第55話 どの世界線でも、最強の種族
【エサリカ村・市場】
1時間後。
さっきまで並べられていた野菜は、影も形もなくなっていた。
露店の台の上には、空になった木箱と、売り切れ札だけがぽつんと残されている。
店主「……うそだろ……」
リザードマンの店主は、放心したように木箱を見つめていた。
さっきまで釣り銭を渡し続けていた手が、今は微かに震えている。
店主「……全部……売れた……?」
誰に言うでもなく、呟く。
店主はゆっくりと顔を上げ、まだ市場の通りを行き交う人々を見回した。
先ほどまで列を作っていた村人たちは、もう満足げに買い物袋を抱えて散っていき、笑い声だけが遠くへ流れていく。
店主「……信じられねえ……。俺の野菜が……人間に……」
ナオはその横で、ピンクのエプロンにおばちゃんパーマ姿のまま、腕を組んでふんぞり返っていた。
ナオ「ほらな?言うたやろ、おっちゃん。掴みが大事やって」
店主「だ、旦那…」
店主はまだ信じられないといった表情でオロオロとナオを見る。
店主「俺、今日……人生で初めて完売したぞ……?」
ナオ「いやほんま飛ぶように売れたなぁ~。おっちゃん、営業の才能あるやん」
店主「俺の才能じゃなくて、旦那のそのヘンテコな変装のせいだろ!」
ナオはカツラを脱いで、帽子を被り直しニッと笑う。
ナオ「まあどっちでもええやんかいな。結果がすべてや」
店主「あ、ああ…」
店主は額の汗をぬぐいながら、まだ夢を見ているような顔で笑った。
その時、買い物籠を腕にかけたリラとノノが、人混みの向こうから歩いてきた。
二人とも籠の中にはしっかり野菜が入っており、ミルミル亭の仕入れは完璧に済ませている様子だった。
リラ「ナオさん」
ナオ「ん?」
振り向いて、リラとノノを見ると穏やかな笑顔を見せる。
ナオ「お~リラさんにノノやないか。おっちゃんの野菜、買うたんか?」
リラ「ええ。ちゃんと買わせてもらいましたよ。今日はスープに使う分を」
ノノ「わ、私も……。トマトと……キャベツ……買いました……」
店主「……え?」
店主は驚いたように二人を見た。
店主「……ほ、本当か……?」
リラは買い物籠を少し持ち上げ、中身を見せる。籠の中には、瑞々しい玉ねぎ、人参、葉物野菜。
そして艶のあるトマトがいくつも入っていた。
リラ「とてもいいお野菜ですね!ミルミル亭でも、きっと評判になりますよ」
ノノ「は、はい……。すごく……新鮮です……」
店主「……っ」
その目は細まり、爬虫類特有の瞬膜が一瞬だけ閉じた。
さっきまでの忙しさとは違う意味で、胸の奥が熱くなったようだった。人間の村で、誰かが自分の野菜を「普通に買ってくれた」。
それが、完売という事実よりも嬉しい。
店主「……あ、ありがとよ……」
ぽつりと漏れた声は、いつもより少し柔らかかった。その言葉にリラとノノは優しく微笑む。
リラ「ところでナオさん」
ナオ「んー?」
ナオは、まだつけていたピンクのエプロンを外そうとしていた。
リラ「その格好になる意味は……ほんとにあったんでしょうか?」
リラの声は穏やかだった。
だが、笑顔は若干引きつっている。
ナオ「そら、あれよあれ。最初に客に対して『ん?』って思わせる印象付け……」
ナオは真顔で頷く。
ナオ「要はインパクトが大事やねん」
リラ「……インパクト」
ナオ「そう。掴みよ!掴みがすべてや」
店主「旦那、それ完全に……さっきアンタの帽子から出てた、ゴーストの受け売りじゃねえか」
ノノ「ご…ゴースト……?」
ノノは顔色を変え、思わずリラの後ろに半歩隠れた。
ノノ「な、なんで……そんな……普通に……」
店主「いやほんと俺もそれを聞きてえよ……」
ナオ「ああ、さっきまでやけに意識高い系の幽霊二人組が帽子から出てきててなぁ」
ナオは指で帽子の方を軽く示しながら、あっさり説明した。
ナオ「『怖がらせるには、どうやったらウケがいいか』言うて、真面目に会議しよったんよ」
リラはこめかみを押さえ、少し呆れた顔でため息をつく。
リラ「それで……その幽霊さんたちのやり取りを参考にして……。なんで、あの格好になるんですか……?」
ナオ「とっさに思いついたんが、おばちゃんやってんて」
リラ「おばちゃん……」
ナオ「俺の出身地、ジパングの淡花藩ってとこやねんけどな」
彼は妙に誇らしげに胸を張った。
ナオ「あそこのおばちゃん、みんな我が強うてなぁ。声もデカいし、押しも強いし、値切りも遠慮せえへん」
店主「……それ、褒めてんのか?」
ナオ「褒めとる褒めとる。あのおばちゃんらが市場で立ち止まって喋りよったら、客は絶対集まる」」
ノノ「た、たしかに……妙な……説得力がありました」
そこまで聞いて、納得したようにリラは結論付けた。
リラ「……つまり、ナオさんは『淡花藩のおばちゃん』のパワーで、人を集めたんですね」
ナオ「パワーっていうか、文化やな」
やり取りを聞いていた店主は、空になった木箱を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
店主「……でも、ありがとな」
ナオ「ん?」
店主「俺……人間の村で、こんなふうに野菜が売れる日が来るなんて思ってなかった」
その声は、いつものぶっきらぼうな調子よりも少しだけ柔らかかった。
ナオは一瞬だけ目を逸らし、帽子のつばを指でつまむ。
ナオ「……それよりなにより、おっちゃんの野菜がほんまに美味そうやから、みんな買うてくれたんやろ」
店主「……明日も、頼んでいいか?」
ナオ「それは遠慮しとくわ」
即答だったが、声はどこか楽しげだった。四人の笑い声が、朝市の喧騒に混じって溶けていく。
商人の呼び声、子どもの笑い声、荷車の軋む音。
その中で店主は、空になった木箱を見下ろしながらぽつりと呟いた。
店主「……外交官ってのは……こんな仕事もするのかよ……」
その言葉には、呆れとほんの少しの感謝が混ざっていた。




