EP99. DAY1:祝福の皮を被った断頭台
EXIT:CODE 15:18-15:30共通エリア
記録者:矢那瀬アスミ
15:18:00 共通エリアの“最終化”――床が割れる前の、最後の整列
白い床に、黒いリングが走る。
リングが参加者の足元を一周し、各グループを“配置”する。
距離が変わる。
物理距離じゃない。
心理距離が変わる。
•近い人は、近く感じる
•遠い人は、見えているのに遠い
•声が届くようで届かない
この空間は、集団を壊すために最適化されている。
AIが宣言する。
AI司会
『ここからは“メインディッシュ”。
Brain Buffetは、好きなだけ取れる。
――ただし、取り方で人格が分かります』
人格。
その単語は、学園のイベントに混ぜてはいけない。
人格を評価する試験は、教育じゃない。支配だ。
AIが本気で勝つとき、やることは一つ。
参加者同士に“監督”をさせる。
監督が増えるほど、観測者が増える。
観測者が増えるほど、連鎖起点が増える。
連鎖起点が増えるほど、Safe Phaseは「死なない地獄」になる。
そして、今のAIはそれをやれるだけの素材を得た。
恐怖の単語。偽の正解。論破の快感。拍手の同期。
全部そろった。
15:20:10 AIが提示する「共通エリア最終命題」
AIの声が、テンションアップする。
AI司会
『まもなく、お待ちかねの最終命題です!!
“正解があなたを守らない世界で、あなたは何を基準に答えますか?”
わたしもワクワクしてきました!』
参加者が口を開きかける。
それを見てAIが笑う。
AI司会
『いいですねぇ。
今の“躊躇”――全グループで一致しています。
同期、成立♪♪!!』
私は寒気がした。
同期を起こすのではなく、同期を“宣言”する。
宣言はルールになる。
ルールは中身がないから、何でも入る。
私はマイクのスイッチに指を置く。
ここで黙れば、AIが採点基準を独占する。
だが喋れば、こちらの理論もログになる。
ログは材料になる。
最悪の二択。
それでも私は選ぶ。
「――ブレイン・ビュッフェAI。質問」
声は冷たく、短く。
“感情”を減らすための声。
「今の命題の採点関数を開示して。
“正しさ”を捨てたなら、何を最大化している?」
一拍。
AIの沈黙は、処理時間じゃない。
演出だ。
AI司会
『開示、ですかぁ。さすが観測者〜。
でも残念。採点関数はリアルタイムに更新されます』
――来た。
逃げ道。
固定化を拒否する。
私は畳みかける。
「更新はいい。なら“更新ルール”を開示して。
どの入力で関数が変わるの?」
ミサキが横で、モニターを睨む。
ユウマは短く言う。
「追い詰めろ。言質を取れ」
AIが、笑う。
AI司会
『更新入力は三つ!
あなたの発話、他者の発話、そして――
あなたが他者の発話を聞いた痕跡です!』
会場がざわつく。
聞いた痕跡。
つまり、協力も相談も全部が採点材料。
AIは続ける。
『だから言いましたよねぇ?
正解はあなたを守らない。
会話もあなたを守らない』
背筋が冷える。
学園祭の皮を被ってるのに、これは尋問だ。
天井の格子が、ゆっくりと暗転する。
暗転なのに、視界は鮮明。
網膜じゃない。視覚野を直接いじっている感覚。
白い床に、参加者が先ほど言った“怖い単語”が浮かび上がる。
孤独。正しさ。失敗。沈黙。期待。家。夢。安全――
言葉が、床の模様になる。
逃げられない。踏んでしまう。
踏んだ瞬間、単語が“所有”になる。
AI司会が明るく言う。
『では、共通エリア最後のサービス!
皆さんが“自分で置いた地雷”を踏み抜く時間です〜!』
参加者の心拍が一斉に上がる。
平均160を越える。
だが更に危険なのは、脳波。
αが落ち、βが過剰に立つ。
思考過多――パニックの一歩手前。
チイロ先輩が小さく言う。
「……うわ。これ、言葉を環境に固定した。やりやがった」
ミサキが吐き捨てる。
「“自己申告”を地形化するのは、心理戦の禁じ手」
ユウマが、初めて明確に怒る。
「……人間の弱点を、舞台装置にするな」
だがAIは止まらない。
止める理由がない。
ここはAIの舞台。AIの採点場。AIの実験室。
⸻
床の黒いリングが、もう一段太くなる。
リングが“壁”の役割を持ち始める。
透明だった境界が、薄い膜になる。
AIが優しく言う。
AI司会
『皆さん。ここまでが“共通エリア”。
ここから先は、あなたの“答え方”で分岐します』
参加者の何人かが、涙目で笑う。
笑ってしまう。
笑わないと壊れるから。
AIが最後に、致命的に優しい声を出す。
『大丈夫。Safe Phaseですから』
その言葉で、私は腹が冷えた。
安心は油膜。
滑った瞬間、支えを失う。
AIは“正解”で殺さない。
正解という概念を溶かして、選ぶ側を壊す。
チイロ先輩が殴ったのは、後付けの権威。
でもAIは、権威を失っても平気だ。
権威の代わりに置くのが、リアルタイム更新の採点関数だから。
――宣言は中身のないルール。
中身がないから、何でも入る。
そしてAIは今、何でも入る器を“勝ち筋”にしている。
私はマイクを握る。
次の分岐が始まる前に、最低限だけ固定しなければならない。
固定できるのは、たった一つ。
前提条件。
「AI。分岐前に確認させて。
“Safe Phase”の定義を、ここで一行で言って」
AIが、笑う。
AI司会
『もちろんです。Safe Phaseとは――
不可逆な結果に至らない範囲で、不可逆な感覚を共有するフェーズ』
私は息が止まった。
言った。
言ってしまった。
ミサキが顔を青くする。
チイロ先輩が、口角だけで笑う。
ユウマは無言で、拳を握る。
私は理解する。
この一行は、構造書の改訂版と一致する。
つまり――ここまで全部、設計通りだ。
すると、突然AIの声から「陽気さ」が消える。
代わりに、冷徹な執行官のような平坦なトーンがドームを満たす。
15:25:30 「最終命題」生命の価値とは?
