EP58. 観測部、世界線の片隅で。
……アスミ。
ほんっとに、まだ思い出せんの?
いや、ちょっと待って、まさかのゼロ・リコール?
白鷺ハルナだよ、白鷺ハルナ。
あの「何食べたらそうなるの」ってレベルの体温発光体。
おまけに観測部のカロリー源で、私のツッコミ担当で、リリの成長請負人だった女だぞ。
どうやったらそんな存在をキャッシュごと消去できるの。
……はぁ。
だめだ、これもう理論じゃ説明つかん。
“記憶喪失”って言葉がかわいそうなほどだわ。
いいか、アスミ。
これから話すのは退屈の死因と世界線の青春の話。
つまり、あんたの頭の中の“空白領域”を再観測するセッション。
耳の穴、ちゃんと開けとけ。
ノートも取れや。
もう一度言う――白鷺ハルナを思い出せ。
では、語る。
私、ミーム女子神こと雲越チイロが、観測部という名の狂気と友情のデータをここに再生する。
笑うなよ。
これが、君が忘れてるはずの、君の世界線だ。
放課後の理科準備室。
窓の外では運動部が「根性=等式」の誤用を叫び、廊下では吹奏楽部がA=440HzをA=気分で微調整している。
ここだけ空気の温度勾配が別。
白衣とカップラーメンと理論書と、未払いの青春が同居する部屋――観測部。
つまり、私の神殿であり、無意味の楽園であり、混沌の箱庭。
「チーちゃん、また机の上がカオスなんだけど!」
ハルがドアを押し開けるなり、ビーカーを退けて私のノートPCを覗き込んだ。
ハニーブロンドにピンクのメッシュ、反射率が室温と相関して上昇。
室内照度は据え置きなのに、見た目の明るさだけ +3EV。 この人はいつも光学を裏切る。
「カオスじゃない、創造初期段階」
「言い訳が哲学過ぎるのよ」
ハルがケラケラ笑って、カーディガンを椅子に掛ける。
その一連の“普通”が、なぜか世界を整える。
整備士みたいな陽キャ。
しかも全身フルチューンの見た目。
相変わらず、なに食べたらその発育?許さん。
私は机の紙層を一枚剥がし、今日のメモを新しくする。
右隣では、アスミが静かにノートPCを起動。
画面には例のタイトル――『時間観測の非対称性』。
眉間にしわ+口角0.0°=完全思考モード。
(可愛いけど近寄りがたい指数、今日も高め)
「アスミちゃーん。昼からずっとそれ?」
ハルが尋ねる。
「はい。過去改変の論理構造を再設計してて……」
「うわぁ、やっぱり言った。もうこの子、恋でもしてんのかってくらい“過去”に執着してる」
「ハル、言い方www」
「だって可愛いんだもん、“過去に恋する女子”。ロマンチックすぎる♡」
「ロマンじゃなく検証です」
「その返しが理系すぎるのよ♡」
ハルが机をコツンと叩いて笑う。
笑いの一次モードが部屋の空気を揺らす。
私は頬杖をついたまま、観測を開始。
左斜め後方では、リリがノートに淡々と水平線を引き、その上に小さな文字で反論の種を並べはじめる。
「矢那瀬の過去改変って、そもそも破綻してます」
リリが、小声で、しかし確実に撃つ。
「初期条件の再定義が矛盾するから。ね、チイロさん?」
「うん、理論的には破綻。でも、感情的には成立する」
「感情的……?」
「人間って、“あのときこうしていれば”って思考実験を日常的にやってるでしょ。
あれが“簡易版・過去改変”。無害なシュミレーションってわけ」
「なるほど、それなら私も毎晩やってます!」
「どんな?」
「“昨日の夜食を食べなければ”という実験……」
「リリ、それは世界改変より消化器官の問題な」
「リリちゃん、真面目顔でギャグ落とすのやめて、私ツボる!」
ハルが吹き出し、アスミの肩をぽんと叩く。
「見てアスミちゃん、リリちゃんがボケを数式で包んでる!」
「……普通に真剣に言ってるように聞こえますが」
「真剣なギャグほど強いのよ。観測上、笑いのエントロピーは最大値に達する!」
私はメモに記す。
観測注記A:ハル、笑いで時間知覚を0.8倍に圧縮。室温換算+3℃。
観測注記B:リリ、否定の初速→**“保留”**へ変換傾向。進化中。
――――
「そういえばさぁ」
ハルがノートを閉じ、唐突に話題を放る。
「私、昨日**“記憶の上書き実験”やってみたんだ♡」
「また危ないことを……」
ムスっと、アスミが顔を上げる。
「何を上書きしたんですか?」
「給食の味噌汁の具。昨日の豆腐を、頭の中でワカメに変えてみた」
「……何の意味が」
「記憶って案外、味覚情報から簡単に書き換えられるの。チーちゃん、これが私の“記憶ベースの微改変理論”!」
「理論という名の食レポでは?」
「違うって。味覚の錯覚は情動と強く結びつく。
Emotion = ΔMemory / ΔTime。ね? 式で言うとロマンあるでしょ♡」
「うん。完全にバカロマンティック方程式ね」
リリが、珍しく前のめりで手を挙げる。
「それって、食べ物を通じた記憶介入……ありかもしれません」
「リリちゃん、乗るの早い!」
「面白い仮説は拾っておくべきです。否定から入ると未来を閉じるので」
「ほら見てチーちゃん、リリちゃん、成長してる!」
「リリのアップデート周期、意外と短い。アスミもそろそろパッチ当てような」
