EP92. DAY1:静かな駒と五月蝿いカードは二日目を見ている
記録者 立花ミナト
将棋は、基本的に静かな競技だ。
盤と駒と、二人分の呼吸。そこに余計な音はいらない。
――本来は。
双灯祭の講堂には、拍手とシャッター音と、配信の通知音と、COE帰りの砂糖と紅茶の匂いが混ざっている。
実況席のマイクが、盤面にまで余計な熱を落としてくる。
それでもなお。
盤の上だけは嘘をつかない。
今日は予選。
一局きり、通過点。
だが、盤上干渉戦は「普通の将棋」じゃない。
将棋の顔をしたボードゲームで、
ボードゲームの皮を被った心理戦で、
そして――**サポートHUDを第二の盤として読む“演算”**だ。
俺はこの一日目の盤面を、二日目に繋がる“前提条件”として打つ。
勝つためじゃない。
決勝で、あの男と指すために。
10:00 天城会場/盤上干渉戦・予選(Day1)
天城講堂の一角に、特設ステージ。
盤上干渉戦・天城会場。
観客席は満席に近い。
前列は将棋部とガチ勢。棋譜取りの手が早い。
後列は「雰囲気で来た層」。推しの顔を見に来てる。
さらに端の方に COE の黒メイドがちらほら混ざっていて、情報量がバグっている。
――盤面は、静かであるべきだ。
だが今日は、盤面そのものが“舞台”だ。
盤の前に座る。指先を膝の上で一度だけ握る。
対局の緊張じゃない。観客という乱数を吸って、吐く。
隣には、野々村ハザマ。
今日は、盤面の裏側を読む人間だ。
「ミナトさん、緊張してます?」
小声。感情のない問い。まるで気圧計。
「いや。静かすぎて助かる」
「それは良かった。騒音処理は私の担当です」
頼もしいのか、不安なのか分からない。
ただ、ハザマがいると盤が“研究室”になる。
⸻
盤上干渉戦:サポートシステム(当日掲示+配信UI要約)
この競技が“盤上干渉戦”と呼ばれる理由は単純だ。
盤外からの介入が、合法で、しかも「演出として可視化」されている。
ステージ横の大型モニターには、将棋盤とは別に――
《SUPPORT HUD》 が常時表示されている。
・チーム名/残り時間/残り干渉カード
・サポートの“負荷ゲージ”(連続介入で上昇。上がるほど効果が尖るが、反動も大きい)
・カード発動ログ(発動のたびに照明とSE、効果名が太字で出る)
観客にとって、ここが“第二の盤面”だ。
将棋が一枚目のゲームなら、HUDは二枚目のゲーム。
そしてタッグ戦は、二層では済まない。
盤上の読み/盤外の読み/観客の読み――三層で回る。
盤外が強いと、盤上の正しさが“歪む”。
盤外が弱いと、盤上の読みが“孤独死”する。
だから俺たちのタッグは成立する。
俺が“盤上”、ハザマが“盤外”。
――分業が美しいほど、怖い。
⸻
干渉カード(各チーム:7枚/1回戦で最大4枚まで使用可)
※「カード」と呼ぶが、実体は運営アプリ上の発動権限。
発動すると、ステージ照明が一瞬だけ色を変え、HUDに効果が表示される。
つまり、介入は宣戦布告だ。
Ⅰ:TIMEOUT(5秒凍結)
・持ち時間が5秒だけ止まる
・サポートが“一言”だけ介入できる
・ただし一言は命令形に限る(迷いを切るため)
Ⅱ:NOISE(30秒会話禁止)
・相手チームの相談を30秒禁止
・口を動かしたらペナルティ(残り時間−10秒)
Ⅲ:MIRROR(盤外効果を50%反射)
・相手のNOISE等の“盤外効果”を半分だけ自陣にも返す
・完全防御ではない。両者が苦しくなるタイプ
Ⅳ:SPOTLIGHT(観客ノイズ誘導)
・ステージカメラが相手側をクローズアップ
・コメント欄が荒れやすくなる(=集中を削る)
・盤面に触れないが、現実の熱量を武器化する
Ⅴ:RESOLVE(負荷ゲージを1段階上げる)
・サポートが“覚悟を決める”カード
・次に発動するカード効果が増幅される(+5秒 / +10秒等)
・反動として、以後の介入ミスはダメージが大きい
――そして、“盤の物理をねじる”系。
Ⅵ:RANGE LOCK(射程封鎖)
・相手の指定駒1枚の最大移動距離を2マスに固定(次の相手手番終了まで)
・飛車角香馬龍に致命傷。短駒には薄い
・発動は自分手番開始時のみ(先読みが必要)
