表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第四章 DUAL LUMEN-双灯祭DAY1-編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

88/94

EP93. DAY1:歌姫と観測の海、そして血のインク

 記録者:火宮レイカ

 プロローグ:境界線上のハミング

 舞台に立つとき、私はいつも二つ数える。

 一つは、「自律的な息」。

 もう一つは、「強制的な視線」。

 息は私の中のプライバシー。視線は外側から私を削り取り、定義しようとする暴力だ。

 今年の双灯祭そうとうさいは、例年よりずっとタチが悪い。

 観客の視線そのものが、舞台の“現実”をリアルタイムで分岐させるシステム

 ――Chrono-Scope 教育版 [Type-G] が実装されたから。

 「演劇が分岐する」なんて、言葉にすれば魅力的だ。

 しかし、その実態は観客の無意識という巨大な質量に舞台を委ねる博打だ。

 だから私たちは、この物語を二日間に分断した。


 • Day1(前編): 観測の開始。重なり合う二つの影。

 • Day2(後編): 干渉の極致。事象の崩壊、あるいは再構成。

 私の役は、歌姫リナ=シュタイン。

 美しく死ぬのが私の役目。けれど、この舞台に関わる「現実の人間」は、誰一人生き残らせてみせる。

 喉も、心も、照明も、そして彼らの未来も。


 舞台袖のシステム・チェックと静かな熱狂。

 そこは物理的な空間ではない。情報と緊張が交差する、一つの「特異点」だ。

 足元をのたうつ極太の光ファイバー。インカムから漏れる、電子の囁き。

 舞台監督席のモニター群には、異常なデータが並んでいる。

 【照度・音圧・客席心拍コヒーレンス・視線密度ヒートマップ(動的抽出)】。

 観客を個として見ず、群れという「波」として測る。これがこの劇場の、残酷なまでの合理性。

 白衣を纏ったミサキが、私の喉をライトで照らす。彼女の瞳には慈愛ではなく、データへの信頼が宿っている。

 「レイカ、声帯の粘膜が0.02ミリ薄い。のど飴、二粒。三粒目は許可しない。

  それは保護ではなく、脳への欺瞞プラセボに過ぎないから」

 「……相変わらず、お守りの言葉が冷たいわね、ミサキ」

 「恐怖は筋肉を硬直させる。でも、適度な不安は音域を広げる。

  今はそのまま、少しだけ震えてて。その震えが、今夜の『観測値』を安定させるから」

 その時、インカムに技術主任――ミナトの声が割り込む。

 『技術部、各局へ。プリセットA、照度マイナス2%。前列の瞳孔反応が想定より早い。

  観客はすでに“飢えて”いる。……レイカ、聞こえるか』

 「バッチリよ、ミナト。あなたの“神経系”はどう?」

 『最悪だ。NOXの出力が不安定だ。W1の残滓がノイズとして混じっている。

  ……だが、俺がすべて押さえ込む。お前はただ、安心して波の上で演じろ』

 彼は舞台内の役名と同じく、現実でもこの舞台の「オルフェ(導き手)」だ。

 そして、暗がりの奥。

 漆黒の重い衣装に身を包み、光を吸い込む男が立っている。ファントム役、岡崎ユウマ。

 「……レイカ。喉、まだ生きてるか?」

 「うん、死ぬまで歌うのが私の仕事よ。ユウマこそ、その『仮面』は重くない?」

 私は、彼の首元に覗く**【イレイザー(観測消去装置ver)】**の金属光沢を見つめた。

 舞台の嘘を守るために、彼は現実の武装をしている。


 「改良しても……これは重い。でも、これがないと何かが起きた時、対処が間に合わなくなる。

 この講堂からは、W1の匂いがする。ただ……レイカ、俺が君を隠してやる。記録の外側へ」

 彼の目が、一瞬だけファントムの狂気と、ユウマの優しさを同時に宿す。


 その瞬間、生徒会長サツキが、奇跡的に溢れさせていない紅茶を掲げて現れた。

 「皆様! 主演は光! 脇役は影! 私はそのすべてを包む舞台そのものですわ!

