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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 DUAL LUMEN-双灯祭DAY1-編

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91/95

EP96. DAY1:理解は先に立ち上がる

 ――矢那瀬アスミ


 私は構造書を信じていた。

 少なくとも、信じられる程度には、理性的な文章だと思っていた。

 安全という単語が、倫理という単語が、せめて“責務”として機能していると。


 それが、14時50分。

 改訂版を手に取るまでは。


 ページをめくった瞬間、私の中で「理解」が先に立ち上がった。

 理解が先行するのは、いつもの癖だ。怖さよりも先に、構造が見える。式が走る。変数が揃う。条件が繋がる。


 

 淡々と並べられた、改稿された構造書の押し問答の文言達――しかし、理解できてしまった。

 だから、愕然とした。


 科学は、優しい顔をしているときがいちばん残酷だ。

 そして、この文章は、このタイミングで読むべき文書ではなかった。


 14:50/天城総合学園・Chrono-Lab 控室


 紙の質が違った。

 それが、最初の違和感だった。


 白は白だ。フォントも同じ。段落の癖、箇条書きの呼吸、太字の使い方──

 数時間前に見た“私が監修した版”と一致する。

 なのに、手触りが微妙に硬い。紙の繊維が密で、指が滑らない。

 インクの匂いが、わずかに新しい。乾きが早いタイプの溶剤。


 印刷した場所が違う。

 刷った人間が違う。

 つまり、責任の所在が違う。


 ページ下部に、小さく書かれた文字があった。


 《改訂:Safe Phase 拡張適用済》


 ……は?


 喉が鳴る。乾いた音。

 私の身体が、先に「警戒」のプロトコルへ移る。呼吸が浅くなり、掌の温度が一段落ちる。

 思考だけが熱を持って、真っ直ぐに走った。


 私は立ったまま、一行目を読む。

 読みながら、もう赤ペンのキャップを外している。


 Dual Lumen Sync Light Session

 × EXIT:CODE – Day1 Safe Phase(拡張版:心理連鎖・負荷増幅・没入深化フェーズ)

 ――同期イベント/脱出ゲーム 全体構造説明書(詳細版:感覚融合編)

 

 何これ……



 1. Dual Lumen Sync Light Session(同期側)の全容


 概要

 Dual Lumen Sync Light Session とは、 天城総合学園と影村学園、二つの会場で発生する「独立したイベント」を、

  “光と観測”を媒介として緩やかに同期させる実験的演出・検証フェーズである。

 このセッションは、単なる並行イベントではなく、参加者の心理状態が光を通じて、

 自然発生的に「連鎖同期」する可能性を最大限に引き出す設計となっている。


 さらに、没入感を高めるために、参加者の五感(視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚)を総動員した

 没入型インターフェースを導入し、仮想現実(VR)と拡張現実(AR)のハイブリッド環境で、

 現実と幻覚の境界を曖昧にし、参加者が「同期の渦」に飲み込まれるような体験を提供する。


 このセッションは以下を目的とする。

 ・観測行為が人間の判断・倫理・選択順序に与える影響の測定、およびその連鎖的拡大効果の追跡。

 ・五感同期による没入深度の定量化 •同時刻・異空間における「意思決定パターン」の共鳴有無の確認。

 ・心の「次々同期」現象の発生頻度・強度の定量化。

 ・感覚入力の多層化による心理浸透率の評価。

 ・過去事例と酷似した構造を、再演せずに“上書き可能か”の検証。

 ・心理的連鎖が新たなトラウマ構造を生むかのテスト。

 ・没入過多が参加者の現実回帰性を阻害するかを長期追跡。

 

 新規:没入深化目的

 ・参加者が「同期世界」に没頭し、自己と他者の境界が溶解する状態を誘発し、集団意識の形成可能性を探索。

 Day1 は Safe Phase と定義されており、 いかなる場合も「不可逆的な結果」に至らない設計が義務付けられている。

 ただし、心理的負荷の増幅により、参加者の心に一時的な「連鎖的同期痕跡」が残存する可能性を許容し、回復性を検証する。

 さらに、没入感を高めるための感覚刺激を追加し、ゲーム後の「残響効果」(幻聴・幻視の持続)を意図的に生成。

 カウンセリングプロトコルで制御。


 同期の方法(重要:拡張三層構造 – 没入五感統合)