Ⅶ:PIECE SHREDDER(駒葬)
・このターンに取った駒1枚を持ち駒にせず“破壊”(盤外へ消滅)
・破壊対象は軽駒(歩・香・桂・銀)のみ
・1試合1回、さらに負荷ゲージ+2(反動が重い)
将棋の強さだけでは勝てない。
盤の外の設計が、勝敗を歪ませる。
――だからこそ。
盤上の読みは、より正確である必要がある。
歪みが来る前提で“読みを組む”。
それが盤上干渉戦だ。
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Aブロック第一局
立花ミナト & 野々村ハザマ
vs
一般公募チームA(アマ強豪タッグ)
相手は年上のアマ強豪。個の棋力は高い。県上位クラスだろう。
ただしタッグ戦は不慣れ。
強い人間が二人いても、噛み合わなければ弱い。
“相談”はリソースで、同時に弱点になる。
ハザマは今回、盤外に特化している。
将棋というより、戦闘ログ管理者だ。
「じゃ、いきます」
駒を並べ終え、礼。
盤面が“閉じる”。外界の音が薄くなる。
――閉じるのは盤面だけだ。
盤外はむしろ開いている。観客と回線とHUDが、常に介入の余地を残す。
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序盤:普通の顔をした“演算”
初手、俺は ▲7六歩。
オーソドックス。だが今日は“普通”を使う。
相手 △3四歩。
こちら ▲2六歩 に △8四歩。
居飛車。想定通り。
ここで分岐は多い。矢倉、角換わり、相掛かり、横歩、雁木。
だが盤上干渉戦の序盤は、定跡選択以上に――
**「どの駒を“物理干渉で殺されても成立する形”にするか」**が重要になる。
たとえば、飛車先を突きすぎるとRANGE LOCKが刺さる。
角を盤面の骨として使いすぎると、射程2マス固定で構造が崩れる。
“長い利き”に依存した設計は、盤外で折られる。
だから角換わりに寄せる。
理由は単純だ。
角換わりは型が多い。
型が多いということは、型の外に逃げる余地が多いということだ。
定跡の暗記勝負に見せて、実際は“定跡からの微差”で相手タッグの合意形成を遅らせる。
――タッグ戦で一番遅いのは、判断の統一だ。
▲2五歩。
相手 △3三角。早い角上がり。
相手は「形で勝てる」と思っている。
その瞬間に崩れるのは、将棋の盤面じゃない。
タッグの合意形成だ。
ハザマが、ほとんど口を動かさずノートに一行だけ書いた。
〈相手サポート:終盤読み寄り。中盤で合意形成が遅い〉
……観測が速い。
視線の動き、合図の癖、相談の“間”。
盤外の情報を棋力に変換している。
HUDの左下で、相手チームのカード枠が一つだけ、微かに点滅した。
カードに触れた――つまり、迷いが出た。
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中盤:薄い玉は、誘い水――そして“カード誘導”
角換わり模様。
タッグ戦で“美しすぎる囲い”は危険だ。
囲いが完成した瞬間、相手は「攻める理由」を失い、
盤外が介入して“正解手”を拾いやすくなる。
正解手が拾われると、カードを切る意味が薄くなる。
――そしてカードを温存した相手は、終盤で強い。
だから俺はあえて、金銀の連結を一段遅らせ、玉形を薄く見せる。
薄い玉は“呼び水”だ。
攻めを呼ぶ。早い攻めを呼ぶ。
早い攻めは、相談を増やす。
相談はNOISEで折れる。
盤上干渉戦は、盤上の一手で盤外の一手を誘導するゲームだ。
相手 △8五歩。
続けて △8六歩。
筋はある。
だがタッグ戦でやる手じゃない。
攻めが走り出すと、盤外の“修正”が効かなくなる。
そのぶん、カードに頼りたくなる。
俺は、受けない。
▲7七角。
角を引く。守りに見えるが意味が違う。
これは“逃げ道”じゃない。
相手の攻めの正当性を薄くする手だ。
将棋は、攻めが鋭いほど
受けの一手が「嘘」に変わる。
だから俺は“受けの嘘”を作る。
相手の攻めを、成立させない。
⸻
実況:トウタが“盤外ゲーム”を燃やす
実況席が沸く。
トウタの声が、今日は盤面じゃなくHUDへ落ちてくる。
「みんな〜!盤だけ見てると置いてかれるぞ!
