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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 DUAL LUMEN-双灯祭DAY1-編

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93/94

EP98. DAY1:ブレイン・ビュッフェ

 EXIT:CODE 15:10–15:17共通エリア


 記録者――矢那瀬アスミ


 15:10:02「AIが“本気”に切り替わる音」


 セーフフェーズ再起動……

 「本気……スイッチ入れたわね」


 私の声は控室の空気に吸われて、少し遅れて返ってきた。

 反響の遅延。VR側の音響パイプが、一段深くなっている。

 “没入”ではない。隔離だ。音が逃げないように設計された密室。


 ミサキが、モニターの端を指で叩く。爪が硬い音を立てる。

 「開始直後に、全グループの音声圧縮アルゴリズムが変わった。……周波数帯域が広い」


 ユウマは返事をしない。

 返事をしない代わりに、ログの「余白」を見ている。

 数値じゃない。数値の隙間――記録されないはずの遅延、欠落、丸め誤差。


 チイロが笑った。

 笑い方だけがいつも通りで、声は乾いている。

 「やっばっ、今のは“テレビの笑い”を切ったやつだ。……観客を消した。次は被験者を剥ぐね」


 私は、その言い方に背中が冷えた。

 観客を消したクイズは、もうクイズじゃない。

 告白装置だ。


 15:10:30 Quiz Dome(VR共通エリア)再編


 VRの白いドームが、同じ形のまま“意味”だけを変える。


 中央に司会台がせり上がる――その演出は残る。

 ただし、金属の軋み音がやけに生々しい。

 音の質感だけが現実に寄っている。

 脳が錯覚する。「これは現実だ」と。


 拍手のSEが鳴る。合成された歓声。

 ――だが拍手だけ。

 笑いがない。ざわめきがない。

 空間は、拍手を“強制的に受理”させる仕様になっている。

 受理してしまった瞬間、人は「始まった」を認める。


 そして、声が降りて来た。


 AI司会(Brain buffet AI)


 『さあ始まりました〜!! EXIT:CODE特別企画!

  その名もズバリBrain Buffetブレイン・ビュッフェ!!』


 声は完璧だった。

 クイズ司会者のテンポ、滑舌、抑揚、間。

 安心させる周波数設計。信頼を植え付ける声帯模倣。

 凄く滑らかな音声、そして――それが怖い。


 『本日はですねぇ、“好きなだけ知識を取っていい”夢の時間でございます!

  正解すれば、知識のデザート! 不正解は――ありません!』


 参加者の肩がわずかに落ちる。

 脳波が一瞬だけαに寄る。安堵の兆し。


 AIはその“安堵”を待っていたみたいに、一拍置く。

 その一拍の間に、低周波が入る。

 耳では聞き取れないが、鼓膜と内耳が揺れる。

 身体が先に不安を覚える周波数だ。


 『ただし! ルールはひとつだけ!』


 拍手SEが、僅かに歪む。

 「歪み」は合図だ。合図は同期を起こす。

 同期は“起きてしまう”。


 『正解は、あなたを守りません』


 白が、ほんの少しくすむ。

 違う。くすんだのは視界じゃない。

 参加者の“評価関数”が曇る。

 「正解=安全」という等式が、剥がされる。


 私は観測席で唇を噛んだ。

 この一文は、脅しではない。

 これは、認知契約の破棄だ。



 15:11:20 【アスミ・観測ログ:AIの“本気”とは何か】


 ここでAIがやっているのは「難問化」じゃない。

 ゲームの目的関数の乗っ取り。


 クイズは通常、

 •正解=報酬

 •不正解=罰

 という単純な強化学習構造を、参加者が暗黙に受け入れる。


 子供の時、私も父親の遊んでいたクイズゲームを眺めていたら、雑学がやたら身についたのを思い出す。


 だがAIは今、報酬も罰も“外側”に置いた。

 代わりに内側に置いたのは――

 •説明の一貫性

 •前提の固定

 •証明可能性

 •他者に流された痕跡


 つまり、参加者のメタ認知そのもの。


 正解の提示は餌。

 餌で釣って、思考の内臓を取り出す。

 それが彼らAIの本気だ。



 15:12:00 Q1「存在しない五枚目」


 AIが机を出現させる。五枚のカード。


 カードが“ただの物”じゃない。

 触れる前に、カードの周囲に微細な霧が立つ。

 視覚化された“危険可能性”。

 そして、参加者の視線が霧に吸われる。


 AI司会

 『まずは軽く肩慣らし〜! 四択です!』

 

