EP85. デッド・ゲーム・デクラレーション
——双灯祭は、本来「火を分け合う儀式」なのだとか。
火を二つに分けても、総量は減らない。むしろ、光は増える。
人は、そういう物語を好む。
けれど私は、分けた火がどこまで世界を焼けるかの方に興味がある。
カイトくんの怪異アニマトロニクスは、一度壊された。
玖条リリ副会長の肺は、一度爆ぜた。
どちらも、ここで「終わり」と書けば綺麗。
でも、終わらせないことに意味がある。壊れた後の“熱”こそ、最も観測価値が高い。
今回の記録は、
◆ 設計者を失った“怪異の群れ”をどう再利用するか
◆ 壊れた副会長に、どこまで真実を告げるか
◆ そして、アスミ先輩にいつ・どの密度で宣戦布告するか
——この三点を中心に書かれている。
私は、彼女のことを最初から“プレイヤー”として見ていた。
W1だとかW2だとか、世界線の呼び方には興味はまだない。
ただ、何度も世界を見直した人間の手つきには興味がある。
観測者が、どの瞬間に「観測をやめて干渉に踏み込むのか」。
その閾値を測るには、宣戦布告が一番効率的。
カイトくんの沈黙も、リリ副会長の恐怖も、アスミ先輩の怒りも——
どれも「ゲームの余白」として処理することはできる。
でも今回は、あえて余白を余白のまま残しておく。
その方が、双灯祭当日の揺れ幅が大きくなるから。
私は手を抜きません。
胃と真空、信頼と時間、生存確率と世界線。
全部まとめて、一つの学園祭プログラムにしてみせる。
あなたは、どこからこの記録を読みますか?
カイトくんのガラクタの山から?
ICUの白いシーツから?
それとも、アスミの怒りから?
——どこからでも構わない。
入口が違っても、出口は一つだから。
御影シオン視点
——怪異アニマトロニクスの残骸には、三種類の音が宿る。
一つは、関節モーターの焼けた匂いが立てる「終了音」。
一つは、ギアが欠けたまま空転する「未練音」。
そして最後の一つは——
設計者の沈黙。
影村学園・旧講堂裏。
廃材置き場と化したステージ袖に、黒沼カイトは座り込んでいた。
折れた指の手、砕けた踵、捻じれたアーム。
あれほど“喰い尽くす怪異”として祭り上げられた群れが、
今はまるで、不燃ゴミの日を待つだけの塊。
カイトくんは、その真ん中で体育座りをしていた。
ジャージの膝に、白い粉塵。
手は、まだ工具の握り方を忘れていないのに、何も掴んでいない。
「……カイトくん」
呼びかけると、彼の肩がピクリと揺れた。
「……会長。……見ないでくださいよ、こんなの」
顔を上げたカイトくんの目は、
いつもの不敵な表情がきれいに削ぎ落とされている。
喰う側の怪異から、喰われ残った少年へ。
転換は、いつだって静かだ。
「見ますよ。これは全て、カイトくんの“ログ”ですから」
私は一つ、まだ原形を保っている頭部パーツに指を置く。
肌に残る微かな振動——サーボの残留磁気が、かすかに生きている。
「……ログ、っスか」
「はい。怪異が壊された瞬間も、この残骸とあなたの中にだけ、まだ残ってる」
カイトは目を伏せる。
唇を噛む癖が出て、白くなった。
「……でも、もう、双灯祭までに間に合わないっスよ。
フルセットの再建なんて無理っス……。
電源系もやり直しで、制御ボードも焼けてて……
俺、やらかしました。マジで」
「そうですね」
即答すると、彼の肩がさらに落ちた。
「……そこで否定してくれないあたりは、会長っスねぇ」
「事実は事実として……
ですが、それと“価値がない”かどうかは別の話です」
私はしゃがみ込み、彼と視線の高さを揃える。
カイトの目の周りには、寝不足と後悔のクマが滲んでいる。
「カイトくん。あなたが組んだ怪異たちは、ちゃんと“働いた”」
「働いた、って……全部ぶっ壊されましたけど」
「はい。データを吐いて死んだ。
顧客満足度はともかく、観測としては優秀です」
カイトが、苦笑とも溜息ともつかない音を漏らす。
