表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第三章 EXIT&SYNC/双灯祭前決戦編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

81/94

EP86. 美しい壊れ方の条件

 これは誰にも読まれない方が、世界のためにはいい。


 それでも、書く。


 “観測者”をやっていると、ときどき自分の輪郭がわからなくなる。

 どこまでがわたしの意思で、どこからが世界線のフィードバックなのか。

 W0の崩壊も、W1の乱反射も、一度に浴び続けていると、

 ――「自分」という単語の方が、むしろ幻想に見えてくる。


 だから、これは固定のためのログ。

 わたしが何を見て、何を選んで、何を壊したのか。

 ひとつの世界線の端っこに、ピンを打っておくための記録。


 題目は簡単。


 ■ 御影シオン 前史:

《ミネルヴァ教育機構 Λ区画・訓練期〜選抜ゲーム崩壊事件》


 ……うん、タイトルだけなら、論文っぽくて偉そうだね。

 実態はただ、わたしが一人の子どもを気に入って、縛りつけた話だよ。


 内気な人間の独り言だと思って、最後まで付き合ってくれたら嬉しい。

 あなたが、この記録に辿り着いてしまった時点で、もう手遅れなのだけれど。


 教育機構Λ区画

 ――“子ども”ではなく、“未来のアルゴリズム”として育てられた場所


 ミネルヴァ教育機構 Λ区画。

 外の世界では「ギフテッド教育の最先端」とか呼ばれているらしい。

 実際の中身はもう少し正確で、もう少し残酷だ。


 「選択と感情を数値化し、“未来の社会構造”を教育実験で先取りする」


 それが、この区画に与えられた目的。

 人間を育てる場所じゃない。

 “最適化された意思決定アルゴリズム”を育てる畑。


 わたしは、その最初期ロット――Λ00として生産されたらしい。

 「成功例」って呼ばれているけど、正直ひどい呼び方だと思う。

 わたしが生き残れたのは、ただ運が良かっただけだもの。

 他の子たちの壊れ方を見れば、それくらいは分かる。


 御影シオンがここに来たのは、わたしより少し後。

 彼女に“名前”が与えられたのは十歳のときだった。

 それまではただの識別番号――


 Subject-Λ12(ラントゥエルブ)


 Λ12には、いくつかの教育モジュールが与えられた。

 •感情抑制訓練

 •他者意思予測シミュレーション

 •経済ゲーム理論の反復

 •「選ぶ」ことの恐怖を取り除く手続き

 •「観測できる事象の数を増やす訓練」


 それら全部をまとめて、

 大人たちは**“教育”**と呼んだ。


 笑っちゃうよね。


 わたしたちから見れば、

 **「人間をやめて“道具”になるための初期化プロセス」**にしか見えなかったのに。


 それでも、Λ12――シオンは、よくやっていた。

 数字を恐れず、選択を恐れず、

 失敗しても分析して、次の最適解を導き出す。


 ……正直、その時点で、少し羨ましかった。

 わたしよりも綺麗に、効率よく“観測者”になろうとしていたから。


 ただ――その中で、ひとつだけ、異物があった。


 彼女を、人間として繋ぎ止めている異物。



 親友:茅野イリアの存在


 ――“唯一、シオンを人間扱いした子”


