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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第二章 双灯祭準備編

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EP50. 重ね合わせとレクイエム

 生徒会室のドアノブは、今日も金色に無邪気だ。回した瞬間に、私は悟る。

 ——世界はいつだって、理論より騒音で進む。


 机の上には、紅茶、クッキー、提出書類、そして転倒予備軍のティーカップ。

 二階堂サツキが笑っている限り、学内の物理法則は逐次アップデートされる。

 (注:前回のアップデートで「液体系の安定性」は改善されませんでした)


 議題は“舞台演目決定”。

 レイカ提出の企画書タイトルは——


 『シュレディンガーの仮面 —The Phantom in Superposition—』


 名前の時点で、嫌な予感に上質な香りがする。怖いけど、面白い予感しかしない、あの匂い。


 ——天城総合学園・生徒会室。


 午後四時の斜光が、会議机のアルミ縁でフェーズをずらし、視界に干渉縞を落とす。

 サツキ会長は、相変わらずの王朝期テンションで紅茶を注ぎ、満面の笑みを無限増殖。

 隣で野々村ハザマが議事録端末を起動。タイピングの音圧が正しい。この人の音には嘘がない。


 「では、本日の議題! 双灯祭・演劇部門 主題決定会議ですの!」


 号令で空気が整列。レイカが**“光”そのものみたいに立ち上がる。

 ——目が輝きすぎて露出オーバー**。誰かNDフィルタを。


 「タイトルは『シュレディンガーの仮面』。

 量子力学と愛とオペラ座の怪人を融合した、観測型悲恋劇です!」


 「は?」という小声が、北東南西から同時到来。

 でも、私は知っている。レイカが本気の時だけ出る、“理論の匂い”。


 「舞台は“存在確率で揺らぐ劇場”。

  観客が見ることで舞台が生成され、同時に壊れる構造です!」


 サツキの瞳に星。「まぁ! 難しそうでおしゃれですわ!」

 理解ゼロ、感情百。

 ——この人、重ね合わせ状態の理解者。分からないことを堂々と好きになれる強さは、尊敬する。


 ミサキが医療者の声で、紙を静かにめくる。

 「……観測型悲恋劇。観客の安全は?」

 「もちろん安全です!」レイカ即答。

 「光学干渉のシミュレーションだけで、舞台は崩壊しません! 多分!」

 「“多分”が一番怖いのよ」

 (ミサキの“多分警報”は、院内トリアージ赤と同等。覚えておこう)


 ミナトが、体温36.2℃の声を差し込む。

 「干渉系の舞台使用は可能。Chrono-Scopeの教育版を分岐すれば、光強度を観客数で閉ループ制御できる」

 ユウマが頷く。

 「“観測量=照度”でリンクは理論上いける。

  ただ、音響の共鳴峰が立つと危険。反射音の抑制は必須」

  ——つまり、本当にやれる。物理班が真顔で狂気を設計し始めた瞬間だ。


 レイカが配役表を掲げる。紙から熱が出ている。

 「主演は私、リナ=シュタイン。量子状態の歌姫」

 サツキ拍手。「ぴったりですわ!」

 「ファントム役はユウマ。観測を拒む存在」

 ユウマが目を細める。「拒む、ね……僕、いつも観測する側だけど」

 「だからいいの。“観測を拒む観測者”。ロマンの局在」

 「……物理用語でロマンを語るな」

 (語ってしまうのが、あなた達の様式美でしょうに)


 「技術主任オルフェはミナト。冷静な制御。

 ステージマネージャーはミサキ。最後の観測者」

 ミサキ、白衣の袖を整える。「つまり、事故が起きたら死ぬ役ね」

 「はい。美しく死にます!」

 「やっぱり怖い」

 (※“美しい死”は演出側にとって褒め言葉だが、医療側にとってアウト)


 チイロがソファ背からにゅっと顔。目の下クマ、舌だけ元気。

 「レイカちゃ〜ん。で、私の役は?」

 「量子ノイズ!」

 「は?」

 「セリフは数式+擬音。観測されると意味が変わる!」

 「つまり、台本が無いってことでオケ?」

 「存在確率はある!」

 「犯罪級ミーム劇やん……」

 (チイロが“犯罪級”と言う時は、最高の褒めでもある。ややこしい)