  さあ、観客の心拍を――エレガントに、かつ芸術的に跳ね上げてちょうだい!!」


 ――開演のベルが、重低音で鳴り響く。



 本編:舞台『シュレディンガーの仮面』前編

 Scene 1:序曲 ―― 重なり合う観測(Superposition)

 (暗転。心臓の鼓動に似た超低周波が地面を揺らす)

 (センターに浮上する、銀色の仮面。照明が当たるたび、笑い、泣き、そして消える)

 リナ(レイカ):

 「歌は、記録される。でも、記録された私は、もう私じゃない。……ねえ、あなたは私を『誰』として見ているの?」

 (スポットライトが激しくリナを照らす。ドレスは光の反射を計算され、観客の視線を強制的に一点へ収束させる)

 ファントム(ユウマ):

 (舞台の闇から)

 「歌姫。君の声は、美しすぎる『誤差』だ。

  観測されるほどに、君の輪郭は固定され、自由を失う。……俺は、それが耐えられない」


 リナ:

 「固定されても構わない! 誰にも見られない暗闇で一人で歌うくらいなら、

  私は千の視線に貫かれて、ここで結晶になりたい!」


 (ここでChrono-Scopeが作動。観客の集中が「寒色」の照明を誘発する。

  舞台は一気に冷徹な実験室のような空気に包まれる)


 Scene 2:オルフェの計測 ―― 愛という名の干渉

 (技術主任オルフェ(ミナト)が登場。手には舞台の制御端末――を模した小道具、あるいは本機)

 オルフェ(ミナト):

 「リナ、出力を落とせ。君の心拍数はすでに140を超えている。

  これ以上の共鳴は、舞台の『階層』を破壊する。……これは警告ではない、物理法則だ」

 リナ:

 「物理法則なんて、歌で書き換えてみせるわ!」

 オルフェ:

 「……不合理だ。だが、その不合理が観客の心拍パルスを同調させている。……見ていろ。世界が揺れ始める」

 (舞台背景のホログラムが、ノイズのように歪む。

  観客の「好き」という感情が、Chrono-Scopeを通じて舞台の演算負荷を押し上げているのだ)


 Scene 3:断絶、連れ去り、そして「特異点」の形成

 舞台が鳴動している。

 それは単なる演出の音響ではない。

 観客数の視線が集約され、Chrono-Scopeの演算が飽和状態に達したことで生まれる、現実の「軋み」だ。

 つまり、オーバーフロー。


 私の背後に、ファントム(ユウマ)が立つ。

 彼の纏う黒は、もはや布ではない。AR(拡張現実)レイヤーが重なり、

 彼の輪郭から**「黒いノイズの触手」**が這い出し、舞台の床を侵食していく。


 ファントム(ユウマ):

 「君の声が、この箱の解像度を上げすぎた。……リナ、君を愛する者はもう、君の『細胞の震え』まで視認できてしまう。

 それは愛じゃない、残酷な解剖だ」


 リナ(レイカ):

 「解剖されるのが私の運命なら、その刃を歌で研いでみせる!

   隠さないで、ファントム。私は、この視線の濁流の中でしか、自分が『ここにいる』と証明できないの!」

 (舞台中央に、巨大なARホログラムが出現する)


 それは、かつて消失したとされる伝説の歌姫の「残滓」。実在しないはずの**仮想人格「ステラ」**。

 リナの動きと完全同期シンクロしながら背後に浮かび上がる。

 観客には、リナが二人に、あるいは数百人に分裂していくように見える。


 オルフェ(ミナト):

 (制御端末を叩きつけながら)

 「総員、網膜保護プロトコル! 観測値が臨界を突破した!

