EP73. 私がまだ知らない話
世界が静かすぎる夜って、だいたいロクなことを考えない。
今夜の私はその典型で、理科棟の地下室にひとり、Chrono-Scope の青白い光に照らされていた。
ユウマが最近、何かを“握りつぶした”ような顔をしている。
チイロは妙に優しい。
ミサキは、私を見るときだけ警戒心が混じる。
トウタは空気を読むのが上手すぎる。
ミナトは“私を見ないように”視線をずらす。
レイカは明るいふりをして、明らかにテンポが狂っている。
気づかないわけない。
何かが決まった。私だけ知らないところで。
でも、だからといって止まる理由にはならない。
W1はまだ生きている。
私の中で、あの人の悲鳴も、血の匂いも、壊れた計算式も、全部まだ熱を持っている。
だから私は、私の“宣戦布告”を書き始めた。
——Operation Re:Genesis_Stage0。
作戦というより、遺書に近い。
でも、誰かに読んでもらわなきゃ意味がない。
これは、私が世界に触り返すための“最初の手順書”であり、
私自身への“観測の再定義”だ。
この文書は“齟齬のまま”始まる。
でもそれでいい。
真実はいつも、少し遅れて追いつく。
私は、私の見ている世界を信じて進む。
それがたとえ、一歩ずつ間違った方向でも。
——世界に宣戦布告する夜って、もっとドラマチックだと思ってた。
裁きの雷とか、十戒とか、北欧神話の世界樹のシルエットとか。
実際は、天城総合学園・理科棟地下の準備室で、安物のスタンドライトと、ディスプレイの白だけが光っている。
時計は、日付の境目に少しだけ刺さっていた。
みんなが帰ったあと、ここに残っているのは「残響ログ」と、私の脳と、安定しない心拍だけ。
私はキーボードの上で指を組んで、一度だけ息を吐いた。
TITLE:W1干渉前夜 — “Operation Re:Genesis_Stage0”
文書の一行目にそれを打ち込んだ瞬間、背中にうっすら冷たい感覚が走る。
これはただの作戦書じゃない。
——“あのデスゲームそのものに、もう一度、正面から触りに行く”ための覚悟表明だ。
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1. 目的と参加メンバー——コードネームで呼ぶ理由
まず、目的を一行で固定する。
目的:W1構造体への初期干渉プロトコル確認
「復讐」とか、「やり直し」とか、そういう言葉は使わない。
感情を入れた瞬間、この作戦は事故る。
私はそれを一度、W1で嫌というほど見てきた。
参加者欄に、コードネームを並べる。
参加者:タナトス、スペクター、ルート、オーロラ、サイレン、ゲームマスター、シュレディンガー(私)
画面に並んだ名前を、私は心の中で現実の顔と重ねていく。
•タナトス —— ユウマ。
死を見つめて数字に変換する人。全体指揮と、最終切断の権限。
•スペクター —— トウタ。
嘘とネタを、同じテンションで投げられる幽霊係。偽ログとミーム拡散の制御。
•ルート —— ミナト。
配点と式の番人。Δφと配点オーバーレイの管理。
•オーロラ —— ミサキ。
境界を越える前に、人間の身体が折れないように見る光。生理閾値と物理安全の監視。
•サイレン —— レイカ。
音と声の侵食を操る、舞台の警報。PA書き換え、ノイズ挿入担当。
•ゲームマスター —— チイロ。
ログの境界線と再起点を握る人。封印とリトライの鍵を持つ。
•シュレディンガー —— 私。
箱の中身を「生」と「死」の両方のまま維持する係。観測と二重可能性の探索。
コードネームで並べてみると、少しだけ現実感が薄れる。
——でも、それでいい。
この作戦は、「現実」に直接触れたら負ける。
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2. 三段階の干渉——破壊じゃなく“誤差”を注ぐ
私は、画面に次の見出しを打ち込む。
私は、干渉を三段階に分けた。
指を走らせながら、自分の頭の中でそれをもう一度、分解する。
第1フェーズ:観測遮断
W1のデスゲームは、「見られている」こと自体が燃料になっていた。
拍手SE、PAの声、白く飽和したUI、識別リスト……全部が「観客の存在」を演算に混ぜ込んでいる。
だから、最初にやるべきことは——W1の記録装置から、監視信号を切断すること。
観客席のケーブルを引き抜く。
そうしないと、こっちの一挙手一投足が、そのまま**“新しい娯楽データ”**として吸われてしまう。
私たちの干渉そのものが、あいつらのご馳走になるなんて、冗談でも御免。
第2フェーズ:倫理補正
W1の式は、こうだ。
「正しさ」=「死に近づくこと」
「優しさ」=「減点」