 Dual Lumen は以下の三層で構成されるが、各層で心理的連鎖を促進するメカニズムが強化されている。

 光の同期は操作せず、観測のみとするが、心の同期は「次々と伝播」するダイナミクスを意図的に誘発。

 さらに、VR/ARデバイスを全参加者に装着し、リアルタイムで感覚フィードバックを注入。


 Layer 1:物理同期(Light) – 基盤連鎖誘発・視覚没入

 ・天城・影村それぞれで点灯する二系統照明(赤/青)の拡張版:各会場に多点配置(天城:15点、影村:12点)。

  さらに、ホログラム投影で光を立体化し、参加者の視界を包み込む。

 ・点灯パターンは事前に完全非同期、かつランダム変動を追加(微小ノイズで揺らぎを増幅)。

  VRレイヤーで光を「脈動する霧」として視覚化。

 ・同期は「操作」ではなく、外部入力(参加者行動)によって自然発生した場合のみ記録。

  発生時は即時全点に波及効果をシミュレート(視覚的連鎖演出)。

  **没入追加:光同期時に低周波振動(触覚)と同期音(聴覚)を発動し、五感連動**


 光は同期させない。 同期したかどうかを“観測する”のみにする。

 しかし、観測者の視線集中により、光の揺らぎが心理的「連鎖起点」となり、次層へ移行。

 VRで「光の渦」が参加者を包み、没入を加速。


 Layer 2:意味同期(Decision) – 判断連鎖分類・認知浸透

 ・EXIT:CODE 側で行われる脱出ゲーム内の選択ログの拡張収集

 ・選択そのものではなく、

 ・理由(詳細記述必須:感情・論理・直感の分類。VRプロンプトで声出し強制)

 ・迷い(持続時間・強度・共有度を数値化。ARで迷いの「影」を視覚化)

 ・修正可能性の有無(複数回履歴追跡。リトライごとに感覚負荷増加)

 ・連鎖影響(他者選択への波及度)

 ・**新規:没入指標(五感反応ログ:視線追跡・発汗量・声の震え)**を数値化・分類。

  AIによるリアルタイムグラフ化で視覚化し、参加者のARディスプレイにフィードバック。


 正解・不正解は存在しない。 評価対象は「選択の構造」と「連鎖伝播パターン」。

  一つの判断がグループ内で次々と同期し、全体の意思決定を歪曲するかを測定。

 没入追加:判断ミス時に幻覚音響(耳元囁き)で迷いを増幅。


 Layer 3:心理同期(Observer) – 心の連鎖爆発・感情没頭

 ・天城側(アスミ/チイロ/ユウマ/ミサキ/4名)が 影村側(ひより/メイ/2名)を対象に拡張観測。

 ・観測項目の詳細拡張:

 ・光の揺らぎ(周波数・振幅・持続時間。VRで「光の怪物」として具現化)

 ・体感ノイズ(脈拍変動・皮膚反応・視界歪曲。触覚デバイスで「皮膚のうねり」を再現)

 ・既視感・不快感・安心感(スケール評価+自由記述。嗅覚デバイスで不快臭を注入)

 ・連鎖兆候(他者同期の自覚・伝播速度・感情増幅)

 ・**新規:没入深度(脳波アルファ波低下率・没頭時間・現実乖離スコア)**

  リアルタイム観測デバイス(ウェアラブルセンサー+VRヘッドセット)で心拍・脳波を記録。

  同期発生時は「心の波及警報」を発令(音響・振動・視覚フラッシュで通知)。


 ここで初めて「人の心」が同期に介入する。

 しかし介入は禁止、記録のみ。

 最大の変更:心の同期が次々と連鎖し、一人が同期すると周囲に即時伝播(ミラー効果)。

 Safe Phase でも、集団パニック寸前の連鎖を誘発可能。

 没入追加:連鎖時に味覚デバイスで「苦味の波」を共有し、感情を身体化。



 Safe Phase の制約(拡張版:負荷許容上限・没入制御)

 Day1 において、同期は以下の制限を受けるが、心理連鎖の強度を2倍に引き上げ、没入要素を3倍化。

 ・光は 100%重ならない(が、擬似重なり視覚効果で錯覚誘発。ARで「融合幻影」を生成)

