第59話 秩序が破綻している空間
【エサリカ村・ミルミル亭】
帽子の住人・菊左衛門は、先に出ていた二人を見て片眉を上げた。
菊左衛門「む?貴殿、久方ぶりにお見かけ致したな。戻られておったのか?」
男はゆっくりと菊左衛門の方へ顔を向ける。
男「……菊の字か。相変わらず派手な面をしているな」
菊左衛門「派手とは心外な。これが"粋"というもの」
男はグラスのバーボンを少し飲んでから続ける。
男「俺は俺の思うままに……気の向くままに、ここへ戻るだけさ」
菊左衛門は腕を組み、少し口角を上げた。
菊左衛門「相変わらず湿っぽい男でござるな。しかし……その珍妙な言い回し、拙者嫌いではござらん」
ステラ「待て待て待て!!!!」
ステラがテーブルを叩く勢いで割り込む。
ステラ「ちょっと待って!?アンタら知り合いなの!?」
カイ「完全に顔見知りっすよね、これ……」
ナオは額に手を当て、呆れたように深いため息を吐いた。
ナオ「……なんか俺、すっごい嫌な予感しとんねんけど……。菊左衛門、このおっさんのこと教えてくれんか?」
菊左衛門は当然のように頷き、扇子でも持っていそうな手振りで答えた。
菊左衛門「ほう……梅原殿は、この男をご存じなかったか?」
ナオ「いや知らん知らん。ガチの初対面や」
菊左衛門は男を一瞥し、淡々と続ける。
菊左衛門「この者……この帽子の内にて、“すなっく”なるものを構え、よく酒を煽っておるのだが――」
ナオ「いや初耳やぞ!?」
ナオは頬杖を解き、勢いよくツッコんだ。
ナオ「なんで俺の知らんところで、帽子の中にわけのわからん空間が増設されとんねん!!」
リラ「スナック……?…なにかのお菓子……ですか?」
カイ「いやリラさん!多分話の流れ的に、絶対そういう意味じゃないっすよ」
リラはきょとんとした顔で首を傾げる。
リラ「えっ……違うんですか……?」
ノノ「す、スナック……?」
菊左衛門は腕を組み、少し考えるように顎を撫でた。
菊左衛門「拙者も詳しいことは知らぬ。だがあの店にある、"からおけ"なる設備は拙者の心を鷲掴みにしておる」
ナオ「いやだから!お前ら、俺の許可も得んまま勝手に帽子の中に変なもん作んなや!!」
男はグラスを揺らし、氷の音を響かせた。
カラン。
男「……店ってのは、作るもんじゃねぇ。気づいた時には、そこにあるもんだ」
ステラ「いや帽子の空間内の話でしょ!?店がある時点で既におかしいのよ!!」
ノノはさらに怯えた顔で、ナオを見た。
ノノ「梅原様……つまり……この方も帽子の中に……す、住んでるんですか……?」
ナオは嫌な予感が的中した、と言いたげな表情で帽子のツバを摘む。
ナオ「……まあ、そういうことやろな」
ステラがハッとした顔で叫ぶ。
ステラ「……え、待って。今さらだけどさ……このおっさんも、まさか……!」
カイ「『帽子の住人』ってやつですよね。たぶん」
ステラ「最悪の結論に達するな!!」
女はくすくすと笑い、頬杖をついたまま三人を眺めた。
女「ふふ……お兄さんたち。『住人』だなんて。ずいぶん可愛くない言い方するのね?」
ステラ「可愛く言う余地ある!?こっちは帽子の中に知らないおっさんが二人も住んでるって事実に震えてんのよ!!」
ノノ「こ、怖すぎるんですが……!」
リラは引きつった笑顔のまま、恐る恐る女に尋ねた。
リラ「あの……すみません……。えっと……お客様は……この方とは……どういうご関係で?」
女「私はこの人に連れられて、ここに来ただけよ。彼の行きつけにね」
ナオ「人の帽子のことを‟行きつけ"って言うの、やめてくれんか?」
女は楽しそうに肩を揺らし、赤い唇を吊り上げる。
女「ふふ……いいじゃない。私、こういう賑やかなお店も好きよ?」
ナオ「賑やかっていうよりは、自分らの存在が騒ぎの引き金になっとるねん」
ノノはオドオドと震えながら、女の胸元を見てしまい、慌てて視線を逸らした。
ノノ(ど、どこを見ればいいの……でしょうか……)
女はそんなノノの動揺に気づき、わざと胸元を少しだけ指で整える。
女「ふふ……そんなに緊張しなくていいのよ?可愛いお嬢ちゃん」
ノノ「ひっ……!?」
ステラ「やめなさい!ノノはそういう耐性ゼロな子なんだから!」
女はクスクスと笑い、帽子の上のカウンターに置かれたカクテルのグラスを飲み干す。
そして、立ち上がるような動作を見せた。
女「さて、私はそろそろ失礼するわ」
ステラ「え、帰るの?てか、一体どこに帰るの!?」
女はステラの問いには答えることなく、ただ微笑む。
女「この店、面白いけど……長居すると癖になりそう」
女は男の方へ向き直り、胸元から一枚のカードを取り出した。
薄い紙――名刺のようなものだ。
女「はい。これ、私の連絡先。退屈な夜に……また飲みましょう?」
男はサングラスの奥で一瞬だけ目を細め、黙ってそれを受け取った。
男「……あぁ。今度は、もっと刺激の強い酒を用意しておく」
女「ふふ。楽しみにしておくわ。じゃあね、お兄さんたち」
そう言って、女は手を振りながら帽子の中へと引っ込んだ。
チリンチリン――。
帽子の奥で、小さな鈴の音が響いた。
帽子の上にはまだ、黒いカウンターがせり出したままだった。
そしてその奥には、サングラスの男がグラスを傾け、隣には菊左衛門が腕を組んで堂々と居座っている。
ステラはその光景を見上げ、半目でナオに呟いた。
ステラ「……ねぇ、これ……最悪のパターンじゃない?」
ナオは再び、ミルミル亭のカウンターに頬杖をつく。
ナオ「よりによって、まだ話が通じる女だけ帰るとか、一番あかんやつやんけ」
男は静かにグラスを揺らし、氷を鳴らす。
カラン。
その音だけが、妙に店内に響いていた。