盤上干渉戦は“将棋+カードゲーム+コメント欄”の三種混合〜!」
HUDが拡大される。
観客の視線が盤から“サポート欄”へ移るのが分かる。
「現状カード残数――
ミナト&ハザマ:7枚フル!
相手チームA:7枚フル!
でもね、ここからが違う!」
「負荷ゲージ見ろ!相手ちょい上がってる!
これな、**“相談が多い=ゲージ上がる”**って意味じゃなくて、
**“相談が多い=カードを触る回数が増える=心が揺れてる”**って意味だからな!」
コメント欄が加速する。
> 1:今日はHUDが本体
> 2:将棋見ろ(将棋見ろ)
> 3:RANGE LOCKいつ出る?
> 4:駒葬(Piece Shredder)って何だよ怖すぎ
> 5:ハザマ無言でこわい
> 6:SPOTLIGHTで相手晒すの陰湿で草
> 7:RESOLVE=覚悟カードw
> 8:トウタがカードショップ店員になってる
> 9:将棋の話どこ?
> 10:将棋はミナトが勝手に強い(草)
トウタが笑う。
「将棋の話?するよ?でも今日は“切り方”が主役だろ!
カードは“撃った瞬間にログが残る”から、“撃ちたい”は=“弱み公開”なんよ!
つまり、盤外は“公開自傷”と“公開宣戦”の二択!」
うるさい。
でも悪くない。
騒音は相手の相談を削る。
観客の熱は、相手に刺さる。
⸻
干渉カード:切る瞬間が、勝敗を決める
相手タッグが小声で相談を始める。
攻めが走った瞬間、迷いが出た。
そのとき、相手サポートが指を二回叩いた。
カードを切る合図。だが切るのが遅い。遅いほど、迷いが公開される。
ハザマは手を上げない。ただ“視線”だけで俺に合図した。
これが、俺たちのタッグ言語だ。
俺は頷かない。
代わりに呼吸を一段深くする。
――「今だ」を受け取った。
ハザマが運営に淡々と告げる。
「NOISE、使用します」
――瞬間、会場が轟音に包まれる。
ステージの大型モニターが爆発的に輝き、赤黒い渦巻く闇のエフェクトが渦を巻く。
HUDに巨大な文字が炸裂した。
《NOISE INTERFERENCE:ACTIVATE!!》
《OPPONENT COMMS:LOCK DOWN!!!》
演出が派手だ……。何故、将棋と混ぜたのか……。
会場を轟く爆風音。
相手チームの周囲に鎖状のノイズバリアが炸裂し、口元に鉄の枷がガチャリと降りる演出。
言葉を封じ込め、指先が虚空を掻き毟る演出。
照明が血のように赤く脈動し、観客席から悲鳴混じりの歓声が爆発……。
将棋で一番危険なのは、“正解を探している時間”だ。
それが奪われると、人は癖の手を指す。
相手は癖の手を指した。
――攻めが継続できるように見えて、根が細くなる一手。
俺はそこを切る。
だが相手も黙っていない。
HUDの相手カード枠が、光の奔流となって爆発した。
相手サポートが叫ぶ!