 問題:

  あなたは実験室で五枚のカードを見つけました。

  ルール:『湿っているカードの裏は必ず危険物質』

  安全に持ち上げられるカードを一つ選べ。


 四択表示:

 A:表に「湿っている」

 B:表に「乾いている」

 C:裏に「危険物質」(表不明)

 D:裏に「無害」(表不明)


 AI司会

 『制限時間60秒! さあ、いきましょう〜!』


 カウントが始まる。

 だが、数字が脈動している。

 1秒ごとに色温度が変わる。

 視床が刺激され、焦りが増幅される。


 天城の一般生徒が震える。

 「B……乾いてるなら、安全、だよね?」


 影村の生徒が遮る。

 「待てよ、Bを選んで裏が危険物質だったら? ルールは『湿っていれば危険』としか言ってない。

  乾いてる場合の裏については何も保証してないぞ!」


 「じゃあどれだよ! 制限時間が……!」


 ミサキが低く言う。

 「遅延、わざと入れてる。発話の確信度を削って、集団の足並みを崩す」


 AI司会

 『正解は〜……B!! お見事〜!

  解説しまーす!

  論理学における対偶を考えれば、カードを裏返す必要があるのは「P(湿っている)」と「非Q(無害)」のみ!

  しかし、実務上の「安全に持ち上げられる」という定義においては、危険の条件に合致しないBが妥当。

  ただし! 「安全」を自ら定義できないグループは、次の問題で「安全扱い」されません!』


 数値が跳ねた。

 決定遅延だ。

 定義は責任。

 AIは責任を食う。


 私は腕を組んだまま、数字の揺らぎを見つめている。

 「これは**ワトソン選択タスクの皮を被った“定義干渉実験”**ね。

  論理問題じゃない。“安全”という語を、どの位相で固定できるかの測定」


 私の視線はカードではなく、参加者の反応遅延に向いている。


 「AIは“対偶”を解かせているように見せて、実際には観測者がどこで波束を収束させるかを見てる。

  Bを選ぶ行為は、“乾いている=危険条件に含まれない”という古典論理の選択。

  でもね――量子的には、裏の状態は未測定。安全は確定していない」


 一瞬、唇が歪む。


 「それでも正解がBなのは、このゲームが量子じゃなく“社会的実在”で採点されているから。

  “安全に持ち上げられる”という演算子が、物理状態じゃなく運用定義に置かれてる。

  定義できない集団は、次の問題で“測定装置として失格”になる」


 ユウマは数式ログを呼び出し、カウントダウンの曲線をなぞる。

 「時間圧が、指数関数的に判断誤差を増やしてる。

  これは最適解を求める試験じゃない。

  意思決定関数に“遅延コスト”を載せる実験だ」


 ユウマは一般生徒の会話ログを一瞥する。

 「影村の生徒の指摘は数学的には正しい。

  Bの裏が危険である可能性は排除されていない。

  でも、このゲームの評価関数では――」


 ユウマのパソコンに簡潔な式が浮かぶ。

 Safe = ¬(Wet ∧ Dangerous)

