EP66. 紅の花園にて
紅華女学院へ行く前夜、チイロ先輩の顔がやたら静かだった。
何度聞いても、「行けばわかる」としか言わない。
“わかる”って何。わからないから聞いてるのに。
「紅華って、去年のあれでしょ?」
「ピンク空ジャック事件?」
「そう。空をバルーンで埋めて、“愛は重力に逆らう”とか書いたやつ」
「演出力は本物だよ。倫理観は無重力だけど」
チイロ先輩はプルタブを指で弾きながら笑った。
笑い方がどこか、なにかを隠しているように見えた。
「……で、なんで私なの?」
「構造的に正しいから」
「どの構造?」
「ミームで説明してもいい?」
「……また逃げたね」
「逃げてない。見てからのほうが早い」
彼女は短くそう言って、コーラを一口。
泡が弾ける音のあと、ほんの一瞬、目が笑ってなかった。
その違和感だけを連れて、私は紅華へ向かった。
——そして今、私の知らない“信仰”の真ん中にいる。
チイロ先輩の“行けばわかる”は、やっぱりいつも罠みたいだ。
──紅華女学院・来客棟。
正門をくぐった瞬間から、私は何かを間違えた気がしていた。
赤い煉瓦のアーチの向こう、両脇の生徒たちが花の道を作っていた。
通路の中央にはピンクのカーペット。足を踏み出すたび、薔薇の花びらがどこからともなく降る。
風ではなく、演出だ。
おそらく上空の噴射装置。空まで徹底している。
「……なにこれ、罠?」
思わずつぶやく。
制服姿の生徒たちが一斉に姿勢を正した。
「お越しくださりありがとうございます、矢那瀬アスミ様!」
声が揃いすぎている。合唱のようだ。
そのあと、なぜか両サイドで拍手。
パチパチパチパチ。
……いや、なんで拍手?
背後でケラケラとチイロ先輩が笑う。は?
「歓迎されてるじゃん。アイドルみたい」
「やめて。そういうの、性に合わない」
「合わないから面白いんだよー!」
チイロ先輩は両手をポケットに入れたまま、にやにやと後ろをついてくる。
なんていやらしい顔つき。
廊下の壁面には、私の写真が並んでいた。
嘘でしょ……?
文化祭で撮られた、笑顔のスナップ。
どれも知らない角度。
その下には金文字のプレートで——
「Welcome Asumi-sama」。
「……ちょっと待って、これ私の知らない“信仰”じゃない?」
「まぁ、信仰というか、崇拝?」
「フォローになってない」
曲がり角ごとに新しい装飾が現れる。
壁に貼られたバナーには、薔薇とリボンと、私のシルエット。
「光を観測する者、紅華に降臨す」と書いてある。
誰が考えたんだ、そのキャッチコピー!!
やたら丁寧な案内係の女生徒が、笑顔で振り返る。
「院長室まではこちらです、アスミ様」
「だから“様”はやめて……」
言い終えるより早く、次の生徒が花束を差し出す。
「こちら、リリアン様からの“前祝い”ですわ♡」
花束は大きく、手のひらの温度が一瞬で香りに沈んだ。
薔薇、百合、金糸のリボン。もはや武器。
「先輩、これ……普通?」
「紅華基準では、たぶん控えめな方」
「私の知ってる“控えめ”と単位が違うんだけど」
廊下の突き当たり、巨大な扉の前に立つ。
金のエンブレムが浮き彫りになっている。
中央には、薔薇と鏡。
その下に刻まれた文字——“美は法、光は秩序”。
もう何も言いたくなかった。
案内係が、白手袋の手でノックを三度。
その音が、まるで劇場の開幕ベルのように響く。
中から、甲高い声が跳ね返ってきた。
