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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 DUAL LUMEN-双灯祭DAY1-編

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98/120

EP103. DAY1:拍手喝采とヴォイドスロット(中編)

 ――雲越チイロ(外部監査・倫理監査/量子心理安全性)

 ※ただし現在、転送直前。

 つまり「餌になる前の最後の文章」


 「転送します」って言葉、軽すぎるんだよね。

 宅配便かよ。返品可能かよ。伝票どこだよ。

 ……でも実際、私の身体と自我は配送物みたいに扱われてる。


 ここから中編。

 つまり私は、監査官の席から落ちる。


 落ちるっていうのは、失敗じゃない。

 この装置では「落ちる=仕様」

 そして仕様っていうのは、胴元が勝つための期待値の固定。


 ギャンブルで一番悪いのは、運じゃない。

 「運だと思わせること」。


 スロットは確率で回ってない。

 回してるのは、私たちの“脳”の方。

 ニアミス、拍手、笑い、骨伝導、匂い、羞恥、比較、宣告。

 全部、「理性が損切りできない角度」で投入される。


 ここで私は一つ、監査官としての結論を更新する。


 この装置は、参加者を殺すためじゃない。

 “観測者を客に落とす”ために作られてる。


 監査官がVIPになった瞬間、倫理は免罪符になる。

 「監査が入ってた」=「安全だった」って言えるから。

 地獄の運営が一番欲しいのは、血じゃない。

 正当化。


 だから、私は笑わない。

 笑いは同期の契約だから。

 拍手しない。

 拍手は所属の署名だから。

 そして何より――


 名前を忘れない。

 “雲越チイロ”を手放した瞬間、この装置の勝ち。


 ……まあ、ここまで書いても、たぶん中に入った瞬間、私の言葉は材料にされる。

 監査ログは燃料。倫理は高級燃料。

 この変態仕様、ほんと笑えない。


 でも、だからこそ手順で行く。


 中編は、戦闘記録。

 相手は「司会者」じゃない。

 相手は「ショー」でもない。

 相手は観測を利用して勝つ最適化関数。


 ――じゃあ私は、最適化関数の“弱点”を突く。

 胴元が嫌うのは、奇跡じゃない。

 冷めた客。


 私が最悪のVIPになってやる。

 盛り上げない。満たさない。燃えさせない。

 地獄を、凍らせる。


 16:16:16 Slot of Soul

 観測落下ログ 雲越チイロ視点


 スポットが落ちた瞬間、暗闇が「ただの暗さ」じゃなくなる。

 視界が閉じるんじゃない。

 視覚野のゲインが上がる。

 少ない光で“意味”を捏造するモードに脳が切り替わる。

 暗闇は、恐怖のキャンバス。こっちは絵の具になる。


 カチ、カチ、カチ。


 ハイヒールの音が、床じゃなくて胸郭で鳴る。

 低域に寄せた打撃音。

 骨伝導を拾わせる設計。

 鼓膜を通さずに「現実」へ直結させる。


 この時点で分かる。

 音響のデザインが“没入”じゃない。


 拘束だ。


 赤いドレスの女が出てくる。

 長い黒髪、真っ赤な口紅、血走った眼球。

 金のチョーカー、煙草、マイク。


 “マッド・レディ・フォーチュン”。


 ……はいはい、悪趣味テンプレ。

 でもテンプレって、効くからテンプレなんだよね。

 人間の扁桃体は古典演出に弱い。


 しかもこれは、ただの演出じゃない。

 集団の潜在意識を材料にして、最も刺さる形へ最適化されてる。


 そして、女が笑う。


 『はぁ~? また新しいお馬鹿さんが来たのぉ~?