 私は笑う。

 レイカの狂気は、いつも真っ直ぐで、救いがある。

 彼女は多分、“理解されない”ことを初期条件に置いて作っている。

 だから、届いた分だけで充分に勝つ。


 ハザマが手を上げる。呼吸は乱れない。

 「演出理念は理解。主題を明文化します。

  ——『観測されることは愛されること。だが、愛された瞬間、自由は死ぬ』。

  これで宜しいか?」

 レイカは笑いを消して頷く。

 「はい。それがこの舞台の方程式」


 空気が一段落ちた。

 ——誰も笑わない。サツキでさえ、拍手を待つ手を膝に置く。

 ミサキが、胸腔のどこかで言う。

 「……重い。けれど、綺麗」

 ユウマは机に指を置き、一拍遅れて。

 「その“自由”の定義、まだ分からない」

 レイカは役者の笑いで返す。

 「じゃあ、舞台で答えを出しましょう」


 ——ここで、私の内側の古傷が、小さく疼く。

 W1。干渉、崩壊、喪失。

 舞台は安全な実験だ。けど私の脳は、安全をなかなか信じない。


 チイロがあくび混じり。

 「やれやれ。アスミ、これまたW1フラッシュバック案件かな?」

 「……そうね。干渉と崩壊の骨格は、いつも同じ」

 「でも今回は舞台。死ぬのは照明くらいにしとこ」

 「物理的に正しいわ」

 (※照明はだいたい犠牲)


 サツキが手を叩く。紅茶が表面張力で踏みとどまる。

 「では決まり! 演目は**『シュレディンガーの仮面』!

  天城の光で、影村の闇を照らしますの!」

 (※この“対抗煽り”を直さないのも、彼女の強さ。負けた日も笑えるから)


 ——議決。可決。満場“理解保留”の賛成。


 ここからは実務。

 ミナト:「干渉投影は720p/60で十分。遅延は**<16msに抑える」

 ユウマ:「音響はショートリバーブで抑止。観客拍手=観測量はBPM換算で可視化**」

 ミサキ:「安全導線は二重系、非常時は手動で崩壊させず暗転で状態遷移」

 ハザマ:「議事録に反映。責任部署は演劇部・理科班・生徒会・保健委。稽古三段階で負荷試験」

 チイロ:「告知ミームは**#観測は愛で展開。ポスターは“見られないほど映える”デザインで」

 サツキ:「私は高笑い担当**!」

 ——役割分担、盤上に整列。


 配役確認の最終ラップで、レイカが私をまっすぐ見る。

 「アスミ。あなたは、観測と愛の分母を守る人。

  稽古中、誰より先に『危険』を言葉にして」

 「……了解。厳しめにいく」

 「厳しさはラブレターだよ!」

 (この女、さらっと刺す)