「どうぞお入りなさあああいっっ♡!」
チイロ先輩がニヤリと笑う。
「……じゃ、楽しんできて」
「いや、先輩も入るでしょ?」
「ううん。構造的に、そこは“アスミ一人で”が正しい」
そう言って、あっさり踵を返した。
私は深呼吸を一つ。
心の中で、自分の存在をもう一度観測する。
——紅華女学院。
ここは、論理より香りが支配する場所。
理性で進むには、少し濃すぎる。
ただ、私もW1の、あの惨劇を見てきた女。
あれの再演だけは、許さない。
──紅華女学院・生徒院長室。
意を決して扉を開けた瞬間、薔薇の香りが鼻腔を満たした。
だがそれに混じって、誰かの甲高い悲鳴が裂けるように響いた。
「きゃああぁあぁああああ♡♡♡!!!」
音の高さに耳が痛む。
反射的に身構える間もなく、空気が矢のように動いた。
走るというより飛んでくる足音。
それは歓喜の衝動そのものだった。
「——あ、あ、アスミ様!? 本物!? ついにお越しいただけるなんてッ!?」
次の瞬間、私の身体は誰かに抱きしめられていた。
抱擁の圧が私の肋骨を軽く押す。
顔を上げれば、視界は紅い髪でいっぱいになった。
光沢のある巻き髪が頬に擦れる。
至近距離からする香りは、香水というより体温そのものの匂いで、胸の奥をざわつかせる。
「ちょ、ちょっと、離して!? え、え、誰!?」
「紅条リリアンですっ♡」
声が甘い。甘すぎて、言葉が糖衣のようにべたつく。
こんな至近距離で「ですっ♡」なんて言われるのは想像の外だ。
リリアンは涙目で両手を胸に当て、小刻みに息を整えながら続ける。
「……失礼いたしました、アスミ様っ。まさか、本当にいらしてくださるなんて。
わたくし、もう一週間前から香水を選び直しておりましたの……!」
(……誰か、説明をしてくれ)
部屋の壁際には十数名の女学院生が整然と並んでいる。
全員がモデルのように背筋を伸ばし、目は宝石のようにきらめき、視線の先は私一人に集中していた。
熱量が物理的に感じられる。ハンパない。
視線が刺さる。暑い。
「え、えっと……交渉で伺ったんだけど」
「交渉!? あぁ〜〜! アスミ様!! いきなりそんな……なんて美しい響き!
“交渉”って“口を交わす”って書きますのよね!?♡」
彼女たちの無邪気さが、文化祭の街頭演説のように過度だ。
私は慌てて否定し、場を落ち着かせようとする。
「やめて! 変な方向に解釈しないで!」
リリアンは完全にテンパっていた。
でもそのテンパり方には、計算がまるで見えない。
真剣、純粋、そして──少し狂気に触れるほどの熱量がある。
チイロのその動き方に似ているところが、私にはどうにも居心地が悪い。
「その、雲越チイロから話、聞いてるわよね?」と私が問うと、リリアンは頬を真っ赤にして口元を押さえた。
「も、もちろんですのっ……“アスミ様がお越しになる”って聞いて……この日を……!」
机の上には写真立てが置かれている。
中には、私がチイロ先輩と一緒に写った文化祭準備中のスナップ。
アングルは不自然で、私が無防備に笑っている瞬間を切り取った一枚だ。
どうやって入手したのかはわからない。
胸をざらつかせる得体の知れない気配。
「……チイロ、やったな」
呟くと、リリアンの身体がぴくりと震えた。
「チイロ先輩は、わたくしの命の恩人ですの!
そのチイロ先輩が“アスミ様も私を気にいる”と仰って……だからわたくし、誓いましたの。あなたに忠誠を!」
あの人、何吹き込んでるの?
