EP88. DUAL LUMEN
記録者:矢那瀬アスミ
——祭りは、スイッチじゃなくて“漸化式”で始まる。
双灯祭 Day1 の朝、07:00。
天城と影村、それぞれの校舎のどこかで、
誰かが歯を磨いて、誰かがポスターを貼り直して、誰かが最後の確認をしている。
一つひとつは、ただの“日常動作”に見える。
でも、それらがある閾値を越えた瞬間、
キャンパス全体の状態変数が「平日」から「祭り Day1」にジャンプする。
——今日は、その閾値をまたぐ、一日目の朝だ。
しかも今年の双灯祭は、二日構成だ。
•盤上干渉戦トーナメント
Day1:予選/Day2:本戦
•演劇『シュレディンガーの仮面』
Day1:前編/Day2:後編
•COE(Cafe of Entropy)
二日間通し運営(午前+昼の集中枠)
•紅華のバルーン
二日間、空のレイヤーを共有する“第三の灯り”
•EXIT:CODE
Day1:Safe Phase/Day2:Core Phase
•閾値同期セッション(Dual Lumen Sync)
Day1:Light Session/Day2:本番
どれも“ただのイベント”と呼ぶには、あまりに因果が詰まりすぎている。
とくに、二回分の15:00——
•Day1 15:00:EXIT:CODE Safe × Sync Light
•Day2 15:00:EXIT:CODE Core × Sync 本番
そこには、W1 の残響と、御影シオンの「止めてみてください」が、
二重に書き込まれている。
だからこそ、始まりの朝くらいは、ちゃんと観測しておこうと思った。
このログには、私の視点だけじゃなくて、
二階堂サツキ、生徒会、NOX、影村側の観測者、地下の設計者に繋がる人たち……
それぞれの「Day1 07:00」が、少しずつ混線するように並べてある。
——二つの灯りが、本格的に点き始める前。
そのすぐ手前で、誰がどんな顔をしていたのか。
知っておいてほしい。
私たち自身のためにも。
そして、もしまたどこかの世界で“再演”を企む誰かがいたときに、
「これは一度、“二日かけてちゃんとやり直された”んだ」と突きつけられるように。
……では、ログを開きましょう。
Day1 07:00 の世界線へようこそ。
天城総合学園 生徒会室 07:00 岡崎ユウマ視点
——「破天荒モード、二日間有効」
生徒会室のドアノブは、朝でもやっぱり金色に無邪気だ。
磨きすぎて、廊下の蛍光灯を過剰に反射しているその金色は、
“ここから先、日常じゃありませんよ”という注意標識みたいなものだと、
最近ようやく理解し始めた。
まだ始業チャイムすら鳴っていない時間帯。
廊下の照明は節電モードで半分だけ点灯、
早朝の冷気を混ぜた空調が、慎ましやかに風を送っている。
——なのに、この扉の前だけ、空気の温度が一度だけ高い。
双灯祭 Day1、07:00。
W2側での公式な“観測”を始めるには、悪くない時刻だ。
「……行くぞ。ログ的な意味でも」
俺は小さく呟き、
メモ帳の端っこに「Day1/07:00/天城生徒会室」と書き込んでから、ドアノブを回した。
金色の円が回転する。
世界線が一段、カチリと切り替わる感触。
その瞬間、中から、太陽みたいな声が飛んできた。
「おはようございますわあああああああああ!!
天城総合学園生徒会、“本日の暴走担当”二階堂サツキですの!!
なお、この暴走は二日間連続でお送りいたしますの!!」
——音圧。
鼓膜にかかる圧力と、
朝一の脳波に対する過負荷が、同時に襲ってくる。
生徒会室の中は、すでにカオス相に突入していた。
大きな楕円のテーブルの上には、
人類の文明を代表する紅茶セットと、
双灯祭二日分の最終資料の山と、
そして既に二つほど犠牲になっているティーカップの残骸。
床にはタオルが敷かれ、
「さっきまでここに液体が存在していました」という痕跡が生々しく残っている。
その中心で、サツキ会長が両手をぶんぶん振っていた。
王冠カチューシャは、いつもより三度くらい傾いている。
それはまるで“物理法則のほうが折れました”と主張していた。
寝起きからこのテンションを維持できる生き物、
地球上のエネルギー保存則的にかなり貴重だと思う。
「会長、まだ開会セレモニーまで1時間30分ありますからね。
それに、今日は Day1 です。Day2 も残っていることをお忘れなく」
淡々と注意する声が、いつもの位置から聞こえる。
野々村ハザマ。
天城生徒会の制御系。
カオス場におけるダンピング係数。
彼は既にホログラムを立ち上げ、
二日分のタイムテーブルと各セクションのステータスをチェックしていた。
透明なパネル上には、色分けされたバーと数字が並ぶ。
【COE:準備率 Day1=82%/Day2=76%】
【演劇:準備率 91%/俳優の睡眠時間:平均3.2h】
【盤上干渉戦:準備率 Day1=74%(予選)/Day2=68%(本戦)】
【EXIT:CODE:準備率 Day1=99%/Day2=……評価保留】
最後の欄だけ、わざと曖昧にしてあるのが、逆に不安を煽る。
「いいんですのいいんですの! こういうものは“気圧配置”が大事ですわ!」
サツキは紅茶ポットを片手に、
もう片方の手で空中に謎の等圧線を描き始めた。
「Day1 から高気圧で押していけば、
Day2 に来る低気圧なんて吹き飛びますのよ!!