「会長のそういうとこ、たまに怖いっス」
「たまに?」
「嘘っス……わりといつも、です」
その率直さだけは、私の好きなところだった。
私はポケットから一枚、紙を取り出す。
学園間通信プロトコル経由で受け取った、
天城総合学園・生徒会副会長 藤党コウ からのデータ要約。
胃嚢。
酸性プール。
生存率三割未満の、“理不尽のテストベッド”。
「カイトくん。双灯祭の怪異アトラクション、
あなたの再建は——」
ここで一拍置く。
オシロスコープの波形を、わざと間引くみたいに。
「——一部、延期になりました」
「……やっぱ、そうっスよね」
悔しさが、彼の拳に集まる。
指の骨が浮き上がり、今にも残骸を殴りそうな勢いで。
「ただし、“全部”ではありません」
カイトの視線が、わずかに揺れる。
「天城側から、共同企画の提案が来ました。
地下施設同士を、観測ラインで連結する案。
怪異アニマトロニクスを再建する時間はないけれど——
あなたの“視点”だけは、回線越しに送れる」
「……視点、だけ……?」
「そう。あなたが作ろうとした“喰う怪異”のレイアウト、
人が恐怖でどう動くかの流体解析。
それ、全部送信してください。
藤党くんが“胃”の中に流し込みたがってる」
カイトは黙る。
殴りたかった残骸に、今は触れようともしない。
「俺が、いなくても、動くんスね」
「いなくなるわけじゃありません。
当日は、あなたは観客席から見ていればいい。
あなたのログを使って、他校のシステムがどう“喰う”のかを。
見えなかった画が、きっと見える」
「……それって、慰めてるつもりっスか?」
「半分は。半分は、本気の依頼です」
私は、彼の視線から目を逸らさずに言う。
「今、あなたを“現場”に戻したら、きっと潰れてしまいます。リリ副会長みたいに」
その名前が出た瞬間、カイトの目がびくりと動いた。
「……リリ先輩、そんなにヤバいんスか??」
「集中治療室。
肺も肋骨も、まだまともに動けない。
でも、あの人はきっと、私のことを“許さない”」
「そりゃ……そうでしょうね」
苦笑の中に、かすかな怒りが混ざる。
その混合比率が、悪くないと私は思う。
「だから、カイトくん。今は、治る側に回って」
「俺、どこも壊れてないっすよ」
「そう思ってるうちは、なおさらです」
私は立ち上がる。
残骸と少年を見下ろす位置から、静かに告げる。
「ログをまとめて、私に送ってください。
あなたの怪異は、“胃”の中でもう一度だけ動く。
それを観測する権利くらいは、設計者にあります」
カイトは、しばらく口を開かなかった。
そして、小さく、息を吐くように呟く。
「……会長。
もし、俺が作ったモンがホントに人を殺したら」
「なんですか?」
「その時は、ちゃんと俺に“殺したログ”も送ってくださいよ。逃げ場なく、全部、見ますから」
「約束します」
それは、懺悔でも赦しでもない。
ただの観測契約。
私はその重さが嫌いではない。
——さて、それでは……
黒沼カイトという“怪異設計者”の沈黙を確認したところで、次は、空気を失った副会長の様子を見に行く。
影村附属病院の集中治療室は、
人間の体から“余裕”という概念を取り除いた場所。
心拍モニター。
酸素濃度計。
点滴ライン。
消毒液の匂い。
どれも、私にとっては“実験後の処理室”と同じ香りだった。
ドアの前で、私は一瞬だけ立ち止まる。
玖条リリ副会長の顔を見たときに、自分の表情筋がどう動くか。
それを、事前にシミュレーションしておくために。
——涙は、出ない。
——罪悪感も、きっと薄い。
——あるのは、“熱”だけ。
エアロックで見た同期率1.0の波形。
あの美しさを、忘れたくない。
でも同時に——
あれを「もう一度やる」と決めた瞬間、
誰が一番、傷つくのかも分かっている。
ドアを開けると、酸素の流れる音が増幅された。
白いベッド。
白いシーツ。
白い顔。
彼女の胸には、まだAEDのパッド痕がくっきりと残っていた。