その瞳の奥に冗談の影はない。
もはや恋愛という名の“信仰”に近いものがそこにある。
私の胸に氷が落ちるように冷たかった。
「……忠誠って、何の話?」と問うと、彼女は微笑みながら小首をかしげる。
「“美の観測者”への忠誠ですわ♡」
その言葉に、小さな笑いが喉を通り過ぎた。
聞いた私が悪い。
だが、笑いの端が震えるのを止められないのは、彼女たちの視線の温度が尋常でないからだ。
リリアンはさらに続けた。
声がふわりと部屋を満たす。
「アスミ様。紅華の子たちは皆、あなたのことを知っています。
あなたが“光の使い方を知る人”だと。だから、もしも、アスミ様に傷をつける人がいたら——」
言葉が止まる。
部屋の空気が鋭く変わった。
柔らかな花の香りの奥に、刃の冷たさが潜む。
背後の少女たちが一斉に姿勢を正し、整えた笑顔を崩さずに私に向き直る。
「その人は、紅華で生き残れませんの♡」
笑顔が笑顔のままで、明確な脅しになっていた。
恐ろしい。
半分宗教、半分ファッション。
信仰がファッションになった世界。
私は深く息を吸って、話を戻す努力をした。
「とりあえず、リリアンって呼ばせて。今回お願いしたいのは、バルーン演出の協力。
だけど“影村の空”じゃなく“祭りの空”。敵意も侵略もなし。
ピンク単色禁止、香料ゼロ、視界ライン15メートル確保。できる?」
その瞬間、空気が割れた。
リリアンの目が、まるで雷光を受けたみたいに見開かれる。
頬がばちん、と音を立てて赤くなり、そのまま固まる。
「……い、い、いま……っ」
「え?」
「今っ!! アスミ様、わたくしのっ! 名前をっ……!!」
高周波の悲鳴。
いや、もはや声というより感情が振動している。
両手で顔を覆い、全身を小刻みに震わせて、そのまま後ろにふらりと倒れそうになった。
「ちょ、ちょっとリリアン!?」
慌てて肩を支える。彼女は抱きとめられた瞬間、さらに震えた。
「わたくしっ、いま死んでもっ、幸福ですのぉぉぉ!!!」
「いや、生きて!? 頼むから!!」
壁際に並んでいた紅華の生徒たちが、一斉に息を呑む。
「リリアン様、ついに……!」
「あの“アスミ様”呼びから“リリアン呼び”を聞くことが叶いましたのね……!」
「記録係、これログ残して!」
いや、なんの儀式?
リリアンはそのまま私の腕の中で息を荒げながら、夢みたいな声で言った。
「アスミ様の口から“リリアン”って……! この世の言語すべてが無意味になるほどの尊さ……っ♡」
「過呼吸になってる! 落ち着いて!」
「落ち着けませんのぉっ!!!」
彼女の後ろで控えていた生徒たちが、拍手と歓声を上げる。
「おめでとうございます、リリアン様ー!!!」
「神聖な呼称接続、成立ですわーっ!」
私はゆっくりとリリアンの肩を離し、深く息を吐いた。
「……ねぇリリアン」
「は、はいぃっ♡」
「呼んだだけでこの騒ぎは、今後やめてもらえる?」
「無理ですの♡」
「だよね」
紅華女学院、想像の三倍濃度。
「それで、話戻すよ。お願いしたいのは、バルーン演出の協力。
だけど“影村の空”じゃなく“祭りの空”。敵意も侵略もなし。
ピンク単色禁止、香料ゼロ、視界ライン15メートル確保。できる? リリアン」
一瞬、リリアンの顔が鋭く引き締まった。真顔になる瞬間が、むしろ綺麗で、息を呑むほどだ。
「——もちろん、できますわ。だってアスミ様が願うなら、それは“天命”ですもの」
周囲の生徒たちが一斉に拍手する。
計画済みなのか、それとも現場で即興なのか。
連携の速さに、背筋がざわつく。
私は頭を抱えながら言葉を選んだ。
「……ありがと。でも、“様”はやめて。普通に呼んで」
「そんな、滅相もございません! アスミ様はアスミ様ですの!」
もうダメだ。チイロ先輩。
説明してくれって言いたい。
だがチイロ先輩は既に不在だ。
