第46話 巨獣よりも恐ろしい男
【エサリカ村・ミルミル亭】
帽子から出ていた謎の艦長と水夫が引っ込み、ミルミル亭には、いつもの穏やかな午後の空気が戻っていた。
昼下がりの店内。
カウンターではリラが食器を拭き、その向かいの席でステラ、ノノがそれぞれ飲み物を前にくつろいでいる。ナオは窓際のテーブル席で、コーヒーを啜りながらせっせとジパング国への報告書をしたためていた。
しばらく、他愛のない話が続いたあと。
ステラが、ふとカップを置いた。
ステラ「……そういえばさ」
その声に、リラとノノが顔を上げる。
ステラ「今さらなんだけど……あの時のこと、ちょっと気になってたのよね」
ノノ「……あ、あの時、ですか……?」
ステラは視線を天井に向け、記憶を辿るように言う。
ステラ「ほら。旧鉱道の中で、あの超大型トロールと鉢合わせた時」
ノノの肩が、わずかに揺れた。
ステラ「正直言って……あれ、相当ヤバい状況だったじゃない?」
ナオは黙ったまま、コーヒーを一口すする。
ステラ「なのにさ。ノノ、あの時取り乱さなかったでしょ?」
ノノは、両手でカップを包み込み、視線を落とす。
ノノ「……そ、そう……でしょうか……?」
ステラ「ええ。震えてはいたけど、やけに落ち着いてたというか……。パニックにはなってなかった」
ステラは、じっとノノを見る。
ステラ「坑道に入る前は暗すぎて無理!!ってあんなに叫んでたのに」
ナオはそこで、少しだけ口角を上げた。
ナオ「それだけノノが状況に適応して、成長したってことやろ。たいしたもんや」
ノノ「……え、えっと」
ノノは、ぎゅっとカップを握りしめる。
ノノ「……あの時は……」
言葉を探すように、少し間が空いた。
ノノ「……トロールさん……たしかに、怖かったです……。すごく……」
ステラ「うん」
ノノ「でも……それ以上に……」
小さく、息を吸った。
ノノ「……『もっと怖い人』を……思い出してしまって……」
その瞬間。
ステラとリラの動きが、ぴたりと固まった。
ステラ「……は?」
リラ「あのトロールより……怖い?」
その言葉を聞いていたナオは、思わず吹き出した。
ナオ「ぶははっ……!あー、なるほどなぁ!」
ステラ「ちょ、ちょっと!?ナオちゃん、なんで笑ってるのよ!?」
ノノは、慌てて両手を前に突き出してぶんぶんと振る。
ノノ「ち、違うんです!あの、怖いっていうか……その……!」
ナオは腹を抱え、珍しく声を上げて笑っている。
ナオ「いやいや、わかるわかる!そらあの方と比べてもたらなあ!」
ステラ「話が見えないんだけど!!」
ノノは、観念したように、ぽつりと呟いた。
ノノ「……トロールさんより……上様の方が……ずっと……」
ナオ「ぶははははは!!」
完全にツボにはまったナオは、筆をおいて膝を叩いて爆笑する。
リラ「な、ナオさんがあんなに笑ってるの……初めて見たかも……」
ステラ「ちょっと!?『上様』って何よ!?誰の話!?」
ナオは、ようやく笑いを収めながら、目尻の涙を拭う。
ナオ「いやあ……ノノ、それ将軍様のことやな?」
ノノ「……は、はい……」
ステラが眉をひそめる。
ステラ「……将軍って、さっき言ってたジパングの皇帝?」
ナオは、帽子のツバを摘まんでどこか懐かしそうに天井を見上げる。
ナオ「まあ……説明したら長なるけどな」
ステラとリラの方に視線を戻し、静かに続ける。
ナオ「一言でいうなら、『規格外』っちゅう言葉が、一番しっくりくるお方や」
その言葉に、ステラは理由の分からない寒気を覚えた。
ナオ「せやからノノは、トロール見た時に思ったんやろ。『あ、これ……まだマシだな』って」
ノノ「しょ……正直にいうと……はい」
冗談や誇張を言わない子だと知っているからこそ、ステラとリラは言葉を失う。
リラ「で、でも……あのトロール、すごく大きかったですよ……?人間の倍以上はありましたし…」
ナオ「そら、普通に見たらあんなん相当おっかないで」
そう言ってコーヒーカップを手に取る。
ナオ「それでも多分、あの方やったら……眼力だけであのトロールをねじ伏せられると思うわ」
一瞬、ミルミル亭の空気が止まった。
ステラ「……眼力、だけで?」
リラも、思わず皿を拭く手を止める。
リラ「またまたナオさん。さすがに……冗談ですよね?」
その問いに対して、ナオは首を横に振る。
ナオ「いやこれはマジやで。おそらく本能的に『こいつには勝てん』と思って、トロールが降参するやろなぁ」
ステラ「いやいや……。どんな魔法使ったら、眼力だけであんなのをねじ伏せられるのよ」
ナオ「あの方は、魔法なんか使わんで」
あまりに当然のように言われ、ステラは言葉に詰まる。
ナオ「そもそもジパング国は、魔法には疎い国やしな」
リラ「え……?じゃあ、剣がものすごく強いんですか?ジパングのお侍さんって、剣術が優れているって聞きますし……」
ナオは少し苦笑した。
ナオ「周りの『侍衆』と呼ばれる人らは、確かにめちゃくちゃ強いで。俺なんか、剣の腕は中の下や言われて、よう揶揄されたしなぁ」
そういうとナオのいつもの穏やかな笑顔が消え、少し真面目な顔になる。
ナオ「けどな……あのお方は、刀も使わん」
ステラ「……は?」
リラ「……え?」
ステラが思わず身を乗り出す。
ステラ「じゃあ……どうやって戦うの?」
ナオは少しも大げさな素振りを見せず、ただ、自分の手をぎゅっと握りしめた。
ナオ「拳や」
その一言が、ミルミル亭の静かな空気に、ずしりと沈んだ。