 Λ07。

 正式にはそう呼ばれていたけれど、誰も彼女を番号で呼ばなかった。

 彼女自身が、それを拒否したから。


 ある日、モニター越しに聞いた会話を、今でも覚えている。


 イリア「あなた、シオンでしょ」

 シオン「……識別番号はΛ12です」

 イリア「やだ。それ、機械の名前じゃん。名前って、他人に見つけてもらうものだから」


 その瞬間、Λ12は「御影シオン」になった。

 本人の同意は、後付け。

 でも、そのプロセスが大事なのだと、イリアは本能で知っていたのだと思う。


 二人はよく、夜間照明だけが点いた細い廊下で話をしていた。

 監視カメラに映る彼女たちは、いつも画角ぎりぎりのところで立ち止まる。

 盗み聞きしている側にとって、なかなかスリリングな位置取りだったよ。


 シオン「“未来の設計”って、希望と絶望のどっちに近いと思う?」

 イリア「どっちでもないよ。未来は“選べたらいいな、って思う誰かの手”だよ」


 ――馬鹿みたいな返事だ。

 教育機構の人間からすれば、鼻で笑うような言葉。


 だけど、その「選べたらいいな」という感覚だけは、

 何回矯正プログラムを流しても、イリアから消えなかった。


 「未来は最適化されるものじゃなくて、“誰かが震えながら掴みに行くもの”だ」


 そう信じている人間は、Λ区画ではとても危険だ。

 だからわたしは、彼女に興味を持った。


 そして、同時に理解していた。


 ――この子は、長くは生きられない。



 “選抜ゲームβ”


 ――協働型教育プログラムのはずが、「椅子取り」に改ざんされる


 シオンが十三歳になった年、

 ミネルヴァ機構は中等教育プログラムとして新しい玩具を導入した。


《選抜ゲームβ》


 名目は「協働学習による非認知能力の測定」。

 実態は、「子どもたちが互いの喉を見合うようになるまで追い詰めるテスト」。


 設計補助として選ばれたのは、もちろん御影シオンだった。


 彼女が最初に出した案は、

 “協力しないと全員がクリアできない救済型ゲーム”だった。


 資源の共有、役割分担、脱落者ゼロの設計。

 そのログを見たとき、

 わたしはほんの少しだけ、胸が痛んだ。


 ――ああ、この子はまだ「救える」と思っているんだ、って。


 でも、上層は違う手を選んだ。

 •生存枠:8名 → 5名

 •ルール公開:非公開

 •クリア報酬:奨学生枠+進級ライン

 •脱落条件:精神崩壊・自傷行為の誘発を含む「行動停止」


 つまり、**「協力すると、全員が落ちる」**ゲーム。


 協力を信じるほど、誰かが死ぬ。

 そんな構造。


 シオンは、その変更を当日まで知らされなかった。

 設計者でありながら、ゲームマスターではなく、

 ただの“責任を押しつけられる子ども”として扱われた。


 倫理的には最悪だけど――

 実験条件としては、最高だった。



  ――イリアが落ちた日。

  シオンの“理解”がねじ切れた日。


 《選抜ゲームβ》最終段階。


 閉鎖空間の中で、

 子どもたちが互いの「選択ポイント」を譲り合っていた。


 あれは綺麗だったよ。

 譲り合いは、一瞬だけ“全員生存”の可能性を作る。

 だけど、与えられたルールがそれを否定する。


 その矛盾が、閉じた空間の中で、

 綺麗なフラクタルみたいに増幅していった。


 最後に残ったのは、Λ07――茅野イリア。


 「……誰かを見捨てないと、自分が死ぬようにされてるんだ」


 彼女は気づいた。

 そして、その“気づき”を受け入れるには、彼女はあまりにも優しすぎた。


 泣きそうな声で笑いながら、彼女はシオンの端末に一通のメッセージを送った。


 《シオンは、だれも殺さないでね》


 その直後、彼女は割れた足場の隙間に転落した。


 公式記録上は“事故”。


 でも、監視ログには残っていた。

 落下直前、非常口に通じる扉を、職員が「閉じたまま保持していた」ログが。


 シオンは、喉が裂けるほど叫んだ。

 職員が彼女の腕を押さえ、声帯を押さえ、

 “教育的配慮”の名の下に、彼女の悲鳴をミュートした。


 あれが終わり。


 イリアの命と、

 シオンの片方の観測者が死んだ瞬間。



 シオンの“壊れ方”