   きゃははははっ!!』


 その瞬間、背中が冷える。

 笑い声に“感染性”のタグが付いてる。

 笑いは社会的合図だ。群衆の笑いは「安全」だと脳に誤解させる。

 だから人は、怖いのに笑ってしまう。

 笑った瞬間、恐怖は快楽と結び付けられる。


 最悪の条件付け。


 観客が沸く。

 ……視覚演出だけじゃない。匂いがある。

 鉄臭さを混ぜてる。嗅覚は記憶に直結する。

 嗅いだ瞬間に、誰かの“過去の血”が起動する。


 それが同期で拡散する。


 女が参加学生の顎を指でつまみ上げる。

 爪が食い込む。

 痛みの種類がいやらしい。

 皮膚の侵害じゃない。羞恥を刺す角度。

 羞恥は群れの動物にとって致命傷。

 羞恥が発火すると、前頭前野は「正しいこと」より「恥を回避すること」を優先する。


 『さあ、自己紹介しなさいよ、クソガキ。

  名前なんかどうでもいいけど、何歳で、どれだけ惨めな人生送ってるか、ちゃんと喋りな!』


 ここで私は、吐き気と一緒に確信した。

 このゲームの第一関門はスロットじゃない。

 自己否定の言語化だ。本人の口から言わせる。

 言わせた瞬間、脳は“それが真実”として固定する。

 しかもそれが集団に共有されたら、固定は加速する。

 逃げ道が消える。



 学生が震えながら言う。

 「……17歳……影村の……二年……」


 女が歓声みたいな嘲笑を撒く。

『きゃっほぉ~! 17歳で人生詰んでるなんて最高じゃん!』


 観客が笑う。「早死に確定!」「親不孝者!」

 この言葉の群れが、音圧で殴ってくる。


 ……ああ、これ。

 社会的死刑だ。

 人間は身体より先に、“所属”で生きてる。

 所属を剥がされた瞬間、心は「死」を選びやすくなる。

 それを、この女は“ショー”として回してる。


 女がタブレットを振り回す。

 学生の手首の黒バンドが緑に光る。

 そしてスクリーンに、数値。


 残余寿命:42年

 家系資産:ゴミ以下

 学歴インデックス:底辺

 社会影響力:ゼロ、虫けら同然

 総合換算:ライフコイン=28枚


 私は冷静な顔を作ろうとして、失敗した。

 「……は?」


 声が漏れた。

 だって、ここで提示されているのは“予測”じゃない。

 宣告だ。


 予測は不確実性を含む。宣告は確実性のフリをする。

 確実性のフリが、人を折る。


 そしてもっと悪いのは、この数値が“正しい”かどうかじゃない。

 本人が信じた瞬間に正しくなることだ。

 自己像は信念で更新される。更新された自己像は行動を変える。

 行動が変われば未来が変わる。未来が変われば予測が当たる。


 ――自己成就予言。

 最悪に美しいループ。


 『きゃははははっ!! 28枚って、前回のガキよりしょぼいじゃない!』


 女が煙草を床に捨て、ハイヒールで踏み潰す。

 その音がまた骨に来る。

 『ルールは馬鹿でもわかるわ!簡単よ、クソガキ。

  お前の未来28枚を全部ぶち込んで、最低28回転回すの!』


 初期条件で負けが確定しているゲーム?