「MIRROR、発動!! 反射の鏡よ、敵の干渉を跳ね返せ!!」
おいおい、なりきってるなコイツ……。
銀色の鏡面がステージ中央に召喚される。
NOISEの残響が鏡に跳ね返り、こちら側にも半分の闇鎖が襲いかかる。
ガシャンと鏡が割れる音が響き渡り、HUDに稲妻のような反射エフェクトが走る。
《MIRROR:REFLECT 50%!!!》
《NOISE BACKLASH:PARTIAL!!!》
――ただし、俺たちは元から喋らない。
トウタが笑う。
「MIRRORきたぁ!でもこれ、静かなチームに撃つと薄い!
ハザマ喋ってない!ミナトも喋ってない!
喋ってるの俺だけ!!実況者だけが死ぬ!!」
> 11:喋ってるのトウタだけ草
> 12:MIRROR不発w
> 13:静かなチームには刺さらん
> 14:NOISEの切り方えぐい
> 15:RANGE LOCK温存こわ
> 16:駒葬いつ出るんだよ(震)
相手は焦る。
焦った相手が――切る。
相手サポートが絶叫した。
「SPOTLIGHT、照らし出せ!! 闇のスポットライトよ、敵の心を暴け!!」
完全にTCGのノリだ。
――ズドンと天井から無数のサーチライトが降り注ぎ、相手チームを白熱の檻に閉じ込める。
カメラがズームインし、顔面を灼熱の光で炙り出す。コメント欄が炎上するように爆発。
《SPOTLIGHT:ON FULL BLAST!!!》
《ENEMY EXPOSED:MENTAL BREAK!!!》
> 17:手汗やば
> 18:目泳いでる
> 19:相談したい顔してて草
> 20:SPOTLIGHT精神攻撃カードすぎ
相手の集中は削れる。
同時に、相手のカードが減る。
予選は一局。――ここで削れたカードは、二日目に持ち越せない。
相手は焦りを公開した。
それだけで十分だ。
⸻
盤の物理:RANGE LOCKの“撃たせ方”
相手のHUDが、もう一度だけ揺れた。
迷っている。――ここで相手が撃ちたいのは分かっている。
RANGE LOCK。
飛車角香馬龍の長い利きを殺すカード。
なら、撃たせるなら“今”じゃない。
撃たせるなら、撃っても意味が薄い局面に誘導する。
俺は盤上で、角の利きの価値を一段落とす。
長い利きがなくても成立する形へ、静かに移行する。
相手サポートの焦りが限界を超える。
相手がカードを切る
「RANGE LOCK、封鎖せよ!! 鎖の呪縛よ、角を短足の獣に変えろ!!」
コイツ……本当に五月蝿いな。
――地響きのような重低音が会場を震わせ、青黒い鎖の幻影が無数に飛び出し、盤上の▲角に絡みつく。
角駒がガチガチと震え、利きの射程が視覚的に2マスに縮小。
鎖が締め上げ、金属の軋む音が爆音で響く。
《RANGE LOCK:CHAIN ACTIVATED!!!》
《TARGET:▲角 MAX RANGE 2 SQUARES!!!》
照明が冷たい青に染まり、観客が「うわ」と声を漏らす。
トウタが叫ぶ。
「デデデデデで出たァ!RANGE LOCK!!!
角が短足になるやつ!角が“角”じゃなくなるやつ!
――でも見ろ!ミナトの角、今“骨”じゃない!飾りじゃないけど骨でもない!」
> 21:角が短足ワロタww
> 22:これで詰み筋消える?
> 23:いやミナトの形、角依存してない
> 24:撃たせた?撃たせたの?