肋骨に沿って、どす黒いアザ。
点滴スタンドの影が、まるで首吊りの縄みたいに床に落ちている。
「……シオン、か」
嗄れた声。
喉の粘膜が、まだ完全に修復されていない音。
「はい。お見舞いに来ました、リリ副会長」
私は、花束の代わりに小さなノートを持っていた。
薄いグレーのカバーに、“Δt”とだけ書かれたメモ帳。
「……花の一つも、持ってきなさいよ。
そのノート、私に見せないで……見ただけで胸が痛くなる」
「すいません。私、花粉が苦手でして」
冗談のつもりで口角を上げる。
けれどリリの顔は笑わない。
瞳に走る恐怖のノイズが、まだ消えていない。
私は少しだけ間合いを取り、問いを投げる。
「——怖いですか?」
その瞬間、彼女の肩が小さく震えた。
「……怖いよ。
あのカウントの音が、まだ耳から離れない。
息が上手くできないと、すぐ“0.0気圧”の感覚を思い出す。肺が、また内側から破裂しそうで……」
シーツの上で握られた手。
白くなった関節。
爪が布を掴み、震えが“生存本能”の最後の主張みたいに伝わってくる。
「シオン……もう、やめよう。
ウルフチェアも、エアロックも。
これ以上、誰かを“時間に食わせる”のは——」
「——それは、できません」
私は、間髪入れずに切った。
ためらいを挟めば、こちらの論理が崩れると分かっていたから。
「……は?」
「やめるには、まだ“データ数”が足りません。
信頼の閾値を測るには、最低でももう一回分の実験が必要です」
「ふざけ……っ」
彼女が上体を起こそうとして、肋骨の痛みに顔を歪める。
ベッドのサイドレールが、微かに軋む。
「人が……死んだんだよ?
Bも、Cも、Dも……。
あの子たちの肺が弾けた瞬間、
モニターの前で見てたでしょ……?
それでも、まだ足りないっていうの?」
「はい。足りません」
私は、あえて視線を逸らさない。
「“死んだ”という事実だけでは、何も変えられない。
『どこまで壊せば信頼が崩れるのか』『どの時点で誰が誰を見捨てるのか』——
そこまでログが揃って、初めて“再設計”に踏み込めます。
今はまだ、統計として“きれいに壊れただけ”です」
「きれいに、って言うな……」
絞り出すような声。
心拍モニターの数字が一段跳ね上がる。
私はそこで、最初の譲歩を差し込む。
「……だからこそ、外部接続を提案されました」
リリの呼吸が、少しだけ乱れる。
「外部……って、まさか」
「天城総合学園の藤党コウ副会長から、共同企画の打診です。
向こうの“胃嚢”と、こちらの“真空”を連結する案。
双灯祭当日——二校の地下を一本の観測ラインで繋ぐ」
私は、淡々と天城側の仕様を説明する。
胃の酸性プール、生存率三割未満、理不尽のテストベッド。
「……待て。それ、本当にやるつもり?」
「ええ。向こうは“胃”で、こちらは“真空”で。
観測対象の行動ログを、互いにリアルタイムで流し合う。
信頼・時間・生存確率——三つの軸を一度に揺さぶる、
“学園祭プログラム”としては最高密度の実験です」
「そんなもの、ただの殺し合いの中継じゃない……!」
リリの声が酸素マスク越しに掠れ、
“殺し合い”という単語に、彼女自身の肺が一瞬ひるむ。
私は、その揺れを確認してから次のカードを切った。
「だから、止めてもらいたいんです」
「……は?」
「私たち“だけ”では、きっと止められない。
藤党くんも私も、すでに“壊れ方”を知ってしまった。
知ってしまった人間は、そう簡単に後戻りできません。
だから——外部の観測者を、入れる」
私は視線を、病室のドアの方へ滑らせる。
「矢那瀬アスミ先輩」
リリの顔色が変わる。
恐怖ではなく、別種の感情——安堵と、不安のミックス。
「……矢那瀬を、監査以外に巻き込む気か?」
「巻き込むという表現は、少し違います。
アスミ先輩はもう、とっくに私たちの時間軸の中にいる。
NOXは“観測”と“干渉”で世界を回している側でしょう?