  リナ、ステラを切り離せ! その擬像は観客の無意識を吸って、実体化マテリアライズしようとしている!」


 リナ:

 「切り離さない! 彼女も私! 観測されなかった『別の可能性の私』なの!」

 (ファントムがリナの喉元に、イレイザーを内蔵した「白銀の爪」を突き立てる)

 物理的な接触はないはずなのに、私の皮膚に電子的火花が散る。

 ファントム:

 「……なら、世界ごと連れていく。記録の外側、事象の地平線の向こう側へ。

  ……リナ、息を止めろ。ここから先は、酸素ではなく『意味』で呼吸する場所だ」

 (リナが最高音――ハイ・ソプラノを放つ。その瞬間、全ての安全装置が物理的に破断する)


【Event: Total Resonance】


 • 音響: Band3が強制解放され、講堂全体の空気が一瞬で真空になったような静寂のあと、

     鼓膜を震わせる「宇宙の産声」が爆発。

 • 視覚: 天井の巨大シャンデリア(ARと実物の混合)が、観客の頭上で**「結晶化して砕け散る」**。

     破片の一片一片が観客の眼前に迫り、消える。

 • 物理: 舞台床が中央から左右に裂け、そこから**「逆流する滝」**のような光の柱が噴き出す。


 私は、ワイヤーに吊られ、その光の柱の中へと引きずり込まれる。

 足元では、ファントムが私のドレスの裾を掴み、共に虚空へと身を投じる。

 ファントム:

 「……見たね。なら、もう戻れない。君も、この観客たちも。

  ……今、この瞬間に『君たちが信じた物語』だけが、唯一の現実になる」

 (暗転。直後、講堂の壁一面に、観客自身の「数秒前の驚愕の表情」が数千ものウィンドウで埋め尽くされ、

  それらすべてがガラスのように粉砕される音と共に消滅する)


 カーテンコール:深淵からの帰還


 明転。

 だが、そこは「元の世界」ではないような錯覚に陥る。

 観客席は、総立ち(スタンディングオベーション)だった。

 しかし、その拍手は祝祭のそれではない。

 事故現場で、生き残った者同士が互いの体温を確認し合うような、必死で、重苦しい、生存のビート。

 私は、震える足で舞台袖に滑り込んだ。

 ドレスはボロボロになり、ARの残滓が火花となって私の肩でまだ爆ぜている。

 「……ハァ、ハァ、……ミサキ、生きてる?」


 ミサキが、見たこともない形相で私に飛びつき、首筋にバイタルスキャンを叩きつける。

 「心拍185! 血中酸素濃度低下! レイカ、今の『超高域ハイノート』、どこから出したの!?

   喉の毛細血管が半分死んでるわよ!」

 「……わかんない。でも、歌わなきゃ、あの光に飲み込まれると思ったから……」


 そこへ、ユウマが戻ってくる。

 彼のファントムの仮面は、右半分が熱で溶け、イレイザーの基盤が剥き出しになっていた。

 「レイカ……無事か。……最後の瞬間、ARのステラが俺の手を握ったんだ。

  あれは、プログラムじゃない。観客の『確信』が、一瞬だけ幽霊を実体化させたんだ」


 「ユウマ、あなたの台詞……『君も、この観客たちも』って。あれ、客席を共犯者にしたね」


 「ああ。……あいつらはもう、ただの観客じゃない。俺たちの『崩壊』を観測してしまった、共犯の目撃者だ」

 

