第47話 ジパング国の皇帝
【エサリカ村・ミルミル亭】
ナオの一言に、ステラとリラは思わず息を飲んだ。
ステラ「…………拳?」
一瞬、店内が静まり返った。だが
ステラ「ぷっ、ははっ……!」
こらえきれなかったように、ステラが噴き出した。
ステラ「な、なによそれ……!拳って……!あははははっ!!」
腹を抱えて笑い出す。
ステラ「もうやめてよナオちゃん!どんな伝説よそれ!あのデカブツを眼力でねじ伏せて、拳で倒せる皇帝って!」
リラも一瞬きょとんとした後、思わず苦笑する。
リラ「ふふ……さすがに、それは……」
しかしノノだけが、笑わなかった。
ステラは涙を拭いながら、まだ笑い混じりに言う。
ステラ「……あーもう。完全に盛ってるでしょ?話を面白くするための誇張よ、誇張!」
そう言って、コーヒーを一口すする。
リラ「さっき、話を面白く伝えるのも外交術の一つって言ってましたしね」
ナオは何も言わず、ただ静かにカップに残る冷めたコーヒーを見つめていた。
ナオ「……盛っとらんで」
その一言に、ステラの笑い声が、ぴたりと止まる。
ステラ「……え?」
ナオは、変わらず真剣な顔で答える。
ナオ「むしろ、だいぶ控えめに言うとる方や」
ノノが小さく、しかしはっきりと頷く。
ノノ「……はい。……梅原様は……誇張……してないです」
その空気に、リラがそっと言葉を挟む。
リラ「……ナオさん。それ、実際に……会ったことある人、なんですか?」
ナオは、帽子のツバを軽く指で弾いた。
ナオ「会ったことあるどころか……俺とノノを『ジパング西洋使節団』として派遣したお方やで」
ステラは、さっきまでの笑いが嘘のように、背筋を伸ばした。
ステラ「……」
冗談にしたかった話が、冗談じゃないと分かった瞬間だった。
ナオは表情をいつもの穏やかな笑顔に戻しつつ、腰に差していた刀の止め紐を静かに外す。そして、鞘に収めたままの刀を手に取り、そっとステラたちの方へ差し出した。
ナオ「この刀はな。ジパング国を発つ前に、あの方から賜った代物や。俺はこの刀を授かる時に、ひとつだけ約束をしたんよ」
ステラ「約束……?」
ナオ「『この刀は、言葉で果たせぬ時のみ抜け』。それ以外の抜刀は、決して許さぬ……そう言われとる」
店内の空気が張り詰める。
ナオは刀から視線を外し、静かに続けた。
ナオ「俺はそれをな……怒りや誇りのためじゃなく、大切な誰かを守るときにだけ、刀を抜け――そういう意味やと解釈しとる」
ステラが、はっとしたように顔を上げる。
ステラ「……それって、前にクロイツの宿屋で言ってた……」
ナオ、そしてノノも小さく頷く。
ナオ「言葉が通じる相手なら、できる限り武器を抜かずに話し合う」
帽子のツバを摘まんで、にこやかに笑う。
ナオ「それが、俺なりの武士道やねん」
その笑顔の奥にある覚悟は、さっきまでの冗談めいた空気を完全に消し去っていた。
リラはナオの覚悟のあるまなざしに思わず息を飲み、ノノは押し黙っていた。
ステラは、ゆっくりと息を吐いた。
ステラ「……ねえ、ナオちゃん」
ナオ「ん?」
ステラ「その将軍……ナオちゃんがものすごく敬愛してるのは伝わったわ」
言葉を選ぶように、一瞬だけ間を置く。
ステラ「その人の名前、教えてくれない?」
その瞬間、ノノがぴくりと肩を揺らした。リラも、無意識に手を止める。
ナオ「ああ……名前な」
ほんの少し、声の調子が変わる。
ナオ「周りからはその圧倒的な強さから、『覇王』という異名がつけられとる」
リラ「は、覇王……」
ナオ「ジパング国、豊臣幕府の将軍で――」
そこまで言いかけたときだった。
パカッ
乾いた音とともに、ナオの被る帽子のクラウンが勢いよく開いた。
菊左衛門「梅原殿!!」
全員「!?」
唐突に姿を現したのは、空気という概念を一切理解していない帽子の住人・菊左衛門だった。
菊左衛門「先日のオセロ勝負!どうしても納得のいかぬ一手がありましてな!もう一戦、是非ともお願いしたく!!」
ステラ「び、びっくりしたぁ!!」
リラ「き、菊左衛門さん……また、すごいタイミングで……」
ナオはそれを聞いて、にやりと笑う。
ナオ「お、ええぞ。もっかい負かしたろうやないかい!」
菊左衛門「望むところでござる!」
そう言って菊左衛門は、テーブルの上にどん、とオセロ盤を置いた。
だが、盤の横に並べられたのは、白黒の石ではなく、将棋の駒だった。
ステラ「……は?」
リラ「……え?」
ノノ「……しょ、将棋……?」
ナオは盤面と駒を一瞥し、まるで当然のように頷いた。
ナオ「なるほどな。今日はその構成か」
ステラ「待って!?なんで普通に理解してるの!?」
菊左衛門は満足げに頷く。
菊左衛門「盤はオセロ、駒は将棋!なおかつ初手三手までは王将使用禁止!これぞ、先日の反省を踏まえた改良版にござる!」
ナオ「ほお?ええやないか。前よりだいぶ洗練されとる」
ステラ「洗練されてるの基準がおかしいのよ!!」
ナオは帽子を脱ぎ、テーブルの対面に置いた。
オセロ盤を挟み、異国の外交官と、シルクハットのクラウンから半身だけを乗り出した隈取メイクの男が向き合う。
二人は完全に勝負モードに入っていた。
ステラ「いや何この不気味すぎる絵面!?」
ノノ「状況が……だいぶシュールです……」
ナオ「先手はどないする?」
菊左衛門「貴殿にお譲り致そう」
ナオ「お、なかなかに強気なプレイングやのぉ。ほなら、遠慮なく」
そう言って、将棋の歩をオセロ盤の中央に置いた。
リラ「……そこ、普通は置けない場所ですよね……?」
ナオ「今日は『返す』んやなくて『制圧』するんや」
ノノ「……せ、制圧……?」
菊左衛門も駒を手に取り、気合十分に応じる。
菊左衛門「では拙者は、ここ!」
カン、と駒が置かれる。
その様子を見て、ステラは頭を抱え、大きく息を吐く。
ステラ「……はぁ。結局、まだジパングの将軍の名前、聞けてないんだけど……」
リラは盤面を眺めながら、苦笑いを浮かべる。
リラ「……でも、なんだか楽しそうだし。今さら聞ける雰囲気でもないわね」
ノノも小さく頷く。
ノノ「……はい。梅原様、こういう時……すごく生き生きしてます……」
盤の上では、白黒の升目に将棋駒が並び、意味があるのかないのか分からない勝負が、真剣に進んでいく。
ステラとリラの胸には、あの奇怪すぎる帽子を作ったジパングの先代外交官・杉原センポの謎に加え、また一つ、新たな『ジパングの謎』が刻まれたのだった。