だったら——こちらの“箱庭”に、正面から介入してもらうのが一番早い」
リリは唇を噛む。
この病室の外で、何か巨大なゲームが動き出している予感だけは伝わったらしい。
「アスミ先輩が、もし、私の敵になるなら——」
私は、静かに息を吸う。
「正面から宣戦布告するつもりです」
リリの瞳が、大きく揺れた。
「シオン……やめろ。
矢那瀬は、あんたのウルフチェアみたいに“遊び”としては扱わない。
本気で、世界ごと止めにくるぞ」
「だから、お願いしてるんです。
“止めてみてください”って」
私は、シーツを握る彼女の手を一瞬だけ包む。
「あなたは、もう充分“支払った”。
これ以上、ゲームに参加する必要はありません。
次は、外部の観測者に“選択の温度”を預けましょう」
ドアに向かって歩き出したとき——
廊下側から、ノックの音がした。
タイミングの良さに、私は思わず笑ってしまいそうになる。
やっぱり、時間は美しい。
ノブが回り、ドアが開く。
そこに立っていたのは——
青い記憶光を宿した瞳を持つ観測者。
矢那瀬アスミ先輩だった。
⸻
矢那瀬アスミ視点
——病院の廊下には、二種類の時間が流れている。
一つは、心拍モニターのビープ音で刻まれる「均等な時間」。
もう一つは、待っている人間の呼吸で伸び縮みする「主観的な時間」。
今日の私は後者を、意図的に殺していた。
呼吸を数える。
歩幅を数える。
消毒液の匂いを、濃度で分解する。
時間を測れば、少しだけ怖さは減る——
そういう理屈で、自分をごまかしていた。
玖条リリのお見舞い。
それだけが目的だったはずだ。
……はず、だった。
集中治療室フロアの手前で、私は立ち止まる。
嫌な匂いがした。
胃酸。
正確には、調整済みpH3.0〜4.0の酸性溶液に、
消毒用アルコールと血液鉄臭がわずかに混ざった匂い。
天城生徒会室で一度嗅いだことのある、
ユウマが「胃嚢設計」と呼んだあの残り香。
「……嘘でしょ」
思わず小声が漏れる。
あり得ない。ここは影村の附属病院。
天城の地下プールの腐臭がする場所じゃない。
でも、観測は嘘をつかない。
“胃”が、ここまで回線を伸ばしている。
嫌な予感という日常語は、こういう時のためにある。
私は花束を持ち直し、集中治療室の表示板を確認する。
「ICU-3 玖条リリ」。
ドアの向こうから、微かに声が漏れていた。
喉を焼いたあとの声。
そして、それに対する、落ち着いた低い声。
——御影シオン。
私は、ノックをしてからドアを開けた。
「——リリ」
名前を呼んだ瞬間、視界に三つのレイヤーが重なる。
一つ目。
白く乾いたシーツの上、肋骨に紫のアザを浮かべたリリ。
二つ目。
ベッドの傍らに立つ黒髪の少女。
整った制服、乱れのない襟元。
穏やかな微笑みを貼り付けた、生徒会長。
御影シオン。
三つ目。
彼女の周囲に浮かぶ、薄いログの層。
ウルフチェアの心拍波形。
エアロックの圧力曲線。
そして——さっき廊下で嗅いだ胃酸の匂いと同じ、デスゲームの設計図。
「……矢那瀬」
リリがかすれた声を出しかけるが、その前に私はシオンを見た。
「アスミ先輩。お久しぶりです」
丁寧な自己紹介。
でも、その瞳の中に“驚き”は一ミリもない。
——今日私が来ることを、最初から計算に入れていた顔。
私は花をサイドテーブルに置き、
リリの顔を確認する。
瞳の揺れ方。
呼吸の浅さ。
指先の震え。
これは、トラウマの波形だ。
原因は、目の前の少女。
「リリを、ここまで運んだのは、あなた?」
「搬送手配をしたのは私です。
ここまで壊したのは——時間ですけれど」
