第68話 他文化への尊重
【ジパング大使館・玄関先】
しばらくして、ようやくグラバーの笑いが落ち着いた。
グラバーは目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、もう一度くすくすと笑う。
グラバー「いやぁ……これは参った」
ナオが手に持った湯呑を改めて眺める。
帽子からせり上がってきたとは思えないほど、普通の湯呑だった。
グラバー「実に見事な歓迎じゃないかね!」
ナオは苦笑いを浮かべる。
ナオ「歓迎というより……半分事故みたくなってますけどね」
そういうとナオは帽子の縁を軽く叩いた。
パタン
先ほどまで開いていたクラウンが閉じ、シルクハットは何事もなかったかのように元の形へ戻った。
ノノはまだ半分混乱した顔のままオロオロしていた。
グラバーはその様子を興味深そうに眺めている。
グラバー「いやいや!!噂通りの実に面白い帽子じゃないか!期待通りだ」
ナオ「持ち主も完全には制御できてなんですがね」
そう言いながら、ナオは改めて館内へ手を向けた。
ナオ「玄関先で立ち話もなんですし……どうぞ中へ」
ノノも慌てて姿勢を正す。
ノノ「お、お茶も淹れなおしますので……!」
それを聞いたグラバーは、ナオの持っていた湯呑をすっと受け取る。
そして、ふうと湯気を眺めてから一口すすった。
グラバー「これで構わんよ!」
満足そうに頷く。
グラバー「帽子から出てくるお茶なんて、人生で一度あるかないかの体験だからね」
ノノ「ふ……普通、ないと思います……」
グラバーはノノに向かって、にっと笑った。
そして姿勢を正し、軽く一礼する。
グラバー「では改めて――お邪魔させてもらうよ、梅原くん」
ナオも静かに頭を下げた。
ナオ「ようこそ、ジパング大使館へ」
三人はそう言って、館内へと足を踏み入れる。
玄関の土間の上には板張りの床があり、応接室へ続く廊下には赤い絨毯が敷かれていた。
ナオは振り返り、穏やかな口調で声をかける。
ナオ「どうぞ、靴のままお上がりください」
その言葉を聞いたグラバーは、人差し指を立てた。
グラバー「いやいや、そうもいかん!」
そして、楽しそうに笑う。
グラバー「ここはジパング国の大使館。いわばジパング文化圏だ」
そう言うと、彼は丁寧に腰を屈め、靴を脱いで土間にきちんと揃えた。
グラバー「郷に入っては郷に従え――それが私の流儀でね」
立ち上がりながら続ける。
グラバー「他国の文化というのは、尊重し、共感してこそ面白いものだ」
ノノは思わず感心したように呟いた。
ノノ「な、なんだか……。もう少し、お堅い方かもと思っていたのですが……」
グラバーはそれを聞いて、楽しそうに目を細めた。
グラバー「ははっ!よく言われるよ」
金色のカイゼル髭を指で撫でながら続ける。
グラバー「『帝国外務局の高官』なんて聞くと、皆もっと堅苦しい奴を想像するらしい」
ナオはフフッと笑いながら答える。
ナオ「まあ普通そうでしょうね」
グラバーは愉快そうに笑った。
グラバー「だが外交というのも異国の者と触れ合うのも、堅いだけでは面白くない」
指を軽く振る。
グラバー「文化も、人も、違いがあるから面白いのさ」
ナオは小さく頷いた。
ナオ「それは、確かに」
ノノは少し安心したように息をつく。
ノノ「な、なんだか……よかったです」
グラバー「ん?」
ノノ「えっと……」
少し照れながら続ける。
ノノ「いい人そうで……」
グラバーは髭をいじりながら、また楽しそうに笑った。
グラバー「ははは!ありがとう、お嬢さん」
そう言って、廊下へと一歩踏み出す。
板張りの床に敷かれた赤い絨毯の上を、グラバーはゆっくりと歩いた。
左右には木の柱、白い障子、控えめな装飾の壁。
どこを見ても、落ち着いた和風の造りだった。
グラバーは興味深そうに周囲を見渡す。
グラバー「ほほう……」
ナオとノノが案内する廊下の先には、応接室の襖が見えていた。
ナオが襖を静かに開く。
その奥に広がっていたのは――
和の建物の中に設けられた、洋風の応接室だった。
磨かれた木の床、重厚なテーブル、ゆったりとしたソファ、壁には控えめな装飾と書棚。
そして先日、ノノが買ってきて飾りつけをした白い花束が入った花瓶。
外の廊下とは対照的な、西洋式の落ち着いた空間。
グラバーは思わず足を止めた。
グラバー「これまた面白い!外は完全にジパングの建築……」
ゆっくりと室内を見回す。
グラバー「その奥に、バロア式の応接室を設けているのか」
ナオは軽く頷いた。
ナオ「外交の場ですので、我が国の雰囲気は残しつつ、帝国の方も落ち着いて話せるようにしています」
グラバーは満足そうに頷いた。
グラバー「なるほど……。文化の境目に作られた部屋というわけだ」
ナオは軽く会釈し、席を手で示す。
ナオ「どうぞ、お掛けください」
グラバーは「失礼するよ」と言ってソファへ腰を下ろした。
ナオも向かいの席へと座る。
ノノも一礼してから、ナオの隣に座る。
グラバーは背筋を伸ばし、改めて口を開いた。
グラバー「改めて名乗らせてもらおう」
ナオへ真っ直ぐ視線を向ける。
グラバー「バロア帝国外務局、東方貿易圏調整官――ジェームズ・グラバーだ」
胸のあたりに手を添えて、軽く一礼し続ける。
グラバー「今日は時間を作ってくれて感謝するよ」
ナオ「こちらこそ」
ナオは帽子を軽く整えてから、両手を身体の前で添える。
ナオ「豊臣幕府・外国奉行のもと、西洋外交役の任を任せられております。梅原ナオと申します」
そういうとナオは深くお辞儀をする。
そしてナオは、隣に控えるノノへ目を向けた。
ナオ「こちらは私の補佐役を務める文官、茅森ノノです」
ノノは慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
ノノ「しょ、書物奉行付きの文官を務めております……茅森ノノです……!よ、よろしくお願いします……!」
グラバーは穏やかに微笑んだ。
グラバー「よろしく頼むよ、茅森くん!」
そしてテーブルの上に手を置き、楽しそうに言った。
グラバー「さて、堅苦しい挨拶はこの辺にして――」
二ッと笑う。
グラバー「いろいろ話そうじゃないか!」




