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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第一章 死の観測者編

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EP7. 尊い統計とパラレルロジック

 図書館の最上階。

 蛍光灯が一拍遅れて瞬く、そのリズムに合わせるように、僕の心臓も揺れた。


 矢那瀬アスミのことを知りたい。

 ——そう思った瞬間、僕の足は自然と雲越チイロのもとへ向かっていた。


 冷酷無比と噂される理論派。

 けれど、同時に彼女はアスミの「先輩」であり、この世界でただ一人、僕とアスミを繋ぐヒントを持つ人間かもしれない。


 彼女の言葉は数式より冷たく、けれど時にミームより軽い。

 その矛盾を前に、僕は優等生の仮面を崩さず、扉を叩いた。


——これが、世界線を揺るがす会話の始まりになるとは知らずに。


 蛍光灯がチカ、と瞬いた。

 図書館最上階の閲覧室で、雲越チイロはノートPCを叩いていた。桃色の髪を無造作にまとめ、指先は冷たく数式を打ち込む。けれど、その雰囲気はただの研究者だけじゃない。


「雲越先輩。……矢那瀬アスミについて、伺いたいことがあります」


 僕が声をかけると、彼女はカタリとキーを止め、ちらりとこちらを見る。

 その目は氷みたいに冷たいのに、口元はわずかにゆるんでいた。


「……あーあ。やっぱりその話になるわけね。ほんとフラグ回収早すぎ。少年漫画かっての」

 女子的な柔らかさと、オタクっぽいツッコミが同居した声。想像とは随分と印象が違う。

 だがその奥には、油断ならない観察眼がある。


「アスミについて知りたいんでしょ?」

「……はい」

「じゃあまず確認するわ。“過去改変”って、どういうことだと思ってる?」


 唐突に飛んできた試問。

 やっぱりこの人、会話をいきなり論文査読モードに切り替えてくる。


 僕は観測者に最適化した笑顔を崩さずに答えた。

「時間軸のある時点に介入し、既存の履歴を上書きすること……だと」


「はいはいだめー!不合格〜。残念でしたー!短絡的すぎ。そういうとこが男子だよね」

 あっさり切り捨てる。けれど、声のトーンはちょっと楽しそうだった。


「いい? 過去改変って“もう演算済みの結果”を二度解かせるようなもんなの。

完成済みの数独に『もう一回別解で解け』って言ってるのと同じ。自己矛盾で詰みなんだが(笑)」


 そう言いながら、チイロはノートPCをくるっと回してきた。

 そこには量子デコヒーレンスを基にしたシミュレーション。並行世界を「初期条件の揺らぎ」として数式化した図表が並んでいる。


「で、ここからが本題。君さ、妙にアスミに引っかかってるでしょ?」

「……なぜそれを」

「目が泳いでる。バレバレですけども??」

 小さく笑いながら、でも目だけは冷ややかだ。


「実は前にアスミも言ってたんだよね。“名前は思い出せないけど、すごく親しかった男子生徒がいた”って」


 僕の胸の奥が一瞬にして跳ねた。


——ユウマ。

 あの声が、脳裏の深層から刺さってくる。

 「この世界の出来事ではない様な、つまり別の世界の記憶の様なものがずっと頭にあるんです……。そこにはアスミの姿がありました」


「ふーん」

 チイロは、無造作にペンでホワイトボードに線を二本引いた。


「つまり君たちは、どこか別の世界の、それまた世界の中心で愛を叫んでいた可能性があるから

そこのとこ詳しく教えてチイロ先生〜。って状況下なのね?」


「便宜上君たちのラブラブ世界をW1、こっち、つまりこの世界をW2って呼ぼうかな。

 結論から言うとW1には君とアスミが“共に在った”可能性がある。

そして再度言うよ?