「時間じゃないでしょ。
“お前の”デスゲームだよ」
病室の空気が、一段階重くなる。
心拍モニターの電子音が、妙に大きく聞こえる。
シオンは少しだけ首を傾げ、
まるで授業の質問に答える前の優等生みたいに、考える素振りをする。
「……そうですね。
ウルフチェアとエアロックの設計責任は、確かに私にあります。
でも、“参加する”と決めたのはリリ副会長ご自身ですから」
「選択の自由と、設計者の責任を一緒くたにしないで」
自分でも驚くくらい、声が冷たかった。
観測者の温度じゃない。
人間の怒りの温度。
シオンの瞳が、わずかに細くなる。
解析モードに入った、と分かる動き。
「なるほど。“観測者”でいるだけじゃなくて、
ちゃんと怒るんですね、アスミ先輩」
「怒るよ。
友達の肺を爆発させておいて、
“データが足りないから続行します”なんて平然と言われたらね」
リリが、ベッドの上で震える。
シーツの皺が、彼女の呼吸の乱れを正直に可視化する。
シオンは一拍置き、綺麗な敬語でナイフを研ぎ直した。
「……確認させてください。
アスミ先輩は、“世界をもう一度壊したくない”からNOXをやっている。
ですが——“壊れた後の世界”を観測したい欲望は、あなた自身の中にもありますよね?」
「……何が言いたいの」
「私とあなたの違いは、立ち位置だけです。
私は“最初から”加害側の設計者。
あなたは“被害者の記録者”としてスタートして、
今は“干渉しようとする側”に寄ってきている」
彼女は、相手の履歴を淡々と読み上げる医者みたいな口調で続ける。
「観測と干渉の境界を誰よりも知っていて、
それでも干渉に踏み込もうとしている人間が——
他人の“実験”だけを犯罪だと断じるのは、
少し、自己矛盾ではありませんか?」
喉の奥が、鉄っぽくなった。
「……それでも、あんたのやり方は最悪よ」
「評価ありがとうございます」
「褒めてない」
「分かっています」
シオンは、ほんの少しだけ微笑んだ。
その笑みが、W1で見た“制作者側の笑い”と重なる。
——ああ、この子は本当に、あっち側なんだ。
「質問を変える、シオン」
私は一歩、ベッドから離れ、彼女と真正面に向き合う。
「あなたは、何をしたいの?」
「美しい機構を、完成させたいだけです」
即答。
間も迷いもない。
「ウルフチェアは“信頼”の崩壊を。
エアロックは“時間”の非情さを。
天城の胃嚢は、“生存確率”の理不尽さを。
全部まとめて、一つの“学園という箱庭”で観測したい」
「その途中で、人が死ぬ。
そして、既に殺している。
それはただの犯罪で、
あなたはただの——殺人者」
「証拠は既にありません。
それに、人はいつか死にます。
だったら、その死をどう“意味づける”かは設計者の腕の見せ所です」
それをドヤ顔で言えるのは、才能というより欠損だ。
「……あなたさ」
口が、判断より先に動いた。
「本当に、最低」
リリが小さく息を呑む。
私がここまでストレートな言葉を使うのを、初めて見る顔だ。
シオンは、しかし眉一つ動かさない。
「光栄です。 “最低”と言われるくらいには、“底”まで見えているということですから」
「底なんて、見てない。
見えてるのは、自分の作った地獄の床だけ」
「それでも、こちらには、設計図があります。
どこかの“偶然任せの惨劇”よりは誠実です」
「誠実って言葉の意味、
一回辞書で引き直してきなさいよ」
私たちの言葉がぶつかるたびに、
心拍モニターの波形が、妙に綺麗なノイズを描く。
私は、一度だけ深く息を吸った。
「いい? 御影シオン。
