第4話 懐かしき混沌
ハヌスの肩が、震えた。
一瞬、怒っているのかと全員が身を固くする。
ハヌス「…フッ」
ナオ「?」
ハヌス「フハハハハハハハハハハハハ!!!」
重厚な議事堂に似つかわしくないほど豪快な笑い声が、石造りの柱に反響する。
ギュースケン「は、ハヌス様!?」
ステラ(え!?笑ってる?)
ノノ「え!?…えええ!!?」
ハヌスは腹を抱え、涙すら滲ませながら笑い続ける。
ハヌス「いやはや!!その帽子は二十年前とまっっっったく変わっておらん!!!むしろ自由度が増しておるではないのかねぇ!?」
ナオの引きつった表情が、少しだけ緩む。
ナオ「……師匠の時にも、こういうことが?」
ハヌス「うむ。当時はこんな珍妙な生物こそ出ては来なんだが……。『タコヤキ』という謎の丸い食べ物を焼く鉄板がその帽子から現れてな!当時の議員全員が腰を抜かしたものよ!」
ノノ「た、タコ…ヤキ……?」
ハヌス「そうだ。丸い食べ物が鉄板でコロコロと転がされて……なんとも言えん、香ばしい匂いがしてのぉ。誰も見たことがないのに、妙に食欲をそそる香りでな」
ギュースケン「な、なんですかそれ!?私は、そんな話聞いたことがありませんが…!?」
ハヌス「当時の書記官が“理解不能”と判断して、記録を放棄したからのぉ。だが私を含め、あの場にいた者はみな忘れられん出来事よ」
河童たちのきゅうり論争を眺めながら、ハヌスは懐かしむように目を細めた。
ハヌス「そなたの師、センポ殿は面白い男であった。このバロア帝国政治の中枢・元老院に、使節としてたった一人で乗り込み……その帽子の混沌ひとつで、荘厳な議場を一瞬で立食パーティー会場へ変えてしまったのだ!」
ナオ「……まあ、センポさんなら、やりそうです」
ナオは帽子のツバに軽く触れ、懐かしむように笑う。
その頭上では、相変わらず河童たちが延々としょうもない口論を続けている。
河童1「だから醤油は入れましょうよ!!こんなんに金払えって言ったら、殴られますよ」
河童2「素材の味を活かすのがプロなんだよ!醤油に頼る職人は二流よ」
ハヌス「ちなみに私も、そのタコヤキをいただいたが……あまりの熱さに舌をヤケドしてなぁ!!当時の議員たちに大笑いされたものだ!フハハハハハハ!」
豪快な笑い声がまた議事堂に響く。そんな中、ギュースケンは唇を震わせ、声を搾り出した。
ギュースケン「……あ、あの……ハヌス様……っ!?」
ハヌス「なんだ?ギュースケン君」
ギュースケン「……こ、これはその……外交会談といって、いいのでしょうか……?つ、続け…られますか?」
ステラ(うわぁ…この人完全に脳がこの状況の処理を拒否してるわ。気持ちはすっごいわかるけども)
ノノ(すみませんすみませんすみませんごめんなさいぃぃぃぃ!!!)
ギュースケンの声の裏に混じった心の悲鳴を受け取り、ハヌスは愉快そうに笑った。
ハヌス「当然だとも!続けようではないか」
ギュースケン「ええ!?こ、この状況でですか…!?このような珍事、元老院の風紀が」
彼の言葉に、ハヌスはすっと背筋を伸ばし、鋭い目で答えた。
ハヌス「いいかね、ギュースケン君。ジパングは鎖国による長い沈黙を破り、海を越えて我らと向き合う決断をした国だ。その勇気を前にして、我々だけがいつまでも保守的な姿勢でいてよいはずがあるまい。世界は動く。ならば我々も、己を閉ざすのではなく変化を受け入れ、未来へ踏み出すべき時なのだよ」
……と、最高に格好つけたその瞬間。
ナオの帽子の上ではまだ河童がきゅうり巻きを詰め続けている。
河童2「とりあえずぶつくさ言ってねえで!仕込みだ仕込み!!開店に間に合わねえぞ」
河童1「いやこんなの売りつけたら、客に投げつけられますって!!」
ギュースケン「……いや、言ってることはすごく立派なんですが!!その変化の象徴が、会談中にきゅうり巻きのみの弁当売り始めてる謎生物でいいんですか!?」
ハヌス「問題ない。実に面白い」
ギュースケン「いやよくはありませんよ!?こんなの私記録できませんよ!!」
ついに頭を抱え崩れ落ちるギュースケン。
その後も、河童たちはナオの帽子の上で好き勝手暴れていたが。
数分後。
河童2「よし、仕込み完了だ!暖簾上げにいくぞ」
河童1「……絶対、天ぷらとか入れるべきだと思うんすけど」
ぼそぼそ言い合いながら、二匹は帽子の奥へと引っ込み、最後にカウンターがスーッと下がり、帽子が「パタン」と音を立てて閉じた。
騒がしかった応接室に静寂が戻る。
ステラ(……帰った……のよね?)