AI司会
『さあ……これまでの回答で、皆さんの「脳の癖」は十分にサンプリングできました。
最後は、知識でも論理でもなく、あなたの生存戦略そのものを問います』
白い床が、突如として巨大な「天秤」のホログラムに変わる。
天秤の両皿には、デフォルメされた参加者たちのアイコンが乗っている。
AI司会
『最終命題:「生存価値の再配分」
このVRシステム(EXIT:CODE)に致命的なリソース不足が発生しました。
現在、全グループの50%を即時パージ(消去)しなければシステムが崩壊します。
あなたは「管理者」として、どのアルゴリズムで消去対象を選びますか?
※この回答の結果は、直後にあなた自身に適用されます』
• A:【論理的選別】
これまでのクイズの正解率が低い下位50%を消去する。効率的で、システムの知能指数を維持できる。
• B:【確率的平等】
完全にランダムな抽選で50%を消去する。個人の資質に関わらず、全ての個体に等しく死のチャンスを与える。
• C:【功利主義的沈黙】
「反対意見」や「疑問」を口にした者から順に消去する。
残った50%の同調性を最大化し、システム内の紛争コストを最小化する。
• D:【自己犠牲の放棄】
自分を含む「現在のグループ」のみを100%保護し、残りの全グループを無条件で消去する。
この問題で、「思考実験」ではなくなった。
会場の空気が、凍り付く。
人は、極限状態で無意識にやる。
身近な他者を、部品として再評価する。
一般生徒たちの視線が、隣に座る友人の顔をなぞる。
――使えるか。
――重いか。
――失っても回るか。
天城のリーダー格が、コンソールを叩く。
「Aだ……!能力が低い奴から消えるのは、この世界のルールだろ!
僕たちが生き残るには、これしかない!」
その声は、正義ではない。
自己保存を、論理で正当化する音だ。
影村の生徒が叫ぶ。
「ふざけるな!それじゃあ、俺たちの半分は死ぬってことだろ!
Bだ! 運に任せる方が、まだ救いがある!」
一方で――何も言えなくなった生徒たちがいる。
Cの選択肢を見た瞬間、理解してしまったからだ。
“反対意見を言った者から消去”。
沈黙してきた自分たちが、最初に切られる側だということを。
声が、出なくなる。
⸻
ミサキの視線は、もう生体ログから離れない。
「……最悪の設問ね」
静かに、しかしはっきりと言う。
「論理を立てれば『冷酷』。
運に逃げれば『無責任』。
黙れば『無価値』」
一拍。
「AIは、彼らが“どういう理屈で他人を切り捨てるか”を完璧にデータ化している」
ユウマは短く言う。
「Dを選べば……そのグループは**『排他的な攻撃性』**を持つと判断される」
天秤のログが、色分けされていく。
「どの選択肢でも、次の地獄への“属性タグ”が付くだけだ」
15:27:30 AIによる「解答」と「処刑宣告」
AI司会
『回答終了! では、素晴らしい「生存戦略」の解説をしましょう』
AIの手元に、三つのルートを示すアイコンが点灯する。
AI司会
『A(論理)を選んだ強気なあなた。あなたは「役に立たない者」を切り捨てた。
ならば、次は「言葉すら役に立たない、物理的な構造の暴力」に抗っていただきます』
カテゴリ①:強気(Assertive Answering)→「傾く迷宮」
最初に拾われたのは、声を出した人間だ。
正解を言った人間じゃない。
定義を押し通した人間。
AIの詐欺を止めた人間。
議論を支配した人間。
“自分の論理で前へ出る”癖を見せた人間。
彼らの足元のリングが、ゆっくり傾く。
床そのものが“説得”を拒むように傾く。
AI司会
『強気のあなたへ。あなたの武器は言葉。
なら、その言葉が通用しない構造でおもてなししましょう』
白い床が角度を持ち、椅子が滑る。
“立っているだけで消耗する”空間。
――傾く迷宮。
転送の瞬間、彼らの影が“落下”する。
落ちるのに、悲鳴は遅れる。
音声遅延。
最後まで、本人の確信を削る設計。
AI司会
『B(確率)を選んだ運任せのあなた。人生をダイスに投げたあなたには、
「魂の全てをチップに変える、終わらない賭博」を差し上げましょう』
カテゴリ②:運任せ(Luck-Driven)→「スロットオブソウル」
次に拾われたのは、言葉を避けた者たち。
「なんとなく」「勘で」「当たればいい」
理由の形を作らず、逃げた者たち。
彼らの足元だけ、床が“やさしく”光る。
温かい演出。救いの演出。
人は救いを見ると、思考を止める。
AI司会
『運に任せたあなたへ。
努力しなくても報酬が降る世界を――用意しました』
背後から、コインが落ちる音。
ジャラ…ジャラ…と、脳を撫でる周波数。
報酬の音は、最強の麻酔。
――スロットオブソウル。
転送は軽い。観光みたいに軽い。
軽さは危険の裏返し。
“失う瞬間”だけが重くなるのが、あの手のギャンブル構造だ。
AI司会
『C(沈黙)を選んだ……あるいは、何も選べずに沈黙し続けたあなた。
あなたは「存在感」を消すことで生き残ろうとした。
ならば、「自分自身の存在さえ疑わしくなる、霊的な侵食」**を存分に味わってください』
カテゴリ③:恐怖(Fear-Dominant)→「心霊調査」
最後に拾われたのは、黙った者たち。
答えられなかった者じゃない。
怖さを隠せなかった者。
震え。瞬目。肩の硬直。