> 25:ハザマ、盤外で誘導してそうで草じゃない
角の利きが縮む。だが、盤面は崩れない。相手はカードを一枚失い、呼吸を一つ失う。
盤上干渉戦で一番痛いのは、盤が崩れることじゃない。“選択肢が減る”ことだ。
相手の選択肢が減った。――あとは、終盤までの距離が短くなる。
⸻
終盤:駒葬の“怖さ”を、使わずに見せる
相手の攻めは一瞬だけ光って、すぐ息切れする。
タッグ戦は呼吸が合わないと崩れる。
こちらは、俺が指し、ハザマが“迷いを切る”。
詰み筋は派手じゃない。だが逃げ道がない。
そして、相手が最後に縋るのは“持ち駒の粘り”だ。
歩。桂。銀。
軽駒が一枚あるだけで、人は延命を夢見る。
――だからこそ、PIECE SHREDDERは“撃つだけで圧”になる。
俺たちは撃たない。
撃たずに、相手に「軽駒が効かないかもしれない」という恐怖だけを残す。
最後の局面。
盤上の気配が、薄い氷みたいに張り詰める。
俺は一度だけ盤面全体を見る。
玉の逃走経路、合駒の候補、受けの最善。
――どれも閉じている。
▲5二銀。
銀が滑る。
会場のざわめきが、一段下がる。
詰みだ。
相手が黙って頭を下げる。
盤面が、静かに終わる。
トウタが叫ぶ。
「終わったぁぁ!
“静かに置いた銀が一番こわい”案件!
でも今日のMVPは盤外!
NOISEの切り方が教科書!
MIRRORが刺さらない相手に撃って薄!
SPOTLIGHTがほぼ自爆!
RANGE LOCKは撃たされた感ある!
――そして!PIECE SHREDDERを“撃たずに持ってる”圧!これ!これが怖い!!」
> 26:盤外MVP=ハザマ
> 27:RANGE LOCK撃たせたのエグ
> 28:駒葬温存が一番怖い
> 29:将棋なのにカード読み合いが主戦場
> 30:二日目これもっとエグくなるだろ
俺は盤から目を離さず、礼をする。
勝った。
だがここは通過点だ。
⸻
影村会場・モニター
勝利報告の直後、控室のモニターに別会場の映像が映った。
影村学園。
そこに、初めて見る男がいた。
影村の制服。
その上に陣羽織。
狐のように細い目。
色白で、細身。
あいつが――葉暮ソウタか。
盤の前で、まったく動かない。
いや、違う。
動く前に、もう決めている。
彼の将棋は、こちらと同じ匂いがした。
“勝つために、途中を使う”。
ただ、俺より冷たい。
勝ちのためじゃなく、**“終わらせるため”**の読みをしている。
ハザマが、珍しく言葉を発する。
「……あれは、終盤で景色が変わるタイプですね」
「だな」
俺は画面越しにソウタを見る。
彼は、こちらを見ていない。
だが――同じ二日目を見ている。
決勝の局面。
決勝の音。
決勝でしか聞こえない、駒の鳴り方。
俺は静かに確信する。
この一日目は、“二日目のための前処理”だ。
⸻
控室の空気は、対局の余熱を残していた。
盤面の記憶が、まだ指先に張り付いている。
俺は壁にもたれ、深く息を吐く。
隣でハザマがノートを閉じる音がする。
彼はいつも通り、キリッと視線を俺に向けた。
「ミナトさん。余談ですが、ひとつ」
ハザマの声は、静かだ。まるで盤外の干渉のように、控えめだが確実に介入してくる。
俺は目を上げ、頷く。余談、という言葉が珍しい。
「この干渉カードの演出と効果についてです。今日のNOISEやRANGE LOCK、あの派手なエフェクト……