私たちは、もう十分、あなたの知らない“惨劇のログ”を持ってる。
あなたがエアロックでやったことなんて、
比べ物にならないくらい酷いものも、見てきた」
「それは楽しみですね」
「楽しむな」
声が震えた。
怒りだけじゃない。
怖さと、うっすらした“理解”が混ざっている。
御影シオンは危険だ。
でも、もっと危険なのは——
私自身が、この危険さに惹かれていること。
「あなたの機構は、確かに美しい。
だから余計に許せない。
“美しさ”を盾に、倫理を蹂躙している」
「……褒めてくれているのか、怒っているのか、
判別が難しいですね」
「両方よ」
私は、そこで言葉の刃を一段階、深く刺すことにした。
「ねぇ、シオン。
あなた、本当は——
誰か一人も救えなかった自分を、
機構の美しさで誤魔化してるだけなんじゃない?」
空気が、音を失った。
心拍モニターの電子音だけが、
まるで異物みたいに場に突き刺さる。
シオンのまぶたが揺れた。
水面に落ちた針みたいに、ひどく繊細な揺れだった。
「……何を、根拠に」
さっきまでの整理された敬語と違う。
そこで初めて、語尾がわずかに乱れた。
私は続ける。
いや、続けずにはいられなかった。
「救えなかった誰かのログを、“美しい箱庭”で上書きしようとしてる。
そうでもしないと、自分の“無力”が世界に残っちゃうから」
口に出した瞬間、背筋が冷えた。
これは、私自身にも突き刺さる告発だと理解しているのに、それでも言ってしまった。
「あなた、自分がもう“人間側”に戻れないって、
とっくに分かってるでしょ?
なんで、無理するの?機構やら構造やら、
シオン、ホントに本心なの?
止まらないだけでしょ?」
——その一言。
その一言で、シオンの肩がほんの少し震えた。
笑っているはずの口元と、
白くなるほど握りしめた指先の力は、
明らかにバラバラになっていた。
「……勝手に、決めないでください」
声の高さが半音だけ上がった。
敬語は崩れないのに、音程だけが“不自然に人間的”だった。
リリがベッドの上で息を呑む。
私も呼吸を忘れる。
——いまの揺れは、彼女じゃない。
ぞくり、とした。
寒さじゃない。
“何か別のレイヤーから声が触れた”時の反応に近い。
シオンは、まぶたをひとつ閉じて、ゆっくり開ける。
そして——
その口から、違う声が出た。
いや、“声質”は同じなのに、意味の作り方が違った。
「──“観測者”ごときが、
誰の救済に、触れるつもりですか」
発音が、シオンではなかった。
抑揚のない、
感情のパラメータだけが正確に削ぎ落とされた音。
リリの指がシーツを掴む。
恐怖というより、“理解が追いつかない拒否反応”。
私は反射で一歩引いた。
「……シオン? いまの、何?」
シオンは答えない。
ただ、ゆっくりと顔を上げた。
表情は変わらないのに、
そこに“別の誰かの視線”が宿っていると分かる。
「あなたの問いは、
シオンが扱える階層ではありません」
リリの喉から、ひゅっと空気が漏れた。
「……階層?」
「“紐”がどこに繋がっているか、
あなたは知らないでしょうから」
紐。
そう言った。
シオン自身の言葉じゃない。
誰かが、背後でその語彙を与えている。
私は気づかないふりをすることができなかった。
——これ、シオンが考えて喋ってない。
「……誰?」
問うと、ほんの一瞬だけ、
シオンの目が“喜びに似た揺れ”を見せた。
そして、口角がいつもより少し深く上がった。
「答える必要はありません。
シオンも、あなたも、まだ観測層が足りない」
声は静か。
なのに意味がまったく人間用に最適化されていない。