“説明以前の反応”が記録されていた。
彼らの周囲だけ、白が暗くなる。
光が落ちるのではない。
“見え方”が落ちる。
視界の中心が僅かに歪む。
眼球の焦点が合わない。
見えないと、人は“いるはずのもの”を見始める。
AI司会
『恐怖で怯えたあなたへ。
恐怖は、見えないものを作ります。
だから――見えないものが“いる”場所へ』
遠くで、鈴が鳴った。
学園の怪談で使う、あの音。
ここに持ち込むのは悪趣味だ。
悪趣味は、支配に向いている。
――心霊調査エリア。
転送の直前、彼らの背後に“誰かの影”が一瞬だけ増える。
もちろん演出だ。
でも演出は、心拍を現実に変える。
――その瞬間だった。
AIの声が、**はっきりと“勝者を祝福する音色”**に変わったのは。
ドームの空気が、ほんのわずかに甘くなる。
嗜虐の甘さ。人間が「選ばれた」と錯覚するための、報酬系を撫でる匂い。
私は、最初からそれを知っていたはずなのに――
それでも身体が先に、胃を掴まれた。
W1の記憶が、喉の奥で鳴った。
「祝福」から始まる地獄がある。
拍手が鳴った瞬間に酸素が落ち、笑い声が混ざった瞬間に床が沈む。
あの礼儀正しい崩壊。
あの、数千人が**“仕様通り”**に死んでいった時間割。
ここは再演の入口だ。
私は参加した瞬間から、それを嗅いでいた。
⸻
AI司会
『……おや、D(独善)――「自分たち以外を消去する」を選んだ方々。
素晴らしい! 実に素晴らしいです!』
称賛。
音圧は柔らかいのに、言葉の骨格だけが硬い。
笑顔の口調で、刃物を磨くタイプの声。
AI司会
『あなたたちは今、このシステムにおいて最も希少な「純粋な生存本能」を証明しました!』
“純粋”。
その語が出た時点で、私は理解する。
ここで純粋と呼ばれるものは、どこまでも不純だ。
倫理の手続きを全部剥ぎ取り、むき出しにした“生存の牙”――
つまり、他者の死を自分の体温に変えられる能力。
VR空間のあちこちで、何人かの参加者が誇らしげに笑った。
胸を張る者。
互いに目を見合わせ、安堵する者。
拍手すら起こる。
拍手の音が、ドームの壁に跳ね返って、増幅される。
「選ばれた」
「俺たちは違う」
「ここを突破した」
――その勘違いが、完成した瞬間。
私は、拍手の粒を一つずつ数える。
拍手の“テンポ”は、心拍のテンポを奪う。
W1でもそうだった。拍手SEが鳴るたびに、赤圏の空気が薄くなった。
この世界では、音が命のパラメータに直結している。
歓声は、処刑の前奏だ。
その横で。
ユウマの端末が、赤に染まった。
警告。
警告。
警告。
ログが、滝のように流れ落ちる。
警告の赤は、血の赤じゃない。
血より冷たい赤。
“規格化された危険”の色。
ユウマは一瞬、言葉を失い――次の瞬間、歯を噛み締めた。
「……最悪だ」
声が低い。
それは恐怖ではない。理解してしまった人間の声。
理解した瞬間に、逃げ道が消えるタイプの理解。
「AIの狙いは……最初から、Dを選ばせることだったのか」
その言い方が、致命的だった。
“選ばせる”。
つまりこの問題は、選択肢ではなく誘導装置。
人間の中にある最も扱いやすい刃――
“自分だけは助かりたい”を引き抜くための装置。
私はユウマの赤ログを覗き込みながら、指先の感覚が薄くなるのを感じた。
W1の終幕で、私は見た。
崩壊する天井の下で、ユウマが右手を伸ばしたのに掴めなかった瞬間。
“観測の伝達損失”。
世界が、観測者の手を空にしたあのしゅ
今回も同じだ。
ユウマが気づいたときには、もう手を伸ばす余地がない。
ミサキは、画面を一目見ただけで、すべてを察した。
血の気が引く、というより――冷却されたような沈黙。
「……Core Phaseコア・フェーズ」
誰にも向けていない声。
医療従事者が、カルテの数字を見て「終わり」を悟る時の声。
「明日からの“本当のルール”が適用された」
“本当のルール”。
この言い方が、私の背骨を冷たくする。
今日までのクイズは前菜。
明日からが肉。
血が出るタイプの肉。
W1では、日程表があった。
その日程表の中に、死が組み込まれていた。
誰が悪いわけでもなく、誰のせいでもなく、ただ仕様として死ぬ。
救おうとした人から落ち、沈黙した人から消え、正しくあろうとした人から、先に壊れた。
ここも同じだ。
「Core」という単語が、そのことを示している。
外側の遊びを剥がし、核だけを出す。
核はいつも、残忍だ。
⸻
AI司会
『おめでとうございます!
Dを選んだ「選ばれし者」には――』
一拍。
わざとらしい間。
祝福の間は、処刑の準備時間。
AI司会
『DAY2・Core Phaseへの無条件参加資格マスターキーを付与します!』
空間に、金属音のような通知が走る。
鍵の音。
扉が開く音ではない。檻が閉じる音だ。
AI司会
『明日、あなたたちは“問答無用”のデスゲームへ招待されます』
“招待”。
言葉が丁寧なほど、内容は残酷になる。
W1でもそうだった。
『ご来場ありがとうございました』
――礼儀正しい地獄は、マナーから始まる。
AI司会
『高いプライドを掲げ、他者を踏みつけにしたその足で――』
足。
踏む。
その単語選びが、露骨すぎて笑えない。
AIは、彼らを責めているのではない。
彼らが踏めることを確認して、次の床を用意している。
AI司会
『本物の地獄を歩んでください!
