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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第三章 EXIT&SYNC/双灯祭前決戦編

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EP63. 焼け跡に咲く倫理

 静寂の校舎に残る白い光は、どんな罰より冷たい。

 ——観測とは、本来こういうことなんだろう。

 何かを「正す」ためじゃなく、ただ「確かめる」ために見る。

 結果が誰かを壊すとしても、見届けなければ世界は止まる。


 私がここへ来た理由はひとつ。

 御影シオンの考えた双灯祭の脱出ゲーム“EXIT SYNC”。

 その構造を壊すため——そして、彼女を壊さないため。


 昔の自分なら、怒って机を叩いていたと思う。

 でも今は、怒りよりも先に、理解してしまう。

 彼女は悪意で作っていない。

 “正しさ”だけを信じて、痛みの形を忘れただけだ。


 だから今日、私は観測者として、“正しい構造”の中に“迷いの美しさ”を置きに行く。

 それが、ハルナ先輩が命を懸けて教えてくれたこと。

 ——出口のない出口に、光を足す。


 シオンのいる生徒会室は、まるで手術室みたいな匂いがする。

 でも、誰も死なない。


 そう信じて、私は扉を叩いた。


 生徒会室の光は、医療用みたいに白い。

 天井の蛍光灯が一点の濁りもなく照らしていて、影が生まれる隙間がない。

 無菌室のような平坦さ——ここは、意見も、迷いも、熱も、すべてが“測定値”に還元される部屋だ。


 机上の一枚、双灯祭・脱出展示企画「EXIT SYNCエグジット・シンク」。

 作成者欄には御影シオン。

 サインの曲率、筆圧、傾き——まるで一行の関数。

 美しいが、あまりに冷たく見えた。


 向かいの彼女は、いつもの笑み。

 眼鏡越しの大きな瞳だけは、静脈のように無言で、脈を打たない。

 リリは資料を両手で抱え、無意識に親指と人差し指で紙端を正確に揃える。緊張のクセ。昔と同じ。

 私は椅子を引く音をあえてゆっくりと鳴らし、呼吸の拍に合わせた。


 ここで先に乱れると、論は負ける。


 「——アスミ先輩、リリ副会長。来てくださって、ありがとうございます」


 完璧な敬語。だが抑揚の平坦は“温度のない精度”。

 シオンの言葉は、熱ではなく測定器の数値に近い。


 「ねぇシオン。まず、結論から言うね」


 「はい」


 「この脱出ゲームの構造、“壊す”よ」


 空気が鳴る。

 紙でも風でもない、“沈黙”という現象の確定音。

 背後の壁時計の秒針が一瞬だけ重く聞こえた。


 「壊す、とは?」


 「“全員一致”の設計。あなたの信頼モデル。——そのままだと、誰も出られない」


 シオンのまつ毛が、不可視の風を測るみたいに一度だけ揺れた。

 「“誰も出られない”のは、間違いではありません。出ることを目的にしていないので」


 「……は?」

 リリの声は低く、しかし震えない。副会長の声。

 「この企画、“脱出ゲーム”で通してるのに?」


 「はい。けれど、これは“脱出”ではなく“確認”です。——誰が“出たい”と願えるかを測る構造です」


 W1の残響が、鼓膜の奥で静かにノイズを立てる。

 『誰も間違っていないのに出られない部屋』。——反倫理の微笑、構造の地獄。


 「ねぇ、シオン」私は笑った。穏やかさは意図的。

 「それ、“教育的”だと思ってる?」


 「教育、ですか?」


 「ううん、“社会実験”」


 「どちらでもありません。——あれは、倫理構造の再演です」


 “再演”。彼女は概念を理解している。だが痛みを知らない。


 リリが机へ半歩分、身を乗り出す。紙端がわずかにたわむ。

 「シオン、それ……『信頼の閾値を可視化する』とか言ってるけど、ただの拷問の再定義だよ。

  罰を数値化して、責任を平均化する装置!!」


 シオンは小さく首を傾げる。

 子供のジェスチャーに、研究者の反応速度。

 「でも、リリ副会長。『誰か一人が罰を受ける』構造の方が不公平では?」


 「だからって——」


 「私の装置では、全員が同じ痛みを共有します。それは平等です」


