EP77. 黒と灰「なかったこと」と「残すこと」のあいだで
黒葬は、便利すぎる。という話がNOXで議論になった。
確かに便利すぎて、そろそろ本気で俺の首を締めにきている。
このログは、NOXの内部戦術資料ってより、**俺自身への“使用説明書”**に近い。
黒葬を「勝つための必殺技」として見てると、多分どこかで取り返しがつかなくなる。
世界か、俺か、その両方か。
だから一回、ちゃんと言語化しておく。
・黒葬が何を壊していて仮のコンセプトがどこまで代わりになり得て
・それでも最後に、“どっちの地獄を選ぶか”決めるのはタナトス(俺)だってことを。
読み物としては、たぶんチイロのミーム講義と、レイカの舞台比喩と、トウタのスレタイ芸で、いつもの通りカオスになる。
でも、そのごちゃごちゃの底にある「これは笑い事じゃねぇぞ」という温度だけは、忘れたくない。
将来の俺が、黒葬に逃げそうになったとき、
このログを開いて一回は悩んでくれれば、それでいい。
——タナトス/岡崎ユウマ
結論から言うと、黒葬は、便利すぎる。
敵も弾丸も悲鳴も、ぜんぶまとめて「なかったこと」にできる。
俺の手の中にあるのは、“勝利手段”というより、世界のログを白紙にする消しゴムだ。
——で、その消しゴムを何回もぶっ放した結果が、今、目の前にあるこれ。
「……あまり……多用も……考えものだ」
ノード・ゼロのホログラムに浮かぶ一帯のマップ。
ど真ん中に、綺麗な楕円の “何もない穴” がある。
温度ログ、音圧、振動、映像、電磁波。
どのセンサーも、その楕円領域だけ まっさらなゼロ を出している。
ミナトが無表情で言う。
「……数式的に言うと、“世界のここだけ NaN(Not a Number)”」
「やめて。
“NaN 地帯”とか、新手の心霊スポットの名前みたいに言わなーい」
コーラ片手のチイロが、半笑いでツッコむ。
でも、その笑いの奥に、ちゃんと刃があるのは分かる。
ここは、俺が黒葬を三回連続で使った場所だ。
敵部隊はきれいに消えた。
味方の死人はゼロ。
表面的な戦果だけ見れば、優等生みたいな戦い方。
代わりに残ったのが、この “世界の穴”。
レイカが腕を組んで、鳥肌をさすった。
「現地、マジやばかったよ……!!
“何も置いてない舞台の真ん中で、音響も照明も全部死んだ”みたいな感じ。
拍手どころか、自分が息してる音すら聞こえないの」
「実際、そこだけ音響ログも飛んでる」
ミナトがパネルを拡大する。
「振幅ゼロじゃなくて、“計測不能”。
センサー側が『ここは世界じゃない』って言ってるみたいな挙動」
トウタがスマホをいじりながら、軽く口笛を吹いた。
「スレタイ:《【速報】世界にバグ穴空いた件【タナトスやりすぎ】》
※いや笑えねーやつだこれ」
ミサキは珍しく笑いもしないで、手帳をぱたんと閉じた。
「……これ、医務室から見た意見、言っていい?」
「頼む」俺は素直にうなずく。
「黒葬をこのペースで使い続けたら、
一番最初に壊れるの、世界じゃなくてユウマの脳」
「お、おう」トウタが反応する。
「履歴を“なかったこと”にするたび、
ユウマだけが『そこに事象があった記憶』を持ち続けるんだよ。
他の誰のログにも残ってないのに。
PTSDの治療どころか、“診断項目にない系統のトラウマ”になる」
ミサキの声は淡々としているのに、
胸の内側にだけやたら効いてくる。
「確かに」
——分かってる。
黒葬が「勝利技」じゃなくて、
**“誰も記録しないように痛みを抱え込む技”**だってことくらい。
挙げ句の果てに、これは黒葬の表層部分の効能に過ぎない。
俺は、当然更に進んだ見解に達している。
ただ、それはまだ伏せている。
そんなことを考え、俺が何も言えずにいるうちに、チイロが手をパンと叩いた。
「はい、それでは本日の議題を発表します!」
ノード中央のディスプレイに、でかでかと文字が出る。
> 《黒葬多用が世界とタナトスに与える悪影響について
> ——そして、新必殺技を作ろうの会》
「タイトル軽くない?」俺。
「中身が重いから、タイトルでバランス取ってるの。
大喜利の皮を被ったガチ会議って最高のフォーマットじゃん」
ほんとこの人は。
だが、必要な会議でもある。
黒葬は、「使えば勝てる」けど「世界が削れる」技であることに意見はない。
代わりの刃を、そろそろちゃんと用意しないといけない。
俺のためにも、世界のためにも。
⸻
1. チイロによる「黒葬ヤバさ講座」
——AA付きミーム解説
「じゃ、まずは古のミーム方式で“黒葬の何がヤバいか”講義しまーす」
チイロが端末をくるりと回し、ホログラムに古風な掲示板UIを出す。
—
【スレ立て】
タイトル:黒葬って実際どうなん?【便利だけど世界バグらせがち】
1 :名無しの観測者
黒葬ってさ、
・敵が消える
・弾もログも消える
・ついでに「戦闘があった記録」も消えるっていうチートじゃん? 最強じゃね?