“気分等圧線”をこちら側にぐぐーっと引き寄せて――」
「気圧の概念を便利に使わないでください」
俺は思わず口を挟みながら、
メモ帳の端にさらさらと書き足す。
——「二階堂サツキ:本日の役割=人力高気圧(48時間持続予定)」
人類史上初の、局地的気圧操作型生徒会長。
※ただし被害担当は主にティーカップ。
ハザマが、俺のメモにチラと視線を落とし、
やれやれと肩をすくめた。
「……まあ、破天荒ムードで突き抜けるのは、
二日間トータルで見れば正解かもしれませんね」
「お? 珍しく肯定された?」と俺。
「“通常運転では処理しきれない二日間”であることは、
昨夜のログで既に確認済みですから」
昨夜のログ——
〈観測ログ_W2_099〉と〈W2_100〉。
“楽しいほうの議題”と、“EXIT:CODEと二回分の15:00”の二本立て会議。
あの時点で、双灯祭が“普通の二日間”で終わる可能性は、ほぼゼロになった。
だから、破天荒でバランスを取る。
そういう発想は、理論としては理解できる。
怖いのは、それを本当に実行できる会長がいることだ。
「ハザマ!」
サツキはポットをテーブルに置き(※ギリギリこぼしていない)、
ホワイトボードの前に猛ダッシュする。
「では〜〜〜っ!!
天城総合学園 生徒会、本日07:00時点の“暴走宣言”を行います!
対象期間:Day1〜Day2 終了時刻まで!!」
「その名称と対象期間にする必要あります?」
ハザマのツッコミを、会長は完全スルーする。
両手にマーカーを握りしめ、
彼女はホワイトボードに勢いよく書き殴る。
【本日の目標:
双灯祭二日間を“楽しく”最後までやり切る!】
「……いや、目標ざっくり!!」
もっとこう、「事故ゼロ」とか「救護室満床回避」とか、
具体的なやつがあってもいいんじゃないか。
「いいんですの! 物事の根幹はシンプルなほうが強いですわ!」
サツキはマーカーをくるくる回しながら、
さらに書き足そうとする。
「ええと、あと——
【できれば勝つ!】【できれば映える!】【できればバズる!】——」
「会長、その三行は削除します」
ハザマが瞬間移動レベルの速度でホワイトボードに近づき、
きれいな筆記体で横線を引いた。
「“できれば”で運営される目標は、
二日間のリスク評価において即時棄却です」
「まあっ!? 夢も希望もないですわねハザマ!」
「夢と希望は“予算外項目”です。
あるに越したことはありませんが、前提にはできません」
——この二人、やっぱり相性いいな。
「細かいところはハザマとNOXのみなさんに任せますの!!」
会長は悪びれもなく言い切る。
「丸投げを堂々と宣言しないでください」とハザマ。
でも、彼女のこういうところが、
たぶん天城全体の“気圧”を保っているのだろうと思う。
細かいリスクを全部見えている俺たちのほうが、
ときどき呼吸を忘れそうになる分だけ。
——誰か一人くらい、
「最後までやり切る!」と本気で叫んでくれる人間が必要だ。
合理性からすればバグ。
でも、物語としては必要なバグ。
サツキは、マーカーを置いてこちらを振り返る。
「ユウマくん、ハザマ!」
「はい」
「はい」
「今年の双灯祭は、Day1 と Day2、二つの灯りを持っていますわ」
サツキの声色が、ほんの少しだけ落ち着く。
「Day1 の 15:00 も、Day2 の 15:00 も。
“楽しいほう”と“怖いほう”が同じ時間に並びますの。
でも、どちらも“最後までやり切る”って意味では同じですわ。
途中で投げ出してしまったら、
楽しいほうも怖いほうも、ただのトラウマになってしまいますもの」
ホワイトボードの「やり切る!」の部分を、彼女はマーカーで二重線にした。
「だから——」
彼女は両手を腰にあて、宣言した。
「二日間まとめて破天荒に行きますわよ!