 モニターの前で、ミナトが震える手でヘッドセットを外した。

 彼のコンソールには、**【System Stability: 0.02%】**という絶望的な数字が点滅している。

 「……Day1で、この舞台の『寿命』を使い切った。……レイカ、ユウマ、ミサキ。聞こえるか。

  明日(Day2)は、もはや演劇にはならない。……これは、現実との戦争だ」


 「……上等よ、ミナト」

 私は、血の味がする唾を飲み込み、不敵に笑ってみせた。




 カーテンコールが終わり、観客が退出を始めるその僅かな間。

 私は舞台の端で、割れるような拍手の残響を全身に浴びていた。

 その時だった。

 数千人の観客という「群れ」の中に、一点だけ。

 「観測」ではなく「捕食」の質を持った視線が、私の喉元に突き刺さった。


 客席中央、最前列から少し下がった「特等席」に、その男は座っていた。

 周囲の学生や保護者が興奮で顔を紅潮させ、涙を流している中で、彼だけが深海のような静寂を纏っている。

 仕立ての良いスリーピースのスーツ。

 40代半ばだろうか。整えられた指先を口元に添え、彼はただ、私を「見て」いた。

 羨望? 違う。

 賞賛? それも違う。

 彼の視線が私の肌を撫でるたび、私は自分が歌姫リナ=シュタインであることも、

 火宮レイカという人間であることも忘れ、ただの一塊の**「良質な肉」**に成り下がったような錯覚に陥った。


 まるで、熟成を待つワインのラベルを眺めるような、あるいは解体される前の獲物の骨格を愛でるような――。

 エレガントで、知的で、そして決定的に「人間を等価に見ていない」冷徹な眼。

 彼と目が合った瞬間、背筋に氷を流し込まれたような戦慄が走った。

 Chrono-Scopeの心拍モニターが、劇中よりも鋭い警告音を私の耳元で鳴らす。


 【Warning: Abnormal Heart Rate Spike】


 「……レイカ? どうしたの、顔色が真っ白よ」

  袖に下がった私に、ミサキが駆け寄る。

 「……あそこに、誰かいる」

 私が指差そうとしたときには、その席はすでに空席だった。

 ただ、その空間だけが真空になったかのように、温度が数度下がって見えた。



 楽屋に戻る導線でも、その視線の感触が消えない。

 まるで、目に見えない糸で首筋を繋がれているような錯覚。

 彼がその気になればいつでも私の喉を「摘み取れる」と告げられているような。

 「ユウマ、さっきの客席……変な人、見なかった?」

 仮面を外し、イレイザーの熱を冷ましていたユウマが顔を上げる。

 「変な人? ……いや、俺はNOXのノイズを抑えるのに必死で。

  ただ、確かに一瞬だけ、舞台全体の『揺らぎ』が完全に止まった時間があった。

  観測者が一人で、数千人の意識を塗りつぶしたみたいな、圧倒的な固定力ホールド

  ……そいつが、そうなのか?」

 「わからない。でも、あんなに『絶望的』な視線は初めて」

 歌うことは、さらけ出すことだ。

 見られることで、私は光になれると思っていた。

 けれど、あの男の視線は違った。

 彼は私を愛でているのではない。

 私の歌が、私の喉が、私の絶望が、**「いかに美味であるか」**を品定めしていた。

 鏡のように滑らかな瞳の奥に、血の匂いのする食卓が見えた気がした。


 舞台床は砕け、空中へ連れ去られ、私は生き延びた。

 でも、本当の恐怖は演出の外側にあった。

 あの紳士風の男。

 彼がもし、明日もあの席に座っていたら。

 私は、歌姫として最後まで美しく立っていられるだろうか。

 彼に見つめられることは、スローモーションで食い殺されることに等しい。

 それでも、私は明日もあの場所で歌わなければならない。

 喉が、震えている。

 武者震いじゃない。

 これは、「捕食者」の前に引きずり出された生贄の、本能的な拒絶反応だ。

 「……ミナト。明日のChrono-Scopeの感度、最大まで上げて」

 私は、システムの影に隠れるようにして呟いた。

 「どうした、レイカ。安全マージンが消えるぞ」

 「いいの。……そうしないと、私の心が先に『喰われて』消えそうだから」

 Day2、後編。

 ファントムとの愛の逃避行の裏で、私はあの「静かな怪物」と対峙することになる。