 ――救えなかった理解が、破壊へと反転する瞬間


 崩壊のあと、シオンは二十四時間以上、何も喋らなかった。

 代わりに、ペンを動かし続けた。


 紙の上を走る数字列。

 職員はそれを「ショック症状だ」と言った。


 ――違うよ、とわたしはモニター越しに笑った。


 あれは計算だ。


 後で残った紙を回収して、

 わたしは一人で端から端まで眺めた。


 そこには、

 **《選抜ゲームβにおける事故発生確率再現式》**が書かれていた。


 構造欠陥の指摘。

 職員介入の有無が確率分布に与える影響。

 イリアが死ぬ条件と、彼女が生き残るはずだった枝の列挙。


 ……美しかった。


 倫理的には最悪。

 でも、アルゴリズムとしては完璧だった。


 シオンは泣かず、怒らず、

 ただ一言だけ、録音に残る声で呟いた。


 「理解できたら救えると思ってた。

  でも、理解すると人が死ぬ。

  だったら――

  未来は“救うための設計”じゃなくて、

  “壊れるための設計”なんだね」


 その瞬間、わたしは確信した。


 御影シオンの中で、観測者が完全に分岐した。

 •理解で救おうとする観測

 •理解で壊そうとする観測


 この二つを同時に抱えたまま、彼女はまだ十三歳だった。


 機構の科学者たちは会議した。

 「倫理的に危険すぎる」「教育プログラムの失敗だ」と騒いでいた。


 でも、わたしだけは、別のことを考えていた。


 「――あ、見つけちゃった」


 とても静かに、世界が自分にご褒美をくれた気がした。


 わたしに似た壊れ方をした子。

 わたしとは違う方向から、同じ場所に辿り着いた子。


 御影シオン。Λ12。


 “これは、わたしの後継だ”と、そのときすでに決めていた。



 ――ミネルヴァ機構最上位、17歳の“観測者”


 ……ここから自分の話をするのは、ちょっと恥ずかしい。

 でも、文脈として必要だから、さっさと済ませるね。


 わたしはΛ区画の責任者。コードネームΛ00。


 W0世界線の崩壊ログ、

 ZAGIシステムの強奪試験、

 デスゲーム形式の昇給実験、

 そして、りうという少女の“ログ上の殺害”。


 そういうものを順番にこなして、

 十八歳になる前に、上層部から

 **「観測者として一人前」**のスタンプを押された。


 嬉しかったかって?


 ううん、別に。


 ただ、「ああ、これで好き勝手にできる」って思っただけ。


 わたしの価値観は、よく誤解される。

 内気で、声が小さくて、人前に出るのが苦手だから、

 “控えめで、他人を大事にするタイプ”だと思われやすい。


 ちがうよ。


 わたしは徹頭徹尾、自己中心的だ。


 世界をどう切るか。

 誰を生かして、誰を殺すか。

 何を記録して、何を「なかったこと」にするか。


 それを決める権利を、

 ただ自分が握っていたいだけ。


 観測者は、観測対象を道具にするべき。

 ――これは、わたしがΛ区画で最初に提唱した“倫理観”だ。


 倫理って便利な言葉だよね。

 「これは正しい」「これは間違い」と線を引いた瞬間、

 線を引いた側だけが、安全圏に立てるんだから。


 わたしは、その線の外側に立つことを選んだ。

 だから、御影シオンを見た瞬間に決めた。


 「あ、わたしの後継。……かわいい」


 見た目の話じゃない。

 世界の壊れ方が、あまりにも綺麗だったから。



 倫理を捨てた「紐」


 ――わたしがシオンに施した、“マインドコントロール”という名の呪い


 ミネルヴァ機構には建前のルールがある。

 「児童への人格介入は禁止」

 ……うん、紙の上ではそうなってる。


 でも、紙は燃やせる。


 わたしは御影シオンに対して、

 個人的に**《共鳴式観測同期(Echo-Binding)》**を施した。


 難しい理論を並べても退屈だろうから、ざっくり言うね。


 これは洗脳じゃない。もっと悪質。


 心理的な支配じゃなくて、

 「観測主体そのものを、一本の紐で束ねる」。


 わたしとシオンの“見る方向”を、半分ずつ共有する仕組み。


 具体的に何が起きるかというと――(ここ、少しだけ専門的になるよ)