W2が、今わたしたちが実際に観測してるこの世界……。

ここまでOK??」


「……W1で何が起きたかは」

思わず口が動いた。


「知らなーい。ってかわたしが知るすべここまで聞いてて

あるとも思われ?」


 あっさり。しかも肩をすくめてみせる。

「わたしだって全知全能じゃないし? ただ、W1は“記録から外れた世界”ってことだけは確かね」


 彼女は唇の端を上げた。

「ま、アスミと君の“謎の恋人未満関係”が鍵になるのは間違いない。

いやぁ、並行世界まで持ち込んでイチャイチャとか、やってることポリコレ違反じゃない? ──まあ面白いけど」


 僕は言葉を失いかけた。だが彼女はすぐに真顔に戻る。


「岡崎ユウマ。忘れないで。失われた世界を探す行為は、自己破綻を招く。悪いけど辞めておきなさい。

それでも、アスミを追うなら——君も“逸脱者”になる」


 蛍光灯がジジ、と唸った。

 その冷たい光の下で、彼女の目は僕を値踏みする。

 けれど最後に小声で付け足した。


「……で、ここからネタに走るけど。もし君らが本当にW1から来たカップルだったら、マジで“前世の婚約者ルート”ってやつじゃん。二次創作で流行るやつ」


 僕は思わず絶句した。

 この人、冷徹な理論派なのか、それともただのミームオタクなのか。


 ——どちらにせよ、油断できない(笑)。

「逸脱者って、どういう意味ですか?」


「えっ?まじ?」

 ここまで言っても、まだわかんない?

 という顔をチイロはしている。


「仕方がないなぁー。えっと、W1とW2の関係ってね」

 チイロはホワイトボードに落書きを始めた。数式と一緒に、なぜか猫のイラストが描かれる。


「W1は“失われた世界”。君とアスミが確かにいた、いたんでしょ?でも今は観測できない。

W2は“現行の世界”。私たちが呼吸してるここ。

で、両者はね——言ってみれば、“セーブデータとロードデータ”みたいな関係」


「セーブデータ……ですか」


「そう。ゲームでセーブしたあとに違う行動を取ったら、未来は変わるでしょ?

