の傘を持って行くべきか、はたまた紅茶のセットを持って行くべきか。
悩んだ挙句、「お嬢様セット」は持って行かないことにした。路銀にスーツ、少しばかりの菓子と銃を一丁。
それらを全て魔法で消すとようやく眠りについた。その頃、外は少し青くなっていた。
* * *
翌朝、柔らかな朝日がアトレを起こす。翠緑の瞳に光が宿った。う〜んと背筋を伸ばしてから、窓の外を見た。
(この世界の外には何があるんだろう。でも、もう後悔なんてしない。私が決めたことなんだから)
着替えて部屋の外に出る。もう煌びやかなドレスは着ない。可愛らしいワンピースに袖を通し、バッグを持った。アトレの足に迷いはなかった。
「それでは行ってきます」
「本当に行くのか?」
「ええ。もう決めたことだから。それと、こんな親不孝に育ってごめんなさい。」
「そうだな。親不孝だな」
(え〜否定しないの〜)
「ははっ、冗談だよ。それと、これを持っていきなさい」
セレオは金の装飾が施された赤い宝石のペンダントを渡した。
「お父様、このペンダントは?」
「お守りだ。こいつには簡単な防御結界が仕込んである。いざという時、お前を守ってくれるぞ」
アトレは自分の首にかけた。そして赤い宝石を眺めた。
「……きれい」
「あっそうだアトレちゃん。リヴィエールに行くならベルソンを通るでしょ。ルミネちゃんに手紙を持っていって欲しいの」
「お姉様に?」
「そうそう、あの子またお金が無くなってるはずなのよ。だからその差し入れ。それに、アトレちゃんを家に泊めてっていうお願い」
「お母様……最後のそれは、本人の目の前で言っていいものですか?」
「あら、うっかりしてしまったわ」
「ふふっ」
「最後に引き留めて悪いのだが、最初はどこに行くつもりなんだ?」
「街の冒険者協会に行こうと思ってます」
「登録か? それならこっちで回せるが」
「家を出たら私の旅。これ以上、お父様とお母様に迷惑なんてかけられませんの」
「そうか。なら行ってこい、お前の人生の旅にな」
「絶対帰ってくるのよ〜」
「はい、行ってきます! お父さん、お母さん!」
「では、行ってまいります」
そう言ってアトレとバルは家を後にした。暖かな日差しが庭の草木を照らす。大きくなったアトレの背中が、二人に成長を感じさせた。
セレオとカルミアは二人が見えなくなるまで静かに見送った。
「あなた、お父さんだって」
「お前もだろ」
セレオは照れた。
「あの子も行ってしまったわね」
「家が静かになるな。これも旧貴族の末路か」
「さっきも名言を残そうとしたの覚えてるわよ。額縁にでも飾っておけば?」
「うるさい! 俺はもう行くぞ」
「はいはい」
カルミアは玄関のドアを閉じた。
* * *
家を出たアトレの足は軽かった。疲れることなく、どこまでも行ける気がした。学校に行くときに使っていた道も、新しく感じられるほどに。
土の道を踏みしめ、草や花の匂いがアトレを包んだ。遠くにはたくさんの石造りの建物が見える。時折、人とすれ違うこともあったが誰も「お嬢様」のアトレだとは気が付かなかった。
街に近づくにつれ、民家が増えてくる。
アトレは歩く音で、少しずつ足元の道が石畳になっていくのを感じた。曲がり角を曲がると、あたりが賑わってきた。
野菜を売る露店、肉が焼ける香ばしい匂い、冒険者たちの装備品の金属が当たる音、そして石畳を歩くたくさんの足音。アトレはそれら全てが自分を出迎えてくれるように感じた。
アトレとバルが着いた街、アルノールは旧エーベル公国の首都であった。アトレの実家、エマニュエリ侯爵邸からは二キロほどの距離にある。
王朝時代の名残で現在のエーベル地方の主要な施設が集中している。冒険者協会もその一つだ。
「ねえ、じいや。冒険者協会ってどこにあるの?」
「この先の広場にあります。街一番の繁華街なので、鍛冶屋なども近くにあったはずです。この後行かれますか?」
「そうね、行ってみようかしら。もしかしたら掘り出し物があるかも知れないわ」
「お嬢様、お金の使い方は節度をもってお使いください」
「わかってるわよ、もう」
そうこうしているうちに、一段とひらけた場所に出た。真ん中には噴水。それを囲むようにたくさんの建物が建っていた。
その中に一際目立つ大きな看板の付いた建物——冒険者協会と書かれたその建物に、二人は入った。
中は広く、沢山の椅子や机があり、壁の掲示板には沢山の依頼が貼られていた。
時間が早かったためか、それとも冒険者にとって遅すぎたのか分からないが、中には指で数えるほどの人しかいなかった。
そして、真ん中にある銀行のような窓口に立っていた受付嬢に話しかけた。
メイド服のような服を着たお姉さんは、にっこりと笑ってこう言った。
「こんにちは、冒険者協会へようこそ」
「冒険者の登録をしたいのですけど」
「わかりました。では準備ができ次第お呼びいたしますので、お名前をお教えください」
「アトレ・エマニュエリよ」
協会の受付嬢は少し驚いたものの、紙に名前と要件を書いて、「後ろの席でお待ちください」と言った。
「ねえじいや、これで合ってるの? なんか銀行に来たみたいだわ」
「私もそう思いました。以前来た時は五十年くらい前だったので、変わったのでしょう」
アトレは自分の名前を言った時から、誰かに見られている気がしていた。それもそのはず、有名公爵の名前を出すものだから何かあったに違いないと思われても仕方がないのだから。
「エマニュエリさん、こちらのカウンターにいらしてください」
「呼ばれたわね、行きましょう」
やはりざわついた。数人しかいないのに相当なものだ。
「登録ですね。では、お名前と行き先についてお書きください」
二人は自分の名前と行き先である「ベルヌーイ村」を書いた。
「あの、名前を書くのはわかるのだけれど、どうして行き先まで書くんですか?」
「もし何かあった時の保険です。また、各地にある支部から依頼や情報を得るのに役立ちますよ」
アトレは情報漏洩とか大丈夫なのかと思ったが、聞くのをやめた。
「ではお名前と目的地を記入いたしましたので、これでパーティー登録をいたします。それと何か依頼をする際、報酬と別に手数料がかかりますのでご了承下さい」
「けっこうあっさりなのね」
「そうですね、これで晴れてお嬢様も冒険者です。では行きましょう」
「ちょっとお待ちください。登録料がまだお済みではありません」
『え?』
二人は驚いた。アトレは小声で話し始めた。
「ちょっとじいや、登録料がかかるなんて聞いてないんだけど」
「随分昔なもので、忘れておりました。それでいくらなんですか?」
「一人銀貨二枚です」
「つまり二人で四枚、結構するわね」
銀貨一枚、約三千円。冒険者は志願する人数も多いため、いい商売だ。
「銀貨四枚ね、これでいいかしら」
「確かに承りました。それでは、ようこそ冒険者の世界へ!」
とりあえずアトレの旅は順調に始まった。協会への経費は痛い出費だったが、アトレにとっては水を買うようなもの。
これからは、貴族のアトレではなく、新米冒険者のアトレとして、旅が始まるのであった。