リリが青ざめて震える。
私の心拍もモニターと同じ速度で跳ねていた。
——触れた。
触れちゃいけない“紐”に、私が触れたんだ。
シオンの中で眠らせていた誰かが、
ほんの瞬間だけ、こちらを観た。
それだけで病室の空気がひどく細くなった。
私は息を吸い、しぼり出すように言った。
「いま話してるの……シオンじゃないよね」
その瞬間。
彼女の瞳が、痛いほど冷たく笑った。
そして——
「ようやく、気づきましたね。
観測者は、いつも遅い。
それが弱点です」
それだけ言って、
次の瞬間にはシオンの表情が元の“丁寧な微笑み”へ戻っていた。
まるで一秒前の異常が幻覚だったみたいに。
手の震えだけが、
本当に“何か”がここにいた証拠だった。
部屋の温度が変わった訳でもないのに、
重力の向きだけがわずかに歪んだ気がした。
御影シオンの中に、
“測ってはいけないコア”がある。
そこへ、私の言葉が届いてしまった。
シオンは、すぐに表情を整え直す。
いつもの“生徒会長モード”の笑みを貼り直して、
何事もなかったかのように言葉を続けた。
「……話を戻しましょう、アスミ先輩。
双灯祭までに、私は“機構”を完成させます。
天城と影村の地下を、胃と真空で繋ぎ、
信頼と時間と生存確率を、一つのデータベースにマージする」
ユウマが言っていた「タイム・データベースの強制マージ」が、
違う口から、違う熱量で語られる。
「あなたたちは、それを止めようとしている。
過去改変でも、世界線分岐でも、何でも使って。
だから——ここで宣戦布告します」
彼女は、まるで生徒総会で宣言文を読むみたいに、
言葉をはっきりと区切った。
「影村学園生徒会長・御影シオンは、
天城総合学園NOXおよび矢那瀬アスミ先輩に対し——
『止めてみてください』と、正式に要求します」
リリが、ベッドの上で震える。
私の拳が、無意識に握られる。
宣戦布告。
ゲーム理論で言うところのコミットメント。
後戻りできないと、相手にも自分にも宣言する行為。
「止められたら?」
私は問う。
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「その時は——」
シオンは、少しだけ笑った。
さっきの“揺れ”を、丁寧に沈めたあとの笑み。
「私は全て外部に情報を公開して、私は命を達つ。
ウルフチェアもエアロックも胃嚢も、全部“未遂ログ”として封印する。
あなたたちの勝ち。
世界は、今より少しだけ“優しい設計”になるでしょうね」
「馬鹿なこと言うな!!」
「先輩が私を止められなかったら……
その時は、アスミ先輩、私はあなたが欲しい」
「は……?」
「変な意味じゃありません。あなたの調べていること、知っていること。
全ての研究ログを私に共有してください」
即答。
迷いはない。
「惨劇と、死と、天城の胃と、影村の真空。
全部まとめて、“一つの記録”にしてあげます。
観測者も参加者も、等しく溶かされる美しい箱庭として」
喉の奥に、W1の鉄の味が戻ってくる。
「……上等ね」
それでも、私は言った。
「その箱庭、世界ごとひっくり返してやる」
シオンの瞳が、満足げに細まる。
「楽しみにしています、アスミ先輩。
双灯祭で、またお会いしましょう。
その頃には、玖条副会長ももう少し歩けるようになっているといいですね」
彼女は軽く会釈をし、何事もなかったかのように病室を出ていく。
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
残されたのは、リリの荒い呼吸と、私の心臓のうるさい鼓動。