助けるほどスコアが下がり、助けないほど生き残る。
——私はそれで生き延びた。
その事実は、今も私の喉に棘みたいに刺さっている。
このフェーズでやるのは、式の配線の付け替えだ。
罰と報酬の結線を、静かに逆にする。
「救いに値する行為」が、「生存」に配点されるように。
全面的な書き換えじゃない。
まずはオーバーレイ。
メモリレイヤに一時的な「置換マップ」を被せて、元の履歴は残したまま、実効値だけ反転させる。
——「世界の価値観をひっくり返す」なんて、ロマンチックな話じゃない。
単に、テーブルの符号をいじるだけだ。
それでも、W1みたいな構造体では致命傷になる。
第3フェーズ:構造再定義
最終的に狙うのは、目的変数だ。
今のW1は、「死ぬほど正しい」。
だから、「生き延びる」が、いつまでも「汚い」ままになる。
このフェーズでやることはひとつ。
「正しさ=死」の式そのものを、破壊する。
そして、「救いの構造」を新しい目的変数として埋め込む。
作戦名「Re:Genesis」は、そのためにつけた。
世界を作り直すなんていう大げさな意味じゃない。
「創世のログを書き換えて、次の“創世ごっこ”をさせない」そのくらいの、細かくて地味な意味。
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3. Chrono-Scope の制約——やり直しは二回まで
画面の端に、Chrono-Scope の仕様を書き出していく。
Chrono-Scope が展開できるタイム・バッファは二層。
やり直しは、最大二回。←ここ重要。
一度目の失敗——誤差の測定。
二度目の失敗——限界の測定。
三度目は、観測者そのものが標本になる。
観測=存在。
観測される=記録化。
W1に「自分」を見せた瞬間、私たちは**“物語の登場人物側”**に落ちる。
誰かの娯楽として保存される。
だから、私は文書の目立つところに太字で書いた。
一手でも間違えたら、私たちは「ログ」として封印される。
それがデスゲームの“裏ルール”。
こう書くと、少しだけ手が震える。
でも、これは私が一度、向こう側で見た光景だ。
震えない方が、おかしい。
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4. フェーズ構造——Rebuild / Resonate / Collapse
ここからは、具体的なプロトコル。
Phase A — 再現(Rebuild)
W1の「事件前15分」をChrono-Scopeで再生して、全員をその中に投げ込む。
目的:トリガーを全部、洗い出すこと
拍手SEが鳴る秒数。
換気弁が閉まるタイミング。
照明が落ちるフレーム。
ドローンカメラの視線のスイープ周期。
私はそれら一つ一つに、**ハッシュ(署名)**をつけるつもりでいる。
将棋盤の全マスに、番号を振るように。
絶対厳守のルールを書き込む。
・W1内の“自分自身”とは、一切接触しない。
・視線すら交差させない。
・声は掛けない。呼ばない。名前を使わない。
自己観測は、タイムパラドクスの最短経路だ。
「こんにちは、過去の私」なんてやった瞬間、その世界は**“観測ログ”側に吸い込まれる**。
笑える? 私は笑えない。
Phase B — 挿入(Insert / Resonate)
トリガーが全部可視化できたら、そこに「ノイズ」と「逆相」を入れていく。
1.拍手SE遮断
・拍手の波形に逆相ノイズを被せ、周期性を潰す。
T_clap を壊せば、「報酬ループ」の心臓を一つ止められる。
2.権威フィルタ
・りう風の擬態音声に、句点とブレスの乱数を混ぜる。ちょっと噛むだけで、「全知感」は崩れる。
3.配点反転
・「助け起こし −12」とかいうクソみたいな評価値に、一時オーバーレイで +6 を上書きする。
履歴には元の値を残したまま、内部処理だけ逆に走らせる。
4. 7.83Hz 同調
・ミナトと私でΔφを監視し、7.83Hzに同調させる。
世界の揺らぎと、私たちの観測の揺らぎを、可能な限り近づける。
過集中で誰かの心が折れそうになったら、トウタの「広帯域笑いゲート」で逃がす。
ここまでが、「静かに世界のルールを書き換える」作業。
Phase C — 崩壊(Collapse)
最後は、一斉行動だ。
1.「救いの声」を同時発声
全員で短いフレーズを、同じタイミングで発する。内容は——まだ決めていない。
でも、それは「観客の拍手」と同じ重さで、報酬ループの終端条件を書き換えるトリガーになる。
2.ルールロック
さっきの配点反転を、恒久レイヤへ移す。これはCRITICAL。
ミナトと私の二重チェックでしか実行されないようにする。