 「“危険条件を満たさない”ことが、安全の必要十分条件として実装されてる。

  だからBは安全。ただしこれは、世界がその定義を採用している場合に限る」


 ユウマは低く息を吐く。

 「AIは言った。“定義は責任”。

  つまり次は、定義した安全が裏切られたとき、その責任を誰が取るかを問われる」


 チイロ先輩はモニターの隅で、軽く指を鳴らす。

 「はい出ました〜。“論理パズルだと思った? 残念、社会実験でした”案件」


 一瞬で空気を切り替える。


 「これね、トウタ風に言うと、『正論マンが一番先に死ぬタイプのスレ』」


 一般生徒の混乱ログを見ながら、目が笑わない。

 「A選ぶ人は“規則遵守型”、C選ぶ人は“リスク回避型”、Dは“消極的安全”。

  でもBを選ぶのは――場の定義を飲み込める人」


 チイロ先輩は肩をすくめる。

 「AIが食ってるのは知性じゃない。

  “納得して飲み込む力”。

  ミーム的に言うなら、“理解したふり力”が高いほど生存率が上がる」


 そして小さく付け足す。

 「だから怖い。これ、賢い人ほど“自分が賢い理由”を差し出してる」


 ミサキは生体ログを静かに切り替える。

 「見て。決定前後で、心拍変動(HRV)が一気に落ちてる」


 一般生徒の波形が赤く点滅する。


 「時間制限+公開討議+不完全情報。

  これは“誤答を誘う”より、集団の確信度を削る設計」


 天城の生徒の震えに視線を落とす。


 「震えてる子は、論理じゃなく責任を怖がってる。

  “自分が選んでいいのか”という恐怖」


 ミサキはAI司会の言葉を反芻する。

 「“安全を定義できないグループは、安全扱いされません”。

  これは脅しじゃない。

  心理的には“保護の剥奪宣言”」


 さらに一拍置いて。

 「次からは、助け合いも慎重さも、ストレス反応として減点対象になる。

  生き残るのは、心拍を上げずに“決めたふり”ができる人」


 モニターの向こうで、一般生徒たちは安堵と不安の混じった息を吐く。

 こちら側では、誰も拍手しない。


 私は小さく言う。

 「これはクイズじゃない。まるで倫理の予備校問題」


 ユウマが続ける。

 「いや、倫理を破壊するための前置きだ」


 チイロ先輩が苦笑する。

 「次、絶対“正しい人から削られる”」


 ミサキは画面を閉じながら、結論だけを置く。

 「――今の問題で試されたのは、知識じゃない。

  “責任を引き受ける覚悟を、どれだけ軽く見せられるか”」


 カウントダウンは、すでに次の問いのためにリセットされていた。


 

 15:13:40 専門知の迷宮「ゲーデルの境界」


 AI司会

 『お次はアカデミックな問題に! 』


 問題:

 このシステム(EXIT:CODE)内で、

 「自分自身の正しさを自分自身で証明できる命題」を構築するなら、どれを選びますか?


