第71話 最近値上げすごいよねぇ
【ジパング大使館・応接室】
ナオが言葉を続けようとした、その瞬間だった。
パカッ
何の前触れもなく、ナオのシルクハットのクラウンが、再びパカリと横に開いた。
襖の向こうの三人が、思わず声を上げそうになる。
ステラ「えっ今なの」(小声)
カイ「タイミングまったく考えないっすね、あの帽子」(小声)
リラ「ふ、二人とも……ばれてしまうので静かに……!」(小声)
応接室の中では。
グラバーの目が、子供のように輝いた。
グラバー「おお!?始まるのかね、帽子のショーが」
すると帽子の中からぬっ、と二つの人影が半身を乗り出した。
現れたのは、どう見てもガソリンスタンドの制服を着た店員だった。
店員「あのー店長、一つ聞いてもいいっすか?」
隣の男が腕を組み、偉そうに頷く。
店長「ん、どうした新人?妙に浮かない顔してるなぁ!」
店員は少し周囲を見回し、困った顔で言う。
店員「あーいや。ずっと気になってたんすけど……。こんな辺鄙なとこにガソリンスタンド作って、客来るんすか!?」
店員は外を指さすような仕草をする。
店員「今日なんか開店してから四時間経つのに!車どころか、人っ子一人通ってないんすけどこの通り!?」
唐突にナオの頭上で始まった会話を見て、グラバーがぶっ、と噴き出した。
そして次の瞬間、腹を抱えて笑い出す。
グラバー「はははははは!!」
椅子の背にもたれながら、肩を震わせる。
グラバー「なんだねそのガソリンスタンドというのは!!」
襖の外。
三人が同時に顔を見合わせた。
ステラ(小声)「……笑ってる」
カイ(小声)「普通引くとこじゃないっすか?」
リラ(小声)「む、むしろ楽しんでますね……」
ナオも頭上へ視線を向けながら、思わずため息を吐いた。
ナオ「ほんま、すんませんねえ。真剣な話しよるときに」
その横で、ノノは「あわわわ……」と慌てながら、帽子のクラウンを押し戻そうとする。
ノノ「ちょ、ちょっと待ってください……!いま大事なお話中で……!」
しかし帽子の上では、そんな事情などまったく気にする様子もなく――。
ガソリンスタンドの二人の会話が続いていた。
グラバーは腹を抱えて笑いながら言う。
グラバー「いやいや!かまわんよ、続けてくれたまえ!」
肩を震わせながら、帽子を指差す。
グラバー「しかし驚いた!!まさか本当に生身の人間が出てくるとは!」
その間にも、帽子の上では謎の議論が白熱していた。
店長「わかってないなあ新人!」
店長は偉そうに人差し指を立てる。
店長「こういう人通りが少ない道路こそが、意外と穴場だったりするんだよ!」
店員「あ、穴場…?」
店長「経験上、こういう場所のほうが‟質のいい客‟が多かったりするんだ」
その理論を聞いた店員はすぐさま首を振る。
店員「いやいやいやいや!」
両手を振って反論する。
店員「ガソリンなんて質より量でしょ!?回転率上げてなんぼの世界じゃないんすか!」
呆れ顔で続ける。
店員「店側がお客の質求めてどうするんすか!?高級料亭じゃあるまいし!!」
襖の向こうで三人はしばらく無言で顔を見合わせた。
ステラ「……いや、何なのよアレ」
カイ「帽子の中、どんな世界なんすかほんと」
リラ「が、ガソリンスタンドって……一体何なんでしょう……」
ステラは襖に額を押しつけ、深くため息をついた。
ステラ「必死に押し戻そうとしてるノノが一番不憫だわ…」
その時だった。
帽子の奥から、ブルン……ブルン……
と、大きなエンジン音のような音が響き始めた。
ステラ「は?」
店長「ほらみろ新人、客が来たぞ!!」
店員「ええ……四時間経ってやっと一人目...。い、いらっしゃいませぇ!!」
すると今度は帽子からスッと、大型バイクのフロント部分が現れる。眩いライトが応接室内を照らし出す。
黒塗りの四百CCオートバイ。
鈍い光を放つタンクに、無駄に渋いシルバーのライン。
それにまたがっているのは――
ハードボイルド男「ハイオク、満タンで頼む。……俺はガソリンと女は、空にしない主義でね」
中折れハットにサングラス、紺のダークスーツを羽織った顎髭の男。
帽子の住人の一人、ハードボイルド男だった。
ナオは額に手を置き、深いため息を吐く。
ナオ「よりによって、このタイミングでアンタが出てくるんかいな……」
ハードボイルド男は、エンジンをふかしたバイクのハンドルを軽く握る。
ブルン、と低い排気音が応接室に響いた。
男「よぉ。久しぶりだな、外交官」
サングラスの奥で、わずかに目を細める。
男「タイミングってやつはな、選ぶもんじゃねぇ。流れに身を任せるもんさ」
ナオは即座に突っ込んだ。
ナオ「その流れの結果、いま完全に事故が起きとるんやけど」
そのやり取りを見ていたグラバーが、盛大に吹き出した。
グラバー「ははははははは!!」
ソファの背にもたれ、肩を震わせながら笑い続ける。
グラバー「いや参った!これは実に愉快だ!」
帽子の上のガソリンスタンドの店員、そしてバイクにまたがる男を交互に指差す。
グラバー「まさか帽子の中から‟鉄の馬‟に跨った男まで現れるとは!」
ノノは完全に処理が追いつかず、ぐるぐると目を回していた。
ノノ「ひ、ひぇぇぇ……っ」
帽子のクラウンを両手で押さえながら、必死に声を絞り出す。
ノノ「お、お願いですから引っ込んでくださぃぃぃ……!いま大事なお話中で……!」
だが、そんな事情などお構いなしに、帽子の上では給油作業が着々と進んでいた。
店員はノズルを握りながら、ちらりとバイクの男を見上げる。
店員「店長……お客は来ましたけど……なんすかこの微妙に胡散臭い人は」
店長はなぜか得意げな顔で腕を組み、うんうんと頷く。
店長「だから言ってるだろ!この道路は上客が来るってな」
店員「いや店長の『上客』の基準どうなってんすか!?」
ハードボイルド男をちらりと見て、店員はこっそり声を潜める。
店員「だってこの人、なんか……映画のワンシーンから抜け出してきたみたいじゃないっすか」
ハードボイルド男は少し口角を上げ、ゆっくりとサングラスを指で押し上げた。
男「……フッ。男は皆、人生という名の映画の主役さ」
店員「いや急に何言いだすんすかこの人!?」
そのやりとりの真下で、ナオは半目でツッコむ。
ナオ「そのセリフは、俺が言いたいわ」
このどうしようもない光景をみてもなお、グラバーはまだゲラゲラと笑い続けていた。




