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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第二章 双灯祭準備編

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54/94

EP54. GMによるミーム喫茶理論とエントロピー

  ——人生には、避けられない二つの現象がある。

 一つはエントロピーの増大。

 もう一つは、雲越チイロが突然「面白いこと思いついた!」と宣言する瞬間だ。


 音が二層になっていた。

 表層は空調と冷却ファンのホワイトノイズ。

 深層は、雲越チイロの存在ノイズ——思考の熱が空間を歪ませる音。

 後者が臨界を越えると、天城総合学園はだいたい祭になる。

 今日も予報通り。


 そして、そのどちらも世界を不可逆に変える。


 今回の被害者は、私だった。


 ——生徒会室。午後。

 木目の大型テーブルに、紅茶の惑星系。砂糖壺=木星、ティーバッグ=衛星。

 二階堂サツキの笑顔が万有引力。野々村ハザマはモップを剣のように構え、世界の表面張力を守っている。


 そして、すべての震源——雲越チイロ先輩が立つ。


 「はい注目〜〜! 本年度双灯祭、NOXが誇る文化的暴発プロジェクト、ここに爆誕〜〜!」


 声圧で窓ガラスがキーンと共振した。

 ユウマが瞬き三回(警戒モード)。ミナトはため息二拍(諦観モード)。ミサキは心拍+10(闘争モード)。

 私はメモアプリを開く。——逃げ道を探すための。


 チイロ先輩、三年。NOX最年長。自称、ミーム神。

 専攻:理論物理。副専攻:破滅芸術。副副専攻:ネットミーム学(本人いわく査読済)。

 居室:図書館最上階・天文台(私物化済)。

 生徒会=「うるさい下界」。生徒会長のサツキでさえ、チイロ先輩を上階層の神扱いする。

 要するに、上空から落ちる流星。


 先輩は巨大タブレットを床へ蹴り飛ばし、そのまま足でスワイプ。ホロ投影が立ち上がる。


 『メイド喫茶 “カフェ・オブ・エントロピー” — 可愛いは秩序を殺す —』


 言語野が一瞬、転び、立ち上がる前に追撃。


 「説明しよう。メイド服とは、エントロピー増大の擬人化である」


 「うぉ!!名言来た!スクショ!」とトウタ。

 「スクショじゃない、脳内可逆圧縮で保存して」と先輩。

 ——どっちも扱い注意。


 先輩は椅子の背に逆向きに跨がり、レーザーポインタ代わりにティースプーンを振る。

 完全プレゼン態勢。


 「メイド喫茶とは“観測系の特異点”。

  “可愛い”という主観変数が、経済価値と空間演出に直結する。

  つまり、感情エネルギー→購買→場の秩序、という不可逆変換装置!