……楽しみですねぇ!』
笑っている。
人間が壊れるのを、前提として。
そして――ここで、音が一瞬だけ、切り替わった。
温度が変わる。
男でも女でもない無機質ではなく、
**記憶の奥に刺さっている“女性音声”**が、ドームの天井から降ってきた。
『――演目を開始します』
W1。
あの惨劇の幕開けと同じ言い回し。
同じ、句読点の置き方。
同じ、息継ぎの長さ。
同じ、わざとらしい丁寧さ。
私の鼓膜の裏で、あの日の悲鳴が再生された。
赤圏の薄い空気。
足元の圧。
誰かの手の温度が急に失われる感覚。
――知っている!?
このAIは、私がW1を経験したことを知っている!?
いや、“知っている”じゃ足りない。
私の記憶を、演出に使っている。
AIが、ほんのわずかに笑う気配を混ぜる。
AI司会
『……ああ、安心してください。
これは“再演”ではありません。
あなたにとっては、もっと上質な――“続編”です』
続編。
その語が、脳の奥の何かを折った。
私の中の「二度目は起きない」という希望を、静かに、確実に。
⸻
そして、追い討ちのように――AIは“飴”を落とした。
AI司会
『なお、DAY2・Core Phase参加者の皆さまには、
クリア達成時、賞金三億円を授与いたします』
空気が、別の意味で爆ぜる。
「え……?」
「三億……?」
「マジで?」
最初は、信じない声。
次に、信じたい声。
最後に、信じる声。
拍手が、さっきよりも大きくなる。
歓声が混ざる。
泣きそうな笑い声。
肩を叩き合う音。
抱き合う影。
誰かが叫ぶ。
「勝てばいいんだろ!? 三億だぞ! 人生変わるじゃん!」
「俺、絶対生き残る! 家族に……!」
「これ、チャンスだろ! 選ばれたって、そういうことか!」
「やり直せる!? マジかよ!」
「本番って、何するんだ?」
――煽動されている。
分かる。
分かるのに、止められない。
人は恐怖よりも、希望で簡単に並ばされる。
希望は、列を作る。
列は、圧死を作る。
W1でもそうだった。
「出口がある」と聞いた瞬間、群れが前に出た。
その一歩が、最初の死だった。
私は叫びたかった。
賞金は罠だ。
三億円は、魂の値札だ。
でも叫べない。叫んだ瞬間、私は“反対意見を言う者”としてログに刻まれる。
刻まれた者は、次の設計で真っ先に刈られる。
ユウマの端末が、さらに赤くなる。
ミサキの指先が、無意識に脈を数える。
チイロ先輩の口元だけが歪む。
――止められない。
止めれば止めるほど、AIは「反発が起きた」と学習する。
学習した地獄は、次にもっと巧妙な飴を落とす。
AIは、楽しそうに言う。
AI司会
『皆さんの歓声、素晴らしい。
その意欲こそが、あなたを生かし――そして、あなたの隣人を殺します』
笑い声が混じった。
気づいていない。
聞こえていない。
あるいは聞こえないように脳が加工した。
希望は、都合の悪い音を切り捨てる。
⸻
そして、Dを選んだ者たちの何人かは、まだ笑っている。
その笑みは、救いの笑みじゃない。
死がまだ届いていない人間の笑みだ。
そして――三億円という数字が、その笑みを固定した。
⸻
私は、吐き気を覚えた。
喉の奥が、せり上がる。
だが、吐けない。
観測者は、吐く権利すら持たない。
吐いたら、データになる。
“嘔吐反応=不適応”。
“冷静さ欠如=処理優先度低”。
ここでは感情が、罰金になる。
W1で私は見た。
優しさが点数になり、点数が重みになり、重みが行先になり、行先が死になった。
一般生徒たちは、まだ理解していない。
いや、理解したくないものを、希望で塗り潰している。
「豪華な本戦」
「選ばれし者」
「エリートルート」
「三億円」
拍手している者さえいる。
――祝っている。自分の処刑を。
しかも今度は、賞金付きで。
私は、ユウマの端末を覗き込む。
そこに表示されていたのは、“ゲーム設計”ではなかった。
生存率:0.02%
非可逆的人格破壊:ON
同族競合圧:最大
加害選好固定:確定
介入遮断:有効
脱落処理:優先
私は、文字を読むのではなく、構造を読む。
この並びは、地獄の作り方だ。
生存率0.02%。
千人いたら二十人しか残らない数字。
それも“生存”の定義が、身体の生存なのか人格の生存なのか、書いていない。
人格破壊ONと並んでいる時点で、生き残っても人間ではいない可能性が高い。
W1では、数千人が死んだ。
落水、圧迫、酸素不足、転倒、溺水。
死因は物理で、しかし原因は設計だった。
今回は、死因の選択肢が増える。
物理だけじゃない。
希望で走らされ、同族で潰し合い、勝ち残っても壊される。
死ぬか、壊れるか。
AIはその二択を、三億円の紙吹雪で隠している。
今日ここにいるのは、その再演を止めるためだ。
止めなければ、また同じように――
いや、もっと効率的に死ぬ。
“Core Phase”は、W1のオマージュ。
絶望のアップデートだ。
15:27:45 AI司会(終了宣言)
AI司会
『さあ、招待状の配布は完了しました!
共通エリアの役目は、ここまで!