2 :雲越チイロ◆
>>1
結論:最強だけど運営(世界)からBANされるタイプのバグ技なわけ。
—
「自分で自分にレスしてない?」トウタ。
「テンポ重視。で、続き」
—
3 :雲越チイロ◆
黒葬の処理、ガチでヤバポイントを分けるとこう↓
【① 虚数座標の生成】
『虚数の地に座標を刻む』時点で、
世界の座標系とは独立した“虚数軸ロケーション”が一瞬だけ出来る。
これ、「世界Aの外に、ポケット次元Bを開いてる」イメージ。
【② 情報キャリアの殺害】
『光沈・音潰』で光と音=観測の二大キャリアをゼロ位相に圧縮。
ここから先、誰も“何が起きてるか”を測れない。
【③ ΔE=ΣΩに還元】
散逸エネルギーを“総位相和”として吸収。
要するに **「熱もショックもぜんぶ“どこにも残らない形”にする」**ってこと。
結果:
・敵は消える
・弾道は途切れる
・会話ログも途中から消える
・あとで解析しようとすると、その場所だけ White Void(白い穴) になる
—
チイロはそこでホログラムに、
この前の戦場に空いた白い楕円の写真を出した。
「で、こいつが問題なのは二つ」
指を二本立てる。
「A)X-series(観測依存体)の巣になりうる
“誰も見てない・見れない領域”って、
観測依存の異形にとってはめちゃ居心地いいのね。
光も音も来ない、ログも残らない。
『誰にも見つからない安全物件』」
ミナトが頷く。
「観測再開時、境界に異常な干渉縞が出てた例もある。
あれはたぶん、X-series が穴の縁で“こっちに来ようとしている”波形」
「B)タナトスのメンタルが死ぬ」
「雑じゃない?」俺。
「雑じゃない。
“世界線の履歴から消した出来事”を覚えてるの、基本タナトスしかいない。
黒葬で消えた時間帯の、
・死にかけたやつの表情
・自分の判断ミス
・決定打になった一撃
これ全部、“証拠ゼロのまま記憶される罪悪感”になる。
元々、ユウマが黒葬を撃った事実を私達に開示して、初めて、キミ以外はそれに追いつく。
それまでは、なかったことのまま、しかも、ユウマ自身がそれをイレイザーのバックアップ機能で
無理やり繋ぎ止めているだけ」
ミサキが静かに付け足す。
「医務室の観測でも、黒葬を撃った日の夜は
ユウマの睡眠深度ログ、バグってる。
レム期が来ない。まるで、泥の中で目を開けてる感じのノンレムだけ続く」
レイカが小さく手を挙げた。
「舞台的に言うとね……
“本番の幕は確かに上がって、ボロボロの演技をして、
それを観てたのがタナトス一人だけで、
終わったあと『そんな舞台なかった』って台本が書き換えられる、
みたいなもんだよ」
「うわ」トウタが顔をしかめる。
「役者全員の黒歴史を、一人で抱える演出家じゃん。
重すぎ草」
「草じゃない」ミサキ。
俺はコートの襟を指でつまんで、深く息を吐いた。
「……要するに、
黒葬は“最後の最後、これしかない”場面でしか使っちゃいけない」
「そう」チイロが頷く。
「核兵器みたいなもん。