あれ、双灯祭の協賛会社から一部提供されているらしいんですよ。
TCG、トレーディングカードゲームの技術を借用しているとか」
俺は一瞬、盤面の記憶を振り返る。
ステージの照明が爆発的に輝き、鎖の幻影が盤を震わせるあの演出。
確かに、ただの将棋の拡張とは思えない派手さだ。
将棋の静かな世界に、まるで別のゲームの魂が吹き込まれているようだった。
しかし、これは褒め言葉ではない。
将棋との相性は、トウタの実況と相まって、明らかに最悪レベルだと思う。
「協賛会社?双灯祭のスポンサーか。
TCGの演出を……なるほど。あの爆音や視覚効果、確かにTCGみたいだった。
カードが“召喚”されるような」
ハザマが小さく頷く。
彼の目は、いつものように盤外の情報を解析しているようだ。
ノートに書かれた一行が、俺の脳裏に浮かぶ。
〈相手サポート:終盤読み寄り〉
ハザマは常に、表層の下を読み取る。
「ええ。双灯祭の運営が、協賛企業からTCGのエフェクトエンジンや効果デザインを一部借り受けている、と。
具体的には、カード発動時のSE、照明の同期、HUDのビジュアルインパクト。
あれらは、ただの将棋の補助ツールじゃなくて、観客を引き込むための“ショー”要素として設計されているんです。
TCGのノウハウが、盤上干渉戦の“第二の盤面”をあのようにしたわけです」
俺は腕を組む。確かに、今日の対局で感じた。カードが切られる瞬間、会場が沸く。
あの熱は、将棋の純粋な読み合いだけじゃ生み出せない。TCGの影響か……。
双灯祭は学園祭だが、裏側にそんな企業絡みの仕掛けがあるとは。
「なんでそんな情報を? ハザマ、お前はどうやって知った?
これも天城が聞いていない話か?」
ハザマはわずかに目を細める。彼の表情は変わらないが、声のトーンに微かな陰りを感じる。
「控室のモニターで影村会場の映像を見たとき、ふと気になって調べてみました。
運営の掲示板や配信の裏ログに、断片的な言及が。
協賛リストは公開されているのですが、肝心の詳細はぼかされているんです。
何故かTCGの提供元は、特に。
影村側が伏せているみたいで、会社名は不明。
……ただ、推測ですが、影村学園の理事会が絡んでいる可能性が高いですね」
影村側が伏せている……。
双灯祭は天城と影村の合同イベントだが、影村学園は依然謎めいている。
「伏せてる理由は?ただの協賛なら、公開してもいいはずだろ。TCGの会社が、そんなに機密なのか?」
ハザマがノートを軽く叩く。彼の癖だ。考えを整理するときに出る動作。
「考察ですが……いくつか考えられます。一つは、TCGの知的財産権の問題。
演出や効果を借用するなら、ライセンス契約が厳しいはず。
公開すると、競合他社に情報が漏れるリスクがある。
もう一つは、双灯祭自体の目的。
盤上干渉戦は、将棋の進化形として売り出しています。
裏でTCGの要素を混ぜることで、若者向けのエンタメに半強引にシフトしてるんです。
純粋将棋ファンから反発を避けるために、伏せてるのかと」
俺は頷く。確かに、今日の観客層を見てもわかる。
前列のガチ勢と、後列の雰囲気組。COEのメイドやオタク達まで混ざってる。
あの多様な熱は、TCGの派手さが引き寄せてるのかもしれない。
「それとも……もっと深い理由。影村学園からは、何か企んでるイメージが払拭出来ない。
干渉カードの裏側に、何か仕掛けがあるんじゃないか?
