EP59. 観測部、青春の干渉試験。
雲越チイロ/記録者だよ!
アスミ、覚悟しなさい。
これは私の観測記録であり、君の忘却罪状書でもある。
ハル、アスミ、リリ、そして私。
――この四人が、まだ“世界を真面目に遊べていた頃”の長い午後の記録。
……アスミ。
お前、また“思い出せませんでした”の顔してるな。
ほんとにどこに置いてきたの、あの放課後。
ハルの声も、リリの皮肉も、あんたの小さな息づかいも、ぜんぶ“昨日のデータ”にしちゃったのか。
私は何度も言ったよね、観測=干渉。
記憶ってのは観測しなければ死ぬんだ。
だから私は今から、もう一度だけ“干渉”してやる。
四人が揃って笑ってた、あのありえないほどくだらなくて、それでいて世界の根幹を動かしてた瞬間を――もう一度。
君が忘れた分だけ、私は喋る。
君の時間が止まった分だけ、私は書く。
どうか、読みながら少しでも胸が熱くなったら、それが“再起動”のサインだ。
観測部第二弾、開幕する。
覚悟しろ、忘却女王。
今回も、君の心拍データを根こそぎ採取してやる。
けど、今回の話は君に何を与えるかわからない。
先に謝っとく。ごめんなアスミ。
放課後、理科準備室。
昨日のカップ麺と塩化ナトリウム、延長コードの埃っぽさ、そして青春の残り香が、換気扇の気まぐれと同居している。
ガラス戸越しに差す光は、実験台のステンレスで一度冷え、そこから跳ね返って部屋を黄昏色の実験場に仕立てる。
「チーちゃん、今日の机、マジのマジでカオスなんだけど」
入室と同時にハルの笑い声。反射率+、体感温度+3℃、心拍+0.2。
「カオスじゃない、創造初期段階といえ」
「言い訳がいちいち文学」
ハルはケラケラ笑いながらカーディガンを椅子に掛け、私のノートPCを覗き込む。
金髪ハイライトのピンクが夕光を掬って、照明より明るい人間が完成する。
窓際ではリリが定規で付箋の角度を45度から44度に修正している(なぜ)。
「エントロピーが上昇してます……」
「え、部屋が?」
「心がです」
「やっぱリリちゃん、文系!」
「事実です」
言いながら手元は止まらない。几帳面の権化。好き。
そして中央、実験台の端でアスミがノートPCを開く。
モニタには大書――『時間観測の非対称性』。
眉間のしわは2本、口角は0°。完全思考モード。
(可愛いのに近寄りがたい指数は今日も高め。研究的には希少個体)
「アスミちゃん、昼からそれ?」
ハルが覗き込む。
「はい?過去改変の論理構造の、再設計を……」
「出た、“過去に恋する女子”。可愛い。いやもう尊い」
「ハル、言い方」
「だってさ、ロマンじゃなく検証だもんね」
「……はい」
「うーん、この温度差。最高」
私は頬杖を変え、観測を始める。
四人の会話は、私の脳で同期信号に変わる。
⸻
「今日はね、記憶干渉実験Ver.2.0をやるぞ」
私が手を叩くと、三人の視線が集まる。脳内でミニ花火。
「また危険そうな名札……」
アスミが顔を上げる。
「安全宣言。今回は五感再演法ね」
「五感……?」
「嗅覚と聴覚で“昨日”を“今日”に重ねる。
リリ、音響データ」
「完了です。昨日16:12のチャイム音を周波数補正、ループ化。雑音は−12dB」
「優秀!」
「褒められても、失敗すれば鼓膜破壊ですけど」
「言い方がいちいちホラーやめて」
ハルが黒板にチョーク。
M(t+1) = M(t) + {ΔS × f(emotion)}
「どう?チーちゃん」
「式が可愛い。fが♡」
「でしょ?」
「“恋の数理モデル”で論文出そう」
「査読に蹴られる」
「でも見出しだけでバズる」
「じゃあアスミちゃん、タイトル!」
「え……“感情フィードバック系における恋愛非線形振動の再現性”……」
「一瞬で天才。でも甘さゼロ!」
「学術的に正確なだけです」
「君たち、ほんとに中学生?」
「ミーム的に言えば、知性が青春を侵食中しとるぞ」
「侵食って言うな」
私は笑いながら、心のノブを真剣に回す。
――この空気。これが観測部の核。
笑いが潤滑油、理屈がエンジン、人間が燃料。
回り続けるうちは、生きてる。
⸻
実験の手順は三段。
①昨日の音を再生。
②昨日の匂い(ミルクティー)を再現。
③昨日の言葉を“再演”。
「つまり、“昨日”を五感でシミュレーション」
アスミが復唱。
「正解。戻るんじゃなくて重ねる♡」
ハルが引き取る。
「過去の面影をいまに貼る。一瞬、二つの時間が同時存在する錯覚を作るの」
「錯覚……でも、それで行動確率が変わるなら、理論上は実用可能……」
アスミの声が、珍しく熱を帯びる。
リリはボリュームを0.7、高域を−2。準備完了。
「始める。吸って――止めて――吐く。4–7–8」
スピーカーから「昨日」が流れる。