 ・判断ログは 確定フラグを立てない(複数リトライ無制限。VRでタイムループ演出)

 ・感情誘発は許可されるが、

  自己否定(軽度のみ:回復プロンプト自動挿入。触覚で「暖かな手」をフィードバック)

  自己消失(暗示のみ:即時中断。視覚で「消滅シミュレーション」)

  他者の排除(仮想シミュレーション限定。音響で「排除の叫び」を追加) を誘導する設計は禁止。

  ※ただし、連鎖的不快感増幅は許可。

 ・新規制約:連鎖停止閾値設定(心拍200bpm超で自動中断)。

  没入制約:没頭スコア80%超で感覚入力減衰(強制デバフ)。


 目的は一貫している。

 拡張:「間違えても、戻れる設計かどうか」を測る、かつ心の連鎖がトラウマ級負荷を生むかを検証。

 さらに、五感没入が参加者の「同期依存」を生むかをテスト。



 2. EXIT:CODE – Day1 脱出ゲーム側の全容

 概要(負荷増幅版・没入深化版)

 EXIT:CODE Day1 は、 御影シオン不在・藤党コウ主導で構築された、60名参加型の時限脱出ゲームである。

 Safe Phase ながら、精神負荷を極限まで高め、トラウマ潜在構造を埋め込み、

 VR/AR統合で参加者を「仮想迷宮」に完全に没入させる。


 参加者は以下のように分けられる。

 ・60名 → 12グループ(各5名:グループ規模維持で内輪圧力増。VRで他グループの「影」を垣間見せ)。

 ・迷路空間は共通だが、 •問題提示順(ランダム+個人差異。ARでパーソナライズ)。

 ・制限時間(グループ平均45分、個人差10分変動。カウントダウン音響で緊張増)。

 ・情報の欠落箇所(心理プロファイル連動。欠落を幻視で補完) 。

 ・音響・照明ノイズ(心拍同期) 。

 ・新規:五感迷宮(触覚壁・嗅覚罠・味覚幻覚) が微妙に異なる。

  これは競争ではない。

  **評価対象は「集団の判断傾向」と「精神負荷連鎖」、加えて「没入深度の変動」**である。


 誰も脱落せずとも、心に残る傷跡を測定し、ゲーム後の「没入残渣」(現実との乖離感)を追跡。



 脱出ゲームの基本ルール(トラウマ誘発拡張・感覚没入)

 ・身体的危険:なし(が、フルボディVRスーツで没入感200%:擬似痛覚・重力変動)

 ・恐怖演出:最大限(暗闇・幻聴・擬似痛覚フィードバック。ARで「怪物追跡」追加)

 ・ペナルティ:時間のみ(+精神疲労蓄積:リトライごとに負荷+30%。疲労を視覚歪曲で表現)

 ・ゴール条件:出口に到達すること。

 ・共通エリア:アンオブザーバブル・クエスチョン

 ・複数ルート:「スロットオブソウル」「傾く迷宮」「心霊調査」

 ・失敗条件:なし(時間切れ=途中終了、事後カウンセリング強制。カウンセリング中も重度残響)

 ・身体的危険:なし(だが、フルボディVRスーツで没入感200%:擬似痛覚200%同期:重力変動)

 ・恐怖演出:最大限(暗闇・幻聴・擬似痛覚フィードバック。ARで「怪物追跡」追加)

 ・ペナルティ:時間のみ(+精神疲労蓄積:リトライごとに負荷+30%。疲労を視覚歪曲で表現)

 ・ゴール条件:出口に到達すること

 (複数ルート:心理的分岐。VRで「傾く迷宮」や「心霊調査」で精神が取り込まれる可能性)

 ・失敗条件:なし(時間切れ=途中終了、事後カウンセリング強制。カウンセリング中も軽度残響)


 誰も“脱落”しない。しかし、精神負荷が蓄積し、ゲーム後数日間のトラウマ症状(悪夢・不安発作)を誘発する設計。

 さらに、没入過多で「現実離脱症候群」を一時的に引き起こす。

 問題設計の特徴(負荷特化・没入融合)