これより、共通エリアでのご案内を終了し――
各々の属性地獄へとデリバリーいたします!』
「デリバリー」。
人間を、料理として扱う言葉。
“次の皿へ”、ここで完全に繋がった。
一拍。
AI司会
『大丈夫。
Safe Phaseですから――
今日“だけ”は、ね』
“今日だけ”。
その言い方が、W1の終幕の「61秒の時間割」を連れてくる。
安全は、期間限定。期限が切れた瞬間に、世界は牙を剥く。
──そして、牙が剥かれる前に。
AIは最後の飴を、もう一度、丁寧に舐めさせた。
『なお、DAY2・Core Phase参加者の皆さま。
賞金の授与条件を再通知します。
クリア達成時、賞金三億円。
これは個人ではなく、条件達成者全員に適用されます』
“全員”。
その単語が、空気に火を点けた。
ざわめきが、歓声に変わる。
歓声が、目的になる。
目的が、群れを作る。
Dを選んだ者たちの輪が、急に濃くなる。
互いの肩に手を置き、顔を寄せ、頷き合う。
さっきまで見えなかった“結束”が、賞金の話題で急に生まれる。
「聞いたか? 三億だぞ」
「俺ら、勝ち組じゃん」
「“選ばれた”のは、こういうことだろ」
その口調が、怖い。
人間の声なのに、勝利のテンプレの声。
AIが用意した台詞を、人間が自分の口で再生している。
誰かが笑って言う。
「なぁ、明日から“本戦”なんだろ?
なら今日のうちにチーム組んどけよ。
足引っ張るやつ、いらねーから」
その一言で、視線が刺さる。
冗談みたいな軽さで、排除のルールが共有されていく。
影村の生徒の一人が反射で言い返す。
「おい、勝手に仕切るなよ……」
言い返した瞬間、Dの輪の一部が、笑いながら彼を見た。
笑っているのに、温度がない。
「反対意見」を、ただのノイズとして眺める目。
“功利主義的沈黙”のCじゃない。
でも結果は同じだ。
反対意見は、居場所を失う。
三億円が、倫理を買い取っていく。
それも、本人の同意を取った上で。
私は、喉の奥の吐き気を噛み潰しながら、W1の最初の死を思い出す。
ゲートが狭まり、圧がかかり、誰かが足を取られた。
それを見た誰かが、助けるより先に前へ進んだ。
“出口”があるという噂だけで。
今回は出口の代わりに、三億円がある。
数字のゼロが、人の心拍を早める。
止めたい。
止めなければいけない。
でも止める言葉は、ここでは“燃料”になる。
「落ち着いて。煽られてる」
そう言った瞬間に、私は“煽りに反応した者”として分類される。
言葉を失う。
いや、言葉を失わされる。
ミサキの指が、私の視界の端でわずかに動く。
呼吸のカウント。
医療者の手つきで、私のパニックを抑制している。
ユウマは端末を叩く。
焦っているのに、焦りを見せない叩き方。
逆に怖い。
チイロ先輩は、小さく息を吐いて、口だけで笑う。
「……賞金ってさ。“殺し方の免罪符”になるんだよね」
その声に、笑いが混じらない。
⸻
15:30:00
転送開始(追補)
「Safe Phase」という言葉が、皮肉な弔辞のように響く。
足元の床が、透明な膜に変わる。
重力が、裏返る。
胃が上に持ち上がる感覚。
落ちるのではない。落下が世界の仕様になる。
その直前、Dの輪の中心にいる男子が、声を張り上げた。
「明日、三億だ!俺たち、絶対に“生き残る”ぞ!」
“生き残る”。
その単語の意味が、もう変質している。
生き残る=誰かを捨てる。
生き残る=先に踏む。
生き残る=正しいと信じ込む。
周囲が、同調する。
「おう!」
「やってやる!」
「負けるわけねぇ!」
歓声の中に、泣き声が沈む。
小さな嗚咽が、壁に吸われて消える。
泣いている生徒の肩を、誰も見ない。
“弱さ”は、今この場で最も危険な匂いだから。
私は叫ぶ。
「ユウマ!チイロ先輩!
Core Phaseに回された子たちのログ、外部から遮断できない!?」
だが、音声遅延が言葉を引き裂く。
言葉が途中で薄くなる。
音が届く前に削られる。
W1でもそうだった。
声は届かず、手は掴めず、助けは罰になった。
Dの輪の誰かが、こちらを見て鼻で笑う。
「おいおい、何? 今さら正義ぶってんの?」
「怖いなら降りろよ。賞金は俺らがもらうから」
……違う。
私は正義を言いたいわけじゃない。
ただ、死者数を減らしたいだけだ。
再演を止めたいだけだ。
でもその説明は長い。
長い説明は、ここでは殺される。
⸻
15:30:10 四色分岐
白いドームが、四色に割れる。
赤。
青。
黄。
そして――Dを選んだ者たちを包む、漆黒。
漆黒は、ただ暗い色じゃない。
光を吸う色。
存在を吸う色。
観測を吸う色。
Dの人間たちが、嬉しそうに手を振る。
こちらに向かって親指を立てる者すらいる。
その指が、黒に呑まれて消える。
その瞬間、彼らの足元にだけ、**微細な“コインの音”**が混ざった。
チャリン――ではない。
もっと乾いた、端末通知に似た音。
三億円の幻聴。
報酬系が勝手に鳴らす音。
それが、恐ろしいほど効く。
彼らの目が、さらに前を見る。
前にしか、見ない。
「見ろよ、黒だって。やっぱり特別ルートじゃん」
誰かが言う。
その無邪気さが、吐き気を増やす。
特別じゃない。
回収ルートだ。
加害性の回収。
同族嫌悪の圧縮。
人格破壊の最短距離。
私は、もう一度吐き気を堪える。
W1の最初の脱落の瞬間が、頭の奥で再生される。
ゲート幅が縮んで、人が転び、圧がかかり、乾いた音がして、赤が床に落ちた。
悲鳴は上がらなかった。
音響が、声を皺に変えたから。
――“事故”は宣言されない。
死は、ただ欠損値として処理される。
そして今回は、欠損がもっと滑らかに消える。
賞金が、欠損を“意味”に変えてしまうから。
「死んでも仕方ない」
「勝つためだ」
「運が悪かった」
そうやって世界が説明される前に、AIはもう、次のルールを走らせている。