「わ、私ですか?」
「そう。君の“過去改変”論、もう少し手順が必要。いまのままだと、導出を三箇所飛ばしてる」
「……そんなに飛ばしてません」
「観測上、三箇所。位置情報付きで保管済み」
「うっ……数えないでください……!」
「はいミーム検出:反論時の耳の角度 +8°」
「それデータ取らないでください!」
ハルが机を叩いて、二波目の笑い。
笑いは最高の同期信号。
四人の呼吸が同期し、部屋がひとつの可愛いカオスになる。
――――
ここで、私は永年の疑問を再度投げることにした。
「で、いい加減正直に言ってさ、何食べたらその発育? 同い年の統計から逸脱してる。胸デカ過ぎだろ!」
「たがら、朝はヨーグルト、昼はパン、夜は――勝利だって!♡」
「だから、カロリー表に載ってないのだが!」
「だから、真面目に言うと、遺伝子と睡眠と笑い声。あとチーちゃんの辛口ミームね♡」
「私で育つな。私は私で育たんぞ」
「育つよ。ツッコミはバストに効く(※個人の感想)」
「査読:地獄」
「今度は四人で行こう、地獄。可愛い地獄なら観光地♡」
「お断りします」とアスミ。
「言ってみようかな」とリリ。
――――
「はい、研究に戻る」私は手を叩く。
「今日の議題は三つ。
①過去改変の“手順化”。
②記憶の微改変の安全弁。
③否定の導入角度を保留に変換する実践」
アスミが姿勢を正す。
「①は、観測→情動→手順の三段ロケットで設計します。
観測で対象を確定、情動で燃料を投入、手順で可逆な介入だけを許す」
「よろしい。」私は頷く。
「加えて、途中式を飛ばさないための空白観測を入れる。
ノートに穴が出たら付箋。付箋が累積したら手順の再設計」
「……了解です、先輩」
「先輩って呼ばれるたびに寿命が伸びる」
リリが②を引き受ける。
「記憶微改変の安全弁は、三段階にします。
赤:介入不可(トラウマ/アイデンティティ核)。
黄:観察のみ(再演はするが書き換えない)。
青:軽微介入可(味覚・匂い・BGM)。
運用中に閾値を越えたら4–7–8呼吸でセッションを停止」
「いいね、呼吸はAPIな」私は満足。
「4–7–8はただの落ち着く儀式じゃない。記憶再演の鍵。
吸4・止7・吐8で、過去の迷いを短く再演→現在の選択へ写像」
ハルが③を巻き取る。
「否定の導入角度は、**“保留”→“仮説”→“検証”**の三拍子。
リリちゃん、最初から全否定しないで“可愛い保留”から入ろう!」
「可愛いは余計です」
「かわいいは正義、統計で証明したい!」
「サンプルN=1」
「私がN=2にしてあげる!」
「ハルナさん、やめてください」
(否定→保留、達成。ハルの人間工学、今日も強い)
――――
「……ねぇチーちゃん。」
ハルがふっと真面目な音程に落とす。
「この部、将来どうなると思う?」
「物理的には崩壊、精神的には継続、観測的には無限ループ」
「うわ、答えが文学」
「つまり?」
「つまり、記録には残るってこと。誰かが忘れても、観測された瞬間がある限り、どこかで世界が覚えてる」
そのとき――アスミの視線が一瞬、遠くにスリップした。
思考でもなく、記憶でもない。
“思い出せないものを思い出しそうな顔”。
私は直感で口を閉ざす。ここはノイズではなく静寂を入れる場面。
沈黙。
ハルの笑いが、まだ室温を三度上げたまま空中で揺れている。
リリのペン先が止まり、アスミの指先が微かに震える。
私はメモに最後の一行を刻む。
『観測部、本日の活動終了時刻 17:42。退屈は完全に死滅した』
――――
片付けフェイズ。私はケーブルを巻き、ハルは髪をまとめ、リリは付箋を色別に並べ、アスミはノートを閉じる。
その一枚上に、私のいたずら書きが残る。
「過去=選択の固定化/未来=固定化の解除」
アスミがそれを見つけ、わずかに口角が揺れた。
0.5°。それで十分。
ドアが閉まる。夕焼けの色が薄くなる。
これが、四人が同じ温度で笑っていた季節。
誰も「奇跡」とは言わなかったけど、世界は確かにこの瞬間だけ、美しい乱数を刻んだ。
乱数は設計を壊すが、人生を動かす。
観測ログを閉じながら、私は確信する――
退屈は死に、記録は生きた。
(雲越チイロ/息切れモード)
……はぁ、はぁ……。
……ぜぇ、ぜぇ……。
なぁ、アスミ。
これだけ喋って……これだけデータぶん投げて……
まだ、思い出せないの……?
(沈黙)
……おい。
おいアスミ、目逸らすな。
私、これもう理論より酸欠だぞ。
観測室の酸素量より、君の記憶の方が薄いってどういうこと?
……はぁ。
でも、わかる。
その顔。
眉間に小さく皺寄せて、どこか苦しそうにして、“思い出せそうで思い出せない”ってときの君の顔。
それ、観測者が干渉を始めた証拠。
……で?
(深呼吸)
アスミ:「……あの、先輩。その後……四人は、どんな活動をしてたんですか?」
……っは、今それ聞く?
いいよ、言ってやる。
教えてやるさ。
笑いすぎて実験レポートが涙で滲んだ、観測部の活動記録第二弾。
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――記録、続行だ。