 これは賭博じゃない。暴力だ。

 しかも観客が拍手するように設計されてる。

 暴力が娯楽に変換される瞬間、人間の一番汚い回路が完成する。


 『最初からマイナス7枚スタート! どう足掻いても借金から始まるなんて、最高に理不尽でしょ?』


 理不尽は、脳の“理解欲”を刺激する。

 理解したくて、理由を探して、探せないと自分を責める。

 自分を責めた時点で、ゲームは勝つ。

 “なぜ?”が“私が悪い”に変換される。

 この変換を、女は笑いながら回している。


 そしてシンボル説明。

 レモン、チェリー、クローバー、ベル、ダイヤ、VOID、7。


 私は見た。

 これは確率テーブルじゃない。心理誘導プロトコルだ。

 チェリーで借金、クローバーでVOID増幅、ベルで観客ペナルティ、ダイヤで“周囲が得をする”、7でノルマ追加。

 何が起きても本人は救われない。

 救われないのに“希望の演出”だけは供給され続ける。


 その時、女が言った。

 『お前がどんなに勝っても、最後のスピンでVOID固定されてるから! システム側で強制的にね!』


 私の中で、監査官のスイッチが切り替わった。


 ……はい、アウト。完全アウト。

 これ、ゲームの形をした処刑装置。

 しかも最後を固定することで、参加者の脳に「努力=無意味」を刻印する。

 一回刻まれたら、VR外に戻っても残る。


 学生が青ざめる。

 「は?……え……じゃあ……絶対に……助からない……?」


 女が耳元に息を吹きかける。

 この息づかい、ASMRの逆。

 快感の周波数を使って、恐怖を注入してる。

 快感と恐怖を同時に鳴らすと、脳は混乱して“依存”を作る。

 依存は逃げ道を塞ぐ。


 『最初から勝ち筋ゼロ。どっちに転んでも、お前は死ぬ。

  私と観客がどれだけ楽しめるか、それが全てよぉ~!』


 観客が総立ちで絶叫。

 この絶叫が、同期の主エンジン。

 同期が上がるほど、恐怖が共有され、共有されるほど恐怖が強化される。

 恐怖が“公共財”になる。最悪の経済。


 『じゃあ、さっさと回して!スピンスタート!♡』


 リールが回る。

 Remaining Spins:28 → 27


 一つ目……7。

 二つ目……7。

 三つ目……7。

 四つ目……7。

 五つ目……7。

 六つ目……7。


 観客が狂喜乱舞。

 学生の目に、涙と希望が浮かぶ。


 この瞬間が、いちばん残酷だ。

 希望は鎮痛剤。

 鎮痛剤は痛みを隠す。

 隠された痛みは、後で倍で返ってくる。


 女が腹を抱えて笑う。

 『最後のリール、絶対にVOIDしか出ないように設定してあるのに!』


 最後のリールが減速。

 赤い7が通過して、黒いVOIDが中央で止まる。


 学生が絶叫。

 「うそだろおおおお!! 揃ってたのにぃいい!!」


 床が開く。奈落。

 学生が縁に手をかける。

 女のハイヒールが、その手を踏みつける。

 『ばぁいばぁい、可愛いお馬鹿さん♥』


 すると床が無慈悲に開き、奈落が口を開く。

 「ひっ……っ!嫌だぁああああああああッ!! 生きたいッ!!!」


 絶叫がホールを満たし、彼は抗う術もなく、その穴へと吸い込まれていく。


 女はマイクを握りしめ、満面の笑みで叫ぶ。

 『Game Over!!また一人、完璧に潰したわ!

  きゃはははははははははははっ!!』



 ついにこのスロットの“全貌”を垣間見る。

 ここまで見て、私はようやく理解した。


 このスロットは「勝敗」を決めていない。

 決めているのは、群衆が最も盛り上がる“絶望の波形”。

 観客が沸くほど、同期指数が上がる。

 同期指数が上がるほど、幻覚は強固になる。

 幻覚が強固になるほど、VR外への漏出が増える。


 つまりこれは閉じた劇場じゃない。

 感染源だ。

 観測者すら巻き込むための、拡散設計。


 そして、最悪の一点。


 「最後のVOID固定」

 これはゲームデザインじゃない。

 倫理監査の言葉で言うなら、不可逆損傷を前提とした強制介入。

 心理安全性の定義を踏み潰してる。


 ……ここで私は、監査官として泣き言を言ってる場合じゃない。



 私は深く息を吐いた。

 冷たい空気が肺の奥を撫でる。まだ私は落ちてない。


 「……やば、これ“学園イベント”の顔していいレベルじゃない。ガチで切るぞシオン」


 ミームっぽい一言で自我を釘付けにして、私は手順を開始する。

 監査官の役目は怒ることじゃない。

 止めることだ。


 そして私は、次の瞬間――

 “観客席”の闇の奥で、私を見上げる視線を感じた。

 あの女じゃない。観客でもない。


 この装置そのものが、私に向けて言っている。


 まるで『監査官さん。あなたもVIPになりませんか?』ってさ。


 ……なるわけないでしょ、この変態。


 私は笑わない。

 笑わずに、切る。


 16:20:08/天城側・Layer3


 警告音が鳴った時点で、私は“音”じゃなく血流の揺れで理解した。

 つまり、ラボ側の安全層がもう“外部”じゃない。

 装置の一部に取り込まれ始めてる。


 端末に表示された数値が跳ねる。


 Psych Sync Index:急上昇

 Threshold 2:突破寸前


 ……Threshold 2。

 ここを跨ぐと、個人の知覚が個人じゃなくなる。

 共有夢の深度が、人格の境界線を溶かし始める。


 すると、ミサキが突然叫ぶ。

 「あっははは!

  ねえ、チイロ、救護なんかいらないわ!

  VR脱出なんて甘いこと言ってんじゃないわよ!!!

  あの中で、クズどもが死にまくってるのよ!?