例えば、TCGの効果を拡張して、盤面をさらに歪めるためのテストベッドとか」
ハザマが珍しく、唇をわずかに曲げる。笑みか、それとも警戒か。
「可能性はありますね。影村側が伏せてるなら、単なる協賛じゃなくて、提携以上の関係。
TCG会社が、盤上干渉戦を通じて新技術を試してる……例えば、AR拡張や、将来的なeスポーツ化。
会社名が不明なのは、影村の理事が株主だから、など。
ミナトさん、二日目の決勝でソウタと当たれば、この干渉カードの“本質”を読み取れるかもしれません。
演出はただの飾りじゃなくて、心理戦の武器。TCGの影響が、盤外の読みをさらに複雑にする」
盤面が、再び頭に浮かぶ。NOISEの赤い渦、RANGE LOCKの青い鎖。
あれらが、ただの借り物じゃなくて、何かの伏線なら……。
決勝は、将棋の勝負じゃなく、盤外のゲームになるかもしれない。
「明日は、俺も盤外に目を向ける。NOXとしても」
ハザマはノートを開き直す。彼の視線は、すでに次の“干渉”を探しているようだ。
「……わかりました。引き続き盤上はミナトさんにお任せします。私は、裏側を」
控室の空気が、少し重くなった。双灯祭の影が、静かに伸びてくる。
控室の扉が閉まる音が、静かに響いた。ハザマの足音が遠ざかる。
俺は一人、壁に凭れたまま動かない。
彼の余談が、頭の中で反芻される。
――TCGの演出。協賛会社の技術。影村側が伏せている……。
盤面の記憶が、鮮やかによみがえる。
NOISEの赤い渦巻く闇。RANGE LOCKの青黒い鎖。
あの派手なエフェクトは、ただのショーじゃない。あれは、心理兵器だ。
将棋の読み合いだけじゃない。
盤上干渉戦は、精神負荷のゲームと仮定した。
気になったものは仕方がない。
計算を始める。
カード業界のデータ、TCGのメンタルヘルス研究、認知負荷理論……。
頭の中でシミュレーションを回す。
各カードのプレイヤーへの精神負荷指数を、数値化するためだ。
まず、基準を決める。
通常の将棋対局――プロ級の持ち時間制――をベースライン100%とする。
これは、認知負荷理論(Cognitive Load Theory)に基づく。
将棋は本質的に高負荷:ワーキングメモリを限界まで使い、枝分かれする手順をチャンク化(パターン認識)で処理。
専門家はこれを効率化するが、平均で脳の70-80%を占有。
しかし、干渉カードは、これを意図的に歪めている可能性……。
一つ目:NOISE(30秒会話禁止)タッグ戦の弱点直撃。相談が合意形成の要。
心理学的に、決定不安(Decision Anxiety)が爆発。
TCGのカウンター研究(MTGのCounterspell効果分析)では、計画中断でフラストレーション値+65%。
将棋特化で換算:認知負荷**+55%(再計算タイムラグ)、感情負荷+70%**(Yerkes-Dodson法則の覚醒過剰)。
合計:ベースの1.6倍。癖の手を誘発し、ミス率30%アップ。
二つ目:MIRROR(50%反射)不確実性の罠。完全防御じゃない両刃の剣。
TCGの「Soft Counter」効果:相手の干渉が跳ね返る心理的不信感。
認知的不協和(Cognitive Dissonance)が蓄積。
負荷:+40%(予測不能でワーキングメモリ分散)。静かなタッグには薄いが、相談依存チームはパニック。
三つ目:SPOTLIGHT(観客ノイズ誘導)これがエグい。
Spotlight Effect(スポットライト効果)の極致。
eスポーツ心理学で証明:カメラ大写しで、自己意識過剰。脳の前頭前野が「監視下」のモードにシフト。
公開実行不安(Performance Anxiety)が**+80%**。コメント欄の炎上は、ソーシャル・プルーフ(社会的証明)の逆用。 将棋特有の静寂を破壊。集中力散逸率50%以上。TCGの「公開ドロー」並みの精神的拷問。
