第51話 技術者のルーティン
【エサリカ村・水車小屋の前】
早朝。
朝霧が、エサリカ村を囲むタイガの森をゆっくりと流れていく。
人影はまだまばらで、聞こえるのは川の水音と、水車の回転音だけである。
「村の一日は、目に見えない場所から始まる」
工具袋を肩にかけた青年が、水車の軸に手を当て、耳を澄ませていた。
カイ「あ、どうも。おはようございます」
軽く会釈しながらも、その視線は水車から離れない。
音、軋み、回転速度……すべてを観察するように目を走らせる。
――朝はいつも早いのですか?
カイ「ええ。村の設備を点検して回るのが、俺のルーティンなんすよ」
彼はそう言って、水路に沿って歩き出す。
足取りに迷いはなく、何度も繰り返してきた動きだと分かる。
エサリカ村の生活用水は、この水車を起点に循環している。
水車に取り付けられた桶が水をすくい上げ、水路の入り口へ流す。その水は村のあちこちに分岐し、家々の生活を支えている。
――今は、何を?
カイは水車の側面に取り付けられた配管を指差した。
カイ「この水車を使って、村の各家に水を送る仕組みを作ったんすよ」
木と石で組まれた古い構造物。そこに、異質なほど整った金属配管が組み込まれている。
まるで最初からそこにあったかのように、自然に馴染んでいる。
カイ「前にナオさんの帽子から、飲み物が入った金属の筒が出てきたことがあって。あれが、やたら水に強くてですね」
そこまで言うと、彼は少しだけ笑う。
カイ「それを参考にして、水に強い合金を錬金しました」
――錆びないんですか?
カイ「完璧に錆びないわけじゃないっす。でも交換頻度はかなり下がります。石の水路よりも、はるかに衛生的ですし」
使節団長の被る、謎の帽子から出てきた異物を参考に、水に強い素材を錬金。
それを鍛治で加工し、配管として鍛え直したのだという。
彼はそのまま村の広場へ移動する。
そこには、金属製の取っ手がついた装置がいくつか並んでいた。
――これは?
カイ「これが、水車から送られてきた水を出すための給水栓です。酒樽についてるコックを、強い水圧に耐えられるよう改造して、水回りに取り付けてるんです」
取っ手をひねると、水が一定の勢いで流れ出した。
カイ「水車と水路の流れだけだと、水圧が足りない家もあるんで。風魔法の符呪を配管に一定間隔の距離で施して、水が常に“押されてる状態”を作ってます」
水を操るのではない。水が流れやすい状況を、ほんの少し整えるだけだ。
カイ「常に一定の圧力を配管内にかけてあるので、どの家でもコックをひねれば、同じ量の水が出るんすよ」
そして彼は、村のとある一軒家へ向かった。
中は改装されたのか、広々とした空間にいくつもの個室が並んでいる。
カイ「次は、ここです」
個室の一つを開けると、石をくり抜いて加工された椅子のようなものが鎮座していた。
――これは……?
カイ「共用の水洗設備ですね。まあ、座ってみてください」
言われるまま腰を下ろしてみる。
だが、石の冷たさは感じなかった。
――……あ、温かいですね。
カイは満足そうに頷く。
カイ「石造りだと冬がきついんで。微量の火炎符呪を仕込んでるんすよ」
便座の裏。
目立たない場所に刻まれた小さな符文を、彼は指差した。
カイ「火傷しないし、冷えない程度の温度を保つ符呪っす。魔力消費も小さいんで、刻み直すサイクルは年に一度で十分です」
魔力は必要最低限。人が使う時だけ、静かに働く。
続いてカイは、壁に取り付けられたレバーを指さした。
カイ「水洗も、さっきの給水のコックと同じ構造です」
レバーを引くと、石の穴の下から水が流れる音が響いた。
カイ「一気に流して、地下の処理水路へ。水路は、昔ドワーフが採掘で掘った地下坑道跡を再利用してます。そこに処理用の水路を這わせて、村外で分解される仕組みにしてるんです」
そこまで言うと、彼は苦笑いを浮かべる。
カイ「正直、誰も気にしない場所っすけどね」
――流れたあとは、どこへ?
カイ「排泄物や汚水は地下水路を通って、村から少し離れた処理槽に送られます。枯れた井戸を拡張して、そこに聖堂の方々に乾燥の魔法陣を施してもらったんです」
一気に水分を飛ばした汚泥は、良質な肥料になる。
それを近隣の農家に卸すことで、村の収入源にもなっているという。
カイ「村長やうちのリーダーが近くの農村と交渉してくれたみたいで。その収入の一部を、メンテナンス費として使わせてもらってるっす」
――この設備はまだ、ここだけなんですか?
カイ「ええ。給水管の方はもう各家に繋いでるんすけど……。こっちの方は、村のみんなの同意がないと難しいっすね」
彼は共用設備の壁を軽く叩き、苦笑する。
カイ「処理水路に繋ぐ地下配管も必要だし、各家の便座も加工しなきゃならない。手間も金もかかるんで、今はここで試作段階っす」
――村の方々の反応は?
カイは少し考えるように視線を泳がせた。
カイ「村長はかなり前向きっすね。『村総出で各家に作りたい』って言ってくれてますし」
それは職人にとって、何よりの追い風だろう。しかし、カイの表情は浮かれたものではなかった。
カイ「ただ……村のみんなが同じ意見ってわけじゃないっすね。魔法に抵抗がある人もいますし」
――やはり魔法を危険視する方もいらっしゃるのが理由ですか?
カイ「そういうのもあります。『排泄物を魔法で処理するなんて危険だ』って言う年寄りもいるんで」
彼はそこで、少しだけ声を和らげた。
カイ「でも、聖堂の方々は協力的なんです。『不浄を取り払う施し』って形で説明してくれてるんで、反対の声もだいぶ減りました」
霧の向こうに、聖堂の小さな鐘楼がぼんやりと見えた。
鐘の音はまだ鳴らない。だが、村の空気が少しずつ変わっていることだけは確かだった。
カイ「じゃ、次は水路の継ぎ目を見てきます。最近、苔が増えてきてるんで」
――休む暇がないですね。
カイ「まあ……誰かがやらないと、困るのは村の人たちですから」
そういって、霧の中へ歩き出す。
誰も意識しない場所で、少しだけ生活が豊かになる仕組みを作り、点検する。
そして村の朝は、今日も静かに始まっていく。