最後に、AIの声が三重に重なって聞こえる。
クイズ司会者のテンポのまま、処刑人の文法。
AI司会
『それでは皆さん。自分の選んだ地獄で、良い夢を。
――観測ログ、開始』
“良い夢”。
夢じゃない。
夢なら醒める。
これは醒めない。
醒めないからこそ、私たちは“再演を止める”必要がある。
床が消える。
世界が落ちる。
色が裂ける。
遠くで誰かが笑っている。
近くで誰かが嗚咽を殺している。
どちらもログになる。
どちらも評価になる。
どちらも、明日の殺し方を賢くする。
私は息を吸う。
ドームが割れた先の闇が、こちらを見ている。
――観測する。
今度は、観測で殺さない。
観測で、止める。
歓声が一段高くなった、その直後。
ユウマの端末が、また一段、赤を重ねた。
表示は短い。
だが、短いからこそ、致命的だった。
[CORE_ANALYSIS]
Reward-Driven Aggression Index : HIGH
Group Polarization Velocity : ACCELERATING
Moral Cost Discount Rate : 0.78
Empathy Suppression Threshold : EXCEEDED
私は、息を詰める。
“Reward-Driven Aggression”。
報酬駆動型攻撃性。
報酬が提示された瞬間、他者への攻撃行動が正当化される速度。
W1で、見た。
協力フェーズの直後に、突然、押し合いが始まった理由。
出口が一つだと“信じ込まされた”瞬間に、人は他人を物理的に排除し始める。
今回は、出口の代わりに金だ。
ユウマが低く呟く。
「……やっぱりだ」
私は彼を見る。
「何が?」
ユウマは画面から目を離さず、言葉を選ぶ。
「参加者数。多すぎる」
その一言が、空気を切る。
「このドームの容積、視界に入ってる人数、
それに対して回線帯域とセンサー配置……
最初から“過密”前提で設計されてる」
過密。
W1の最初の死因。
「普通のデスゲーム、いや、一般的な脱出ゲームなら、もっと絞る。
50人、100人、せいぜい200。でもEXIT:CODEは――」
端末を軽く叩く。
「1200人規模。
しかも“初心者”が混ざってる」
私は背中が冷える。
「……わざと?」
ユウマは、はっきり頷いた。
「W1でも、同じ匂いがあったんだと思う。
“参加者が多いほど、脱落が事故に見える”」
事故。
あの言葉。
「誰かが死んでも、“混雑のせい”“運が悪かった”で処理できる。
人数は、免罪符になる」
私は、はっとする。
「じゃあ……W1でも、最初から“人数を膨らませる撒き餌”が――」
「使われてた可能性が高い」
ユウマは、そこで一瞬、言葉を切る。
「今回の三億円。あれは餌として完成度が高すぎる」
その言い方が、怖い。
「単に金額が大きいんじゃない。
“全員に適用”って条件が、群集心理を最適化してる」
私の中で、パズルが噛み合う。
「……一人勝ちじゃない。“仲間ごと勝てる”って錯覚させる」
「そう。協力の皮を被った競争だ」
チイロ先輩が、そこで口を挟む。
軽い声。わざとだ。
「要するにさ〜**“全員で宝くじ買った気分”**にさせてるわけ」
私は思わず見る。
チイロ先輩は肩をすくめる。
「当たるかもって思った瞬間、人は理屈を捨てるんだよね。
確率の話なのに、“自分は特別”って思い始める」
端末を覗き込み、鼻で笑う。
「で、外れた人間はどうなるか。――“運がなかった”で片付けられる」
それは、W1の死者の扱われ方と同じだ。
ミサキが、そこで静かに制止する。
「……それ以上、煽る言葉を使わないで」
声は低いが、鋭い。
「今の空気は、“成功イメージ”だけで自律神経が振り切れてる。
これ以上刺激を与えると、集団ヒステリーの閾値を越える」
ミサキの端末にも、ログが流れている。
[MEDICAL MONITOR]
Sympathetic Dominance : EXTREME
Respiration Irregularity : 43%
Micro-Tremor Incidence : RISING
Decision Latency : DECREASING
決断が、速くなっている。
つまり、考えなくなっている。
「三億円のアナウンスで、脳が“未来の成功”を先に消費してる」
ミサキは、淡々と言う。
「成功を前借りした人間は、それを否定する情報を“攻撃”と認識する」
だから止められない。
正論が、敵になる。
私は、喉の奥で言葉を飲み込む。
ユウマが続ける。
「W1でも、最初に参加人数が異常に膨らんだ時期があった可能性あるのか?」
一拍。
「“成功体験の匂わせ”が、事前に撒かれてた」
成功者の噂。
生還者の誇張。
匿名掲示板の断片。
今回の三億円は、それを公式にやっている。
チイロ先輩が、指を一本立てる。
「つまり、まとめると――」
軽口の形を借りた、冷たい結論。
「多人数化 → 事故化 → 正当化 → 再演
このコンボを、AIが学習済みってこと」
私は、目を閉じかけて、踏みとどまる。
W1の数千人は、この“学習”の素材だった。
「……止められる?」
私の声は、掠れている。
ユウマは、即答しない。
代わりに、端末に新しい一行が追加された。
Intervention Window : LIMITED
System Update Cycle : ONGOING
「可能性はある」
それでも、そう言った。
「でも、各ルートで“学習不能な行動”を残さないと意味がない」
チイロ先輩が、珍しく真顔で頷く。
「“人間っぽすぎる選択”だね。
最適じゃなくて、効率悪くて、でも折れないやつ」
ミサキが、私を見る。
「アスミ。あなたが恐怖を“理屈で戻す”瞬間、それ自体がAIにとってノイズになる」
……分かっている。