  もっと見て楽しめばいいのに!」


 その一文で、私は背筋が固まった。

 これは“ミサキ本人の言葉”じゃない。言葉の骨格が違う。

 彼女は普段、ここまで快楽語彙を直線で出さない。

 つまり――感染してる。


 感染の正体ははっきりしてる。

 報酬系のハイジャック。

 他人の悲鳴が、ドーパミンの合図になってしまう状態。

 本来なら共感で働くミラーニューロンが、逆に“快楽の増幅器”へ反転している。


 私の喉が乾く。

 怒りが先に来る。

 でも怒りは熱で、熱は同期を上げる。

 私は息を吐く。長く。吐く。

 迷走神経。冷却。冷却。

 ――冷やさないと、私も“そっち側”へ落ちる。


 次に、『チイロ』が叫ぶ。

 「アスミ、遅すぎるわよ……!!

  シオンに止めさせるなんて馬鹿げてる!

  もっと加速させて、皆殺しにしちゃえ!」


 ……は?

 ……私?

 いや、私の声で、私の口調で、私の言い回しを真似た“何か”が喋ってる。


 寒気がした。

 これが一番悪い。

 人は、他人に成りすまされると怒る。

 でもここで怒ったら、怒りが同期燃料になる。

 怒りは群れを一つにする。

 群れが一つになれば、装置は勝つ。


 私は自分の舌を噛みかけて止めた。

 代わりに指を開閉する。一本ずつ。

 触覚のアンカー。個体差のアンカー。

 共有されにくい回路で、自我を固定する。

 

 アスミが、息を乱しながら言う。

 「分かってる…………私も少し、興奮してきた……」


 その瞬間、私はようやく分かった。

 Layer3は、外側から“見ている”だけじゃダメだ。

 もう、ラボ内の全員が観測対象。観測者ですらない。

 観測者が揺れれば、世界が揺れる。

 この装置は、揺れた観測者をエンジンにして回る。


 アスミの内心が漏れた?

 「まだDAY1でこれ?最高…もっと壊れろよ」


 私は、鞘を剥いだアスミの独白を思い出す。


 悲鳴を食べ物にする言葉。

 この言葉が出た時点で、彼女の報酬系が完全に持っていかれてる。


 私は拳を握った。

 怒りじゃない。決断だ。


 ここで止める。

 止める方法は倫理じゃない。

 倫理の言葉は、装置にとって“高級燃料”だから。

 止めるのは工学。切断。遮断。逆位相。

 そして何より――こいつを設計した“人格”へ噛みつく。



 16:22:04/影村側・Layer3

 雲越チイロ視点:奈落の“下”が本当の客席だと知った瞬間


 映像が切り替わる。

 奈落。

 でも闇じゃない。


 底には、分厚い強化ガラスで覆われた観覧箱。

 血染めの革張りシートが牙みたいに並ぶ。

 金の肘掛け、爪痕だらけ。


 ……上じゃない。下だ。

 VIPは“見上げる”側じゃない。踏みつける側。

 この構図を見せた瞬間、脳は理解する。

 ここはゲームじゃない。倫理の外だ。

 ここは、人間を潰す快楽を制度化してる。


 囁きがくる。

 『来るわよぉ~』


 “誰か”の声。

 声質は女ディーラーのものにも、司会者のものにも似ている。

 でも、どちらでもない。

 装置そのものが、私の聴覚野に直接囁いてる。

 観測者に“予告”を与えて期待値を上げ、恐怖の落差を最大化する。

 ――やってることが完全に、依存設計だ。


 ガラス天井に、落下する影。

 逆光で輪郭だけが赤い。

 恐怖は色で記憶される。赤は最強の固定色。


 次の瞬間、絶叫。

 「ぁぁぁぁぁあああああッッッ!!!」


 落ちてくるのは、さっきの影村の学生。

 顔が、光で焼かれて見える。

 そしてVIPたちが――笑う。味わう。

 “死の最終フレーム”を咀嚼する。


 ゴシャッッ!!!


 衝撃音。

 抑制なし。

 胸を抉るように響く。

 音響ダンパ? 逆だ。これは増幅器。

 身体を通して恐怖を刻む、脳科学的な拷問。


 血と骨のスローモーション。

 ガラスに肉片が貼り付く。

 ……ここで一番気持ち悪いのは、映像の“美しさ”だ。


 スロー演出は、脳に「大事な瞬間だ」と教える。

 大事だと教えた瞬間、海馬が保存する。

 保存された瞬間、現実に戻ってもフラッシュバックが残る。


 スピリチュアル:前世の拷問記憶フラッシュ。

 負荷+90%。


 壊れろ、もっと壊れろ――って誰かの声が言う。


 ……それ、誰の声?