 出題は専用AIが担当するが、 問題構造は意図的に以下と酷似し、負荷を倍増、没入を深化。

  •「五人目が欠けている」構造(拡張:全員が「欠落者」錯覚。VRで欠落を「幽霊」として具現)

  •「正解が一つに見えるが、修正可能性で逆転する」設計(リトライごとに幻覚追加。ARで「並行世界」表示)

  •「安全とは何か」を定義させる問い(無限ループ暗示。触覚で「安全のぬくもり」を対比)

  •トラウマコア(過去記憶トリガー:嗅覚で「血の臭い」などを再現)

  •新規:没入クエスト(五感を絡めた謎解き:音を聞き分け、匂いを追跡、味を判別)


 ※ただし、決定的な差異がある(Safe Phase維持)。

 違い① “自己消失”を正解にする問題は存在しない(が、強い渇望を植え付け。VRで「消失の誘惑」ビジュアル)

 違い② 必ず「やり直し」「理由変更」「保留」が許可される(回数無制限が負荷累積。リトライ時に感覚リセット不完全)

 違い③ 選ばなかった理由も評価対象になる(詳細告白強制。音声で「告白のエコー」)

 違い④ 精神負荷モニター連動:閾値超でヒント提供(依存性誘発。ヒントをAR幻影で配信)

 違い⑤(新規) 没入ブースター:同期連鎖時に五感オーバーロード(光・音・触・嗅・味の同時刺激)

 収集されるデータ(拡張収集項目・没入ログ)

 EXIT:CODE Day1 で収集されるのは、以下の情報である(ボリューム2倍、没入データ追加)。

 •初期選択(タイムスタンプ付き)

 •修正回数(上限なし)

 •修正理由(音声・テキスト両方)

 •集団内の意見変動(発言者追跡)

 •「誰が主導したか」ではなく「誰が止めたか」

 •負荷指標(脳波パターン・トラウマ残存予測)

 •連鎖データ(判断が他者に与えた精神的波及)

 •新規:没入ログ(五感反応時系列・没頭ピーク・乖離回復曲線)

 •新規:感覚同期率(グループ内五感共有度・連鎖速度)



 3. 同期と脱出ゲームの接続点(連鎖メカニズム詳細・没入リンク)

 重要なのは、 Dual Lumen と EXIT:CODE は直接リンクしていないという点である。

 •電子的接続:なし •通信:なし •映像共有:なし •量子乱数共有(擬似的非因果連鎖)

 •新規:感覚共有プロキシ(VR/AR経由で間接五感同期:光同期時に他会場のノイズを微弱注入)


 あるのは、

 •同時刻(ミリ秒同期)

 •同じ構造(心理テンプレート共有)

 •似た問い(「戻れるか?」の変奏)

 •新規:没入共有(五感パターンの類似注入)だけ。


 それにもかかわらず、

 •EXIT:CODE 側で「戻れる理由」が多く提示されると → 天城側の光が安定する(連鎖抑制。ARで「安堵の光景」)

 •不可逆判断が増えると → 光が揺らぎ、ノイズが発生(心の連鎖加速。触覚で「震えの波」)

 •トラウマ閾値超で、影村側に波及(次々同期:1人→グループ→全会場)

 •新規:没入ピーク時、五感連鎖爆発(全参加者の感覚が一時融合:他者の痛みを共有)

 同期とは「起こすもの」ではなく、「起きてしまうもの」。

  Day1では、心の連鎖が雪だるま式に拡大し、Safe Phaseの限界を試す。

 さらに、五感没入で「永遠の同期夢」を体験。



 なぜ、この構造に改稿改訂したのか(シオン注釈)

 再演は、世界を壊す。 でも、似た構造で“違う結論”に至れたなら、 それは上書きになる。

 Day1 の目的は、勝者を決めることではない。 •正しさを証明しない •過去を否定しない。

 ただ、「他の選び方があった」という事実を残す。心の連鎖がトラウマを共有しつつ、回復可能かを示す。

 新規:五感没入が人間の限界を押し広げ、集団意識の新境地を開くかを探求。


 そのために、 誰も死なず、誰も消えず、誰も正解にならない設計を選んだ。

 しかし、精神負荷を約10倍に増幅し、参加者の心に「同期の恐怖」を刻み込む。

 さらに、没入を極限化し、参加者が「現実以上の現実」を味わう。

 これが、Safe Phaseの真の挑戦:壊れかけた心を、連鎖の中で繋ぎ止め、没入の渦から脱出させるか。




【変更点①】


 Safe Phase の定義が、静かに変えられている。


 Day1 は Safe Phase と定義されており、いかなる場合も「不可逆的な結果」に至らない設計が義務付けられている。

 ただし、心理的負荷の増幅により、参加者の心に一時的な「連鎖的同期痕跡」が残存する可能性を許容する。


 ……“許容”?