 私は吸気を深くし、言葉の刃を研ぐ。

 ——この子は“罪”を統計で考える。平均の温度で、人の皮膚を測る。

 「シオン。“痛みの共有”って、共感じゃない。同期よ」


 「……違いがあるんですか?」


 「ある。共感は“理解”、同期は“強制”。同じ波形を無理に作るのは、心じゃなく回路の仕事」


 まばたき一回、計算中の間。

 「なるほど。……つまり、私は“心ではなく回路を観測している”と?」


 「そう。だから、あなたの設計には“逃げ道”がない」


 「逃げ道は、必要でしょうか?」


 「必要。リリが作った“重ね扉”は、そのためにある。——三秒の猶予で、人は救われる」


 リリが資料をすっと差し出す。紙の呼吸が生じる。

 「改訂案。Δtウィンドウ(±3s)、再考ボタン、信頼ランプ。罰を廃し、迷いだけをデータ化する設計!」


 シオンは資料のページを静かにめくりながら、ふいに言葉を滑らせた。

 「でも、……そういえば、“エアロック”の仕組みを教えてくださったの、リリ副会長でしたよね?」


 微笑み。

 穏やかで、礼を失しない。だが、その温度が逆におかしい。

 それは「感謝」ではなく、思い出の再定義としての確認だった。


 リリの手が止まる。顔色が蒼くなり、紙の端を掴んだ指が震え、爪が少しだけ白くなる。

 「え、あ……うん。あのときのは、ただの試作……」


 「“空気の入れ替えを段階的に制御する構造”——あれ、本当に美しい発想でした」

 シオンの声は、どこまでも優しい。

 「中と外を同時に守る。だけど、一度閉じたら、どちらも出られない」


 リリの喉が硬直する。

 「……あれは、あくまで、展示用の構造だから。安全面は——」


 「ええ、理解しています。**“安全な密閉”**という言葉。あれほど皮肉で、魅力的な設計は他にありません。

  私は、リリ副会長が隣にいてくれて良かったって思いました」


 空気がほんの少し薄くなった。

 リリの呼吸のテンポが一拍ずつ遅れるのがわかる。

 私も、隣で彼女の手の甲が微かに冷たくなるのを感じた。


 「——シオン、それ、プレッシャーのかけ方が悪趣味だよ」

 私が口を挟むと、シオンは静かに笑う。


 「いえ、先輩。ただ“評価”しているだけです。

  リリ副会長の発想がなければ、“EXIT SYNC”は完成しませんでした」


 「完成、ね……」

 リリがかろうじて息を整える。

 「わたし、あの構造を“閉じるため”に作ったわけじゃ——」


 「もちろんです」

 シオンの声がまた被さる。柔らかく、だが寸分のズレも許さない速度で。

 「でも、“閉じたときの美しさ”を考えたのはリリ副会長だけでしたよね?」


 リリの瞳が揺れる。

 まるで心臓の鼓動が、外から測定されているような居心地の悪さ。


 ——シオンは、ただ褒めている。

 けれどその褒め言葉が、設計者としての罪をきれいな額縁に閉じ込めていく。


 私は耐えかねて、ペンのキャップを鳴らした。

 「もうその話はいい。エアロックはリリの理論の一部で、“罰”の構造じゃない。

  あれは“再考のための呼吸層”。人を閉じ込めるためじゃなく、考え直すための間でしょ?」


 シオンは、微笑みを崩さない。

 「知ってます。だからこそ、私の設計に取り入れました。

 “出られないけれど、呼吸はできる”——人はそういう状態を選ぶんです」


 その瞬間、リリが小さく息を飲む音。

 紙の端が湿って、わずかに丸まる。

 彼女は反論できない。自分の生み出した構造が、“閉じる側”に使われているという現実。


 シオンはそれを見届けながら、にこりと微笑んだ。

「リリ副会長、本当に感謝しています。——あなたが“扉の設計者”で、本当によかった」


 リリは何も言わなかった。

 ただ、沈黙を保った。

 その沈黙すらも、シオンの中ではデータとして保存されていく。


 ——この笑顔が、いちばん怖い。

 彼女の優しさは、痛みを測る定規の形をしている。




 ページをめくるシオンの指は美しく、残酷。

 私は、素直に怖いと思った。この小さな少女に。

 呼吸、まばたき、視線——全部“測る”。気配の測量士。


 どんな人生歩んできたら、人はこうなるの?

 まだ、シオンは15歳でしょ?