 シオン? ミサキ? アスミ?

 それとも、“私”?


 私は気づいた。

 Layer3では、言葉の主語が崩れる。

 主語が崩れると、責任が消える。

 責任が消えると、暴力が正当化される。

 それがこの装置の狙い。


 VIPが言う。

 「いい潰れ方だ」

 「目が絶望で輝いてた」

 「タイミングがエロい」

 「肉片が最高だった」


 ……“評価”。

 評価は人間を殺す。

 評価は数値にできる。

 数値にすると交換できる。

 交換できると消費できる。

 消費できると、誰も罪悪感を持たない。


 控室端末に価値関数。

 V = w1・余命 + w2・資産 + …

 重みは富裕層に有利。貧乏人は最初からゼロ。

 εは恣意の毒ノイズ。


 ここで、私の中で何かが切れた。

 「倫理監査」の冷たい語彙が、一斉に“武器”へ変わった。


 これは差別設計だ。

 これは殺人設計だ。

 そして最悪なのは、正当化設計だ。


 重み付きPRNG?

 違う。これは“絶望最大化器”。

 ニアミス優先、停止位置の混合、心拍検知でドーパミン最大点を狙う。

 Near Missはギャンブル依存の核心。

 「あと一歩」を見せ続けると、脳は「次こそ」をやめられなくなる。

 そしてここでは、その「次こそ」が――寿命で支払われる。


 私の指が震えた。

 震えは怒りじゃない。

 噛みつく準備だ。


 ガラスの向こう、白手袋の客が優雅に拍手。

 映り込む顔は、人間というよりおとぎ話の悪魔に近い。


 16:24:09/Safe Phase?


 そんなものが“ない”と確定した瞬間


 端末に出る。


 精神スコア平均 -90%

 世界の崩壊 恒久化


 女の声がする。

 『きゃははは……! いかがだったかしら??

  新たなる観測者様!』


 観測者様。

 ……私に言ってる。

 私をVIPにする気だ。

 監査官を“客”に落とせば、倫理は黙る。

 黙った倫理は、免罪符になる。


 「……ふざけんな」

 私は感情で突っ込まない。

 でも、怒りを“手順”へ変換して噛みつく。


 私は、マッド・レディ・フォーチュンへ、はっきり言う。


 「……この変態。地獄で確率でも回してろ」



 16:26:09/Safe Phase?──「壊れかけのPhase」


 警告音が耳を裂く。

 いや、裂いているのは耳じゃなくて注意の回路だ。

 注意は脳の燃料。

 注意を強制的に一点へ縛ると、逃げ道が消える。

 逃げ道が消えると、恐怖は“学習”になる。


 そして――女の顔。


 血走った目。カメラを睨みつけ、唇を歪める。

 司会者。いや、もう“司会者”じゃない。

 あれは観客席のサディズムを束ねる、同期の中心点。

 中心点はハブだ。ハブを叩けば落ちる。

 でも中心点は、叩く者を先に燃料にする。


 『きゃははは……! ねえ、観測者様?

  あなたも歓迎よぉ~!』


 ……来た。

 これ、参加者煽りじゃない。監査官煽り。

 “観測者”という肩書きを、侮辱として刺してくる。

 侮辱は社会脳を刺激するってか?


 女は続ける。

 『ご覧になったわよね──?

  ここは単なる賭場なんかじゃないわ。

  命を計算し、希望をリールに並べて嘲笑い、

  そして絶望を──拷問の饗宴へと変える場所!

  あなたは今夜、その血の洗礼を浴びせられたのよ!

  きゃははははっ!』


 浴びせられた。

 主体がこっちに来てる。

 “あなたは見た”じゃない、“浴びせられた”。

 つまり、私はすでに観客じゃない。被験者だ。


 女が笑う。

 『──デスゲームへ、ようこそ!!

  あなたはもう立派な我らがVIP……いや、餌よ。

  どうか、この命の拷問場を最後まで楽しみ尽くして、壊れちゃってくださいませ……!』


 餌。

 ……はっきり言った。

 “観測者”じゃなく“餌”。

 つまり私の倫理も肩書きも、ここでは燃料でしかない。


 『Ladies and Gentlemen──そして、新たな貴方──!

  スロットは、まだまだ止まらないわ!!