常識のほうから折れていただきますの!!」
“常識”という単語を、
よくここまで楽しそうに殴れる人間がいるものだ。
ああ、うん。
こういう宣言を正面から言える人間が、
トップに立っているのは、悪くないことだと思う。
少なくとも、“常識的に考えて”とか言い出す大人が
この場にいないという意味では、最高の環境だ。
ハザマが、小さく息を吐いてから、ホログラムに指を走らせた。
「では、“破天荒モード(48h)”を前提に、双灯祭運用を開始します」
ホログラムの右上に、小さなフラグが立つ。
【OP_MODE:Standard → “HATENKOU_2DAYS”】
「モード名そこに残すのかよ」
「運用ログとして必要ですから」
いやだな、そのログ、後世の歴史家に読まれるの。
「——まずは NOX の皆さんとの合流ですね」
ハザマは、タイムテーブルの Day1/07:15 の欄をタップする。
〈N.O.X. メンバー合流/中庭側通路〉
そこに、
“本日の観測者兼干渉者集団(Day1/Day2 共通)”と小さく追記されていた。
「ユウマくん」
サツキが、一歩近づいてくる。
いつもの“紅茶こぼしましたわ〜!”モードとは違う、会長としての顔。
「N.O.X.の円陣は、中庭の渡り廊下でやるのでしょう?」
「まあ、そのつもりですけど」
「でしたら、ひとつだけお願いがありますわ」
「なんです?」
「“無事に二日間の双灯祭を終わらせる”って、ちゃんと言ってくださいませ。
それを、ここ——生徒会室からの“初期条件”としてお渡ししますの」
その言い方が、妙に科学っぽくて、
妙に物語っぽかった。
——初期条件。しかも 48 時間効くやつ。
そうか、これは、二日分の境界条件を決める会議でもあるのか。
「……了解。ログに記録して、ちゃんと口に出します」
「ええ。お願いしましたわ、タナトス」
ニコッと笑って、彼女はようやく三杯目の紅茶を注ぎ始める。
——その瞬間、ポットがぐらりと揺れた。
「きゃあっ」
「会長」
紅茶の軌道が、重力に従ってカップの縁を外れ——
ギリギリのところで、ハザマの手元のホログラムにぶつかった。
液体が、光のパネルの表面で“しゅん”と散る。
実際には触れていないのに、視覚的なノイズだけが派手に走る。
「見ました!? 今の!! ギリギリセーフでしたわ!!」
「アウト寸前セーフ、と言いますそれは」
俺は、メモ帳に新しい行を足した。
〈Day1/07:03:二階堂サツキ、紅茶による情報系破壊を未遂〉
——世界はまだ、ギリギリ日常の顔をしている。
でも、その日常の端っこは、
金色のドアノブと王冠カチューシャによって、
もうだいぶ削られ始めていた。
Day1/07:05。
Dual Lumen、起動準備完了。
“破天荒モード(2days有効)”という名の初期条件を抱えたまま、
俺たちは中庭側の渡り廊下へ向かうことにした。
⸻
NOX 円陣 07:15 矢那瀬アスミ視点
——「無事に“二日間の双灯祭”を終わらせる宣言」
中庭に面した、まだ人の少ない渡り廊下。
ガラス越しに見える中庭には、出店用テントの骨組みと、
昨日のうちに運び込まれた機材用コンテナ。
養生テープの線が、妙に几帳面な迷路みたいに床を区切っている。
双灯祭 Day1、開幕一時間前。
空は、よく言えば快晴、悪く言えば“フラグの立ちやすそうな青”。
その一角に、見慣れたメンバーが、
なんとなく、でもちゃんと“円”になるように立っていた。
——N.O.X. 集合。
「全員、いる?」
私がそう言うと、それぞれが軽く手を挙げる。
「岡崎、いる」
岡崎ユウマ。ポケットに片手を突っ込んだまま。
いつもの“やる気なさそう”な声だが、呼吸は半拍だけ速い。
こっちは観測者なので、そういうのはバレている。
「ミサキ、いるよ」
霧島ミサキ。白衣+制服+ポニーテール。
完全に“二日間ぶっ通し待機も視野に入れている救急医”の顔。
「立花、いる」
立花ミナト。
制服のネクタイを緩めても、ぴしっと正しく結ばれてみえるのが彼らしい。
目は、もうどこか Day1 の盤面と Day2 の決勝盤面を同時に見ている。
「トウタ、いるっす〜!スレ準備万端な」
亞村トウタ。
表情だけ見ると、まだ完全には覚醒していないテンション。
でも、手だけは一番高く挙げるあたり、出席率だけは優秀。
「レイカ、いるわよ」