 前の版では、こうだった。

 「痕跡は残存しない」

 厳密に。繰り返し。逃げ道のない文体で。


 それが今は、

 “残存する可能性”を、許容している。


 私は赤ペンで線を引く。

 線は真っ直ぐ引けた。手が震えない。震えないのが怖い。


 「痕跡が残る」

 「許容する」


 これ、安全の定義じゃない。

 安全は「結果の排除」だ。少なくとも私の世界ではそうだった。

 なのに、この文章は、後遺症を**“仕様”に格上げ**している。


 Safe Phase の本質を、摩擦なくすり替える文章。

 「不可逆的結果ではない」と言いながら、

 「可逆だが残る」を許す。


 可逆と無害は別物だ。

 “戻れる”と“無傷”は同義じゃない。

 構造書が、その差をわざと曖昧にしている。


 私はメモを書き込む。


 ――安全 = 事故が起きない、ではない。

 ――安全 = 事故が“記録”として残らない、でもない。

 ――この文書の安全は、**「回復プロトコルがあるからOK」**に寄っている。


 その瞬間、脳内でイヤな既視感が点灯した。

 過去の“救護の言い訳”の匂い。



【変更点②】


 心理同期が「観測」から「連鎖」に変わっている


 Layer3――心理同期(Observer)。


 私はそこを読む前から、背中が冷えた。

 嫌な予感は、統計より精度が高い。特に“人間の設計”において。


 最大の変更:心の同期が次々と連鎖し、一人が同期すると周囲に即時伝播(ミラー効果)。


 ……最大の変更、って書いてある。


 最大。

 その単語は、設計者が“ここが肝だ”と宣言するために使う。

 注意書きじゃない。誇示だ。


 前の構造ではこうだった。

 心理同期は、個別・限定・非伝播。

 観測対象は散っている。重ならない。重ならせない。

 なぜなら、心は接触面積が増えるほど、爆発的に伝染するから。


 それが今は、


 一人 → グループ → 会場全体


 この矢印が、平然と書かれている。

 しかも、その直下。


 Safe Phase でも、集団パニック寸前の連鎖を誘発可能。


 私は、口から息を漏らした。笑いじゃない。呼吸が壊れただけ。


 「……Safeって、何……?」


 Safe の文字が、急に白々しく見えた。

 まるで保険会社の約款だ。破滅しない範囲で破滅させるための。


 私は理解した。

 この改訂は、危険を増やすためのものじゃない。

 危険を測定可能にするためのものだ。


 観測の精度を上げるには、揺らぎを増やす。

 揺らぎを増やすには、連鎖を許す。

 連鎖を許すには、“安全”の意味を拡張する。


 整ってる。

 嫌になるほど、整ってる。



【変更点③】


 没入が「演出」から「評価対象」に変質している


 次のセクションを読んだ瞬間、私は胃の奥が冷たくなった。

 没入指標。インターフェース。VR/AR統合。五感統合。

 どれも私が“演出強化”として許可した範囲に見える。見える、が。


 新規:没入深度(脳波アルファ波低下率・没頭時間・現実乖離スコア)