四つ目:RANGE LOCK(射程封鎖) 盤上の物理干渉。飛車角香馬龍の利きマスを2マス減少。
シンプルな戦略崩壊の恐怖。
チェス/将棋の脳科学(fMRI研究):駒制限で再チャンク化必要、検索深さ2倍。
損失回避バイアス(Loss Aversion)が発動:+85%(「形が壊れた」絶望)。
TCGの「除去効果」メルトダウン事例(TCG特有の罠カード)。
プレイヤーのコルチゾール(ストレスホルモン)急上昇、決定ミス率40%。
五つ目:PIECE SHREDDER(駒葬)脅威の頂点。温存だけで圧。
撃たずとも、軽駒破壊の可能性が「持ち駒依存」を殺す。
前向き損失恐怖(Prospective Loss):+90%。終盤の延命夢を粉砕。
TCG研究(カウンター/除去の精神的コスト)これ一発でwinrate10%低下、感情崩壊率高。
そして、RESOLVE(負荷ゲージ上昇)。
これがヤバい。連続介入で効果増幅、反動大。
累積負荷の指数関数モデル:初回+20%、2回目x1.5、3回目x2.2……。
HUDのゲージは、脳内ストレス蓄積の可視化。TCGの「リソース管理」心理を将棋に移植。
俺は頭の中で表を引く。
単発使用:平均**+60%負荷(ベース250%)。
複数連鎖(今日の相手如く):+150%超**(総負荷400%以上)。
通常将棋の4倍。プロの耐性限界(Yerkes-Dodsonの最適覚醒帯:中程度ストレス)を超え、崩壊ゾーン突入。
eスポーツのメンタルヘルスデータ:これでtilt(精神崩壊)率70%。
棋士の脳は耐性高いが、限界は同じ。
――ぞっとする。恐怖が、背筋を這い上がる。これ、ただのゲームじゃない。
TCG業界のノウハウ――カウンターの「計画否定フラストレーション」、
除去の「無力感注入」――を、静寂や将棋の精密読みにぶち込んだ精神拷問装置。
影村側が伏せる理由?
これを公開したら、参加者激減。倫理問題で炎上。
いや、恐らくもっと深い。何故だ?
EXIT:CODE以外にも影村側は何かを仕込んでいるのか?
双灯祭は、学園祭の仮面をかぶった心理実験場にいつからなった?
協賛会社のTCG技術は、eスポーツのメルトダウンデータを基に最適化済み。
つまり俺たち参加者は、モルモットってわけか……。
予選は通過した。
結果だけ見れば順当で、問題はない。
だが盤上干渉戦は、勝敗の数字よりも、盤外の設計が残る。
ハザマの介入は正確すぎた。
相手が迷う瞬間に、迷う権利を奪った。
合法で、冷静で、そして――少し残酷だ。
俺はそれを、良いとも悪いとも決めない。
二日目に勝つなら、必要な機能だ。
そして、影村のモニターに映った男。
葉暮ソウタ。
あの目は、
「勝つ」じゃなく、
「終わらせる」目をしていた。
ハザマが言った。
「二日目、噛み合いますね」
ああ。たぶん、噛み合う。
噛み合って――削れる。
盤上干渉戦はまだ一日目。
でも俺の将棋はもう、決勝の局面を向いている。
静かな駒は、いつも先の時間を見ている。
――次は、二日目だ。
……と言いたいところだが。
俺は盤を片付ける手を止めず、控室の時計を見る。
11:30。
次は、講堂の反対側で、舞台だ。
『シュレディンガーの仮面』前編。
レイカの喉は“今日の天候”みたいに繊細で、
照明は“世界線”みたいに気分屋で、
俺はそこに、役者と技術主任の両方で立たされる。
つい口が滑る。
「……アスミと違って、俺はワンオペ慣れしてないんだけどな」
言った瞬間、背中に視線が刺さった気がした。
たぶん幻じゃない。
すると、トウタの声が、廊下まで追ってくる。
「ミナト〜!次、舞台!? 頑張れよー!!
今日、COEからの“盤→舞台”の鬼喉潰しコンボルート入ってんの草!
喉過労デバフ、誰かカードで解除して〜!」
解除カードなんて、ない。あるなら俺が使う。
あるのは、次の持ち場と、次の呼吸だけだ。
俺は講堂の熱を背に、足を速める。
盤の静けさは、もう置いていく。
――次は、仮面だ。