火宮レイカ。
涼しい顔で髪をかき上げる。
ステージ仕様のメイクはまだだが、目の光量だけは Day1 の前編と Day2 の後編分、二日分ある。
「チイロ、脳内ノイズ120%で Day1 も Day2 もいる〜」
雲越チイロ。
おそらく徹夜に近いはずなのに、テンションだけはフルチャージ。
二日分の COE 用小道具が詰め込まれた紙袋を抱え、
“今日から二日間カオスにする準備できました”という顔をしている。
ぐるりと視線を回し、最後に自分で手を挙げる。
「矢那瀬アスミ、いる」
——これで、今年の双灯祭に介入する NOXメンバーが全員揃った。
さっきユウマが生徒会室で聞いた、サツキ会長の「初期条件」。
“無事に二日間の双灯祭を終わらせる”。
その宣言を、今度はこっち側——干渉者側の言葉に変換する番だ。
「……円陣、部活以来だな」
ミナトが口を開く。
「いいじゃない。こういうのは“儀式”として大事」
ミサキが腕を組む。
白衣の内ポケットには、医薬品と、非常用のチョコレートと、Day2 分のカフェインタブレットが入っている。
どれも、今日みたいな二日構成には必要だ。
「んじゃ、誰がコールする?」とトウタ。
髪の寝癖のようなパーマは、もはや“キャラデザイン”の一部と化している。
視線が、自然と一方向へ集まる。
——ユウマ。
「……俺?」
予測通りのリアクション。
「当たり前でしょ?」とミサキ。
「二日分の責任者はお前だ」とミナト。
「タナトスだから」とチイロ。
「リーダーなんだから」と私。
「救世主様だから」とレイカ。
「最後の理由だけ浮いてない?」
「浮いてないわよ?」とレイカが悪戯っぽく笑う。
ほんとこの人、肝心なときは躊躇なく褒めてくるから、
ある意味一番タチが悪い。
——でも、こういう時に前に出る顔としては、
たしかにユウマはちょうどいい。
死神コードネーム持ちで、
世界の“記録”を握っていて、
それでもまだ、ちゃんと人間の顔をしているから。
私は一歩、ユウマのほうに出る。
「ユウマ」
「ん」
「『……無事に双灯祭を終わらせてルこと』、**“二日間分まとめて”**宣言して」
わざと、あの時の言い方をなぞる。
W1 の、あの教室での宣言。
デスゲームの“凍結宣言”に使った、あの文言。
円陣の空気が、一瞬だけ硬くなる。
W1 を直接知らないメンバーも、
それが“何かを止めようとした言葉”だということだけは感じ取っている。
でも、誰も口には出さない。
ユウマは、わざとらしく肩をすくめてから、
円の中央に片足を踏み出し、手を差し出した。
「——じゃ、行くか」
その掌は、
何度も血とデータにまみれたはずなのに、
今はちゃんと温度がある。
みんなが、その上に順に手を重ねていく。
ミナトの指は、盤面を読むときと同じくらい静かで、
レイカの指先は、ステージ用にきちんと整えられていて、
トウタの手だけ、やたらと落書き(マジックペン)が多くて、
チイロ先輩は、なぜか自分の手の甲にも「NOX」と書いてきていて、
ミサキの手は、体温より少しだけ冷たくて落ち着く。
最後に、私がその上にそっと重ねる。
——この“圧力”を、忘れないように。
ユウマは一度だけ深呼吸をして、言葉を選んだ。
「N.O.X.、Dual Lumen 作戦行動——」
いつもの“茶化し”を、そこで一度だけ捨てる。
声の芯が、少しだけ低くなる。
「“無事に二日間の双灯祭を終わらせること”を、ここに宣言する」
空気が、きゅっとしまる。
「誰も死なせない。
Day1 でも、Day2 でも」
W1 の残響が、一斉に押し寄せてきて、
それを“宣言”という形で押し返している。
「W1 を再演させない。
Day1 でも Day2 でも、あの十五時を“別のもの”にする」
再演でも、模倣でもなく。
今回は“二日かけて再構成する”。
そういう意味を、ここに上書きする。
「——尚且つ、二日間とも全力で楽しむ。以上」
最後の一文だけ、ユウマらしい。
悲壮感だけで固めない。
ちゃんと“楽しむ”を条件に入れてくる。
死なない学園祭なんて、
本来は条件として書かなくていいはずのものだ。
でも、私たちはそれを書かざるを得ない世界のほうにいる。
一瞬、風が止まる。
渡り廊下のガラスに映る空が、
まるで一枚のスクリーンみたいに、
静止画になった錯覚。
次の瞬間、チイロが叫んだ。
「んじゃ、掛け声いくよ!