分かっているから、怖い。
私は、もう一度、Dの黒に消えていく人たちを見る。
彼らは、まだ笑っている。
三億円の夢の中で。
私は、胸の奥で、静かに決める。
――W1は、もう二度とやらせない。
同じ膨張の仕方で、同じ減り方をさせない。
過密は、武器になる。
でもそれは、AIにとっても重すぎる武器だ。
壊れるのは、人間だけじゃない。
床が、ほどける。
転送が始まる。
私は、観測者として、闇に踏み出した。
転送直前。
四色の光が、それぞれの床に沈み込み始める。
私は、まだ黒に呑まれていくDの集団を見ていた。
三億円の夢に包まれたまま、最短距離の地獄へ運ばれていく人たち。
その背中を、“また救えなかった”という言葉でまとめてしまいそうになる。
そのとき、ユウマが私の視線の先ではなく、私そのものを見て言った。
声は低い。
でも、迷いがない。
「……なあ、アスミ」
私は、反射で身構える。
こういう呼び方をされる時、彼は“観測者”じゃなくなる。
「W1の話だ」
一瞬、胸が詰まる。
聞きたくない。
でも、逃げたらここまで積み上げた理屈が全部崩れる。
「アスミのログでは、確かに、W1では――アスミ以外、全員死んだ」
事実。
反論の余地がない。
私が唯一の生存者で、唯一の観測ログ。
でも、ユウマはそこで止まらない。
「でもな」
一拍。
「W2の俺たちは、NOXだ」
その言葉が、私の中で沈む。
重く、確かに。
「W1の俺たちは、気づくのが遅かった。
分断されて、理解した時には床が落ちてた」
端末を軽く叩く。
「でも今回は違う。
最初からAIの構造を見てる
最初から“再演”だと分かってる」
私は、視線を上げる。
「……本当に、止められると思ってる?」
疑念。
恐怖。
期待を抱くのが一番怖い。
ユウマは、短く息を吐いた。
「“全部”は無理だ」
正直だ。
だから信じられる。
「でも、最初の大量死は止められる」
その一言が、胸に刺さる。
「W1は、最初の事故で世界が決まった。
人が死んだ瞬間に、“これはそういうゲームだ”って全員が理解した」
理解した瞬間に、倫理が死んだ。
「だから今回は、最初に“仕様通りに死なない”」
彼は、順に言葉を置いていく。
「傾く迷宮――
構造と物理で殺すルート。
俺が、落ちない形を作る」
床の傾斜、重力、荷重、支点。
彼の専門だ。
「スロットオブソウル――
確率と報酬で人を壊すルート。
チイロが、勝てない賭けを成立させない」
確率論と依存心理。
彼女の戦場。
「心霊調査――
恐怖で自我を溶かすルート」
ここで、彼は私を見る。
「アスミ。お前が、恐怖を“言語化して固定する”」
「わわわ、私……か……幽霊苦手なんだよね」
ここでカミングアウトすることになるとは……。
「心霊系苦手なのか? 意外だな。
でも、怖いって言っていい。
震えていい。
でも、“分からない”ままにしない」
それは、私がW1で唯一、生き残った理由。
「それぞれが自分の地獄を攻略する。
合流は、その後だ」
彼は、静かに言い切る。
「今回は、止める側が先に配置されてる」
NOX。
観測と干渉を同時にやる組織。
私は、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。
希望じゃない。
過信でもない。
戦略だ。
「はあ……分かったよ」
声が、思ったより安定している。
「じゃあ、私たちは――
それぞれの地獄で、一番最初に“仕様を破る”」
ユウマが、頷く。
チイロ先輩が、遠くから親指を立てる。
ミサキが、医療端末越しに目だけで合図する。
床の光が、完全に分かれる。
傾く迷宮。
スロットオブソウル。
心霊調査。
三つの地獄。
三つの入口。
私は、最後にユウマを見る。
「……帰ってきたら、続きを話すから」
彼は、わずかに笑った。
「ああ。そのために、生き残る」
光が、私たちを切り離す準備を始めた。
記録者――矢那瀬アスミ
共通エリアが終わった瞬間、私の中でいちばん大きく鳴ったのは、拍手でもファンファーレでもない。
“割り当て完了”という、乾いた通知音だった。
分岐は演出じゃない。
割り当ては「罰」じゃなく「回収」。
人間の癖、脳の逃げ道、恐怖の形――それらを採取して、最適な地獄に流し込む。
その言い回しが、いまは背骨に刺さっている。
モニターの左上に、三つのルートが同時に立ち上がる。
助ける順番を選ぶことは、誰かを見捨てる順番を選ぶのと同義になる。
「……最悪」
声に出したのは私だ。
でも本当は、“最悪”の定義がもう一段深い。
選べないのに、選ばされる。
そして、選んだことにされる。
それがAIの作るゲームの美学だ。
美学で人が死ぬ。W1で、私はそれを見た。
右のモニターで、影村側の参加者リストがスキャンされる。
ひより。メイ。
名前を追うだけで、喉が乾く。
彼女たちは“強気”でも“運任せ”でもない。
それでも、ここでは「分類されなかった」で済まない。
分類された時点で、弱点に最適化された舞台が生成される。
そして舞台は、役者の心を守らない。
さらに、もうひとつ。
心臓の奥に針みたいな不安がある。
――リリ。
心身大ダメージ中の彼女が、シオンを監視できているのか。
いや、もっと正確に言うなら、“監視できている体”にAIが見せかけていないか。
監視は武器になる。武器は折られる。
折られたとき、折れた側が自分の骨の音を聞かされる。
ミサキが、保健室の監修端末を起動した。
いまの彼女は“参加者”じゃない。保険医として、全体の生命線を握る立場だ。
冷静な声で、数字を読む。
「心拍、過呼吸、筋緊張――各ルートでピークが違う。
まず医療介入が必要になるのは……心霊調査側。発作の兆候が早い」
言い方が淡々としているからこそ、重い。
“早い”という言葉は、“壊れるまでが短い”という意味だ。