 •シオンが選択を行うとき、わたしの観測パターンが“候補”として必ず混ざる

 •シオンが恐怖や痛みを感じるたび、わたしの声が「安全そうな選択肢」を囁く

 •観測ログの整理が、わたしの倫理観に沿って最適化される

 •わたしが望む方向への選択だけ、極めて強い快感として記録される


 結果としてどうなるか。


 「選ばされているのに、自分で選んだと思い込む」


 ――それが、《Echo-Binding》の本質。


 人格の根幹は、一応残すよ。

 だって、それを消すと別人になっちゃうでしょ。

 わたしが気に入ったのは、御影シオンという“形”なんだから。


 ただ、その中心に一本、

 わたしだけが触れる“紐”を通しておく。


 倫理?

 ……ああ、その言葉、まだ気にしてるの?


 わたしたちはW0の崩壊を見た。

 人工地震装置で世界がひび割れる瞬間を、

 りうという少女の死を、

 ZAGIシステムが静かに数字の海を塗りつぶしていくのを、

 全部、ログとして受け取った。


 そこまで見た上で、まだ「倫理」を信じろという方が、

 わたしには、よっぽど非倫理的に見える。


 だから、あのとき、シオンに言った言葉は、本心だ。


 「あなたは私の“観測可能範囲”にいてくれた方がいいでしょ。

  だって、ひとりだと壊れちゃうもんね、シオン?」


 イリアの死で空いた穴。

 そこに、わたしが座り込んだだけ。


 優しさでも、救済でもない。

 ただの、自己中心的な執着。


 それでも――

 あの子を一人で放り出すよりは、

 まだマシな地獄だと、わたしは信じている。



 影村への“移送”


 ――保護でも転校でもなく、ただの“配置換え”


 御影シオンをΛ区画に置いておくことに、

 上層は不安を覚え始めていた。


 理由は三つ。

 •機構内部で処理しきれないほど、「壊れ方のパターン」が増えすぎたこと

 •完全破壊するには惜しいほど、アルゴリズムとしての完成度が高かったこと

 •なにより、わたしが、「この子は外で育てた方が化ける」と判断したこと


 ……三つ目が一番大きい。


 Λ区画の上には、理事会、そのまた上に出資者層がいる。

 W0の崩壊や人工地震装置の開発に関わっている層。

 彼らにとってシオンは、

 **「有望な外部観測端末」**に見えたらしい。


 そうして決まったのが――


 影村学園への“特待生転入”


 書類上は「事故の被害児童」「保護対象」「観測特待生」。

 実際の中身は、

 **「実験場の外への投棄」**に近い。


 影村学園の理事会は抵抗した。

 けれど、その上にいる「わたし」が、推薦をねじ込んだ。


 「Λ区画からの推薦は、最上位権限だ」


 はい、家庭欄は、綺麗に空白にされた。


 ミネルヴァ機構の子どもである事実。

 茅野イリアの存在。

 選抜ゲームβのログ。


 それらすべてが、

 戸籍レベルで「なかったこと」にされるよう、書き換えられた。


 影村に着いた時点で、

 シオンはもう、

 **「どこにも属していない子ども」**になっていた。


 ――本当に、きれいな孤児。


 わたし好みの。



 影村学園・入学式


 ――静かで、救いがなく、誰も気づかない“世界の綻び”