でも実際には“セーブデータA”と“セーブデータB”が並行して存在するわけじゃない。プレイヤーがロードした瞬間、どっちかが表舞台に出るだけ」


 彼女はマーカーをくるくる回しながら、さらにこちらを見下ろす。

「で、アスミは“セーブデータA=W1”に戻ろうとしてる。でもねぇ……」


 口元に、冷笑と悪戯っぽさが同居する。

「二次元嫁に未練タラタラで前世ガチャ引き直そうとするオタクと同じ。無理筋なんだわ。残念」


「……例えが雑すぎます」

 思わず突っ込むと、彼女はクスリと笑った。


「雑じゃないよ。わかりやすいでしょ? でもね」

 急に真顔に戻る。

「君がさっき言った“断片的な記憶”。アスミが語った“名前を思い出せない男子”。これ、明らかに繋がってる。

つまり君とアスミは、別々に同じログを持ってる。二つの観測系が同じ断片を指してるってこと」


「……W1の記憶が、二人にだけ残っている」


「そう。でね、それを追えばどうなると思う?」

 彼女はわざと間を置き、口角をゆるく吊り上げる。

「観測外の情報を持ち込むってことは——世界の演算を狂わせる。バグ技と同じ。

だから私から言わせれば、君たち二人とも“逸脱者”」


 冷たい断罪。けれど声色はほんのり楽しげ。


 僕は拳を握った。

「それでも……僕は彼女を放ってはおけません」


 蛍光灯がまたチカ、と瞬く。

 チイロは一瞬だけ視線を外し、ふっと肩をすくめた。


「はあ……ほんとバカ。まあ、そういうとこ、嫌いなわけじゃないのだが……」

 小声で呟いたあと、マーカーをホワイトボードに投げ置く。


「ま、せいぜい頑張りなさいよ。**前世の婚約者(仮)**くん?」


 僕は思わず絶句した。

 けれど心臓は、なぜかほんの少しだけ軽くなっていた。


 蛍光灯がまた一拍遅れてチカッと瞬き、閲覧室の空気が薄い冷気で締まる。

チイロは椅子の背にもたれ、足を組み替えた。膝の上のノートPCには、さっきまでのデコヒーレンス式の横に、妙にゆるいフォルダ名が見えた。


「……“尊い”?」と視線で突っ込むと、チイロは画面をパタンと閉じて、わざとらしい咳払い。



「観測ノイズ。気にしないで。ていうか、見なかったことにして」


 いや、気になる。全力で気になる。

 でも追及したらこっちが負けだ。こういうタイプは。



「で、君のクエスチョン。ひとまず“アスミと距離を縮めるには?”だよね?だよね?」

 チイロはホワイトボードにマジックで「攻略チャート」と大書きし、その横に猫を描く。しかもさっきより猫がデフォルメされてて、頬がピンク。完全に楽しんでる。


「まずアスミの報酬関数を推定。勉強・研究・可愛いもの、この三つが高得点。恋愛フラグ? あれは外部変数だからさ直接叩いても絶対に反応しないだなこれが」


 すごく話してくれるなこの人。

「……直接叩かない」


「そうそう。自然に“調査”って名目で同伴させるの。

 具体的には……」

 指を一本一本折りながら、妙に楽しそうに列挙していく。


1.音響残留の再測定:旧教会から拾ったガラス片を体育館でRT60取り直し。テーマは『音と記憶』。これ、彼女めっちゃ食いつくし、釣れる。


2.特別展『脳の未来』:市立科学館。展示の偏りにツッコミ入れながら歩けば勝手に饒舌化。オタク特有の早口タイム突入。


3.学園祭準備:生体信号で光るアート作品。ELワイヤ+脈波センサーで「動物の耳が光る」やつ。可愛いは正義。


「釣るって言い方はどうかと(笑)あと3番が頭に入らない」


「釣りは科学。餌が適切なら魚は来るの。統計的有意差あり。だから誘い文句も“ごはん”じゃなく“実験”。

『再現実験の協力、お願いできる?』って言えば、むしろ喜ぶと思うよ」


「……喜ぶのか」


「アスミは“実験台もいとわない系”のオタク。ほら、君も薄々わかってるでしょ?」


 否定できない自分が悔しい。



「でね、忘れちゃいけないのが甘味だよねー!脳は糖で動くんだよ。実験の帰りに“偶然”カフェでプリン。硬め。揺らぎの少ないやつ」


「そこ、完全に先輩の嗜好ですよね」


「私はプリン教徒。異論は認めないのだがなにか?」

 どや顔で即答してから、ふいに視線を泳がせる。声色がほんのちょっと柔らかくなる。


「……恋バナ、嫌いじゃないの。

 他人の読むのは。読むのはね」


「免疫は?」


「うるさい。

 はいはいゼロに等しいですよー。

 けど観測はする。——だから、君とアスミの被験者ログは最高の教材になるの」


「被験者……」


「被験者Y(岡崎)。被験者A(矢那瀬)。目的:W1記憶断片の整合性、及びW2での行動逸脱の発現閾値を測る。副次目的:尊……いや、情動変数の時間発展を記録」