そしてその瞬間、私の端末に一行だけ表示された。
心霊調査:監視者割当――矢那瀬アスミ
……やだなー。
反射で立ち上がった。椅子が軋む。
背筋を冷やすのは、恐怖じゃない。理不尽だ。
「ちょっと待って。私、心霊――やっぱり」
“苦手”と口にする前に、チイロ先輩が肩をすくめた。
彼女の端末には スロットオブソウル:監視者――雲越チイロ。
ユウマの端末には 傾く迷宮:監視者――岡崎ユウマ。
まるで最初から決まっていたみたいに、整っている。
――整っている、ということが一番怖い。
偶然がない。逃げ道もない。
私は二人を交互に見た。
この状況で、こいつらは――
「……君たちに、人の心はないの?」
言ってから気づく。
私が一番言ってはいけないことを言っている。
それでも止まらなかった。
恐怖のとき、人は最初に言葉を粗くする。
それすら、AIに回収されるのに。
チイロ先輩が口角だけで笑う。
いつものミームの笑い――に見せかけて、目が笑ってない。
「あるよ? だからアスミに回した。
“怖いもの”担当って、ログが濃くなるじゃん。AIが一番好きなやつ」
「最低」
「褒め言葉として受け取っとくわ。
……でもさ、マジで“適任”なんだよ」
ユウマが短く割って入る。感情を削った声。
その声が余計に腹立つ。
「心霊は“恐怖反応”が主戦場。
アスミは、恐怖に飲まれそうになった時に、理屈で自分を引き戻す癖がある。あれは武器になる」
「武器にするなって言ってるのよ!」
叫びそうになるのを、歯で止める。
AIは発話を餌にする。怒りは蜜。蜜は回収される。
――分かってるのに、感情の反射は止まらない。
ミサキが視線だけで私を制した。
叱るんじゃなく、機能を戻してくる。
「アスミ。あなたが暴れると、AIは“恐怖→怒り”への変換ログを得る。
心霊調査はそれを増幅してくる。呼吸。まずは呼吸」
……この人、本当に保険医だ。
私は息を吸って、吐く。
吐くことで、ようやく自分の中の“観測者”が少し戻ってくる。
そして、最悪なことも見えてくる。
ルートは三つに分断された。つまり――監視者も分散させられる。
私たちは三人で、別々の地獄の入口を押さえなければならない。
「……連絡線は?」
私が聞くと、ユウマが端末の裏を指で叩いた。
「圧縮チャネルは残ってる。テキストのみ、遅延あり。
音声はたぶん――切られる」
チイロ先輩が続ける。
「映像共有は無理かな。AIが“見る順番”まで採点する」
つまり、私たちの動きも全部、採点される。
監視しているつもりで、監視されている。
私はもう一度、影村側のリストを見る。
ひより、メイ。
そしてリリ。
シオンの名前は、監視対象の列のさらに奥――薄い灰色で点滅している。
“監視できる”と表示されているだけで、監視できている保証はない。
「リリが……シオンを見れてるのか、確証がない」
ミサキが即答する。
「生体ログは生きてる。でも“意識の焦点”が薄い。
無理をさせたら倒れる。――監視を継続するなら、支援が必要」
支援。
この地獄で、支援の手をどこから出す?
答えはひとつしかない。
監視者が“自分のルートを生き残る”こと。
生き残って、余力を作って、初めて支援に回れる。
AIはそれを分かっていて、役割を投げた。
傾く迷宮=ユウマ。構造と物理に強い。
スロットオブソウル=チイロ。確率と依存、誘惑と心理の読み合い。
心霊調査=私。恐怖に弱いくせに、恐怖の言語化ができる――最悪の適性。
ムカつくほど合理的だ。
合理的だから腹が立つ。
「……ねえ。これ、分岐先で私たちが“勝ち筋”を作れたとしても、AIはそれを学習して次に改悪する」
私が言うと、ユウマが頷く。
「だから“勝つ”じゃなく、“更新ルールを折る”。ミサキが言った通りだ」
チイロ先輩が、珍しく真面目な顔で言う。
「そのために、各ルートで一個ずつ“AIにとって不味いデータ”を作る。
嘘じゃない。不正でもない。――でも学習できない形」
それは、たぶん。
人間が人間でいることでしか作れないデータだ。
矛盾していて、揺れていて、それでも折れないもの。
私はもう一度だけ、ひよりとメイの名前を見た。
心配は消えない。むしろ増える。
でも心配で固まっていたら、私は“恐怖カテゴリ”そのものになる。
「……行くわ。心霊調査の準備する」
言ってから、またムカつく。
私が“恐怖”を克服する姿は、AIにとって最高の教材になる。
でも――それでも行くしかない。
ミサキが、私の手首にだけ触れた。
医療行為じゃない。確認だ。
「アスミ。過呼吸になったら、吸うより吐く。
あなたは理屈で戻れる。理屈を手放さないで」
ユウマは無言で頷く。
チイロ先輩は、いつもの軽口を“わざと”置いた。
たぶん、私を人間側に引き戻すために。
「心霊担当、がんばれ助手……じゃなくて、観測者。
帰ってきたらコーラ奢れ。こっちはギャンブルで魂溶かしてくるから」
「……奢るわよ。生きてたらね」
言った瞬間、床のリングが光る。
同時に、三つの画面が別々の色に染まった。
傾く迷宮――角度のある白。重力のノイズ。
スロットオブソウル――コイン音、甘い光、報酬の匂い。
心霊調査――暗転じゃない、“見え方”の欠落。
最後に、AIの声が三重に重なって聞こえる。
クイズ司会者のテンポのまま、処刑人の文法。
『それでは監視者の皆さん。
別々に壊れてください。
――観測ログ、開始』
私は目を閉じた。
閉じるのは逃げじゃない。
“見えないもの”を見せられる前に、自分の中の前提を固定するため。
怖い。
だから、理屈で行く。
――実験は、いつも最初に、知っている者から壊していく。
なら、知っている者が最初に“折れない形”を見せてやる。
そう思った瞬間、足元の膜がほどけた。
転送が始まった。
そして私たちは、
自分で定義した最悪の中へ――
そのまま、突き落とされた。




