第1話 若手外交官とカオスな帽子
「はい。では次の方お入りくださーい」
「…は?」
目の前で起こっている光景にエルフのウェイトレスだけでなく、店中の客が固まった。いや、正確には…目の前の『帽子』を見て、思考が停止した。
黒いシルクハット、深緑のリボンにクローバーのバッジ。それ自体は、どこにでもありそうな帽子である。ただし、そのクラウン部分が右側に、ぱっくりと開いている。
そしてその帽子の中から、二人の男が半身を乗り出している。
一人は白衣に聴診器を下げた中年の医者、もう一人は、両手で顔を押さえた、どこかで見たことのある叫び顔の男。
医者「それで、今日はどうされたんですか?」
叫びの人「いやーこの前とある画家さんの絵のモデルをするバイトをしたんですけどね」
医者「それはまた変わったバイトをされたんですねえ」
叫びの人「ええ…。で、その絵っていうのが私が『両手を顔に添えて叫んでる顔』をモデルにするって内容だったんです」
医者(カルテを書きながら)「なるほどなるほど。それで?」
叫びの人「それでですねぇ…まあなんというか。見ての通りで…」
叫びの人「顎が外れちゃって、戻らないんですよ」
エルフのウェイトレスは、声を出すことすら忘れていた。
その帽子を被っている張本人。カウンター席の青年だけが、すました顔でコーヒーを啜り、手元の地元新聞を眺めている。
「今日の元老院での交渉…もう少し本題への切り口を工夫したほうが、ええかもしれんなぁ」
青年の名は梅原ナオ。
この地『バロア帝国』のある大陸から、遥か東に浮かぶ列島国家・ジパング国の外交役人であり、この奇天烈な帽子の持ち主でもある。
洋装のベストとネクタイ、腰に日本刀によく似た長刀を携えた和洋折衷ともとれる不思議な装いをした20代半ばの優男。
剣と魔法が当たり前に存在する世界『オームス』の、帝都の裏通りにある小さな喫茶店でこの珍事は発生していた。
ナオは自身の頭上で起こっていることをまるで、他人事のように扱いながらカップをソーサーに置く。
大剣を携えた青年「は!?なにあれ、帽子から人・・・?」
商人の女性「いやいやいや!?構造どうなってんのよあれ!あの狭さで人が出てこれるわけないんだけど!?」
そこでようやく、ナオの座るカウンター越しに立つエルフのウェイトレスがハッと我に返る。
ウェイトレス「あ・・・あの、お客様・・・。そ、その・・・帽子からひ、人が・・・」
ナオ「あ~すんません!気にせんでください、この帽子ちょいちょい勝手に開いては人やらモノやらが出てくるんですわ」
ウェイトレス「いやなにその迷惑な構造!?」
彼女のツッコミも虚しく、頭上の謎診察は続く。
医者「あ~これは典型的な顎関節症ですねぇ。見事に外れちゃってますよ、一体何時間口あけてたんです?」
叫びの人「多分6時間ぐらいっすかね」
医者「休憩挟ませてもらわなかったんですか…?あと、その手は別にもう下ろしてもよいのでは?」
叫びの人「あ、言われてみればたしかに・・・。役にハマっちゃうタイプでして」
スッと手を下ろす叫びの人。いよいよもってただの口開いた人である。
ウェイトレス「ど、どうなってるんですかこの帽子!?」
ナオ「すごい平たく言うと、帽子の中に異空間が存在してるんですわ。まあほっといたら5分もしたら帰る思うんで」
ウェイトレス「この地獄みたいな光景、5分も続くの!?」
喫茶店の客たちも、完全に帽子の混沌劇場に釘付けである。
ヒーラーの少女「い、異空間につながる魔道具なんて聞いたことない・・・」
弓使いの男「ていうかあの男、何涼しい顔してコーヒー飲んでるんだ!?頭の上すごいことなってるけど!?」
帽子の上の2人は処置のフェーズに入っていた。
医者「ではとりあえず口が閉じれるように処置しますので、ちょっとがまんしてくださいね~」
医者は叫びの人の顎を両手でつかんで、ゴリゴリと動かす。
叫びの人「アーガアアアッガッ」
ウェイトレス「私一体何見させられてるんです・・・?」
ガコッと音が鳴り、叫びの人の口が閉じる。
叫びの人「おお!!治った!!!先生、ありがとうございます!」
医者「まあとりあえずの処置ですので、しばらくは数回来ていただく必要はありますねぇ。痛み止めを処方いたしますのでまた来週来てください」
叫びの人「わかりました!」
すると、二人が帽子の中にスッと引っ込み、開いていたクラウンがひとりでにパタンと閉じる。帽子は何事もなかったように普通の状態に戻っている。
ナオ「ほれね?勝手に帰ったやろ?」
ウェイトレス・客たち「え、ええ・・・」
店内の人たちは完全にドン引き状態。しかし、ナオは気にせずコーヒーを飲み干し、硬貨をカウンターに置いて席をたつ。
ナオ「ごちそうさんです!お釣りは迷惑料ってことで」
飄々とした立ち振る舞いと柔和な笑顔を崩さぬまま、羽織を翻し店を出ていく。
ウェイトレス「なんだったの・・・?あの人・・・」
彼が店を出た瞬間、街路の風が深緑の羽織をふわりと揺らした。帽子に軽く手を添え、小さく呟く。
ナオ「ほんまに・・・師匠はどえらい帽子を遺していったもんやで」
???「あ!いたいた!ナーオーちゃーーーん!!」
ナオが軽くため息を吐いていると、後ろから女性の快活な声が聞こえた。