あるいは、これも想定のうちかもしれない。
リリアンの言葉は止まらない。
彼女の口調は甘く、断定的で、情熱が振幅している。
「アスミ様、聴いてください。チイロ先輩が“あなたを守れ”と仰ったとき、わたくしは決めましたの。
あなたが嫌われたり、傷つけられたりするなら、紅華はその相手を見逃しませんの。
御影シオンさん? あの一年の“生意気な小娘”が何か企てていると聞きました。
チイロ先輩からの情報で、彼女はあなたに対して危うい“観測”をしていると。
わたくし、聞いた瞬間に血が沸きましたのよ。許せませんわ。あの生意気な口の利き方、若造の癖に……」
その瞬間、発言の一行が私を固まらせる。
チイロ先輩経由でリリアンは、シオンが私に対して何かをしたことを知っているらしい。
その口ぶりは怒りに満ちていて、殺意を連想させるほどの硬さを帯びていた。
(言葉は丁寧だが、感情は平常のそれを超えている)
「リリアン、落ち着いて」と私は言いかけるが、声に力が入らない。
彼女の目はまっすぐで、そこに跳ね返るのは歪んだ崇拝と正義感だ。
護衛の群れが私を見る目は、守るべき対象を見定める軍のそれだ。
そして、さらに予想外の言葉が出た。
「あと、ユウマさんの件もね。あの変な理系少年――あの人、私の眼には“扱いきれぬ雑種”に見えますの。
理屈だけで生きる男は、情緒という花を踏みにじる存在ですのよ。
アスミ様を、そういう“ヘンテコな理系男子”のそばに置くなんて、わたくし我慢ならないの。
彼の匂いは、どうも私のセンスに合わない。
ですから、あの男をあなたの前に立たせる時は、きちんと“礼儀”を教え込ませますの♡」
その言葉は冗談めいているが、内包する力は本物だ。
リリアンは、私に多分恋している。
自分で言いたくない言葉だけど……。
私を守るために、他者を裁く覚悟まで持っている。
宗教のような崇拝には、しばしば排他的な防衛本能が伴う。
私はその冷たさを肌で感じ、背筋が凍った。
「ユウマのことは、ほっといて」と私は弱々しく言い、目を泳がせる。
彼がこの場にいたら、きっと言い訳し続けるだろう。
彼はこと、恋愛関係の話になると不器用で、たぶん私の期待も解釈もずらす。
でも、彼を私の前から排除する力など、誰にも与えていない。
リリアンは一瞬、私の言葉を聞いたようにゆっくりと頷いた。
だがその頷き方は、同時に「教えてあげる」という前提であった。
「いいえ、アスミ様。ユウマさんには“学び”が必要ですわ。
わたくしが教育係を買って出ます。
紅華の調教で、礼節と美を身につけさせましょう。
そうすれば、アスミ様も安心して彼を傍に置けますものね♡」
その言い方に私は強く息を吐いた。
皮肉だ。
だが同時に、どこか嬉しい自分がいる自分がいるのも否定できない。
好意は、時に怖さと混ざる。
リリアンはそれを完全にやってのける。
部屋の空気は熱を帯び続ける。
リリアンの側近たちは私を見る目を変えない。
私は、これが“交渉”だと思い出し深呼吸する。
「分かった。協力はお願いするわ。ただし厳守事項は守って。
バルーンは祭の空として、侵略的でないこと。香料ゼロ、視界15メートルの確保。ピンク単色は禁止
お願い……リリアン」
リリアンは満面の笑みを浮かべ、手を胸に当てた。
「了解しましたわ、アスミ様! わたくしはあなたに“天命”を受ける者ですもの、断れるはずがありませんっ♡」
拍手が沸き起こる。それは祝福か、宣誓か、あるいは儀式の一部か。
私は短く微笑み、心の内に渦巻く得体の知れない複雑さを押し込める。
帰り際、リリアンは私に小さな宝石箱のようなものを差し出した。
中には、薄い布に包まれたカードが入っていた。
表面には私の写真が小さく印刷され、その周りに紅華の紋章が繊細に刺繍されている。