 舞台の熱気がまだ肌にへばりついている。

 私は、鏡の前で舞台衣装のファスナーを下ろした。

 ボロボロになったリナ=シュタインのドレスが、脱ぎ捨てられた抜け殻のように床に横たわる。

 制服に袖を通し、現実の自分を繋ぎ止めようとしたその時、控えめな、けれど確実なノックが響いた。

 「レイカさん、お疲れ様です。……あの、これ」

 入ってきたのは、後輩の演劇部員だった。

 彼女の手には、学園祭の雑踏には似つかわしくない、厚手の和紙のような上質な封筒があった。

 「さっき、出口で紳士的な男性に預かって。

  レイカさんのパフォーマンスに、どうしても言葉を残したいとおっしゃっていました」

 受け取った瞬間、指先に**「冷気」**が走った。

 封筒には差出人の名はなく、ただ銀色の蝋封が施されている。

 その紋章は、どこか肉を裂く鉤爪のようにも見えた。


 震える手で封を切り、中の便箋を開く。

 そこに並んでいたのは、驚くほど流麗で、鋭利な筆致の万年筆の文字だった。


 「親愛なる火宮レイカ、あるいは芳醇なるリナ=シュタインへ。

  今夜、私はこの古びた講堂で、稀に見る『収穫』に立ち会えたことを光栄に思う。

  君の声帯が奏でる振動は、単なる音響ではない。

  それは、恐怖と高揚が完璧な比率でブレンドされた、最高級のコンソメのようだ。

  特に、Scene 3の絶叫。

  君が自らの存在を削り、観測の深淵へ身を投げたあの瞬間。

  君の精神から滴り落ちる『絶望』の香りは、私の舌を心地よく痺れさせた。

  恐怖に歪む声帯、収縮する平滑筋、そして逃げ場のない瞳。

  君はまだ自覚していないようだが、君という存在は、完成された一皿の芸術品だ。

  明日、君がさらに『崩壊』し、その魂から最も甘美な苦みが抽出される瞬間を、心待ちにしている。

  その喉を大切に。私は、君のすべてを味わう準備ができている。

  

  ――事象地平の食卓にて」


 錯覚:解体される私

 読み終えた瞬間、楽屋の視界がぐにゃりと歪んだ。

 文字が、生きた虫のように這い出し、私の腕を登ってくる。

 手紙の行間から、**「ナイフとフォークのカチャカチャという音」**が聞こえてくる。

 (ああ、食べられる――私)

 制服の下の肌が、まるで透明なメスでなぞられているような、冷たく鋭い感覚。

 鏡の中の自分を見ると、私の首筋に、見えないフォークが突き立てられているような幻影が見えた。

 彼は感想を述べているのではない。

 彼は、私の「絶望の味」を予習しているのだ。

 私は便箋を突き返し、ゴミ箱に捨てようとした。けれど、指が動かない。

 この手紙そのものが、彼の視線の延長線――逃れられない**「呪いの観測」**そのものだった。

 「レイカ? ……それ、ファンレター?」

 鏡越しにミサキが覗き込む。

「……ううん。……ただの、お品書きよ」

 私は乾いた声で答え、手紙をカバンに押し込んだ。

 心臓が、獲物を前にした小動物のように、狂ったような拍動を刻み続けていた。


 寮の仮眠ベッドに入っても、シーツの感触が、あの男の指先のように感じられて眠れない。

 

 舞台は、演じる側が観客を圧倒するものだと思っていた。


 でも、あの男は違う。


 彼は観客席という「安全な檻」の外側にいて、私のすべてを、内臓の奥の震えまでを、テイスティングしている。


 『君の精神から滴り落ちる絶望の香り』

 『その喉を大切に』

 思い出すだけで、喉が絞められるように熱い。


 Day1で、私は「記録の外側」へ逃げようとした。

 でも彼は、その「外側」で口を開けて待っている怪物だ。


 明日、Day2。

 舞台は崩壊し、観測は極限に達する。

 システムは持たないかもしれない。

 ユウマの仮面も、私の声も、砕け散るかもしれない。 


 けれど。


 もし私が「食べられる側」なのだとしたら、その喉に、毒を仕込んででも彼を道連れにしてやる。


 美しく死ぬのは舞台の仕事。

 でも、食い殺されるのは、私の趣味じゃない。

 私は、喉を潤すための冷めた水を飲み込んだ。

 水の味が、妙に鉄臭く感じた。


 ――明日の開演で

 怪物に、最高のメインディッシュを届けてあげるわ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