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第57話 雰囲気だけで生きてる男

【エサリカ村・ミルミル亭】

今日の村は、雨が降っていた。

窓ガラスを叩く雨音が、店内のざわめきに混ざって響き続けている。

昼時のミルミル亭は、多くの客で賑わいを見せていた。


カウンター席に、いつもの使節団メンバーがゆったりと腰を下ろしている。

湯気の立つ紅茶と、焼きたてのパンの匂い。

いつもと変わらない、穏やかな空気が漂っていた。


梅原ナオは片手で地元新聞を広げ、もう片手でカップを持ち上げる。

紙面に目を走らせながら、ぽつりと呟いた。


ナオ「最近はえらい、帝国産の酒も値上げしとるみたいやなあ」


スコーンを頬張っていたステラが顔を上げる。


ステラ「あー、やっぱり?この前ギルドの酒場で飲んでた時、ハンスとドラークがボヤいてたわ」


ナオは新聞を軽く叩き、該当箇所を指で示す。


ナオ「ほれ。ここや。『帝都の蒸溜酒、原料不作につき価格上昇』……やて」


カイが覗き込み、眉をひそめた。


カイ「帝国の蒸溜酒……『タルカローネ』とかっすか?あれ俺、苦すぎて飲めないっすけど」


ナオ「それも値上げリストに入っとるみたいやな。北部地域で採れる"タルの実"が、今年は採取量激減したらしいわ」


ノノがそれを聞いて、少ししょんぼりとした表情になる。


ノノ「……タルの実のパイ……美味しいのに……」


リラも、少し困ったように頷いた。


リラ「それは困りますね……。うちも仕入れの値段が変わると、メニューに響いちゃいますし……」


ナオはカップを置き、息を吐く。


ナオ「まあ、表向きは"原料不作"が原因なんやろうけど……」


ステラ「表向き?」


ナオ「酒は市場価値が高いからな。帝都の商会が、不作を見越して先に原料を買い占めよるんちゃうかって噂が立っとるみたいや」


カイが腕を組み、淡々と補足する。


カイ「原料が減った上に買い占めが起きれば、醸造所はそこから買わざるを得なくなる。……値段は跳ね上がるっす」


ステラ「うわぁ……なんか、経済の闇を聞いた気分だわ」


ナオ「まあ、あくまで噂程度やけどな。酒はただの嗜好品やけど、こういう時に『世の中の動き』が見える」


ナオは新聞を畳み、テーブルに置いた。


ナオ「それに酒は作るのも買うのも税金がかかるからな。それが上乗せされて――」



パカッ



全員「あ」


真面目な話の最中。帽子のクラウンが、何の前触れもなく開いた。


その隙間から、艶のある黒いカウンターがせり出してくる。

正確には、カウンターの「天板」と、その向こう側に広がる空間の一部。そこに肘をつき、まるで最初からそこにいたかのように、二人の男女が半身だけ現れた。


中折れハットにサングラス。

紺のダークスーツを着て、琥珀色の酒を煽る顎髭の男。

その隣には、胸元の開いた赤いドレスの女が艶やかに微笑んでいる。


二人とも腰から下は帽子の中。

まるでバーのカウンター席ごと、この世界に切り取られたような格好だった。



男「人生ってのはバーボンに似ている…。苦みの奥に、かすかな甘さがある」


女「フフ。でも、あたしにはちょっと刺激が強すぎるかも」



全員がナオの帽子から目を離せず、言葉を失った。

真下のナオは大きなため息をつき、カウンターに頬杖をつく。


ナオ「まぁたキャラ濃ゆいのが出てきたのぉ……」


思わずステラは、椅子をひっくり返して立ち上がる。


ステラ「いや何事よ一体!?何で帽子から急に酒場が出てくんのよ!?しかも無駄にハードボイルドだし!!」


ノノ「な、なんなんですか!?この人たち……あの黒い眼鏡の人...顔が怖いです……!」


それを聞いて、帽子の上の顎髭の男はノノをチラッとみる。


男「嬢ちゃん。人を見た目で判断するもんじゃねえぜ」


ノノ「ひっ!?」


カイ「ほんとこの帽子の構造どうなってるんすか!?今回人だけじゃなくて、酒場の一部まで出てきてるんすけど!」


女は一通り周りを見渡し、男に声をかける。


女「ここがあなたの行きつけ?ふふ……ずいぶんと賑やかなバーね」


ステラ「いやバーじゃないし!!喫茶店だからここ!!」


男はバーボンの入ったグラスをカランと鳴らしながら答える。


男「退屈な夜を埋めるには、うってつけの隠れ家さ」


ナオ「今、昼飯時やぞ。何が見えとんねんこいつらには……」


リラは顔を引き攣らせながらも、二人に声をかけた。


リラ「い、いらっしゃいませ……。ご、ご注文は……?」


ステラ「リラ!?この状況で注文取ろうとしないで!!」


リラ「で、でも……お客様っぽいですし……!」


女は楽しそうに笑い、マニキュアを塗った爪でカウンターを軽く叩く。


女「いいわねぇ。こういうお店。落ち着くじゃない」


ノノ「こっちは……全く落ち着きません……!」


サングラスの男は、帽子の中からコーヒーカップを引っ張り出し、無言で差し出した。


男「コーヒー、ブラックで頼む。ミルクも砂糖もいらねえ」


男はサングラスの奥で、どこか遠くを見つめる。


男「……甘さってのはな、入れるもんじゃない。失った後に気づくもんだ」


ステラ「何の話してんのよ!?」


ノノ「意味が……全く……わかりません……」


カイが額を押さえながら呟く。


カイ「いや、コーヒーの話っすよね……?なんで人生の話みたいに語ってるんすか……」


男「人生ってのは、一杯のコーヒーみたいなもんだ」


ステラ「さっきバーボンって言ってたじゃない!!」


男「バーボンもコーヒーも……苦みが深いほど、人生の質も深い…」


ステラ「それっぽいこと言ってるだけでしょアンタ!!」


女は楽しそうに笑い、赤い唇をつり上げた。


女「ふふ。この人、深いこと言ってるようで、内容はすごく薄いのよ」


ナオ「薄いんやなくて、中身ないことを渋い顔で言うとるだけやんけ」


頬杖をついたまま、ナオは半目で気だるげにツッコんだ。

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