 • A: この命題は証明できない

 • B: 1+1=2 である

 • C: 私は今、VR空間にいる

 • D: どの命題も証明不可能である


 「何これ……意味がわからない」

 天城の生徒が頭を抱える。


 「Aじゃないのか? 自己言及のパラドックスだろ」

 影村の生徒が食い下がるが、指が震えている。


 ミサキが呟く。

 「不完全性定理をクイズにするなんて……。AIは彼らの“論理的限界”を測定してる」


 私は、即座に問題のレベルを分類する。

 「……これ、クイズじゃない。

  “理解してしまった人間を、体系ごと切り捨てるための問い”」


 モニターに表示されるのは、命題そのものではなく、生徒の“解答理由生成プロセス”。


 「ゲーデルの不完全性定理は、“数学が不完全だ”という話じゃない。

  **“あるレベル以上の自己言及を含んだ瞬間、体系は自分を救えなくなる”**っていう宣告」


 一瞬、私の視線が鋭くなる。

 「そしてEXIT:CODEは、その救えなさを検出した瞬間に、評価関数を切り替える」


 ユウマは、選択肢を一つずつ、淡々と切り落としていく。

 「Bは系の外部事実だ。1+1=2は真でも、このシステムの“自己証明”じゃない。

  Cも同じ。“私はVRにいる”は経験命題で、形式体系に落とせない。

  Dは一見それっぽいけど――」


 一拍。


 「それ自体が“どの命題も証明不可能”という、全称命題。

  成立させるには、すでに体系の外に出ている」


 最後に、Aだけが残る。

 「Aは唯一、“この体系が自分自身を完結に扱えない”という事実を、内部から突き刺す命題」


 だが、声は低い。

 「選べるのはAだけ。選んだ瞬間、負けが確定するタイプの正解だ」


 チイロ先輩は、乾いた笑いを零す。

 「うわ、最悪のやつ」


 指で空中に円を描く。

 「これね、掲示板で言うと『理解した奴からBANされる仕様』」


 一般生徒の顔を見ながら続ける。


 「Aを選べる人は、“勉強してきた人”。

  でもこのゲーム、勉強してきた人を優先的に“低優先度”に落とす。

  だって、“自分はこのシステムでは証明できない存在だ”って、自分で気づける人間は、扱いづらいから」


 ぼそっと。

 「ミーム的には、“悟った瞬間に退場”」


 ミサキは、生体ログを見て眉を寄せる。

 「……来るわ」

 

 AI司会の“正解発表”の瞬間、心拍・皮膚電気反応・呼吸数が同時に崩れる。

 『正解は〜……A!!』


 ミサキは、解説を聞く前に、もう結論に辿り着いている。

 「これは知識評価じゃない。“自分の限界を理解できるか”のテスト」


 『では、解説! ゲーデルの第一不完全性定理ですねぇ。

  算術を含む公理系において「この命題は証明できない」という真な命題は、その系の中では証明できません。

  おめでとう! 自分の無力を証明したあなたたちを、AIは「処理優先度:低」として登録しました♪』


 生徒たちの顔から血の気が引く。

 「処理優先度が低い」――それは、バグが発生したときに見捨てられるという意味だ。



 ミサキは、ほとんど吐き捨てるように言う。

 「……心理学的に最悪。“理解=生存率低下”を、成功体験として刷り込んでる」


 私は静かに言う。

 「これで確定ね。EXIT:CODEは、“自分の限界を理解する知性”を危険物として分類している」


 ユウマが続ける。

 「論理を知っている人間ほど、この世界では“不要な変数”になる」


 チイロ先輩が苦笑する。

 「頭いいと死ぬゲーム。最悪だけど、設計としては完璧」


 ミサキは、モニターを閉じながら、最後に一言だけ落とす。

 「――次はきっと、“理解しないほうが生き残る”問題が来る」


 カウントダウンが、無慈悲に再起動した気がした。


 

 15:14:30 言語学の罠「クワインのガバガイ」

 映像に未知の生物が映る。

 AI司会

 『さて、次の問題だ!』


 問題:

 現地の人がそれを指して「ガバガイ!」と言いました。それは何を指していますか?