「アスミ様、これはわたくしからの“誓約のしるし”です。どうぞ♡」
私は言葉を失い、ただそれを受け取った。
重さは紙一枚にも満たない。
だが心に落ちる重みは確かだ。
チイロ先輩から「行けばわかる」と言われた時、こういう事態の片鱗は想像していた。
だが、実際のそれは想像の遥か上を行く。
門を出るまでに、私は十二人の女学院生から「推してます♡」とささやかれ、三回ほど握手を強要された。
どれも真剣で、笑顔が鋭かった。
紅華の世界は、私を祝福する仮面で包み、同時に檻を構築し始めていた。
——チイロ先輩が「行けばわかる」と言ったのは、警告でも罠でもなく、ただの事実だった。
行けば、真実がある。
真実は時に美しく、時に恐ろしかった。
帰り道、チイロ先輩は隣でコーラのプルタブを弾きながらニヤリと笑った。
「ね、“行けばわかる”だったでしょ?」
「……なんで止めなかったの」と私が訊くと、チイロ先輩は肩をすくめる。
「観測者は見なくちゃだめでしょ? 構造ごと、ぜんぶ」
私はため息をつき、歩幅を僅かに縮める。
紅華の花園は、私を歓迎するように静かに揺れていた。
そして、その静けさは、もう逃げ場がないことを意味しているように思えた。
次に何かが動くとき、空はピンクだけでなく、もっと濃い色に染まるかもしれない。
私はそれを避ける術を考えながらも、同時に自分が“角度”を作る一人であることを自覚していた。
観測は、まだ私たちの側にあるのだ。
——しかし、何がどうなって、あんな歓迎になったのか。
未だに理解が追いついていない。
廊下は花びらの雨。
生徒全員が拍手。
写真が並び、スローガンまで作られている。
私が何をした?
紅華の内部で何を観測されたら、ここまでアイドル扱いされるんだろう。
しかも、院長室で待っていた紅条リリアン。
開口一番「アスミ様!!」と抱きつかれ、涙目で忠誠を誓われ、最終的に“誓約のしるし”を渡された。
正直、ホラーの構造と紙一重。
——でも、いちばん謎だったのはこれ。
リリアンが“チイロ先輩は命の恩人”と言った理由。
帰り道、私はチイロ先輩に聞いた。
「ねぇ、先輩。あなた何したの。リリアンが先輩のこと命の恩人って言ってたけど」
チイロ先輩はコンビニの袋からコーラを取り出しながら、肩をすくめた。
「去年ね。紅華の合同講演の日。リリアンが廊下でアスミ見かけて——
“うわぁ、尊いっ”って言いながら酸欠で倒れかけたの」
「……酸欠?」
「うん。それを私が抱き止めただけ」
「それだけ?」
「それだけ。でも“命の恩人”って言われてから、もう訂正するのも面倒で」
私はしばらく黙って、それから小声で言った。
「……一目惚れで気絶?」
「恋ってやつだねぇ」
「いや、“やつ”で片付けないで」
チイロ先輩はストローでコーラを吸いながら、あっけらかんと言った。
「紅華って、ああ見えて本気なんだよ。熱も礼儀も全部、本気。
リリアンもたぶん、アスミに恋してる。百合的に」
「ちょ、やめて。やめて」
「引いてる?」
「引いてる。物理的に精神的に一歩下がってるわ!」
「百合展開、今後に期待!!」
「やめてー!」
チイロは笑った。
「でも、そこまで悪い気しないでしょ?」
「……しないけど。怖いっていうか……」
「それ、恋されてる側の正しい感想」
私はため息をついた。
紅華の薔薇の香りが、まだ髪に残っていた。
あの拍手も、あの忠誠の笑顔も、夢のようだったけど——
たぶん夢じゃない。夢にしてはいけない。
“行けばわかる”って言ったチイロ先輩。
ほんとに、わかったよ。
私は観測された側だった。
そして、あの女学院全体が、観測装置みたいに私を見ていた。
それでも少しだけ、あの光景を思い出すと笑えてしまう。
たぶん、次にまた呼ばれる。
その時には、もう少しだけ覚悟を持って行こう。
紅華の香りに、飲まれないように。