普段から撃つものじゃなくて、“撃てる”って事実だけで抑止力になるやつ」
「じゃあ俺、何で戦えって話になるんだ?」
思わず、本音が漏れる。
黒葬を抜きにしたら、
俺はただの——訓練された高校生だ。
元々、長期的な戦闘を手早く終わらせ、負担を限りなく0にするというのが設計コンセプト。
黒葬発動前の時間を稼ぐためのイレイザーの性能。
仮に拳銃も刃物的な武装を実装しても、それはあくまで時間稼ぎであり、決定打には……。
まあ、ミサキの脈葬みたいな物騒な戦い方もあるにはあるが……。
特にW1由来の怪物たちに対しては「おまけ」みたいなもんだ。
チイロはそこでにやりと笑って、
ホログラムに新しいタイトルを出した。
> 《新必殺技案:灰葬/観測保持型・終端技》
「——作ろ。“世界を削らずに済むタナトスの必殺技”」
⸻
2. 新技コンセプト——「消さないで倒す」って難易度高すぎ問題
「名前だけキレイに先行してない?」トウタ。
「形から入るのが正義」チイロが胸を張る。
「コンセプトは三つ」
ホログラムに bullet が並ぶ。
1. 黒葬と違って 虚数ロケーションを完全には開かない
2. 光と音は殺さず、“位相だけずらす”
3. 事象は “ちゃんとログに残したまま” 終わらせる
「……要するに?」レイカ。
「簡単に言うと、
“敵だけぶっ倒して、世界の観測ログはちゃんと残すフィニッシュブロー”」
「言うは易しすぎんか?」俺。
ミナトが補足する。
「概念としては、“位相減衰葬”だ。
対象の運動エネルギー・思考パターン・信号を、
一気に高周波数帯へシフトさせて、熱として散らす。
でも、その過程を丸ごと観測する」
「観測しながら殺すの?」ミサキ。
「“殺す”か“戦闘不能にする”かは、設計次第。
ただし、ログは残る。
黒葬みたいに “世界線の穴” は開かない」
チイロがホワイトボードを引き寄せ、
極端にざっくりした図を描く。
・黒葬:ブラックレクイエム
世界線───◎(黒葬発動)───ログ空白
↑ここだけ白飛び
・灰葬:アッシュレクイエム
世界線───◆(灰葬発動:超高密度ログ)───通常ログ
↑ここだけ “情報が詰まった灰色の層” になる
「ね、灰色でしょ。だから灰葬」
ネーミングの雑さがすごい。
「その灰色の層、何が入ってるんだ?」俺。
「対象の行動ベクトル、感情波形、周囲との相互作用ログ。
“もう二度と再現しなくていいように、事象の細部までちゃんと記録したうえで終わらせる層”」
——黒葬が「消して救う」なら、
灰葬は「見届けて終わらせる」技。
正直、黒葬よりよっぽどキツいような。
見ずに済む地獄から、最後まで見る義務を背負う地獄へ変わるだけだ。
「その代わり」ミナトが続ける。
「X-series 対策としては、灰葬の方が圧倒的に安全だ。
観測を餌にする異形に対して、“過剰観測で焼き切る” 方向の技にもなり得る」
「オーバーキル観測……」トウタが腕を組む。
「『見過ぎて死ぬ』って、ホラー的には一番洒落にならんやつ」
レイカは顎に手を当てて、舞台的に整理する。
「つまりこう?