——二日分まとめて!」
いつもの悪戯をする前の声ではなく、
ちゃんと、旗を振る側の声で。
「三」
指が三本、ユウマの掌の上にぐっと力を込める。
「二」
ミサキが、無言で呼吸を合わせる。
ドクターのカウントダウンみたいに、正確なリズムで。
「一」
一拍だけ、世界が溜めを作る。
「“観測開始ッ!! Day1 & Day2!!”」
「観測開始!!」
手が一斉に上がる。
掌と掌の摩擦音が、朝の空気に短く、でも鋭く響いた。
その瞬間だけ、
天城総合学園という巨大なシステムの中で、
“N.O.X. という一個のノード”に、エネルギーが集中するのが分かる。
遠くで、準備中のクラスメイトたちがこちらを一瞬だけ振り向き、
「何あれなんかやってる」と笑っている。
それでいい。
双灯祭は、表向きにはただの“学園祭”だ。
彼らには、そういう“変なサークルが朝からテンション高い”くらいに見えていればいい。
でも、この円陣の中だけは、
もう少しだけ違う意味を共有しておきたかった。
——今日と明日、二つの 15:00 の先に何が待っているとしても。
胃嚢と真空が同期しようと、
EXIT:CODE がどこまで“本気”を出そうと、
御影シオンがどんな顔で“止めてみてください”と言おうと。
この朝の時点で、少なくとも一つだけ、世界の条件を決めておく。
**「無事に終わらせる」**という条件を。
しかも、「二日間分」。
初期条件は、解の形を制限する。
——それは、世界構造理論の基本中の基本。
だったら私たちは、
二日間ぶんの世界の“解”を、ここからねじ曲げてやればいい。
「よし、それじゃ——行動開始」
ユウマが手を解き、
それぞれが自分の持ち場に向かって歩き出す。
ミナトは盤上干渉戦の予選準備へ。
レイカは講堂へ(前編の通し確認)。
トウタとチイロは COE の最終チェックへ。
ミサキは保健室と監視ルームの往復ルートを頭に叩き込んでいる。
私は、一度だけ空を見上げてから、スマホの画面に指を走らせた。
〈観測ログ_W2_101〉
Day1/07:15/N.O.X. 円陣
初期条件設定:【無事に二日間終わらせる】
——このログが、どこかで効いてくると信じたかった。
たとえ Day1 の 15:00 が、
誰かにとって“試運転の死の時間”として設計されていたとしても。
たとえ Day2 の 15:00 が、
“本番の死の時間”として締め切られていたとしても。
私たちの側からは、
**“止めるための時間”**として上書きしてやる。
「……さあ、宇宙。
今日は、そして明日も、今回は、こっちの条件で動いてもらうから」
誰にも聞こえないくらいの声で呟いて、
私は渡り廊下を、中庭とは逆方向へ歩き出した。
⸻
影村学園 生徒会室 07:20
——「静かな盤面に置かれた二つの十五時」 綾白ひより視点
影村学園の生徒会室には、**音の“残り香”**がない。
天城の生徒会室みたいに、誰かの笑い声や紅茶の匂いが層になって積もっている感じはなくて、
ここは、徹底的に「いま鳴っている音」だけが許されている空間だ。
蛍光灯は半分だけ点いていて、
窓から入ってくる光は、曇り空で一度減衰したあと、
安っぽいブラインドでもう一段階ソフトフィルタをかけられている。
モノクロ写真みたいな部屋の真ん中で、
ひとつだけ“色”を持った存在が座っていた。
御影シオン——影村学園・生徒会長。
スーツ風のジャケットをきっちり着込んで、
前に置いたタブレットを、静かにスクロールしている。
画面に映っているのは、Dual Lumen 二日分の影村側タイムテーブル。
そして、その Day1 15:00 と Day2 15:00 の行だけに、薄く赤いマーカーが引いてある。
彼女はその二本の行を、人差し指で軽くなぞした。
「——十五時と、十五時」
数字を二回呼ぶみたいな声だった。
壁時計の秒針の音と、
コーヒーカップの中で揺れるわずかな液面の音。
その二つの間に、かろうじて隙間があって、
そこに今の数字が置かれた、そんな感じ。
私は、生徒会室のドアの外で、その気配を想像していた。
**“会長室の音響特性”**は、映研の調査対象でもある。
部室で何度か録音させてもらったけれど、
この部屋だけ、いつもノイズフロアが異様に低い。
——つまり、余計な音が入り込む余地がない。
だから、入る前に一度だけ深呼吸をする。