 最後の「尊」で噛んだ。

 絶対、あの“尊い統計”フォルダは本物だ。



「それにさ、正直言うと——君とアスミ、絶対面白がってなにかやらかすでしょ」

 チイロは顎に手を当て、観客席から眺めるみたいに言う。

「並行世界を実験台にするとか、過去を上書きするとか。もう既に“逸脱者フラグ”立ってる」


「面白がって、は否定したいところです」


「君の瞳孔散大、0.2ミリ。否定弱い」

 そう言って胸ポケットから小さなレーザー距離計を取り出す。……さっきから頬に視線が刺さると思ったら、測ってたのか。


「だから私も参加する。NOXに。二人を見張るために。

 ……それと、多分ちょっと嫉妬もするために

 って言わせないでよ……バカ……」


 最後の一文は、ほとんど聞き取れない音量だった。

 僕の鼓膜だけが拾い、心臓が勝手に解像度を上げる。



「条件は言ったでしょ。私はゲームマスター。舞台装置の設計、倫理のブレーキ、時々ミーム砲で場を崩す。ついでにプリン監修」


「この職務の話、全て初耳ですが!!(笑)」


「いやいや重要だよ。甘味は人心掌握。エビデンスあり」


 この顔はずるい。真顔で言うのやめてほしい。



 僕は深く息を吸い、頭を下げた。

 僕の並行世界の理論完成の為に彼女は間違いなく必要だ。


「わかりました——ようこそ、NOXへ」


「よろちい♡」

 チイロはにやりと笑い、ノートPCを再び開く。画面には「NOX_加入チェックリスト」が現れ、彼女は自分の名前にチェックを入れた。隣のセルには「役職:GM(自称)」と打ち込む。


「じゃ、初仕事。被験者Y、調査デートの実行計画、提出して」


「計画……今ですか?」


「今ッ」

 拍子抜けするくらい元気な声。ここだけ年相応に跳ねる。



 僕はホワイトボードの前に立ち、書き出した。

•目的:音響残留(旧教会ガラス片)の再現検証

•場所:体育館(放課後、無人時)

•方法:インパルス応答測定(拍手法+スイープ音)、アスミに測定管理を依頼

•副次:近隣カフェでデータ整理(固めプリンあり)

•誘い文句:「音の記憶って信じますか? 一緒に確かめたい」



「S評価」チイロは即答。親指を立てる。

「最後の一行、ずるい。Yes/Noを避けて“私たち”にするの、言語ミーム的に強い。共同行為は親密度アップ。恋愛工学的にも正解」


「了解」


「あと裏タスク。断りそうになったら“可愛い”を投下。猫耳ヘッドホン貸してあげなさい。あの子、表情筋ゼロコンマで動くから」


「どこでそんなの見たんですか」


「観測者だから」

 そう言いつつ耳たぶを押さえる。ほんのり赤い。



「……じゃあ、行ってきます」


「行ってらっしゃい、被験者Y。あ、最後に」

 チイロは椅子を半回転させ、背を向けて声だけ落とした。


「アスミを助けたい理由、理屈じゃないって顔、してるよ。

その“非線形”はね、並行世界、つまり世界線より強いときがあるんだよ。……たぶんww」


 振り返らない横顔に、微かな熱。

 でも嫌いじゃない。その温度。


 蛍光灯が静かに明滅し、閲覧室の時計が一秒を刻む。


 僕はスマホを取り出し、アスミへの短い誘い文を打ち込んだ。送信ボタンを押した瞬間、背後でチイロのキーボードが軽快に走る。


 NOX/新規プロジェクト:調査デート_001

 ステータス:In Progress

 ゲームマスター:雲越


——裏で、彼女は世界のルールと“尊い統計”を同時に回し始めていた。


 そして僕は、優等生の仮面を整えつつ確かに前へ進んだ。


 観測は始まった。


 恋と実験は、たいてい同じ顔をしている。



 雲越チイロ。

 彼女は冷たい数式の刃を突きつけてきたかと思えば、次の瞬間には「尊い統計」だの「前世の婚約者(仮)」だのと茶化す。


 理論と遊びが同居するその視線は、観測者の目でありながら——人間らしい温度を隠しきれていない。


 結果として、彼女はNOXに加入した。

 役職は“ゲームマスター”。

 僕とアスミを「被験者」と呼び、観測し、時にからかい、時に制御しようとする。


 けれど僕は知っている。

 彼女がそうまでして見張ろうとするのは、僕ら二人がすでに「逸脱者」として危うい線を踏み出しているからだ。


 僕はアスミに声をかける。

 名目は“調査”。でも、その裏にあるのは——彼女ともう一歩、近づきたいという衝動だ。


 恋と実験。

 二つの境界は、思ったより曖昧かもしれない。


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