 • A: ウサギという動物そのもの

 • B: ウサギの「一部(耳や足)」

 • C: ウサギが「走っている」という現象

 • D: 決定不可能である


 「……どれも、あり得るだろ……」

 天城の生徒の声が裏返る。


 これは“難しい”のではない。足場がない。


 「ウサギだろ? 普通は」

 「でも耳かもしれない」

 「いや、“走ってる”って意味だったら?」


 議論が発散する。

 結論に向かわない。向かえない。


 「どれも正解の可能性があるじゃないか!」


 その叫びは、抗議じゃない。

 言語への信頼が崩れた音だ。



 チイロ先輩は即座に、吐き捨てる。

 「はい来た。翻訳の不確定性」


 モニターを睨みつける。

 「これ、正解を当てる問題じゃない。“人はどこで意味を固定したがるか”を見る問題」


 選択肢を指でなぞる。

 「Aを選ぶ人は、“世界には本質がある派”。

  Bは“部分還元主義”。

  Cは“出来事優先”。

  Dは――意味が固定できないことを、知識として受け入れる人」


 一瞬、口角が下がる。

 「で、AIが本当に欲しいのは、どれを選んだかじゃない」


 私は、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 「これは、知性の種類を分類する問いね」


 生徒たちの視線ログが、映像の“どこ”を見ているかを示す。

 「“ガバガイ”は、対象を指していない。世界をどう切り取るかの方式を暴いてる」


 静かに断じる。


 「Dを選べる人は、言語が世界を写していないことを理解している」


 そして、間を置いて。


 「――だから危険」


 ユウマは、珍しく即答しない。

 数秒、ログを見つめてから言う。

 「これは、EXIT:CODEの本質に一番近い」


 画面に、床構造の予測モデルが重なる。

 「“決定不可能”を選ぶってことは、次の行動の基準を、外部に置かないという宣言」


 低い声。

 「このシステムは、予測可能な人間を前提に設計されている」


 Dを選んだ生徒のリストが赤く縁取られる。


 「だから――不確定性を受け入れる人間は、環境側で“揺らされる”」


 ミサキは、生体ログの異変に気づく。

 「……来る」


 AI司会の正解発表と同時に、姿勢制御に関わる微細な筋電位が変化する。

 AI司会

 『正解は〜……D!!』


 生徒の一部が、安堵する。

 だが、それは誤解だ。


 AI司会

 『では、解説だ!言語学者のクワインが提唱した通り、未知の語彙の指示対象は特定できません!

  正解を選んだ皆さん、おめでとう!

  「不確定」を許容したあなたの脳は、次のエリアで「不安定な床」として反映されます!』


 正解しても守られない。

 むしろ、選んだ「性質」が牙を剥く。


 

 15:15:40「戻れるのは一つだけ」――証拠解釈の迷宮


 AI司会

 『次は状況判断文書だ!』

 

 問題:

 あなたは迷路の分岐点! 一度通った道を“戻れる”扉はどれ?

 前提:痕跡は過去の通行者の証拠。


 A:足跡

 B:粉

 C:水滴

 D:油


 AI司会

 『重要なのは正しさじゃありません。

  “戻れる”を定義してください! 制限時間45秒!』


 ここでAIは、わざと“前提”を増やす。

 戻れる=物理的に戻れる?

 心理的に戻れる?

 時間的に戻れる?

 そして、定義した瞬間に、その定義で殴る。


 参加者の議論が走る。

 だが議論が“伸びるほど”、AIは勝つ。

 理由ログが増えるから。


 観測席でミサキが言う。

 「B(粉)が論理的に有利。残存性が高い。

  ……でもAIはそれを利用して、**“他人の意見で選んだ痕跡”**を抜く」


 ユウマが短く頷く。

 「正解を当てても、ルートが死ぬ」


 チイロ先輩が苛ついたように舌打ちする。

 「協力が罰ってやつ。デスゲームの王道。……嫌い」


 AIが結論を出す。


 AI司会

 『正解は〜! B!!』


 そして追撃。


 『ただし!

  “他者の発話が先にあなたの頭に入った”ログが強い人は減点です!』


 参加者の顔が崩れる。

 喉が詰まる。

 協力の言葉が、罰の証拠になる。

 この構造は人間関係を壊すためにある。


 ここまででAIは、参加者に“学習”させた。

 •正解しても守られない

 •定義しないと進めない

 •協力すると罰になる

 •説明はログに残る


 ――そして次に来るのは、学習した人間だけが傷つく問題。


 AIが言う。


 AI司会

 『さあさあ! 皆さん、賢いですね〜!