(心拍数、八十四。いつもより、ちょっとだけ高め)
意識すると余計に上がるから、本当は数えないほうがいい。
でも私はそういう数字を放っておくのが苦手だ。
ノックを二回。
一定の間隔で、一定の強さで。
「御影会長、少しよろしいですか」
「どうぞ。鍵はかけていません」
返事の音程は、昨日までと変わらない。
それで、少しだけ安心する。
ドアを開けると、
やっぱり、中の空気は予想どおり冷えていた。
エアコンの温度設定ではなく、
**“二日間の会議の前の温度”**だ。
「失礼します」
私が会釈すると、
後ろから、勢いの違う声が追いかけてくる。
「失礼しまーす……って、うわ、本当に“静かなほうの会長室”だ……」
夕咲メイ。
映画研究会の音響担当にして、私の相棒。
“賑やかさ”という物理量を単位換算して持ち込んでくるのが、だいたい彼女だ。
「朝早くから、ごめんなさい」
シオン会長は、カップの取っ手に触れたまま、視線だけこちらに向ける。
真紅の瞳の周囲に、微弱なハイライト。
「——天城への挨拶の件、準備は大丈夫ですか?
Day1 の開会前に、一度だけ、ですね」
「はい。事前にいただいたルート図も、頭に入れてきました。
Chrono-Lab と生徒会室、それから……中庭の集合ポイントですね」
暗記した順番通りに答える。
こういうとき、余計なことは言わないほうがいい。
メイは、肩からかけたトートバッグを抱え直しながら続ける。
「私はただの付き添いと雑用係だからね〜。
でもまあ、“ユウマさん”と直接会えるの、
ちょっとだけ楽しみにしてるよ? Day1 のうちにご挨拶しときたいし」
“ユウマさん”。
その単語が出た瞬間、
胸の奥で、DRY RUN の光景が一瞬だけ再生される。
——白いスクリーン。
——天城の講堂。
——ノイズの中で重なった視線。
“External Link Candidate Detected”
Observer: AYASHIRO_HIYORI
Link quality (est.): V = 0.62
あのとき画面の向こうで同期した。
黒い制服の少年——岡崎ユウマくん。
まだ、声も、名前も、温度も、一度しか会ったことないから、
ちゃんとは知らない“向こう側の観測者”。
ちょっとだけ、視線が落ちる。
それを見て、メイがすかさずニヤニヤし始める気配がしたので、
私は先に口を開いて話題をずらした。
「……あくまで“事前挨拶”だからね。
目的は“Sync Session の安全確認”と、“ルールのすり合わせ”。
ロマンは、副産物」
「出たー!ひよりんの『ロマンは副産物』理論〜。
Day1 からそれ言えるの、逆にロマンだよ」
メイが笑う。
本当は、私自身が一番、
“ロマン”という単語から目を逸らしているのを知っているくせに。
会長の視線が、少しだけ細くなる。
——観測されている。
そう自覚した瞬間、背筋が自然とのびた。
「綾白さん」
「はい」
「今日と明日、あなたの役割は“記録”と“観測”です」
会長の声は、
まるで契約書の条文を読み上げるみたいに、曖昧さがない。
「救済でも、裁きでもない。
Day1 でも、Day2 でも。
——それを忘れないで」
胸の内側に、見えないスタンプを二つ分押された感覚があった。
救済でも、裁きでもない。
あの日のリンクで、
私は一瞬だけ“向こう側に手を伸ばそうとした”。
**「助けたい」**のか、
**「確かめたい」**のか、
自分でも判別できないまま。
そのどちらにも傾かないように、
今日と明日の私は、**“カメラ”**だけでいるべきなんだろう。
——フレームに入れる。
——記録する。
——それ以上も、それ以下もしない。
一度だけ、息を整えてから頷いた。
「肝に銘じておきます。
Day1 も Day2 も」
それは、**“感情を諦める”**宣言ではない。
“まず記録を優先する”という、私なりの覚悟の置き方だ。
シオン会長は、壁時計に視線を向ける。
「……そろそろ、天城に向かったほうがいいです。
Day1 の開会セレモニー前に一度、会長側と Chrono-Lab 側に顔を出しておいてもらえますか?」
「はい。行ってきます」
「了解でーす、会長〜。
天城側の音響、ちゃんとチェックしてくるからね。
スピーカーの位相がズレてたら、即レポートするから!」
「……それは、ほどほどでお願いします」