 評価対象に、現実乖離が入っている。


 つまり、現実から離れた人ほど、価値が高い。

 観測者から見て、外れた人ほど、データが美しい。


 私はペン先を止める。

 脳内で、定義を書き換える音がした。


 ――これは“体験型イベント”じゃない。

 ――精神状態の収穫装置だ。


 しかも悪質なのは、収穫対象が“落ちた人間”だけじゃないこと。

 現実乖離スコアは、集団内で同期すると加速する。

 ここでLayer3の連鎖と接続する。


 ひとりが離れる。

 周囲が引っ張られる。

 “自分の現実”を守ろうとして、逆に他者の乖離を観測してしまう。

 観測は干渉の前準備。

 そして干渉は、共有の開始だ。


 私は、指先で自分の脈を測った。

 数える必要はない。増えているのが分かる。



【変更点④】


 EXIT:CODE 側の「違い」が、あまりにも意図的過ぎる。


 ページをめくる。

 脱出ゲーム側。藤党コウ主導。御影シオン不在。


 不在。

 ──その言葉が、逆に“いる”ことを示しているみたいだった。

 ニュアンスがわからない。

 設計思想の癖が、文章の節々に残っている。


 “自己消失”を正解にする問題は存在しない(が、強い渇望を植え付ける)


 ……ちょっと待って。


 正解にしない。

 でも、望ませる?


 これ、心理実験で最悪のやり方だ。

 禁止しながら、魅力を与える。

 否定しながら、選択肢として成立させる。


 「やるな」と言いながら、「やりたくなる設計」を作る。

 そして“やった”瞬間に、当人だけが罪悪感を背負う。


 私は紙を握りしめた。

 紙が鳴るほど強くは握らない。

 強く握れば、それはもう“感情の証拠”になるから。


 頭の奥で、チイロの天文台の風音が鳴った。

 渋谷の黄昏。ポスターの焦げ跡。

 「五人目が欠けている」構造。


 酷似、じゃない。

 再演に見える程度に、似せている。


 Safe Phase の名を借りた、トラウマの輪郭取り。

 傷の形をなぞって、深さを測るやつだ。



【変更点⑤】


 接続点が「無い」ことが、明確に強調されている


 次のページは、異様なほど淡々としていた。

 箇条書きが並ぶ。否定の列。


 電子的接続:なし

 通信:なし

 映像共有:なし


 ……なのに。


 EXIT:CODE 側で不可逆判断が増えると → 天城側の光が揺らぐ


 は?


 接続してないのに、影響する?

 因果が無いのに、結果が出る?