黒葬:
——舞台を真っ暗にして、観客ごと全部落とす。
灰葬:
——スポットライトの光量を限界まで上げて、照明の熱で敵役だけ焼き切る。
でも、その一瞬の芝居は全カメラでちゃんと撮っておく」
「例えが良すぎて怖いんだよな」俺。
⸻
3. 実装会議——タナトスの身体スペック問題
概念は分かった。
問題は、**「それを俺の身体でやれるのか」**だ。
「いや、無理では?」って気持ちで手を挙げる。
「黒葬だって イレイザー装備+Chrono-Scope補助+W1からのフィードバック ありきだし。
新技なんて増やしたら、尚更負荷が——」
「はい出た、“自分のスペック低く見積もり選手権・優勝候補”」
チイロが即ツッコミ。
「君、もう自覚した方がいいよ。
“世界線の端っこでバグ技使える人間”って、その時点で充分バグだから」
トウタが笑う。「ブーメランじゃん」
ミサキが真面目顔で口を挟む。
「身体的条件だけ整理しよう。
灰葬を使うには、
1)周囲環境の観測データをリアルタイムで把握
2)対象の行動と感情波形の読み取り
3)それを位相シフトさせて散逸させるための“操作ベクトル”をイメージ
4)自分の生体負荷を、その間保ち続ける
必要がある」
「はい死んだ」俺。
「あ、まだ続きある」ミサキ。
「5)その過程の全部を“罪悪感だけでなく、意味として記憶する”」
「二回殺された」
「そこを**“意味として整理する”**のがタナトスの仕事でしょ」
チイロが肩を竦める。
「黒葬の時点で、もうそれやってる。
ただログに残らないだけ。
だから、ログに残る形に変えようって話」
ミナトが端末を操作し、
俺の過去の黒葬使用時の脳波ログを出す。
「ここ。
黒葬直前、ユウマの前頭葉と側頭葉の活動が
一瞬だけ “灰葬とほぼ同じパターン” を示している。
そのあとで一気に活動を切って、虚数層に逃がしている」
「つまり、やろうと思えば、最後まで観測した状態で留まることもできる」
チイロがまとめる。
「今までは、あえてそこから**“逃げる選択”**をして、黒葬に落としてた」
つまり、灰葬は「新技」ってより、
黒葬の一段階手前で止める応用みたいなもの、らしい。
「ただし」ミナトが締める。
「黒葬より、タナトス本人のメンタル負荷は確実に増える。
だから、運用には条件をつける必要がある」
ミサキが手帳を開く。
「提案。
灰葬は、“一戦闘あたり一回まで”。
連続使用は禁止。
使用後は必ず医務室チェックとカウンセリングを義務化」
「仕事増やしてない?」俺。
「増やしてる。
でも増やさないと、君たぶん“見えちゃいけない速度で壊れる”から」
レイカが、舞台演出っぽく指を鳴らす。
「じゃあこうしよ。
黒葬=“千秋楽専用の奥の手”
灰葬=“通常公演でギリ許される、派手なトリック”
それ以外のシーンは、普通に立ち回りと連携で魅せる」
トウタがニヤっと笑う。
「スレ的には《タナトス、新技解禁も“1日1灰まで”【過労死防止】》ね」
「タイトルに福祉ワード入れるな」
⸻
4. 試験運用——タナトス、灰葬に手を伸ばす
数時間後。
灰葬の“試験運用”が、ほんの少しだけ早い形で来た。
校外の廃ビル群。
W1残滓由来の“残響群像(X06)”が、
音響実験室から抜け出して彷徨っているという報告。
音を喰う異形。
近づくほど、自分の足音が消えていく。
静寂が、耳の奥から侵食してくるタイプ。
「黒葬じゃダメ?」とレイカ。
「ダメ」ミサキ即答。
「あれに白い穴まで足したら、本当に戻ってこられなくなる」
結局、前衛に俺とレイカ、
後方サポートにチイロとミナト、
医療バックアップにミサキ、
遠隔ログ偽装&緊急広報にトウタ、という布陣で現場に入った。
廃ビルの五階。
天井の蛍光灯は半分死んでいて、
残りの半分は “点いている音だけがしない” 不気味な光を落としている。
フロアの中央に、それはいた。
無数の人影の「輪郭」だけが、
空気の歪みとしてぼやけて揺れている。
喋っている。
笑っている。
泣いている。
でも、一つの音も聞こえない。