校舎の遠いチャイム、グラウンドの掛け声、吹奏楽の調律失敗、誰かの笑い。
紙コップのミルクティーは、さっきより甘い。
(嗅覚は記憶の最短経路。知ってる。けど、毎回驚く)
空気の密度が変わる。
時計の秒針が遅れたように見える。もちろん私の目の錯覚。でも、錯覚は立派なデータ。
「……チーちゃん」
ハルの声が低い。
「これ、ほんとに“今”?」
「観測上、“昨日”を今に重ねてる」
「やば……なんか、泣ける」
「リリ、データ」
「取得。心拍+1.31、皮膚電気反応+、幸福指数上限突破」
「幸福が飽和した……」
アスミがぽつり。
「“過去”と“今”が重なると、心が熱くなる」
「それが干渉熱。そして――ハルナ温度」
私は笑う。
「君がまだ覚えてるはずの、あの温度」
ハルが私の袖をつまむ。子どもみたいな力加減。
「ねぇ、チーちゃん。このまま時間、止めとく?」
「倫理審査にかけてから」
「やだ。青春は直進」
「いや、観測は手順」
「二人とも、喧嘩しないでください」リリの正論の雨。
「喧嘩じゃない、存在の相性」
「それはそれで面倒」
⸻
事故はいつも、小さな音で始まる。
チャイムのループにノイズが混じった。1秒未満の過剰早送り。
「……今、飛んだ?」
私が言うより早く、アスミが呼吸を乱す。
「4–7–8!」
「吸4、止7、吐8!」
全員でテンポを戻す。再演を止める鍵。
ハルがアスミの背中をさする。
「アスミちゃん、戻っておいで」
リリはボリュームを0に落とす。「音停止、匂い換気」
私が指パッチン。現在復帰の合図。
秒針が通常速度に見える。よし。
アスミは深呼吸を数回。頷いた。
「……ごめんなさい、手順を飛ばしそうに……」
「飛ばし癖が出かけただけ。止められた。それがプロ」
「プロじゃないです、先輩」
「じゃあプロ予備軍」
ハルが笑って、アスミの額に指で×印。
「再犯防止♡」
「ハル、印つけるな!」
「可愛いから問題なし♡」
「可愛いは免罪符じゃないぞ!」
「青春に限っては免罪符♡」
「うるさい!」
(この無駄口の温度が、命綱だ。私はわかってる)
⸻
小休止。私は白衣のポケットからミントを四粒。
「ふぅ、投与」
「薬みたいに言わないでください、チイロさん!」
「精神安定ミントです」
「味覚介入に該当」
「良い介入」
「議事録に記載しました!」
(ほんとに記載するな、リリ。好きだけど)
空気が緩むと、バカ雑談が始まり、そこから真理が顔を出す。観測部の常。
⸻
議題を再開。
「本日の成果をまとめる」
私は板書。字は汚いが真心はある。
•A. 五感再演法:過去を重ねることで“いま”の行動確率分布が変位。
•B. 安全弁:赤(介入不可)/黄(観察のみ)/青(軽微介入)。閾値超過時は4–7–8で停止。
•C. 否定の導入角度:保留→仮説→検証。リリ、初速の「否定」を保留に変換成功。
•D. 手順飛ばし:空白観測を義務化。導出の穴=付箋管理。累積で手順再設計。
「青春の定義も決めようぜ」と、ハル。
「ΔFix < 0 の持続時間」と、アスミ。
「“固定化がほどけ続ける時間”です」と、リリ。
「公式:青春=固定化解像度の低下期。よって楽しい」と、私。
「人生、たまに賢いこと言うね、チーちゃん」
「毎回言ってるだろ?」
「いや、たまに」
「そこは反証を出せ」
「かわいいで上書き」
「統計が壊れるわ!」
(会話が踊る。私はドラム。楽しい)
⸻
実験終了時刻が近づく。
私は片付けフェイズの可視化が好きだ。
ハルはケーブルを、リリは付箋を、アスミはノートを、私は退屈を片づける。
四人それぞれの手元のリズムが、ひとつの曲になる瞬間がある。
今日も来た。来た。
アスミのノートの最上段。
『観測部:退屈0%、危険3%、幸福97%』
――97%。
この**空欄の3%**が、未来のすべてを裏返すって事実を、私はまだ知らない。
(知ってても止めないけど。生き物だから)
……はぁ、はぁ……。
……ふ、ぅ……。
だめだ、喋りすぎて脳が酸欠。
私、こんなに呼吸荒いの、体育以来だよ。
……で、アスミ。
今度こそ、思い出した?
あの部屋の温度、ミルクティーの匂い、ハルの笑い声。
リリの小さな「違うと思います」、そして君の、あの“何かを掴みかけた”顔。
――まだ、出てこない?
……なぁ、アスミ。
君の中で世界が止まったままなら、私たちはどこにいたことになるんだろうね。
(沈黙)
……やれやれ。ほんと、観測者泣かせだよ。
でもさ、君の中のノイズが、今こうして少しでも揺れたなら、それで私は十分。
だって――“揺れ”こそが観測の始まりだから。
次は、ちゃんと続きを話す。
君が呼吸を取り戻した、その隙間に。
覚悟しておけ、アスミ。
私はまだ、干渉をやめる気はない。