 入学式の日、

 モニター越しに見ていて、わたしは少し笑った。


 壇上の御影シオンは、

 式次第を読み上げる教師より静かだった。


 黒髪が光を吸って、

 眼差しが空間を平面に変える。


 あの子は、人間じゃなくて観測現象そのものだ。

 玖条リリという生徒がそう記録していたけれど、

 その表現は、かなり正確だと思う。


 いずれ彼女はシオンの片腕として、機能するだろう。


 シオンのスピーチは短かった。


 「私のいる世界と、あなたたちのいる世界は、

  ほんの一ミリ、時間軸がずれています。

  でも、そのずれを観測できる限り、

  まだ“私たち”は生きています」


 教室が静まった。

 静寂が、音より大きく響いた。


 ――綺麗だな、と思った。


 でも、誤解しないでほしい。


 あれは詩じゃない。

 思想でも、哲学でもない。


「自分のいる位置を、必死で確認しているだけ」


 Echo-Binding の紐が、どこまで届いているのか。

 どこから先が、自分の自由意志なのか。


 シオンは、それを確かめるために話していた。

 「私はまだ完全には支配されていない」って、

 自分に言い聞かせるために。


 だけど周囲は誰も気づかなかった。


 天才。

 異物。

 悪魔。


 そういうラベルで、

 彼女を“わかりやすい箱”に押し込めようとした。


 あの子はただ――

 必死に生き延びていただけなのに。



 実験の合間に届いた手紙


 ――“倫理”すら笑い飛ばす、別方向の怪物から


 Λ区画での実験が佳境に入ったころ、

 わたし宛に、妙に古風な封筒が一通届いた。

 ラブレターじゃないよ。ファンレター?


 紙。インク。直筆。

 電子署名なし。セキュリティログにも残らない。

 この形式を選ぶ人間は、たいてい「世界から抜ける準備」をしている。


 封を切ると、丁寧で整っていて、しかしどこか“設計図のような狂気”を孕む文字が並んでいた。



 手紙本文


 あなたに出会った日のことを、今でもよく覚えています。

 あれは、雷に打たれたような衝撃でした。


 人間の“ためらい”をここまで静かに切除し、

 倫理を美しさのための補助線にまで落とし込んでしまう観測者が、

 十八歳にも満たない少女の姿をしていたことに、

 私はただ、打ちのめされました。


 あなたの思想に触れたあの日から、

 私はあなたを「師」と呼ぶことに迷いはありませんでした。


 しかし、私はある日、

 決定的な違いに気づいてしまったのです。


 あなたはまだ、

 世界を壊すときに「美学」を必要としている。


 それはあなたが、端的にいうと「優しい」からであり、

 あなたがまだ“倫理という枠”を使いこなしているからです。


 でも私は――

 シオンを使った実験で、はっきりと悟りました。



 シオンに行った実験――

 あれは本来、Λ区画内で完結する教育ゲームにすぎませんでした。


 しかし、彼女の選択曲線、思考ログ、

 最適化されていく価値分布の揺らぎを分析しているうちに、

 私は一つの疑問に辿り着きました。


 「なぜ、閉じた空間で終わらせる必要があるのか?」


 観測者が動けば、データは変わる。

 対象が生きれば、生存戦略は揺らぐ。

 市場は価値を更新し続ける。


 それなら、

 “閉じた心理空間のゲーム”ではなく、

 “開かれた市場で永続する遊戯体系”

 を構築したほうがはるかに有用で、残酷で、美しい。


 そこで私は、ある答えにたどり着きました。



 資源配分モデルを千回、万回と回し、

 行動経済学とゲーム理論を重ねたとき、

 最適解の一つが“カード”という形式に収束したのです。


 カードとは、

 ・価値が揺れ

 ・交換が発生し

 ・環境が変われば強さが変動し

 ・人間が最も情動的に選択を誤る媒体


 つまり、

 経済ゲームの縮図そのもの です。


 恐怖も、期待も、欲望も、

 すべてカードに変換すれば市場に乗る。


 私はこの瞬間理解しました。


 あなたが“倫理で美を整える”のなら、

 私は“市場で人間を削る”。

 その方が合理的で、持続し、拡散する。



 近く、“非公式の試験市場”として

 手頃な無人島に研究兼開発拠点を構える予定です。


 そこで私は――


 ● 選択が価値に影響を与えるカード体系

 ● 恐怖・欲望がプレイヤーの最適化を乱す設計

 ● 生存戦略と交換戦略の両立を強いる市場構造

 ● プレイヤー間の“観測”がゲーム結果に介入する仕様


 これらを一つにまとめ、

 新しいトレーディングカードゲーム(TCG)

