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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
観測部編

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57/94

EP57. 観測部、温度勾配は笑い声に従属する。

 アスミ。

 ほんとに、白鷺ハルナを覚えてないの?


 ……はい出ました、無言フリーズ。

 お得意の「思い出しそうで思い出せない」やつね。

 君の脳のキャッシュメモリ、相変わらず都合よく掃除されてる。


 でもさ、あの人のことを忘れるって、いわば色彩情報を失った虹みたいなもんよ。

 彼女は、私たち観測部のノイズ担当で光担当でカロリー担当だった。

 何を食べたらあんな発育曲線描けるのか、私は今でも知りたい。


 ……思い出せない?

 仕方ない、じゃあ少しミームでお前の頭を殴ってみよう。


 ――放課後の理科準備室。

 陽が傾くと世界が薄い琥珀に変わるあの時間。

 ドアの向こうから笑い声が入ってくる。

 その瞬間、温度が三度上がる。


 さあ、アスミ。

 記憶のサーモグラフを起動して。

 いまから話すのは、白鷺ハルナが世界を揺らした午後の記録だから。


 放課後の理科準備室は、陽が傾くと急に色気づく。

 琥珀色の斜光が薬瓶の肩を撫で、ガラスの屈折率が日替わりで、まるで私のように、いい女を演じる。

 棚のラベルは化学式、机上はノートPCと脳波計の部品、隅には使いかけの蛍光塗料。

 空調は最低出力、残響はRT60=1.1秒。


 思考にはちょうど良い。


 私は今日も「退屈」を再現していた。

 厳密には、退屲たいくつ係数 k_boredの測定。


 人は退屈すると時間認識が伸びる——

 ならば、Δt_perc=α·退屲+εで書けるはずだ。

 この式に魂を与えるには、もう少しノイズがいる。

 ノイズが世界を面白くする。


 ドアが開く。風ではなく、笑い声が入ってきた。

 「チーちゃん、また怪しい実験してるでしょ?」


 白鷺ハルナ。

 入室と同時に室温が三度上昇。温湿度計は嘘をつかない。

 蜂蜜色のショートボブ、毛先だけがピンクに染まって、温度勾配の可視化みたいに光る。

 科学用語で言えばただの色素反射。

 でも人間用語で言えば、場を動かすスペクトラム。


 「実験というより、退屈の再現」と、私。

 「出たー!名言。『退屈は再現可能』」

 と、ハル。ケラケラ笑って、机に座る。

 