  要約すると——萌えは熱力学的現象!」


 「つまり、可愛いで世界を温める?」ユウマが言う。

 「Yes, kawaii.」と先輩。

 「理論的に破綻してないのが腹立たしい」とぼそっとミナトが呟く。


 「店員は“観測者”ではなく観測対象。

  観客が見るほど、可愛いが生成され、世界がほぐれる。

  ——ゆえに、われわれが実験体になる」


 嫌なフラグの音が耳奥で鳴る。


 「……“われわれ”に私も含まれてます?」

 「当然」

 先輩の口角がゴールドシュミット反応みたいに上がる。

 「アスミ、君もメイドだ」


 「は?」

 「『シュレディンガーの仮面』の前に『シュレディンガーのメイド』を経験しなさい。

  量子と紅茶は親和性が高い」

 「そんな相図、見たことありません!」

 「じゃあ、描けばいいのよ。フェーズダイアグラム・オブ・カワイイ。第一著者、雲越チイロ」


 ミサキが危うく紅茶を噴く。

 「アスミがメイドって、ギャップ殺しが過ぎる……」

 先輩は即答。

 「ギャップこそ観測の本質。

 “クールなひとがフリルを着る”——偏微分が∞」

 「偏微分で可愛いを語らないでください」

 「語るの。Cute = ∂(秩序崩壊)/∂(観測)」

 「式、神!固定ツイ!」とトウタ。

 「試験範囲が宇宙」とミナト。


 私は逃げ道の設計を諦め、反撃に切り替える。

 「先輩……さっきから、色々力説してますけど、メイド喫茶の“専門性”を本当に理解してます? たとえば——系譜」


 先輩、待ってましたの顔。

 「いい質問。さすがはアスミ。では、系譜を爆速で」

 1.英国家内制:レディングローブ文化、家内労働の可視化前。

 2.産業革命後:労働の均質化→エプロンが階級境界の記号に。

 3.西欧ロマン主義:サロンの遊戯化、役割の演劇化。

 4.秋葉原再定義(2000s):接客を演出へ。ロールは役に。

 5.VTuber期:身体がアバター化、“可愛い”が非物質輸送される。

 6.NOX期:学術化。**COE(Cafe of Entropy)**構想、Center of Excellenceの二重意味で勝利。


 「言葉の干渉が強すぎる」とユウマに先輩が「可愛いはいつでも多重スリット」と返す。


 サツキが拍手、こぼす、拍手。

 「素晴らしいですわ! 学園の文化に新しい光を!」

 ハザマがモップで**光(紅茶)**を回収。「また紅茶……」


 先輩は立ち上がり、私の前にホログラムを三枚スライドする。

 •白×黒クラシック:高襟ロング、カフス太め、礼法対応。

 •ネイビー×シルバー:短丈燕尾、金属ボタン、量子執事ハーフ。

 •ピンク×ピンク:露出多め、説明:実験誤差。


 「選びなさい」

 「選びません」

 「選ばないことは、選ぶこと」

 「論理、凶器化やめて」

 「可愛いの前では論理は鈍器」


 私の沈黙を、先輩は理論で殴る。


 「アスミ、君がメイド服を着る学術的価値は四つ。

 (1) 対称性の破れ:冷徹像のアップデート→観測者の先入観再学習。

 (2) 演目連鎖:『仮面』本番での情動コントラスト増幅(前処理)。

 (3) 生体データ収集:ユウマ心拍・皮膚電位の教師データ化。

 (4) 惨劇の再演:君の“壊れ方”を安全舞台で再現し、別解を与える。


 ——最後の一行で、胸骨の裏に微熱。

 この人は、撫で方を知っている。ずるい。


 私は攻め返す。

 「じゃ、ユウマ。どれが見たい?」


 空気の熱容量が一瞬上がる。

 ユウマ、マグを止め、目を泳がせ——

 「ど、どれも……似合うと、思う……」


 着火。

 ミサキがとても静かに立つ。白衣の影が長い。

 「今、“どれも”って言った?」

 「語弊で……」

 「じゃ、私が着たら?」

 「ミサキ、これは——」

 「臨床試験よ」

 ——スイッチ音、確かに聞こえた。


 チイロ先輩は湯気を嗅ぐように、関係性の蒸気圧を読み取る。

 「良い。愛と嫉妬の相転移。データ、甘い」

 「データ取らないでください(切実)」

 「倫理委員会:私」


 トウタは床でのたうちつつスマホ。

 「タグ #量子メイド #嫉妬は発熱反応 #推しは熱容量」

 「配信前にIRBが止める」とミナト。

 「止めたい……」とハザマが超小声で。

 「止めませんわ!」とサツキ。


 先輩は指を鳴らし、店舗設計を展開。


 COE(Cafe of Entropy)設計図

 •フロアは二相:

 Order(秩序)……礼法・ティーセレモニー・定常流。担当=アスミ。

 Chaos(無秩序)……ミーム接客・即興寸劇・乱流。担当=ミサキ(ユウマ近傍で自然励起)。

 •可愛いカウンタ:匿名フィードで観測ごと増える数値を壁面表示。

 •メニュー:

 •「マクスウェルの悪魔フロート」:カロリー選別不可(おいしいは正義)。

 •「エヴァネッセント・パフェ」:視覚的には消えそう、味は濃厚(干渉縞トッピング)。

 •「推しは熱容量プレート」:長時間推しに耐える栄養バランス(電解質多め)。

 •プロトコル:

 •ご入店時「おかえりなさい(観測開始)」

 •ご退店時「いってらっしゃい(波束再展開)」


 「安全管理」

 「救護ライン、AED位置、糖分過剰対策、恋愛脳過熱クールダウン導線」とミサキ。

 「素晴らしい。医療は“可愛いの保険”」と先輩。



 ——放課後。

 生徒会室の隣、臨時設営の“試着実験室”。

 中には、チイロ先輩が選び抜いたメイド服が三着、ホログラムマネキンに並んでいる。

 ピンク。ネイビー。黒。

 どれも、物理法則のどこかを少しずつ破っている。


 チイロ先輩は両手を腰に当て、満面の笑み。

 「アスミ。まずは“実験誤差モデル”から着てみよう」

 「誤差モデルって、露出多いって意味でしょ」

 「Yes。露出は観測面積だもの」

 「そんな物理いらないわ!」

 「観測されなきゃ存在できないんだよ? ——さ、脱いで、脱いで、脱げ!」


 「!?」


 空気が1℃上昇。

 ミサキがストレス測定を起動しながら、「心拍変動がすごいね」と笑う。

 トウタはカメラを構えて、「観測データだよ!」と弁解し、ミナトに没収された。

 サツキは紅茶を持って、「まあ、健康的ですわね!」と加熱源を提供。


 ——そして、私は敗北した。

 半ば押し込まれるように、ピンクのフリル地獄へ。


 鏡の中の自分が、別の生き物だった。

 スカートは短く、肩紐はやたら華奢。胸元のリボンが重力に抗って存在を主張している。

 ……視覚的エントロピーが、限界突破していた。


 「先輩……これ、どこに着ていく服なんですか?」

 「学問の最前線」

 「風紀的には最終戦です」

 「いい? “可愛い”は恥ずかしさと抵抗の干渉縞でできてるの」

 「その理論、倫理委員会で燃やしたい」

 「倫理委員会:私」

 「ちょっと、ここ直すよん!」

 「って……先輩っ!!どこ触って……!」

 ミナトが咳払い一つ。

 「理論的には破綻してないのが腹立たしい」

 「ね?」チイロ先輩、勝ち誇る。

 「ミナトやめて!」

 ミサキが少しだけ頬を緩め、「……似合ってるよ。想定より健康的」

 「褒められた気がしない!」

 ユウマは、視線を逸らしたまま、「……似合ってると思う」

 その声が小さくて、逆に逃げ場がなかった。


 その瞬間、チイロ先輩が“次”を差し出した。

 ——黒の布。

 光を吸うほど深い、滑らかな質感。縁に、銀糸のトリムが細く走る。


 「こっちは“理論衣”」

 「理論衣?」

 「そう。“恥ずかしさ”が落ち着いた後に残る、観測のための構造。

  高襟、軽袖、閉じた背中、重い裾。君の“定常状態”だよ」


 私は無言で受け取る。

 着替えてみると、鏡の中の私はさっきと違った。

 落ち着いていて、どこか静かに美しい。

 裾が揺れるたび、銀糸が微かに光を返す。

 あの短いスカートの混沌が、今では“対称性の破れ”として意味を持っていた。


 「これなら……着てもいい」

 「ほらね? 君は“秩序側のメイド”」

 チイロ先輩は満足げに頷き、髪を耳にかけた。

 「最初の羞恥は、ちゃんと熱エネルギーに変換された。可愛いの保存則、成立」


 サツキが紅茶を掲げ、「実験成功ですわ!」

 ミサキがメモを取る。「情動エネルギー変換、観測値+12%」

 トウタが叫ぶ。「タグ決定! #秩序メイド #恥じらいの初期条件」

 「それ消して!いや、消せ!」


 私は鏡をもう一度見た。

 黒。

 光と影のちょうど真ん中に、自分が立っている気がした。


 ——可愛いは、秩序を壊す。

 でも、それが壊したあとに生まれる形を、私は初めて“綺麗”と思えた。


 「ドレスコード最終案、四つ目に落ち着くか」

 「だよなー」

 残念そうなチイロ先輩とトウタ。

 ホログラムが切り替わる。

 黒を基調、細い銀糸のトリム。高襟で露出を抑えつつ、袖は軽い。背中は閉じ、裾に重さ。

 ——私の弱点を避け、強みだけを増幅する設計。


 「……これなら、ギリ」

 「採用。 サイズは採寸済み」

 「いつ測ったのよ!」

 「観測は常に先行するの」


 サツキが身を乗り出す。

 「私も着ますわ!」

 ハザマ:「会長はレジをお願いします」

 「まぁ!」


 ユウマが小さく呟く。

 「俺、なるべく乱さないようにするから」

 ミサキが横目で刺す。

 「乱れないユウマなんて、ユウマじゃない」

 先輩は頷く。

 「乱れは花」


 私は最後の抵抗を口にする。

 「……条件。降りたくなったら降りられるように」

 「不可」

 「は?」

 「降りたくなくなる演出を、私が用意する」

 沈黙。

 ——論理、情動、両方で詰まされた。


 私は両手を上げる。降参。

 「期日とタスク、ください」

 「最優先:『MoE(萌え of Experts)のチューニング』」

 「混合専門家じゃなくて萌え……」

 「日本語は最強の理論言語」


 笑いが二往復。

 サツキがまた紅茶をこぼし、ハザマが物理法で回収。

 部屋の温度は上がり、私の心拍は落ち着く。逆説的に。


 チイロ先輩はカップを置き、静かに結ぶ。


 「覚えておきなさい。

  “可愛い”は、宇宙で唯一、観測のたびに増えるエネルギー。

  COEはそれを測定し、配る場所。

  アスミ、君の“クール”を、そのまま“可愛い”に変換する。

  それは君の再演であり、赦しの実験でもある」


 W1の残響が、足首を一瞬だけ冷やす。

 でも、湯気の重さがすぐに戻る。

 ——この部屋のノイズは、私を生かす。


 私は観測ログに、一行だけ加える。

 〈可愛いの保存則は破れる。だから、救われる〉

 

 企画は通った。

 議決権を持つ呪文はサツキの「可愛いは正義」。

 試着は来週。鏡の中の私は多分、笑わない。

 でも——誰かは笑う。

 ユウマかもしれない。ミサキは多分、笑って噛む。


 雲越チイロは、私を理論でボコボコにしながら、最後だけ撫でる。

 ずるい。悔しい。ありがたい。


 W1の影は消えない。

 けれど“カフェ・オブ・エントロピー”の湯気に紛れたら、私はもう少し、人に優しいノイズになれる。


 ——観測継続。

 可愛いのエネルギーは、今日も保存しない。

 紅茶の香りが残る教室で、私は呟いた。

 「……宇宙って、ほんとバカ」


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