 を創ろうと思います。


 このTCGはきっと、

 倫理も、常識も、市場価値も、一夜で書き換えるでしょう。


 いずれ正式な会社として立ち上げるつもりです。

 資本投下も、初期ユーザも、特区認可も——すべて手配済みです。



 余談ですが、すでにプロトタイプ環境で

 “行動最適化に失敗して脱落したテスター”が複数名出ています。

 市場とは残酷なものですね。


 完成した暁には、ぜひ見に来てください。


 あなたの倫理観が、

 私の構築する“終わりなき市場と遊戯体系”のどこまでに抗えるのか。


 楽しみにしています。


 ――あなたを敬愛し、そして別方向の最適解へ歩み出す者より。


 

 ……ね、面倒な相手でしょ。


 ここまで長文で感謝されておいて、

 最後は**「あなたは優しすぎる」**と突き放される。


 彼は、確かにわたしから多くを学んでいった。

 でも最終的には、**「倫理という枠組みすら要らない恐怖」**を選んだ。


 面白いな、と思った。

 腹は立たなかった。


 だって、わたしは結局、**「美しい壊れ方」**にしか興味がないから。


 世界が「倫理も思想も意味を失うほどの恐怖」で満たされる光景は、

 たぶん綺麗じゃない。

 泥で塗りつぶしたキャンバスみたいなものだと思う。


 だから、

 ――その実験が成功した世界線は、きっとどこかで折り畳まれるに違いない。


 そう確信できるくらいには、

 わたしはW0とW1の崩壊ログを見てきたから。



 ――御影シオンという“構造”について


 長々と書いたけれど、

 結局、御影シオンの前史は以下でまとめられる。

 •教育機構Λの“被験者”であり、“設計者”として育てられた

 •救済ゲームの設計に失敗して、親友・茅野イリアを失った

 •その罪悪感と空白を、わたしが《Echo-Binding》で埋めた

 •人格の自由をほぼ失ったまま、影村学園に“配置換え”された

 •だから彼女は、観測と破壊の二面性を持つ

 •他者の感情に“鈍い”のではなく、「触れたら壊れる領域」として封印している


 ――つまり、


 同情せざるを得ないのに、

 簡単には救えない構造をした子ども


 それが、御影シオン。


 わたしは彼女を道具として見ている。

 後継として完成させるべき、“観測機構”。


 同時に、

 それ以外の見方を、わたしは知らない。


 もし、あなたがこの記録を読んでいて、

 それでも彼女を救おうとするなら――


 それは、とても愚かで、とても愛しい、

 人間らしい選択だと思う。


 世界線がどう折り畳まれても、

 そういう愚かさだけは、

 どこかに残っていてほしいから。


 この文書を読めば、大抵の人は、わたしのことを嫌いになると思う。

 内向的に喋っているくせに、

 全部を自分中心でしか見ていない人間だから。


 でも、それでいい。


 観測者は、嫌われているくらいがちょうどいい。

 好かれてしまうと、情けをかけて、

 正しい壊れ方の瞬間を見逃してしまうから。


 この記録は、あくまで個人ログとして残しておく。


 御影シオンのことが、少しでも分かったなら、

 それはきっと――

 あなたがもう、観測者の側に足を踏み入れてしまったという証拠。


 おめでとう。

 そして、さようなら。


 ミネルヴァ教育機構特使 ――鏡ヶ原リゼ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