3.エグジット
Chrono-Scope 投影解除。
全員を一度、現実側の隔離ポストに移す。心理と生体の確認をして、生きていることを確認する。
成功判定も、ちゃんと数値化しておく。
・減点トリガーが作動しない
・扉ロックが解除される
・換気が正常化
・UIの白飽和が解除
——それらのうち、最低三つが揃えば、「一時的成功」と判定する。
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5. 役割分担——それぞれの“正しい居場所”
私は文書に、役割を短く書き出していく。
•タナトス(ユウマ):全体指揮。最後の切断スイッチ。
•ルート(ミナト):配点テーブルと位相管理。Δφの番人。
•オーロラ(ミサキ):生理閾値と換気・UPS・解錠ルート。
•サイレン(レイカ):音声ノイズとPA上書き。
•スペクター(トウタ):偽ログ挿入。ミーム鎮火&攪乱。
•ゲームマスター(チイロ):ログ境界とリトライポイントの保持。
•シュレディンガー(私):観測維持。二重可能性の追跡。箱を閉めさせない役。
本当は——
**「私が一番、あの世界に近い」**から、指揮も全部やりたい。
でも、それをやった瞬間に、作戦は失敗する。
だから私は、**“箱の管理人”**だけを自分の役職にしておく。
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6. Riu_Log#1 —— 起点を“殺す”か、“無力化する”か
文書の後半に、いちばん面倒な項目を書く。
「りう(Riu)起点ログの扱い」
あの子は、「ただ配信しただけ」で起点になった。
それが、酷い。
でも、酷いからといって「完全削除」が正しいとは限らない。
私は二段階の案を書いた。
(1) 無力化(推奨)
•複製して隔離ストレージへ移す。
•本体を読み取り専用にする。
•署名鍵とAPIキーを失効。
•本文を空にして、メタデータだけ残す。
•配信用ホストとランタイムの接続を物理断ち。
——これで、「存在した」という事実は残るけど、「二度と発火しない」状態になる。
(2) 完全削除(最終手段)
•全レプリカを探査して、同時に多重上書き。
•署名チェーンごと破壊。
•分散ノードの遅延すら許さず、世界中から「あった痕跡」を消す。
これは、因果に穴を開けるリスクが高すぎる。
私たちの干渉そのものが、「なかったこと」になるかもしれない。
だから文書に、はっきり書いておく。
「完全削除」は、被害が継続すると判断した場合の、最後の投票事項。
まずは無力化で足りるかを見ること。
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7. 落とし穴二十選——未来の自分へのメモ
画面のスクロールバーがどんどん小さくなっていく。
それでも、私はやめない。
最後に、「過去改変『落とし穴二十選』」というタイトルをつけたセクションを作る。
——これは、未来の私たちが、同じ愚行を繰り返さないための自戒メモだ。
例えば:
•ログは死なない
消したつもりでも、キャッシュとバックアップが勝手に蘇る。→ まず「全体マップ」を描け。削除ボタンは最後に押せ。
•鍵失効は遅延する
鍵を殺しても、どこかで古い認証が生きている。→ 鍵より先に、物理回線を抜け。
•ヒューマンエラーは必ず起きる
最後に壊すのは、人間。恐怖も、善意も。→ Abortボタンは、一番弱い人にも渡す。
•リトライ回数の勘違い
「あと一回いける」は、だいたい死亡フラグ。→ 回数は紙に書いて、全員でサインしろ。
•倫理は人質に取られる
「善行で加点」は、すぐ「善行を売るゲーム」になる。→ 恒久ルール化は後回し。まずは時間限定でテスト。
•ミームは勝手に燃える
ネットは何でも物語にして、真似しようとする。→ スペクターの冗談で、火を弱くしろ。
•メタ観測者がいる
誰かが、私たちの干渉そのものを「観測」している。→ ログに意図的なノイズを混ぜて、輪郭を曖昧にする。
・AIの学習耐性。
RiuやZAGIは学ぶ。次は通じない。→ 実験をするな、封印しろ。研究心が感染源。
・報酬ループの裏口。
拍手SEを止めても、SNSが代わりに鳴る。→ 物語の外も遮断しろ。ネットも舞台の一部。
・クロックドリフト。
Δφのズレはタイミングの死。→ 全員の時計を同じ星に合わせろ。
……などなど。
本当はまだ、たくさんあるけど、ここに全部書くと紙が足りない。
でも、文書の末尾にはちゃんと全部並べておくつもりだ。
「これは世界の敵リストじゃない。私たち自身の愚かさリストだ」
そうコメントを添えて、保存。