ノノ(お願いだから今日はもう誰も出てこないで……)
二人は内心そう思いながらソワソワし、ギュースケンは放心したまま机に突っ伏している。
そんな状況下で、ナオはあっさり外交官モードへ復帰する。
ナオ「ハヌス殿の寛容に、心より感謝申し上げます。では条約改訂案の第一項であります交易ルートの見直しにつきまして、我々の提案を説明させていただきます」
ハヌス「うむ。聞こう」
二人は、まるでさっきまでの混沌がなかったかのように自然に再開する。
しかも、さりげなく河童たちがテーブルに置いていったきゅうり巻きのみ弁当をつまみながら。
ハヌス「ふむ……やはり、ちと青臭いな」
ナオ「きゅうりだけ、というのは……さすがに厳しゅうございますね」
ステラ(いやいやいや!?なに普通に寿司食べ始めてるのこの人たち!?)
ノノ(ど、どういう神経してるんですかぁぁぁぁ!!?)
本来、ここはバロア帝国の政治の中枢であり、国家の未来を左右する議題を扱う厳粛な場。
そんな荘厳な雰囲気の中で、大陸最大国家と海の向こうの島国の代表者が外交会談の席で寿司を食べている、あまりに異質な光景が静かに展開していた。
ナオ「ハヌス殿、良いものがございます」
穏やかな声とともに、ナオは静かに帽子のツバへ指を伸ばす。
直後、またしてもクラウン部分が「パカッ」と開いた。
ステラとノノは反射的に身構えたが、飛び出してきたのは河童でもカウンターでもなく小さな透明の瓶だった。
中には黒っぽい液体が入っており、彼はそれを手に取ってハヌスにみせる。
ナオ「これは、我がジパングが誇る特産品の一つで『醤油』と呼ばれるものでございます」
ハヌス「ほう……さっきの緑の生物たちが口にしておったものか!」
ナオ「海藻とジパングでのみ自生する特殊な豆を用い、発酵させて作る調味料です。野菜や魚に深い旨味を与えてくれます。
もしよろしければ……そのきゅうり巻きに、少しだけお試しを」
そう言って、ナオは瓶の蓋を静かに開け、きゅうり巻きにほんの数滴垂らす。
ハヌスは興味深くみつめてから、再びきゅうり巻きを口に運んだ。
ハヌス「……これは……!」
ギュースケン「ハ、ハヌス様!?」
ハヌス「青臭さが消え……旨味が増しておる……!これは……実に味わい深い」
彼の満足げな反応に、ナオは穏やかに微笑む。
ナオ「お気に召していただけたのなら幸いです。醤油は保存性にも優れ、長き船旅でも劣化いたしません。
帝国では濃厚な味付けが主流と伺っておりますが、この調味料が広まれば、そちらの料理文化にも新たな彩りを添えられるかと」
彼は帽子をパタンと閉じて、穏やかな笑顔のまま続ける。
ナオ「ぜひ、今後の輸入対象の一つとしてご検討いただければと存じます」
ハヌス「うむ、実に興味深い。大陸の南から輸入しているスパイスとはまた違う独特の風味…。この調味料が料理の幅を広げるのは確かだ。前向きに考えよう」
そのやりとりを横で見守っていたステラは、口を開けたたまま硬直した。
ステラ(あの河童の巻き起こしたカオスを逆手にとって、輸入品の売り込みにもっていった!?)
ノノ(う…梅原様。切り替えが、すごすぎる…)
書類の束を持って立ち上がったギュースケンも、思わず息を飲んだ。
ギュースケン(さっきまで謎の緑の生物が弁当を売りつけていた混沌の現場から……一瞬で空気を立て直して、条約の交渉材料に転換した……!?)
三人の視線の先で、ナオはまったくの平常心で話を続ける。
ナオ「では、交易ルートに関する案を改めてこちらから提示させていただきます。まずはじめに両国間における輸出入の海路の整備と、港湾設備の使用権について…」
そこには、さっきまでの『河童の仕出し屋』という混沌をまるで初めから計算に入れていたかのように扱い、国と国の利益へと結びつけていく外交官の姿があった。