 私は、ここでようやく“設計の本体”を理解した。


 これは接続してないんじゃない。

 接続の定義を、人間側に移している。


 時間。

 構造。

 問い。


 そして――人間の心。


 電子接続を否定するのは、責任回避じゃない。

 “電子で繋いでないから安全”という素人の安心を、先に奪っている。

 奪った上で、もっと厄介な接続を使う。


 同時刻。

 同型の問い。

 同型の迷い。

 同型の救いの匂い。


 それを、同期と呼ぶ。

 そして同期は、起こすものじゃない。起きてしまうもの。


 その文脈が、文章の裏からにじみ出ている。


 私は喉を押さえた。

 咳は出ない。

 ただ、言葉が出る場所が狭くなった。



 14:50:58


 私だけが気づいた、致命的な一点


 最後のページ。

 シオンの注釈。


 誰も死なず、誰も消えず、誰も正解にならない設計。


 ……嘘。


 「正解にならない」こと自体が、正解になってる。

 正解を剥奪することで、“正しさを求める欲”を飢えさせる。

 飢えは連鎖する。連鎖は同期を生む。


 これは「間違えても戻れるか」を見る実験じゃない。


 「戻れない感覚を、何人で共有できるか」を見る実験だ。


 しかも、Day1はSafe Phase。

 つまり“安全に戻れない感覚”を体験させる。


 安全に、絶望を共有させる。

 安全に、疑似的に壊す。

 安全に、残響を残す。


 私は構造書を閉じた。

 閉じたのに、文章が閉じない。

 頭の中で勝手にページがめくられ続ける。


 知っているのは、御影シオンと藤党コウ。

 そして――今、この瞬間から、私。


 私は息を吸う。

 吸った息が、胸の中で冷えていく。


 そして、気づく。

 これを読んでしまった私は、もう“観測者”だ。

 観測者は、知らないふりができない。


 知らない人たちは、これから体験する。

 私は、体験させてしまう側に立っている。


 その事実が、いちばん重かった。



 14:59/Dual Lumen Sync Light Session ― 起動直前


 控室の空気が、ほんの少しだけ変わった。


 数値には出ない。

 でも、知っている人間だけが気づくズレがある。


 照明制御卓のモニタには、赤系統と青系統の点灯パターンが走っている。

 非同期。乱数ノイズ。微小揺らぎ。

 「同期させない」ために、あらゆる工夫が施されている。


 なのに、揺らぎは生き物みたいに見える。

 理由は簡単だ。

 私の脳が、それを意味に変換してしまうから。


 NOXの端末が一斉にスタンバイへ入る。

 ユウマは黙ってパラメータの最終確認をしている。言葉がないのに、視線だけが忙しい。

 チイロは壁にもたれて腕を組み、いつもの軽薄さを捨てている。冗談が出ないのは、本気の証拠だ。

 ミサキは救護バッグのファスナーをもう一度確認して、私の方を見ない。見れば、“言葉”が出てしまうから。


 サツキは、生徒会長としての顔を貼りつけたまま、時計を一度だけ見た。

 秒針の音に、表情が微かにズレる。


 誰も、何も言わない。


 言えば――

 何かが確定してしまう気がしたから。


 参加者の数はすでに想定値を越えている。

 EXIT:CODE側の匿名ログが、私の端末の片隅で淡く明滅していた。

 「まだ開始前」のはずのグラフが、わずかに動いている。


 そのとき。


 ――震えた。


 私のポケットの中で、スマートフォンが。


 着信表示。


 御影シオン


 心臓が、一拍遅れて跳ねた。

 この遅れが、私の弱さだ。

 私は弱さを嫌う。だから、より厳密に自分を制御したくなる。


 無言で端末を取り出す。

 通話ボタンに触れるまでに0.3秒。

 その間に理解が追いついてしまう。


 この電話は、確認じゃない。

 合図だ。


 「……シオン」


 通話は、すでに繋がっていた。


 返事はすぐに来た。

 雑音のない、異様に澄んだ声。


 『聞こえてますか? アスミ先輩』


 背後で、誰かが息を呑む音。

 たぶんチイロ。たぶんミサキ。

 誰の呼吸が変わったか、私は分かってしまう。分かるのが嫌だ。


 「聞こえてる。……今、何分?」


 『14時59分。残り、1分で開始です』


 わかってる。

 わかってるのに、口に出して確認してしまう自分が悔しい。

 確認は安心の儀式だ。私は儀式を嫌う。なのに、やってしまう。


 『安心してください。今日は全部、Safe Phaseですから』


 その言葉で、何人かがほんのわずかに肩の力を抜いた。


 ――それが最悪だった。


 安心は油膜だ。

 薄いのに、滑る。

 滑った瞬間、人は支えを失う。


 私は、強く言う。


 「シオン。構造書、改訂されてる。ふざけてるの?」


 一瞬の沈黙。


 でもそれは驚きじゃない。

 待っていた沈黙だ。

 相手が、私が読んだことを前提にしている沈黙。


 『はい。読んだんですね』


 背筋が冷える。

 読んでほしかった。読ませたかった。

 その温度。


 「……没入指標、心理連鎖、五感同期。これ、Safeの定義が違う……このタイミングで!!」


 『はい。だから、あなたにだけは渡しました』


 その言い方が、あまりにも穏やかで。


 『知ってる人が一人いるだけで、構造はもう“別物”になるから』


 ……この人は。


 本気で、人間の理解力そのものをパラメータにしている。

 理解した瞬間に、観測者を増やし、

 観測者が増えた瞬間に、連鎖の起点を増やす。


 電話の向こうで、微かな物音。

 紙がめくられる音。


 そして、別の声。


 『シオン!! ねえ、もう始まってる!? ログが、ログが変なの!!』


 リリだ。


 通信越しでも分かる。

 完全に、想定外が起き始めている声。

 理性と恐怖が同時に立ち上がって、どっちも邪魔をしている声。


 『ちょっと待って下さい。今アスミ先輩と通話中です』


 『待てない! 参加者の迷いログが、もう同期し始めて――えっ!?……これ、まだ開始前だよね!?』


 どういうこと?