 私は彼女をハルナではなく、ハルと呼ぶ。


 机が嬉しそうにきしむ(擬人化)。


 彼女は私のノートを覗き、ピンクのネイルで余白をコツン。

 そこには大きく、**『観測=感情の副作用』**の殴り書き。

 ハルは瞬殺で読み取り、唇の端を上げる。

 「それ、リリに見せたら説教だよ?『論理は愛のない世界をつくる』って」

 「名言で殴ってくる一年生は貴重だよ。資料として保存」

 「収蔵庫:チイロのミーム」

 「展示は常設、入場無料(ただし精神年齢18歳以上)」


 笑い声。そこで、思考の硬度がふっと下がる。

 ハルには思考温度を最適化する笑いがある。

 ミームも理屈も、彼女の声で溶解度が上がる。

 効率が良すぎて怖いのだが。


 「で、今日の観測は?」

 「『時間観測の非対称性』の補正。アスミの手順が飛びがち問題について」

 「あー、あの子」

 ハルが真顔を少しだけ取り出す。

 夕陽がその表情の輪郭を甘くする。


 「中学生が過去改変なんて、可愛いけどさ。

  まあ、私も中三だけど、バックアップ取るほど歩いてない人生で“リスタート”は無理ゲーって感じかな」

 「アスミは真剣だよ」

 「だから危ないの。真剣な子ほど現実に傷つく。Δ真剣>0 ⇒ Δ出血率も>0」

 「雑すぎる相関ワロタ」

 「統計は可愛い嘘、現場は残酷な真実だよ!」


 私は一瞬、沈黙する。

 ハルは冗談の速度で本質を突く。

 天才は、笑って要点を通す。

 そして彼女は、私よりもずっと“人間”を見ている。


 「でも、君がいなきゃこの部は暗すぎる」

 「もしかして、私、光担当?」

 「いや、ノイズ担当。静けさの中で君が揺れると、思考が共鳴モードに入る」

 「褒められてる雰囲気を装った雑な扱い」

 「定義は保留。保留は自由。自由は最強」


 ハルは椅子をくるり。脚が床を擦る音、μ≈0.42。

 その背を見ながら、私はいつもの質問を投げる。

 今日の研究テーマB。


 「ねえ正直に言ってさ、何食べたらその発育になるの? 同い年の統計から逸脱してる」

 「朝はヨーグルト、昼はパン、夜は——勝利」

 「カロリー表に載ってない」

 「真面目に言うと、遺伝子と睡眠と笑い声。あとチーちゃんの辛口ミーム」

 「私で育つな」

 「育つよ。ツッコミはバストに効く(※個人の感想です)」

 「論文タイトル:『ツッコミ刺激が乳腺成長に与える影響』(査読:地獄)」

 「サンプルN=1でも勝った気でいこう」


 くだらない。が、退屈は溶ける。

 ミームは潤滑油。

 私は退屈を嫌う。退屈は世界のバグだから。


 「で、ハル」

 「なに、チーちゃん」

 「君の理論、最近アップデートした?」

 「した。記憶ベースの再演アルゴリズム」

 「聞こうか」

 「観測は“いま”を固定するでしょ。チーちゃんの得意分野。

 でも私の興味は逆。“記憶”が“いま”を再構成する。

 つまり、R(t)=Reconstruct( Memory(t−Δ), Emotion )」

 「情動を変数に入れるの、危険じゃない?」

 「でも人は情動で選ぶ。なら、手順化すればいい。

  “感情は副作用”じゃなくて、“演算の燃料”」

 「……君はやっぱり危険だね。美しくて危ない」

 「ありがとう。褒められて育つ。バストに効く(再)」

 「査読:地獄(再)」


 彼女は続ける。目が、**“覚えている人の目”**になる。

 「嫌な記憶って、アンカーになるの。

  そこに戻って“選択”をやり直す練習を何度も重ねると、現在の行動確率分布が変わる。

  これ、過去改変じゃない。現在改造。アスミちゃんの“過去改変”を笑ったのは、そこ。

  彼女はまだデータがそもそも少ない。だから“リスタート”より“学習率ηの調整”から」


 「要するに、“強くなれ”じゃなく“賢く微調整しろ”?」


 「そう。ηを上げすぎると発散、下げすぎると停滞。

  人間の最適化は、気分と天気と友達で揺れる。そこを設計してあげたい」


 「君、やっぱり天才だよ」


 「うん、チイロに匹敵。この台詞、一回言わせてみたかった」


 「自己肯定感が正直でよろしい」


 私は机上のメトロノームを指で弾く。カチ、カチ。

 「じゃ、アスミの“手順飛ばし癖”は、どう矯正する?」

 「ノートの空白を恐れさせないこと。

  “導出の穴”に付箋を貼る訓練。穴を記憶に登録しておくと、次に飛ばなくなる」


 「穴の登録、いいね。空白の観測」


 「それと、4–7–8の呼吸。あれは“記憶の再演鍵”。『吸って4、止めて7、吐いて8』

  ——このテンポで過去の迷いを再演し、いまの選択を書き換える」


 「何それ、私の仕事を盗むな」


 「共同研究でしょ、チーちゃん」


 「よし、著者順は君が一番、私は責任著者」


 「聞き慣れない肩書きでマウント取るのやめて」


 二人で笑う。

 笑いは、正しい。笑いがあると、世界は少しだけ味方をする。


 私は話題を戻す。

 「で、ハル。君、リリには厳しめに優しいのに、アスミには懐疑的だよね」


 「リリちゃんは“否定から入る癖”があるからブレーキをかけれるというか、勝手に止まるの。

  可能性を潰す前に一呼吸。アスミちゃんは逆。真剣が過ぎて視野が狭まる。だから少し突き放す。

  『君はまだ大した人生歩んでない』って。この台詞、優しさがないようで、選択肢を増やすための釘ね」


 「言葉の刃の角度、ちゃんと研いでるんだ」


 「うん。人間、刃の当て方ひとつで傷にも縫合にもなるから」


 ハルはスツールから立ち、窓辺へ。

 夕陽の境界に髪のピンクが溶ける。そのグラデーションを見て、私はデータを取る。

 “美しさは観測者の眼圧で定義される”——私の仮説に、今日も証拠が増える。


 「ねえ、チーちゃん」

 「なに」

 「この部、楽しいね」

 「退屈が死滅してる。私の研究目的からすると失敗」

 「でも、チーちゃんは笑ってる」

 「研究者は、データが溶けると笑うんだよ」

 「じゃあ、ずっと溶かしてあげる♡」

 「やめて、記録の保存領域が泣く」

 「バックアップは友達が取るから安心して♡」

 「その台詞、ちょっとずるい」


 ハルは再びこちらを向き、いたずらっぽく目を細める。

 「最後にもう一個。今日の栄養の秘密」

 「はい、論文用」

 「タンパク質、睡眠、そして——チイロの甘口ミーム」

 「だから私で育つな」

 「もう育ってる。ほれほれ」

 「査読委員会、地獄」

 「そんな地獄なら、二人で笑って歩けるよ」


 そう言って、彼女は椅子をくるり。

 ピンクのネイルが机をトントン叩くリズムで、時間の端がほぐれる。

 私は確信する。

 ——白鷺ハルナ。

 観測対象としてはノイズが多すぎる。

 でも、理論を動かす乱数因子として、これ以上の適合はない。


 そして、後に私は知る。

 この日の理科準備室は、測定上「三度上昇」で記録されたけれど、体感では戻らない温度になっていたことを。

 夕陽が消えたあとも、彼女の笑い声だけは、室温のどこかで小さく燃え続けていた。


 ……どう、アスミ。

 少しは思い出した?


(沈黙)


 ああ、その顔。

 覚えていないのに、脳の奥だけが疼く――観測と記憶の中間点に立ってる顔。

 君の瞳が、まるで“記録の断面”を覗き込むときみたいに濁る。


 無理しないでいい。

 忘却もまた、データの防衛反応。

 でも君の中では、きっと何かが再演を始めてる。

 だって、ほら。


 「……そのあと、私たち、どんな活動をしてたの?」


 君がそれを訊いた時点で、もう再演は始まってる。

 “思い出せないものを思い出そうとする”のが、観測の第一段階だ。


 この先の記録、続きを話そうか。

 四人で観測部として過ごしたあの奇妙な季節を。

 笑って、揺らして、世界を壊しかけた――

 あの温度が戻らなかった季節を。



 記録注釈:

 観測とは干渉、干渉とは再演。

 そして再演とは、忘却を許さない。


 ――記録者:雲越チイロ


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