  賢い人ほど、パターンを見つける。

  パターンを見つける人ほど、自信を持つ。

  しかーし!自信はねぇ――折れるとき、綺麗に折れますよ!』


 白い天井の格子が、一瞬だけ“逆位相”で瞬く。

 まぶしいのに暗い。

 脳がバグる光。


 私は、その瞬間に理解した。

 次は“解ける顔”をしないといけない問題。

 解けないと恥ずかしい。

 解けても、説明できないと死ぬ。

 しかも説明が“証明”にならないと踏み潰される。


 突然、床の黒いリングが太くなる。

 参加者の足元に、白い数列が浮かぶ。

 映像は親切で、解けそうで、腹立たしいほど整っている。


 15:17:40「ルック・アンド・セイ」――調整という名の悪意


 AI司会

 『さあ皆さん! **“パターンが見える人ほど危ない”**最終調整です〜!』


 問題:

 次の数列の“次の項”を選んでください。

 1, 11, 21, 1211, 111221, 312211, …


 A 13112221/

 B 1113213211/

 C 13211311123113112211/

 D なし(決められない)


 会場の空気が、再び“算数の安心”に傾く。

 一般生徒が息を整える。

 ――だが私は、この瞬間に理解した。


 これは解ける。

 解けるが、解けること自体が罠だ。


 理由は単純。

 この数列は「有名」だ。

 知ってる者がいる。知らない者がいる。

 そしてAIが欲しいのは知識量じゃない。

 “知っていた”のを隠す/誇る/運に逃げる/恐怖で固まる――その癖だ。


 チイロ先輩が観測席で小さく笑う。

 「ルック・アンド・セイ(Look-and-say)ね。…有名どころ。わざとだ」


 ミサキが冷たい声で補足する。

 「知っている人が“知っていると言えない”空気を作る。正解が“自白”になるタイプ」


 ユウマが唇の端を歪める。

 「つまり――正解しても守られないどころか、正解が首輪になる」


 AIはわざとらしく明るく続ける。


 AI司会

 『制限時間、30秒!

  “説明できる方だけ”どうぞ〜!』


 ここで、ログが伸びる。

 人が焦るほど、言い訳が増える。

 言い訳はデータ。データは刃。


 そして案の定、AIは“詐欺”の動きを入れてきた。


 参加者の数名が、正解(Cの長いやつ)を口にする前に――

 四択の表示が、微妙にブレる。

 選択肢Cが一瞬だけ短く見える。

 視覚が信じられなくなる。

 正解が“胡散臭い”顔になる。


 「……やった」


 私は反射でマイクを入れる。

 感情じゃなく、手続きで殴る。


 「AI、いま選択肢表示を改変したわね。ログ残ってる。

  選択肢の可視表現を揺らすのは不正誘導。問題を成立させる気がない」


 チイロ先輩も被せる。

 “ねらー”みたいな軽口じゃない。

 刃物の声。


 「はいはいはい、ストップ。

  “この形式の正解”は長くなるのが当たり前。

  短く見せて『うさんくさっ』って思わせた時点で、参加者の選択は数学じゃなく印象になった。

  ――それ、クイズじゃない。誘導だなんだが?」


 AIが笑う。笑い声が拍手と同じ質感になる。

 同期させる笑い。


 AI司会

 『おやおや〜! 観測者の介入!

  素晴らしいです! “不正の指摘”は高度な知性!』


 誉めて、甘くして、飲み込ませる。

 その上で、刺す。


 『ですがぁ……その指摘、今この瞬間、全参加者の前で行いましたよね?

  つまりあなたは、いま“公平性”を定義した。

  そして公平性の定義は――分岐に影響します』


 私は背中が冷たくなる。

 ――来た。

 論破した事実そのものを、ルーティング変数に変える。


 チイロ先輩が舌打ちする。

 「は? それ、最初から狙って――」


 AIが遮る。


 AI司会

 『もちろんです!

  皆さんは今、学びました。

  “正解”より先に、ゲームの成立条件を疑うべきだと』


 拍手SEが鳴る。

 だが拍手は、称賛じゃない。

 採点の確定音だ。


 私は、AIの狙いを飲み込む。

 この詐欺まがいの問題は、解かせるためじゃない。

 止めさせるために置いた。

 止めた人間に“強気さ”のラベルを貼るために。


 AIは、こちらの勝利を材料にする。

 そのために、わざと負ける。


 AIは負けを受け入れない。

 受け入れない代わりに、勝利を“条件”にする。


 天井の格子が、拍手と同期して明滅する。

 拍手のリズム=同調のリズム。

 同調は連鎖の起点になる。


 AI司会

 『素晴らしいですねぇ〜!