X06 残響群像。
観測ログ上では、「過去にここで話された声の残留波形」が
構造化して“群像”を形作っているらしい。
「キモ……」レイカが小声で言う。
その「キモい」すら、空間に飲まれて消える感覚。
——黒葬を切れば、楽だ。
虚数の座標を刻んで、この群像ごと穴に落とせば、それで終わる。
だがそれをやったら、
このフロアは 完全な NaN 地帯 になる。
次に誰かがここを調査するとき、俺たちは「何もなかった」としか報告できない。
それを、今は選ばないと決めた。
「ユウマ。やれる?」
背後からチイロの声。
「灰葬、一回だけ。
**“この群像の物語を全部見てから終わらせる”**やつ」
喉が乾く。
イレイザーの襟を握り直す。
「……やる」
HUDが切り替わり、
視界に X06 の波形解析がオーバーレイされる。
膨大な「会話ログの残骸」が、
まるで 砂嵐の中の文字みたいに、
意味を持ちかけては消えていく。
——これを、全部、一瞬で“見届ける”。
俺は呼吸を整え、
黒葬とは違う詠唱を選んだ。
「虚数の地に——触れはしないが、座標だけ測る」
世界の外に穴は開けない。
ただ、 “外側の境界線”までメジャーを伸ばすだけ。
群像の輪郭が、
一瞬だけ はっきりと人の形を取る。
笑い声。
泣き声。
怒鳴り声。
告白。
謝罪。
冗談。
秘密。
全部、音としてじゃなく、“意味の塊”として脳に押し寄せてくる。
胃がひっくり返りそうになる。
膝が抜けそうになるのを、
外骨格の補助で無理やり支える。
「光沈でも音潰でもない」
自分で自分に言い聞かせる。
「光は記録に、音は履歴に。
全部そのまま、世界線に流し込め」
HUDのログスループットが跳ね上がる。
Chrono-Scope のバッファが、悲鳴を上げながらフル稼働する。
ΔE=ΣΩに還れ——と言いかけて、
言葉を変える。
「ΔE=ΣΩに——刻め」
灰葬 アッシュレクイエム
散逸エネルギーを、消すんじゃない。
“世界の熱史の一部として記録する” 方向に流す。
群像が、灰色の炎に包まれ、白く発光した。
音のない悲鳴が、空間を満たす。
次の瞬間——
輪郭そのものが、灰になって崩れ、
床にうっすらと「人影の灰色の跡」だけが残った。
音が戻る。
蛍光灯のジジジというノイズ。
レイカの息を呑む音。
自分の心拍。
世界が、「ここで何かがあった」と認めている。
HUDの端に、ミナトのメッセージが飛んだ。
> 観測ログ取得完了
> 音声・映像・波形、すべて記録
> X06:消滅。NaN領域なし
膝から力が抜けた。
今度こそ、本当に倒れそうになったところを、
後ろからミサキが支える。
「限界まで使ったね。
はい、問答無用で医務室行き」
「……まだ歩ける」
「歩けるけど、“大丈夫じゃない”やつ。
目が完全に“昨日までの人生全部見直してきました”の人になってる」
レイカが床の灰色の跡を見つめている。
「ねえユウマ。
今の、舞台的には、すごく嫌いじゃない」
「どこらへんが」
「“役者たちが残した足跡を、ちゃんと照明で照らして見届けたうえで、本番を終える”感じ。
誰もいない舞台に足跡だけ残るの、悲しいけど、正しい終わり方っぽい」
トウタがスマホを掲げてニヤニヤする。
「スレ報告:《X06、灰になって消える。
——タナトス、初の“灰葬”成功か【ログ付き】》」
「ログ上げんな」俺とミサキの声が重なった。
⸻
5. 黒葬と灰葬——どっちも地獄、でも色が違う
その夜。
ノード・ゼロで灰葬のログを確認しながら、
チイロがぽつりと言った。
「……どう?」
「どうって何が」
「黒葬の後と、灰葬の後。
どっちの自分の顔が、マシだと思った?」
モニタには、
黒葬発動後の俺の顔と、今日の灰葬直後の俺の顔が並んでいる。
黒葬の方は、
何も映ってない。
虚無。
罪悪感すら、ログから削れ落ちそうな空白。
灰葬の方は、
疲弊と吐き気と、どうしようもない悲しみが滲んでいる。
でも、その奥に、小さな安堵のノイズがある。
「……灰葬の方が、まだマシだな」