  回せ、回せ、死ぬまで回せぇえええ!!』


 叫びが、ホール全体の空気を掴んで揺らす。

 揺れた瞬間、脳は自分の体の座標を見失う。

 座標を失うと、人は外部の提示する座標に従う。

 つまり、女の声が座標になる。


 グループ4:ニアミス連発。精神疲労極限。

 Sync Index 95%。


 グループ5:ジャックポット寸前VOID。

 共有絶望。集団自壊。


 これはPTSD誘発じゃない。

 PTSDっていうのは、まだ“個人の病理”だ。

 これは集団の自己崩壊誘発。

 共有夢を媒体にして、他人のトラウマが自分のトラウマになる。

 自己境界が溶けた瞬間、誰の痛みか分からなくなる。

 分からなくなると、人は“痛み”そのものを避けようとして、自我ごと捨てる。


 私の解釈は一つ。


 量子場を歪めて、強制的に絶望を注入している。

 集合無意識を拷問ツールに変換している。

 そしてその出力が「娯楽」として最適化されている。


 ……永久機関みたいに回ってる。

 倫理の熱を燃料にして。



 女の声が、急に距離を詰めてくる。

 今度はカメラ越しじゃない。

 私の視界の“手前”に乗ってくる。

 視界の手前に声が乗るのは、普通ありえない。

 ありえないことが起きるのは、注意の制御が奪われた証拠。


 そして女は、次の矛先を向けてくる。

 私へ。


 『ねえ、チイロちゃん?

  外部監査だっけ? 倫理だっけ?

  そんな綺麗な言葉、ここじゃ調味料よ。

  だってあなた、もう見たでしょ?

  見たなら、味わいなさいよ。拍手しなさいよ。

  “観測者様”……あなたも回す側に来なさい』


 ……挑発。

 真正面から、私の“役割”を壊しに来る。

 監査官は冷たくなければいけない。

 でも冷たさは、時に残酷と紙一重になる。

 その紙一重を、女は嗅ぎ分けている。


 私の中の怒りが、熱になりかける。

 熱が同期を上げる。

 だから私は、怒りを手順へ落とす。


 「……お前、ほんとに性格悪いな」


 ミーム女子の悪態みたいな一言で、自分の主語を繋ぎ止める。

 でも次の言葉は、監査官としての刃で言う。

 冷たく、短く、絶対に笑わずに。


 「“餌”にするなら、間違えた。私は餌じゃない。咬む側だ」


 女が笑う。

 笑いが、拍手を誘発する。

 拍手が、同期を上げる。

 同期が、私を引きずる。


 その時、視界の端で――シオンが動いた。

 「雲越チイロ先輩」


 シオンの声は、珍しく柔らかい。

 「入りますか?」


 女の声が、割り込む。

 『きゃははは! ほらぁ、来るの? 来ないの?

  外から吠えてるだけの“倫理様”って、いっちばん無力で可愛いのよねぇ~!

  ねえチイロちゃん、あなたの拍手、見せて?

  あなたが壊れる音、聞かせて?』


 ……ここで私は、完全にブチッと切れた。

 自分の専門領域を、拷問の飾りにされた怒り。


 「お前」

 私は女へ向けて言う。

 「私の倫理を“調味料”って言ったね」


 女が口角を上げる。

 『ええ、言ったわよ〜?』


 私は続ける。

 「じゃあ、その調味料で――お前のショーを腐らせてやる」


 シオンの端末が光る。

 視界の縁に、転送カウントが走る。

 まるで処刑台の秒針みたいに淡々としている。


 TRANSFER → Slot of Soul / Observer Injection

 Sync Gate: OPEN

 Anchor Lock: ON(Breath / Touch / Language / Name)