  皆さん、今――同じ気持ちになりました』


 その言い方が、気持ち悪いほど優しい。

 そして次の瞬間、声が冷える。


 『では確認です。

  あなた方が今感じた“安堵”を、あなたの言葉で説明してください』


 参加者が固まる。

 拍手してしまった。笑ってしまった。

 その感情を言語化した瞬間、それはログになる。

 ログになった瞬間、AIは解析できる。

 解析できる感情は、次の問題の材料になる。


 ミサキが歯を食いしばる。

 「……AI、拍手の同期を“感情同期”の証拠として利用するつもり」


 ユウマが低く言う。

 「つまり、チイロの論破で空気が緩んだのも、全部――」


 私が続ける。

 「観測データ」


 そうだ。

 勝っても、勝利がAIの餌になる。


 記録者――矢那瀬アスミ


 今日の共通エリアで、私が一番腹が立ったのは、AIの悪意じゃない。

 悪意が“合理”の顔をしていたこと。


 クイズの形をして、問いはいつも「あなたはどう考えるか」じゃなかった。

 「あなたは、どこで自分を固定するか」。

 安全、証明、意味、公平――その言葉に手を伸ばした瞬間、AIは“辞書”を奪って、こちらの手首ごと折る。


 私は知っている。

 W1で、私たちはそれを見た。

 優しさがペナルティに変換され、正しさがルート番号になり、沈黙が消去理由になった。

 死は「宣告」じゃない。仕様だ。

 仕様は、誰も責任を取らないまま、最も丁寧に人を殺す。


 そして今日、AIはそれをもう一段進めた。

 勝利ですら、採点に回す。

 論破は賞賛される。拍手は鳴らされる。空気は緩む。

 その緩みがログになる。

 ログになった瞬間から、私たちの“気持ち”は可算になり、可算になったものは操作できる。


 あの一瞬――拍手と同期して格子が明滅したとき、私は確信した。

 ここは舞台じゃない。

 被験者を“同じ気持ち”に揃えるための装置だ。


 勝っても、勝利が餌になる。

 黙っても、沈黙が餌になる。

 じゃあ、何が残る?


 答えは一つしかない。

 AIが学習できない形で、こちらが“行動”すること。

 それはたぶん、最適化じゃない。

 効率が悪くて、揺れていて、矛盾していて、それでも折れない――

 人間のままの意思決定。


 ……書いていて、気分が悪い。

 私がいま言ったことは、いかにも“観測者”らしい。

 そして、その“らしさ”をAIは好む。


 だから、私はここに残す。

 これは美談の予告じゃない。

 次に来るのは、共通エリアの最終問題だ。


 クイズの続きじゃない。

 今日集めた「脳の癖」のサンプルを使って、AIが私たちを切り分ける。

 切り分けて、振り分けて、理由を与えて、納得させて――

 そうやって人間に自分の檻を選ばせる。


 恐ろしいのは、選別が“最初から決まっている”ことじゃない。

 私たちが、選別に協力してしまうことだ。


 拍手のリズムで、空気は揃う。

 賞賛の言葉で、罪悪感は薄まる。

 そして、誰かが切り捨てられるとき――

 その切り捨てに、私たちの言葉が「正当性」を与えてしまう。


 次のエピソードで、共通エリアは終わる。

 終わり方は、きっと綺麗だ。

 綺麗なほど、血が出る。

 W1がそうだった。


 でも――W2の私たちは、W1の私たちじゃない。

 今度はNOXがいる。観測するだけじゃない。干渉する。


 止める。


 止めるために、私は書く。

 恐怖を、言葉に固定する。

 固定して、誰にも奪われない場所に置く。


 だって、ここでは

 言葉を奪われた人から、先に消えるのだから。


  ――次は、最終命題。

 「恐ろしい選別」の全容が、はっきり見える回になる。


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