メイの軽口に、会長が小さくため息をつく。
でも、その口調には、うっすらとした信頼も混ざっている。
私たちは会釈をして、生徒会室を出る。
ドアが、静かに閉まる。
その瞬間、
さっきまで背中に刺さっていた“観測の視線”が、すっと消えた。
廊下には、体育館へ向かう生徒たちの足音と、
放送委員がマイクテストをする「アー、アー」という声。
音が増えるほど、私は落ち着いてくる。
(やっぱり、私は“静かすぎる場所”より、ちょっとだけノイズのある場所のほうが好きだな)
隣で、メイが小声で話しかけてくる。
「ねぇねぇ、“ユウマさん”に会ったらさ、まず何て言うの? Day1 一発目のセリフ」
「まずは、“こんにちは”でしょ」
「いや、そこはさ〜、『この前は V=0.62 のリンク、ありがとうございました』とかさ〜」
「それ、完全に怪文書でしょ」
二人で笑う。
笑いながら、心拍数が少しだけ落ちていくのが分かる。
観測者は、自分のノイズも観測対象に含めるべきだ。
先生がそう言っていた。
だったら私は、
自分の“楽しみ”も、“怖さ”も、“ロマン”も、
全部ひっくるめて、今日と明日のログに書き込めばいい。
「メイ」
「ん?」
「さっき会長に言われたこと、忘れないようにして」
「“救済でも裁きでもない、記録と観測”ね?
だいじょーぶ、私は元からそっち側だから。
エフェクト盛って、音をよくして、『この世界はこんなに綺麗ですよ〜』って見せる係だし」
「……それ、ちょっとだけ救済寄りじゃない?」
「じゃあ、“救済っぽい観測”で」
「分類がおかしい」
そんな軽口を交わしながら、
私は胸ポケットから、小さなメモ帳を取り出した。
カメラのレンズだけじゃ、
切り取れないものが世の中には多すぎるから、
私は文字で補正する。
〈映研ログ/Dual Lumen_00〉
Day1/07:20/影村 生徒会室周辺
役割再確認:本日の自分は“観測者”。
Day1・Day2 の 15:00 まで——感情は保存、記録は優先。
ペン先が震えないように、
わざといつもより少しゆっくり書く。
ページを閉じて顔を上げると、
廊下の先に、昇降口への曲がり角が見えた。
その向こうに、天城へのバス停。
さらにその向こうに、
まだ会ったことのない“向こう側の観測者”。
御影会長は、きっと今もあの静かな部屋で、
二本の 15:00 行に赤いマーカーを載せたタイムテーブルを見ている。
——二回分の十五時までに、
私はどれだけ“世界の前景”を記録できるだろう。
「じゃ、行こっか、ひより」
「うん。……観測しに行く」
自分に言い聞かせるみたいに答えて、私はメイと並んで階段を降りた。
静かな盤面に置かれた駒が、ようやく最初の一手を指される、その直前の時間。
今日と明日、二日間の記録が、“構成”として残るように——
私は、カメラとメモ帳と、
ほんの少しのロマンを持って、影村学園をあとにした。
⸻
天城へ向かう二人 07:40
——「リンクの“続き”と、二つの十五時の前で」
校門前の道路には、既にいくつかの車とバスが止まっていた。
天城と影村を結ぶ臨時のシャトルバスは、双灯祭期間中だけの特別運用だ。
私とメイは、その一台に乗り込む。
「わー、こっちのバス、天城カラーだ。
なんか雰囲気明るいんだよね、塗装からして」
「“天”側だからじゃない?」
「どういう偏見?」
そんな会話をしながら、二人は一番後ろの席に並んで座った。
窓の外、影村の校舎が少しずつ遠ざかっていく。
灰色がかった壁面と、無駄のない構造。
それが、天城のガラスと緑の多いキャンパスに切り替わるのは、ほんの数十分後だ。
「ひよりん緊張してる?」
メイが、軽く足を組み替えながら訊ねる。
「少しだけ」
「“少し”の定義、ひよりん基準だと他人の“だいぶ”だからね?」
私は、言い返さない。
代わりに、指先で自分のスマホの画面を撫でる。
映っているのは、DRY RUN の日のログ。
Chrono-Scope の画面越しに、天城側の観測者と視線が合った瞬間の記録。
彼の名前——岡崎ユウマくん。
声のトーン、視線の動き。
スクリーン越しでも伝わってきた「情報密度の高さ」。
あれは、観測者としては魅力的な“対象”だった。
それ以上の感情については、ひより自身もまだ評価を保留している。
「……『続き』を撮りに行く感じに近いかな」
「お。映画っぽい表現出た」