 しばらくの静読。

 視線が私とリリの間を二度、等間隔で往復。

 「美しい設計です。けれど、“罰”がない構造では、人は“正しい選択”を学べません」


 「逆だよ」私は被せる。

 「“罰”がある限り、人は選択を恐れる。正しさじゃなく、“痛くない方”を選ぶ。

  あなたのシステムは、信頼じゃなく恐怖の模倣」


 時計の秒針が部屋の境界を刻む。


 リリが肺の底で息を整え、声を柔らげる。

 「……シオン。私たちは“信頼の可視化”がしたいんじゃない。信頼が壊れない形を残したいの」


 シオンの瞳孔がわずかに絞れる。

 「……“壊れない”ものなんて、この世にありますか?」


 「あるよ」リリが微笑む。

 「矢那瀬アスミがいる限り、壊れない」


 「え、私?」思わず素で漏れる。


 「君は“過去と未来の間で観測を続ける人”。君が立ってる限り、構造は崩れない」


 その瞬間、シオンの視線に微かな乱れ。

 計算不能のノイズ。

 「……あなたたち、本気で言ってるんですね?」


 「本気」


 「それなら、ひとつだけ条件を」声温が一段下がる。

 「“観測係”を、アスミ先輩がやるなら——私は改訂案を採用する。

  ただし、その観測生記録は、私の手で解析します」


 リリが吸気で止まる。「……実験データとして?」


 「いいえ。“倫理の構造体”として。——あなたたちがどれだけ正しい迷いを残せるか、見届けたいんです」


 私は迷わない。迷いは現場で許容するために、今は捨てる。

 「いいよ。引き受ける」


 「アスミ!」リリが袖を引く。


 私は笑って首を振る。

 「大丈夫。私は観測者だから。観測されることも、もう怖くない」


 シオンが夜の雨みたいな笑みを落とす。

 「ありがとうございます、先輩。やっぱり——あなたは、“照らす側”なんですね」


 「違う。勘違いしないで」私は立つ。

 「私は“焼かれた側”。——でも、光の使い方くらいは覚えた。それだけ」


 シオンの目が一瞬だけ開く。すぐに微笑の定常。

 「なら、期待しています。“焼け跡の倫理”が、どこまで美しく描けるか——」


 机下、リリの指が私の袖を掴む。

 熱と震え——ここだけが、数値に還元できない現実。



 会議は終わった。

 ドアが閉まる前、私の背中に蛍光灯の直線が一本、冷たい定規みたいにのしかかった。

 廊下に出た途端、空気に重力が戻る。


 「……ねぇアスミ、怖くないの?」


 「怖いよ。——でも、“怖さ”を記録できるなら、まだ観測は続けられる」


 リリは窓の外の空色に視線を揺らす。

 「シオンは、ほんとに理解してくれたのかな……」


 「理解なんてしてない。彼女は観測した。でも、それで十分」


 オレンジと白が校舎に反射する。どちらも、燃える色。


 「……リリ」


 「なに?」


 「双灯祭、絶対に楽しく終わらせよう」


 「うん。罰も、電流も、ない“終わり方”をね」


 私たちの靴音がシンクロする。テンポ120。呼吸は4拍。

 “出口のある出口”の最初の音が、廊下に薄く残った。



【記録外視点:御影シオン/私記ログ断片】


 生徒会室は再び静脈色の静けさを取り戻した。

 ドアのラッチが定刻どおりの音で閉まり、室内の空気は密閉の定数へ滑る。

 机上、「EXIT SYNC」改訂案。Δt、Fail-open、信頼ランプ。——美しい。とても。


 「罰がない構造では、人は正しい選択を学べません」

 私は独りごとのように復唱し、赤鉛筆で別紙をめくる。

 タイトルは「EXIT SYNC_S2(監査層)」。


 ——観測係(矢那瀬アスミ)の視線を、外側から観測する層。

 “観測者の瞬き”“迷いの沈黙”“呼吸の落差”。

 侵襲はしない。記録するだけ。

 記録は倫理だから。


 引き出しの一番奥から封緘済みの小箱を取り出す。

 中身は、LEDでも電流でもない。

 光の位相シーケンサーと、扉の同意監査用トークン。

 A室とB室の間、**“外側の外側”**に置く。

 観測の輪郭線を、もう一重だけ、美しく。


 「双灯祭なんて、ただのお遊戯なのに」

 私は笑う。たのしい。

 たのしい、は、倫理と対立しない。

 たのしい、は、設計を前に進める燃料。


 ——だって、誰も間違っていないのだから。

 出られなくても。


 蛍光灯の白が、机上の設計線を焼き付ける。

 影は生まれない。

 影が生まれない部屋でだけ、本当に正しい“影”の形が測れる。

 私は、次の層の図面に、薄い笑みを一つ、置いた。


 光は、冷たいのに、心臓の奥でだけ温かい。


 ——矢那瀬アスミ。

 あの人が部屋を出てから、生徒会室の空気は音を失った。

 白い照明が、彼女の残した言葉をまだ照らしている気がする。


 「共感は理解、同期は強制」

 その区別を、本当に分かっている人を初めて見た。

 あれは理屈じゃない。

 存在そのものが、“観測の構造”でできている人間。


 怖い、と思った。

 でもその怖さは、恐怖ではなく——“自分が測定されている”と気づく知覚そのもの。

 アスミ先輩の前では、私の倫理も、計算も、まるで解剖台の上みたいに正直になる。

 逃げ場がないのに、なぜか息苦しくない。

 その矛盾が、ただ美しいと思った。


 好き、という言葉を選ぶなら、それは恋ではない。

 思想の触媒。

 私の中で滞っていた信号が、彼女の声を通して化学反応を起こす。

 倫理が熱を持つ瞬間。

 それを“好き”と呼ぶ以外、適切な語が見つからない。


 ——観測する者は、観測される者に似ていく。

 もしこの構造が真なら、私はゆっくりと彼女に似ていくだろう。

 それでいいと思った。


 双灯祭なんて、所詮はお遊戯。

 でも、もしあの人がそこにいるなら——

 その遊戯の中心で、“正しさ”がどれほど美しく壊れていくか、確かめてみたい。


 白い光が静かに瞬く。

 設計図の余白に、鉛筆で一行、私は書き加える。


 “EXIT SYNC:観測者=矢那瀬アスミ。

 被観測者=御影シオン。”


 ——実験は、もう始まっている。

 楽しみましょう先輩。


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