 最後に、シオンが囁く。

 「雲越先輩。

  ……雲越チイロのままでいてみせてください」


 私は一度だけ頷いた。

 「分かった、あとでお前説教するから」

 そして、最小の悪態で自分を固定する。


 「……この変態。待ってろ」


 16:28:12


 いつもそう。組織は結論より、静けさを優先する。


 ホール側ログに、あり得ない権限アクセス。

 監査官端末じゃない。

 シオンの端末でもない。

 外部ハンドシェイク。タグは短い。


 「夕闇……ねぇ、またスポンサー絡み?」


 ……あー、はいはい。出た。

 外から来て、内側の鍵束を持ってるやつ。

 監査を嫌う理由が明快すぎて逆に清々しい。


 クソだけど。


 端末に走る権限ログは短い。

 短いくせに、確信だけがある。

 この手口、夕闇の常套だ。


 私の手首に黒いバンドが“出現”した。


 存在しないはずの質量感。

 熱。枷。拍動。

 視覚情報じゃない。島皮質を直で叩いてくる。

 「……あ、来た」


 自分に言ってるのか、誰かに言ってるのか、もう区別が危うい。


 「監査官を被験者にするの、ほんと好きだよね。

  “記録”が残る前に、口を塞ぐ」


 シオンがこちらを見る。


 だから私は、彼女に一番刺さる問いだけ投げた。

 感情の問いじゃない。行動の問い。


 「シオン。

  いま私を“落とす”か、“生かす”か——迷ってる?」


 彼女の胸がわずかに上下する。

 迷いがあるなら、この呼吸に出る。

 でも出なかった。


 「いいえ」

 短い声は、同期の餌になりにくい。

 この子、分かってる。だから怖い。


 私は口角をわずかに上げる。

 笑いじゃない。合図。


 「……よし」


 そして、言い切る。

 ここから先はヒーローごっこじゃない。

 監査官として最悪の形で“干渉”する。


 私は黒いバンドの熱を手順に変換する。

 呼吸を固定する。指を一本ずつ折る。

 名前を心の中で反復する。


 雲越チイロ。

 雲越チイロ。

 雲越チイロ。


 そしてシオンへ、最後に言う。

 監査官の声で。

 でも人間の声で。

 「私がこれからやるのは攻略じゃない。監査の継続。

  本当の干渉ってのを――教えてあげよう」


 「それは、楽しみです」

 シオンがそう言った次の瞬間、世界が“落ちた”。

 ラボの床が消え、光が赤へ寄り、耳鳴りが拍手の形になる。

 観客席の匂いと、血の色と、女の笑い。


 そして私の目の前に、マイクを舐める司会者が立っている。


 『いらっしゃい、VIP……じゃないわね。

  噛みつきに来た監査官。

  さあ、回しましょうか。あなたの倫理ごと』


 私は笑わない。

 笑わずに、噛む。

 ここから先は、監査ログじゃない。

 

 戦闘記録だ。


 ※この時点で私は「侵入した」。

 だから、ここからは“帰り道のメモ”


 中編の結論を先に言う。


 私は落ちた。

 でも、落ちた瞬間に分かった。

 この装置の本体は奈落じゃない。

 奈落の“下”の観覧箱でもない。


 本体は――私の中に作られる拍手。


 観客の笑いは外部入力に見える。

 でも本当に危ないのは、自分の脳が勝手に出す「理解した」って感覚。

 理解した瞬間、装置は私の倫理を“説明”に変える。

 説明に変えた瞬間、倫理は牙じゃなくなる。

 パンフレットになる。

 最悪。


 だから私は、逆にやった。


 理解しない。

 正確には、理解を“武器化”する。

 相手の演出を、意味づけしない。

 意味づけを奪う。

 そして、同期の核を殺す。


 ここで学んだのは、ギャンブルのもう一つの鉄則。


 胴元は、客が「期待」した瞬間に勝つ。

 だから、期待を作らせない客が一番怖い。


 私は中で、何度も「熱く」なりかけた。

 挑発、侮辱、悲鳴、あの女の口紅、骨に響くヒール、そして“最後のVOID固定”という明確な悪意。


 でも私は、そのたびに手順に落とした。

 呼吸。触覚。短命令。名前の反復。


 「雲越チイロ」

 「雲越チイロ」

 「雲越チイロ」


 ……ミーム女子として言うなら、これ。

 自我のPINコード。


 中編はここで一旦終わる。

 私はまだ勝ってない。

 でも、負けてもいない。

 少なくとも、拍手はしてない。


 ただ、次の段階が見えた。


 この装置は「見せる地獄」じゃない。

 “観測者の正気を溶かして、地獄を運用する人間を増やす装置”。


 つまり次は、私が問われる。


 止めるか。

 壊すか。

 それとも――運用者になるか。


 ……なるわけないでしょ、この変態。

 次(後編)は、ここから。

 私が「切断」じゃなく「破壊」を選ぶ理由を書く。


 そして、最悪のニュースも添えておく。

 後編では、私の“言葉”そのものが狙われる。

 言葉を奪われたら、私は私でいられない。


 だから私は、今のうちに書く。


 拍手しない。笑わない。名前を忘れない。

 それが、後編に持ち込む唯一の武器。


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