「一度だけ写ったカットが、本当に“偶然のフレーム”だったのかどうか。
検証のための再撮影。Day1 と Day2、二日分のラッシュ」
「で、“偶然じゃなかった”って結果が出たら?」
「——それは、そのとき考える」
メイは、私のそういうところが嫌いじゃない。
感情の話をされると、
私は必ず一度“検証”の語彙に翻訳してから答える。
それはたぶん、防御であり、職業病であり、
そして少しだけロマンチックでもある。
「とりあえずさ」
メイは伸びをして、天井を見上げる。
「二日間ちゃんと生きて帰ろうね。映研的にも、友達的にも、そこだけはマストで」
「もちろん」
私は、ほんの少しだけ笑った。
「シオン会長、ああ見えて“安全第一”ですから。
十五時を二回も用意しておいて、“どっちも落とさないつもり”なんだと思う」
「いや、ああ見えて、がどこまで信用できるかは謎なんだけどね〜」
私たちを乗せたバスは、
やがて天城キャンパスのゲートへと差し掛かる。
Dual Lumen。
二つの灯りのうち、一つめの中へ。
Day1 の、最初のフレームへ。
記録者:綾白ひより(映画研究会)
——映像で撮れなかったものを、文字で補完しておきます。
Dual Lumen Act.1 は、私のカメラではまだ撮れていないシーンが多い。
天城の生徒会室で、
二階堂サツキさんが「破天荒モード(2days)」を宣言していた瞬間も。
NOX が渡り廊下で円陣を組んで、
「無事に二日間終わらせる」と言っていた瞬間も。
私がレンズを構えたのは、影村側の 07:20 から。
だから、その前の時間帯は、こうして他人のログを借りて補完している。
——それでも、ひとつだけはっきり言えることがある。
今年の双灯祭は、最初から“二日分”として設計されていた。
楽しいほうも。
怖いほうも。
Day1 で試して、Day2 で本番を迎えるように。
EXIT:CODE は、Day1 が Safe Phase、Day2 が Core Phase。
閾値同期セッションも、Day1 が Light、Day2 が本番。
盤上干渉戦も、演劇も、COE も、紅華のバルーンも——
全部が「二回目に向けて、どう変化するか」を前提に置かれている。
映像編集の用語で言えば、
Day1 はラフカット、Day2 はファイナルカットみたいなものだ。
ラフカットをちゃんと撮っておかないと、
ファイナルカットの意味が変わってしまう。
逆に、ファイナルカットを先に想像しておかないと、
ラフカットの評価軸も決まらない。
たぶん、御影会長と藤党コウさんは、
最初からそういう構造を意識して、二本の十五時を並べたのだと思う。
——もちろん、私はその全部を肯定するわけじゃない。
今回の双灯祭は、昨年とは根本的に違う。
それは、ちゃんと分かっているつもりだ。
それでも私は、カメラを回す。
綺麗事を言えば、
「誰かがきちんと記録しておかないと、
この二日間が世界のどこにも残らないから」。
少しだけ本音を足すなら、
「スクリーン越しに視線が合ったあの日の続きが、
本当に偶然だったのかどうか、確かめたいから」。
——観測と感情の波形は、たぶん同じだと、彼は言ったらしい。
その言葉を直接聞いたことはないけれど、
ログを通して何度も目にしているから、
ほとんど“聞いた”のと同じくらい、頭の中で再生できる。
だったら私は、
自分の感情も、ちゃんと観測対象に含めることにした。
怖さも、楽しさも、ロマンも、
Day1 と Day2 の間でどう変化するのか、
できるだけ細かく、ログに残しておく。
この Act.1 は、
そのための「最初のフレーム」の記録だ。
Day1 の 15:00 と Day2 の 15:00 を、
どんなふうに撮ることになるのか。
まだ、私にも分からない。
でも少なくとも——
天城の生徒会室で決まった“破天荒モード(2days)”と、
NOX の「無事に二日間終わらせる」円陣と、
影村の生徒会室で押された「記録と観測」のスタンプが、
全部同じ 07 時台に成立していた、という事実だけは、
このページに焼き付けておく。
それが後で、
誰かが「これは一度ちゃんと“やり直された”んだ」と言える根拠になることを、
少しだけ期待しながら。
——以上、映研ログ Dual Lumen_Act.1 補遺。
カメラ担当・綾白ひよりより。




