【2−2】特効薬の副作用
シャリエール伯爵領ロコモア、かつてこの地には一つの伝説があった。
遥か昔、人が魔法を手にする前、豊穣の女神ケレースが悪竜エクイズムを討伐したという言い伝えだ。
ロコモア一帯の竜の長であるエクイズムは、当時大量の仲間を引き連れケレースの領地に侵攻した。
この頃のケレースはまだ豊穣神としての権能や信仰を、持ち合わせていなかった。
そして、女神ケレースはたった一人で竜と戦った。戦いは難攻を極め、三年いや十年続いたと言われている。
そして、疲弊し切ったケレースは賭けに出た。
自己を犠牲にし、竜を殲滅すること。
ケレースは反対する民の意志を押し切り実行に移した。
そして、この行為は成功した。彼女の力により、悪竜のみならず、世界中の竜が絶滅、あるいは封印された。
その結果、ロコモアに広大で肥沃な平地が形成され、ケレースは豊穣神として祀られ、崇められるようになった。
* * *
「竜って、いくらなんでも冗談が下手すぎでしょ」
アトレは面白かった。なんせ、ラスカが冗談を言っていると思ったからだ。
しかし、ラスカの言葉は正しかった。
「嘘じゃない。俺は見たんだ。みんなが祝詞を詠んでいた時、竜が空を切って現れた。俺とバルさんは防御魔法が間に合って難を逃れたが……その、お前はほら、使えないだろ」
ラスカが見たのは赤くて大きな翼を持つ翼竜。地上十メートルくらいを飛行していたその竜は、あまりにも大きく、空を覆い尽くすくらいであった。
「その時、土煙が辺りを覆いました。視界が開けた時、お嬢様が倒れていらっしゃったのです。目を開けたまま倒れておられたので、本当に、本当に心配しました。ご無事で何よりです」
「それで立てるか? とりあえず朝の店に戻って、情報収集しようぜ」
「うん、そうだね。何があったか、はっきりさせないといけないわ」
アトレは立とうとした。しかし足に力が入らない。どうやら膝を打ってしまったようだ。
「はぁはぁ、だめっ。足に力が入らない。膝を打ったかも……」
「俺がおぶって行くから、ほら乗れ」
ラスカはアトレの前でしゃがむ。痛む膝を庇いながらゆっくりラスカに抱きついた。
三人は全力で走って朝の店に急いだ。店内には、同じ考えに至ったのか、冒険者や街の住人、情報屋たちが蔓延っていた。
ラスカは空いている椅子にアトレをおろすと、彼らに話を聞きに行った。
どのくらい待ったのだろうか。
アトレは怪我をした時の無力感をずっと感じていた。
それは、ひきこもっていた当時の感覚とよく似ている。
何もできない自分が憎かった。
妙な緊張で背筋が張り付く。
すると、ラスカが戻ってきた。
誰かを連れてきたようで、その人はおどおどしながら手を引っ張られていた。
「アトレ! 治療ができるやつを連れてきたぞ」
「べ、別に僕は簡単な治療魔法しか使えないですよぉ〜」
茶髪で糸目の彼はラスカより身長が大きく、白衣を着ていた。
「あのぉ〜、被験……じゃなくて患者さんはあなたですか?」
「……え? 患者?」
アトレはぼんやりしていて、気づくのが遅れた。
「そーですぅ。どこか、痛むところはありますかぁ?」
「膝が痛いの。さっき地面に打ってしまったようで立てなくて」
「わかりました〜。では、失礼しますね」
男はしゃがみ、アトレのスカートを膝まで捲ると、軽く膝を触った。
「……シェイクシーラ」
「えっ!? ちょっと、何するの!」
「あっ、ごごごごめんなさい。治療をするのに触れる必要があるのを言い忘れてましたぁ〜。もう大丈夫なはずです……多分」
男は手で頭をかきながら、慌てて釈明した。
ちょっと信用できないが、彼の言うことを信じて立ってみた。すると、先ほどまでの痛みが嘘のように消え、自然に立つことができた。
彼が使った治療魔法「シェイクシーラ」通称、「痛みを抑えて治す魔法」は、旧マルサス公爵領トリメト公国、現リヴィエール地方で開発された魔法だ。
古くから治療魔法の研究が活発だったこの地で初めて、民間の複雑な治療魔法を、簡単な術式に変化させて扱いやすくしたものがこの魔法だ。
元来、民間魔法や治療魔法は、通常の魔法に比べ、魔力の消費が多い傾向にあった。
その中でも、シェイクシーラは魔力の消費を抑えられて作られている。
ただしその代償として、使用者が患者の最も痛む箇所に直接触る必要が出てしまった。
その結果がこれである。
「ありがとうございます! ごめんなさい、疑ってしまって」
「いいんですよぉ。僕も足に触れることを伝え忘れてましたので。それにぃ、仕事柄こうゆうの慣れてますし〜」
彼はすくっと立ち上がり、軽く会釈をした。
「僕はこの街で研究者をやっているアークと言います。もしかしたら今後もお世話になるかもなので一応……」
街の研究者、アークはなんだか怪しい雰囲気を纏っていたが、心なしか穏やかで優しい青年でもあった。
アトレは優雅にスカートをつまみ、小さくカーテシーをした。
本来、カーテシーは王族などの目上の者に対して行われるものであり、貴族が一般人にするようなものではないが、アトレは感謝の意として彼に行った。
「ご丁寧にありがとう。私はアトレ・エマニュエリ、さっきあなたを連れてきたのは仲間のラスカ。それでこっちは——」
「アトレお嬢様の執事、バルと申します。以後お見知り置きを」
最後まで言えなかったのが気に食わなかったのか、バルの方をむすっとした表情でちらりと見た。
「では、僕はこれで失礼します。また何かの縁があればお会いしましょう」
アークは背中で手を振り、去っていった。