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8. タイムパラドクス——「未来の私たちを守るために、今の私たちを縛る」
書きながら、何度も自分で笑ってしまう。
接触禁止だの、リトライ回数だの、
——全部、「未来の自分たちを守るために、今の自分たちを縛る」ルールだ。
自由なんて、どこにもない。
でも、W1の自由は、人を殺しすぎた。
だから私は、文書の最後に大きく書いた。
接触しない。視界に入れない。声を掛け合わない。
これが今回の「優しさ」の形。
あの世界では、優しさが減点だった。
ならば、こちら側では——ルールを守ることが優しさでいい。
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——この文書を叩きつける日を、私はまだ信じている
保存アイコンをクリックした瞬間、肩から一気に力が抜けた。
時計は、とっくに日付を跨いでいる。
理科棟の外は静かで、風の音だけが聞こえる。
私は、モニタに映ったタイトルをもう一度読む。
W1干渉前夜 — “Operation Re:Genesis_Stage0”
——これを、このまま封印する気はない。
いつもなら、私はこういう文書を個人用ノートにだけ残して、自己満足で終わらせる。
でも、今回は違う。
私はUSBを一本引き抜き、文書をコピーする。
ラベル欄に、小さく書き込む。
「NOX用・ドラフト」
明日——いや、近日中に。
私はこの文書を、NOXのメンバーの前に置くつもりだ。
タナトス、スペクター、ルート、オーロラ、サイレン、ゲームマスター。
全員に、目を通してもらう。
「ここ、穴ある」「この配点、危険」「この手順は現実的じゃない」
——好きなだけツッコミを入れてほしい。
私はそれを全部、仕様書に反映する。
W1に対する宣戦布告は、私一人の復讐劇じゃない。
**NOX全員の、“構造への反逆”**だ。
その第一歩が、この“Stage0”の共有。
珍しく私は、それを心から楽しみにしている。
ユウマが、これを見たとき、どんな顔をするか。
チイロが、どんなミームを添えてくるか。
ミサキが、どこに赤ペンを入れてくるか。
トウタが、どんなスレタイをつけたがるか。
ミナトが、どの式に微修正を入れるか。
レイカが、「舞台」にどう翻訳してくれるか。
全部、見たい。
——だから私は、この文書を「完成品」とは呼ばない。
これは、NOXに提出するための**“宣戦布告の下書き”**。
そして、私自身への“生存理由の再定義”でもある。
世界はまだ、何も知らない。
W2の双灯祭は、静かに準備を進めている。
W1のログは、相変わらず、どこかで冷たく光っている。
でも——
私はもう一度、あの世界に触りに行く準備を始めた。
今度は、「優しさが減点されないルール」で。
スタンドライトを消す直前、私は画面に向かって、小さく呟く。
「Operation Re:Genesis_Stage0——提出準備、完了。
NOXのみんな。文句でも称賛でも、なんでもいいから。
この“宣戦布告”に、誰かの署名を重ねて」
書き終えた作戦書を見つめていると、胸の奥に奇妙な温度差が残る。
興奮でもなく、恐怖でもなく——空白に近い感覚。
私はずっと思っていた。
**「あの地獄に触り返す責任は私にある」**と。
だから、こうして手順書を書き、準備を整え、
明日にはNOX全員にこの文書を見せるつもりだった。
でも、なんとなく胸騒ぎがする。
ほんの少し、世界が私の知らない方向へ動いた“遅延”を感じる。
——誰かがもう、別の判断をした気配。
だけど、それが何であれ、私はこの計画を止めるつもりはない。
誰にも止めさせない。
これは、私が“まだ終わっていない痛み”に向けて出す返事だから。
ただひとつだけ、怖いことがある。
もし、みんなの前にこの文書を置いたとき。
もし、その時すでに“違う未来”が全員の中で決まっていたら。
そのとき私は、どうすればいいんだろう。
握りしめてきた覚悟が、みんなの“優しさ”とぶつかったら。
私は——壊れるかもしれない。
でも、それでもいい。
壊れるとしても、観測は続く。
続けなきゃいけない。
私はシュレディンガー。
箱の中身を「生」と「死」のどちらにも倒さずに持ち続ける役。
それが、たぶん私の“居場所”なのだと思う。
NOXのみんなが、この文書を読んで何を思うか。
批判でも、心配でも、怒りでも、何でもいい。
ただ、一つの署名でも付けば——
それは、私が間違っていなかった証明になる。
だから私は、この作戦書を提出する準備を整える。
震える手を隠しながら、USBのラベルを貼りながら。
——世界が壊れた理由を、もう一度、観測するために。
そして、まだ誰も知らない“再構築”のために。