 シオンは受話口から少しだけ声を外して、優しく言った。


 『大丈夫です。 “起きてしまうもの”が、少し早まっただけですから』


 リリの息が詰まったのを感じた。

 そこに混じる、紙を叩く音。机を叩く音。多分、彼女のペン先が震えてる音。

 『……それ、Safeって言わない!!』


 私も、思わず口を挟む。


 「シオン。今なら止められる。開始トリガーを――」

 『止めないです。アスミ先輩』

 遮られた。


 声を荒げたわけじゃない。

 ただ、遮断された。


 静かで、確信に満ちた声。


 『だって、もう“選択”は始まってますから』


 時計が、壁の向こうで鳴る。


 14:59:50


 NOXの照明が、意図せず、わずかに揺れた。


 誰も触っていない。

 制御卓の入力ログにも、変化はない。

 電源も安定している。

 乱数シードも一致していない。


 なのに揺れた。


 ――誰かが、どこかで、迷った。


 迷いは数値じゃない。

 でも迷いは、光より先に伝播する。


 『ねえ、アスミ先輩』


 シオンの声が、少しだけ柔らかくなる。


 『先輩は、どうか、知ってる側でいてください』


 それは命令じゃない。

 役割の指定だ。


 『知らない人たちは、体験する側でいいです』


 背後で、サツキが一歩前に出る気配。

 生徒会長の姿勢で、決断の位置に立つ気配。


 ミサキの指が救護バッグのストラップを強く握る。

 ユウマはまだ何も言わない。

 言わないことで、世界を支えようとしている。


 14:59:58


 『――それでは』


 一拍。


 『はじめましょう』


 15:00


 『——舞台は整いました。

  先輩……デスゲームへ、ようこそ』


 光が、重ならないまま、揺れた。

 重ならないことが、逆に“重なりの幻影”を生む。

 見えない接続が、見えるみたいに。


 私は、その瞬間、確信した。


 これは実験だ。

 そして実験は、いつも最初に、知っている者から壊していく。


 あとから思えば、

 あの瞬間に私がいちばん恐れていたのは、

 シオンでも、構造でも、同期でもなかった。


 恐れていたのは、

 「理解してしまった自分」が、

 それでもその場に立ち続けていた事実だ。


 構造は、止められた。

 技術的にも、理論的にも、やりようはあった。

 トリガーを潰す。同期閾値を下げる。没入係数を切る。

 “Safe Phase”という言葉を、本来の意味に引き戻す。


 でも――

 それをしなかった。


 いや、正確には、「しない」という選択肢が、構造の中に最初から組み込まれていた。


 知っている者が一人いる。

 それだけで、構造は完成してしまう。


 止めれば、私は“正しい人間”になれたかもしれない。

 でもその瞬間、私は観測者ではなく、破壊者になる。


 続ければ、私は“安全な共犯者”になる。

 誰も死なず、誰も消えず、それでも何かが確実に削れていく現場に立ち会う人間に。


 どちらも、逃げではない。

 どちらも、罪だ。


 御影シオンは、それを知っている。

 だから彼女は、私にだけ構造書を渡した。


 理解できる人間を、あらかじめ一人だけ作る。

 その人間が、止めない限り、すべては「選択の結果」になる。


 ――ずるい。

 でも、完璧だ。


 あの瞬間から、私は“安全”という言葉を信じなくなった。


 安全とは、

 壊れても戻れることじゃない。

 壊れる前に、戻らなくて済むことだ。


 でも、このDay1は違う。

 壊れても戻れるように設計されている。

 だからこそ、人は安心して壊れる。


 そして安心して壊れた心は、

 元に戻っても、

 「壊れ方」を覚えてしまう。


 それが、同期の正体だ。


 誰かの迷いを、

 誰かの恐怖を、

 誰かの「戻れない感じ」を、

 自分のものとして知ってしまうこと。


 私は今日、その入口に立った。


 まだ、踏み込んではいない。

 でも、振り返ることもできない。


 次にこの記録を書くとき、

 私はもう“観測者”ではないかもしれない。


 それでも――

 知っている側でいる。


 御影シオンがそう言ったからじゃない。

 藤党コウの設計思想に賛同したからでもない。


 知らないまま体験させるより、

 知ったまま立ち会う方が、まだ人間的だと思っただけだ。


 それが正しいかどうかは、

 この実験が終わったあとでしか分からない。


 だから今は、

 ただ記録する。


 光が揺れた理由を。

 誰が、どこで、迷ったのかを。

 そして――

 私自身が、どこで止まれなかったのかを。


 ついに15時がやってきた。


 Safe Phase は、静かに、

 そして確実に、動き始めている。


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