自分でも意外なくらい、即答だった。
「黒葬のときは、“自分の感じてる痛みすら世界が否定してくる”感じだけど。
灰葬は、“痛かったことを世界が証人として残してくれる”」
チイロが目を細める。
「うん。
それが、“記録を残す側の優しさ”」
「優しさって、もっとふわふわしたもんじゃないのか」
「ううん。
残酷な現実を『なかったこと』にしないで、ちゃんと『あった』って言うこと。
それをした上で次に進ませること。
それ、十分に優しいよ」
俺は、灰葬で焼かれた残響群像のログをもう一度再生した。
そこには、
人の笑い声も、
喧嘩の声も、
泣きながら別れ話をしている声も、
しょうもない下ネタも、
テスト前に愚痴っている声も、
全部、ちゃんと残っていた。
それを潰したのはたしかに俺だ。
でも、それを **「一度ここで生きていた痕跡」**として
残したのもまた、俺だ。
黒葬は、100%再び撃たれる。
Re:Genesis_Stage0 の最後のハンコ。
そして、なかったことにした結果による、残酷な構造そのものが100%の数字の根拠。
この話もいずれしなければならない。
その時には、また一つ隠し事が増える。
だから、灰葬を覚えた今、
俺は少しだけマシな地獄を選べるようになった。
「なあ、チイロ」
「なに」
「もし今度——
W1に殴り込むときが来て、
どっちか一発しか撃てないって状況が来たら。
お前だったら、黒葬と灰葬、どっちを選ぶ?」
チイロは少しだけ考えてから、
笑って答えた。
「私?
迷わず “灰” かな。
だって、“物語を残すために戦ってる”し」
「……そうか」
「でも、
“皆の命が守れるのが黒しかない”って場面だったら、
迷わず黒を選ぶタナトスのことも、私は否定しないけどね」
それは、
俺がいちばん聞きたかった言葉だったのかもしれない。
黒葬は、使えば使うほど、
俺を世界の外側に追い出していく技だ。
灰葬は、使えば使うほど、
俺を 世界の「中」に縫い付ける技だ。
どちらにせよ、楽な道じゃない。
でも、その二つを持ったうえで、
どこでどれを抜くかを決めるのが、タナトスって役割なんだろう。
そう思えるくらいには、
俺もこの学園と、
このどうしようもない仲間たちに、
もう根を張ってしまっている。
⸻
——黒葬は、「世界からの非記録化」。
——灰葬は、「世界に刻んだうえでの終端」。
消すための技と、残すための技。
どっちも、誰かを守るためにしか使わない。
それだけは、
次の戦いでも、その次の戦いでも、
おそらくW1への宣戦布告の夜でも——
絶対に曲げないでおこうと思う。
書き終わって気づいたけど、
これ、**必殺技の自慢ログじゃなくて、「必殺技を減らすための反省文」**だな。
黒葬はまだ手放せない。
いつかW1に真正面から殴り込むとき、あの「世界ごと切り離す手」は必要になる。
そのとき俺は、多分、迷って、それでも押す。
でも、日常の戦場——X-series とか、残響群像とか、双灯祭の裏で蠢く細かい地獄に対してまで、
毎回“世界を穴だらけにする”必要はない。
そこを埋めるために、灰葬みたいな「ちゃんと見て、ちゃんと終わらせる技」を作った。
後始末優先の必殺技なんて、高校生男子としてはどうなんだって気もするけど。
たぶん俺はこれからも、
「消した方が楽」な場面と、「残した方が正しい」場面の境目で、毎回ぐらつく。
そのたびに、チイロがミームで殴ってきて、ミナトが数字で釘を打って、
ミサキが保健室送りを宣告して、トウタがスレを立てようとして、レイカが舞台に例えてくる。
その全部をひっくるめて、俺は**“タナトスとしての責任”**と呼ぶことにした。
必殺技の名前より、そっちの方がよっぽど重いし、逃げにくい。
いつかW1宣戦布告を再開するとき、
今日のこのログが **「少なくとも、一回はちゃんと悩んだ証拠」**になってくれればいい。
——次の戦場でも、
できれば“灰色”で済ませたい。
真っ黒か真っ白しか選べない世界は、もうW1だけで十分だ。
タナトス/岡崎ユウマ