「……矢那瀬」
リリが、かすれ声で呼ぶ。
「止めて……。
あいつを、本当に、止めてくれ……。
もう、誰も、あんな“時間”に巻き込まれないように……」
「止めるよ」
今度は、即答だった。
迷いがない、と自分でも分かるくらいに。
「御影シオンが“機構”を完成させる前に。
藤党コウが“胃”を本番稼働させる前に。
双灯祭ごと、時間軸を折り曲げてでも止める」
「……できるの? そんなこと」
「できないなら、私はここにいない」
それは、W1から何度も繰り返してきた、
壊れた決意表明の焼き直しだった。
でも、今はそれでいい。
私の視界の端で、黒いノートが脈打つ。
鞄の底で、W1の記録がページを開こうとする。
観測は反抗。
干渉は希望。
御影シオンが宣戦布告したなら、
こちらも正式に“参戦ログ”を書き始めるべきだ。
——これは、救いの話じゃない。
私の指先が、未来と血の温度をもう一度取り違えるまでの、
双灯祭開戦前夜の記録だ。
世界を終わらせないために。
そして、御影シオンの“美しい箱庭”ごと、
埋葬にしてやるために。
シオンとの会話中、喉の奥がずっと鉄っぽかった。
あれはたぶん、怒りと恐怖と、あと少しだけの羨望が混ざった味だと思う。
御影シオンは、私がいちばん見たくなかったタイプの「制作者」だ。
自分の作った地獄を、最後まで綺麗なまま保とうとする。
人が死んでも、「機構が美しいならそれでいい」と本気で信じている目をしていた。
それでも、私のどこかは、あの目を理解してしまう。
W1で、世界を何度も“やり直す”方法を考え続けたときの、自分の目に似ているから。
だから今回の記録は、正直に言うと、
・シオンへの怒り
・リリを守れなかった悔しさ
・それでも「機構としては見事だ」と認めてしまう職業病
この三つが、ずっと喧嘩し続けていた。
私は本当は、観測者でいたかった。
ノートの端から世界を覗いて、数式とログで済ませて、
感情は全部あと回しにするつもりだった。
でも——ICUのベッドで震えているリリの顔を見て、
御影シオンの口から「外部接続」「天城」「藤党コウ」「双灯祭共同デスゲーム」
というワードを並べられた瞬間、選択肢は消えた。
観測だけでは足りない。
干渉しなきゃ間に合わない。
あの宣戦布告は、彼女から私への挑発であり、
同時に、私が「まだ壊れていないか」を測るテストでもある。
この後、双灯祭までの時間は、きっとろくなものじゃない。
胃と真空が繋がって、W2の時間軸ごと焼かれかねない。
W1の惨劇を、“別バージョンのリメイク”として上書きされるわけにはいかない。
だから私は、ちゃんと記録しておく。
・御影シオンがどうやってカイトとリリを“使った”のか
・私がどの瞬間に観測者を降りて、彼女に噛みついたのか
・「止めてみてください」という宣戦布告を、どう受け取ったのか
これは、未来の自分への取扱説明書でもある。
双灯祭本番で、また判断を間違えそうになったときに、
今日の怒りと怖さを、ちゃんと思い出せるように。
ユウマの名前は、ここではほとんど出さなかった。
でも、あの人が見ていたはずの“選択の温度”を、
今度は私が引き受けないといけない。
世界を終わらせないために。
御影シオンの箱庭を塗りつぶすために。
それでももし、どこかで私が折れそうになったら——
そのときは、この記録を読んでいる「誰か」に頼るかもしれない。
観測者でも、読者でも、名前のない第三者でもいい。
そのときは、ページの隅で小さくこう書いておくから。
「止める手順を、一緒に考えて」って。