 最後の最後で、ユウマが短く言う。

 「観測は安全、選択は痛い。

  でも、今日は進もう。干渉域へ」

 ——やめて。そういう台詞、私の傷に効く。


 議決スタンプが端末上でポンと鳴る。

 紅茶は、奇跡のままこぼれない。

 今日の物理法則、珍しく味方。




 ——夜十時を少し回ったころ。

 デスクの上では、コードの光がまだ白い。

 “観測ログ”の修正をしていた私のスマホが、不意に震えた。

 画面には〈御影シオン〉の文字。

 少しだけ、呼吸が乱れる。

 夜に鳴る電話は、たいてい何かを壊す。


 「……アスミ先輩。いま、いいですか?」


 声はいつも通り穏やかだった。

 だけど、その“間”にノイズが混じっていた。

 音声圧縮特有の欠けではなく、迷いがキャリアに乗る音。


 「うん。どうしたの」

 「少し、話したくて。あの、“ゲーム”の話なんです」


 “ゲーム”と聞いた瞬間、指先が止まる。

 W1の赤い残響が、脳内のどこかで再生される。

 「どんな……ゲーム?」


 「影村の生徒会だけで試したことがあって。五人で、“人狼”ゲームの派生なんですけど。

  ……本当は、双灯祭ではなく、文化祭展示用のアイデアのつもりだったんですけど、

  双灯祭でも使いないかなって。先輩に意見を聞いてみたくて」

 少し息を吸って、彼女は続けた。

 「電気椅子を使ったんです」


 心拍数が、跳ねる。

 「——待って。どういう意味?」

 「その、電流制御付きの椅子を、物理部が試作してて。電圧は低いです、痛くない程度。

  でも、選ばれた“人狼”に電気が流れるようにして……」

 彼女の声が、淡々としているのが余計に怖い。


 怖さの本質は“自覚がないこと”だ。


 「勝敗判定のたびに、LEDが点くんです。誰が“狼”だったか分かる仕組み。でも、一度だけ——」

 彼女の言葉が、途切れる。

 「点かなかったんです。電源は入ってるのに、どの椅子も反応しなくて。

  次の瞬間、五脚すべてが同時に震えた」


 鼓膜の奥で、ノイズが走る。

 私の指先が冷たくなっていく。

 「誰もスイッチを押してないのに?」

 「はい。機構的にはありえないって物理部の子が。

  ……でも、面白かったのは、誰も“止めよう”とは言わなかったこと」

 「面白かった?」

 「うん。“正解が誰か”より、“誰が耐えられるか”を見ていた気がします。

  最後まで座ってた人が“勝ち”。それだけ」


 ——耐えられるか。

 脳内で、W1の「観測値ゼロ」のアナウンスが再生される。

 拍手のない、沈黙の祭壇。

 私は知らず、椅子の背もたれを握っていた。

 その硬度が、異様に現実的だった。


 「……それ、何を得たの」

 「うーん……“信頼”かな。みんな一回ずつ電流を受けて、笑ったんです。“これくらいなら大丈夫だね”って」

 「“これくらいなら”って、どこまで?」

 「電流値で言えば十ミリアンペア未満。でも、その瞬間、誰も瞬きしなかった。

  それが綺麗で、ずっと覚えてます」


 シオンの声は、まるで記録を読み上げる機械みたいに正確だった。

 でも、彼女の言葉の裏にある静かな熱だけは、機械じゃない。

 その熱が、いちばん怖い。


 「シオン。……その椅子、いまどこにあるの?」

 「物理部の倉庫。動かないように封印してあります。

  でも——先輩、双灯祭で、“もう一度”使えたらどう思います?」


 心臓が、文字通り“跳ねた”。

 脳内の酸素が減って、光が一瞬歪む。

 「ダメだ」

 声が震えていた。

 「二度と、それを“遊び”に使わないで。分かるでしょ、それがどういう構造か」

 「でも、“怖い”と“安全”の境目を体感できる装置なんです。

  誰も死なないなら、倫理的にはセーフだと思いませんか?」


 倫理的に、セーフ。

 その言葉の音素が、W1の死者たちの笑い声と重なる。

 “倫理的な地獄”の形は、いつだって穏やかで、美しい。

 ——そして、手順で再現可能だ。


 「……シオン」

 呼ぶ声が、自分のものに聞こえなかった。

 「あなた、それを**“照明”だと思ってる**?」

 「え?」

 「それ、照らす装置じゃなくて、焼く装置だよ」


 電話の向こうで、息が止まる音。

 沈黙。

 一瞬の間に、雷が遠くで鳴る。

 音が時間を裂く。


 「……先輩」

 シオンの声がかすかに震える。

 「もし、私が間違えていたら、止めてくれますか?」

 「止める。でも、“手順で”止める」

 「手順、ですか」

 「そう。感情で止めても、あなたは納得しない」


 通話が途切れる前、彼女が小さく笑った。

 それはまるで、私を嗜む様な音だった。


 「——やっぱり、先輩の声って、不思議。少し痛いのに、安心します」


 通話終了。

 ディスプレイの黒に、自分の顔が映る。

 頬が濡れていた。

 雨ではない。


 机の上のノートを開き、私は書きつける。


 〈御影シオン:影村実験 “人狼電流型”/倫理構造=報酬の反転

  電流=観測値固定トリガー/危険域=10mA/集団同期率 r>0.85で発火〉


 

 以下がシオンの言っていた電気椅子の詳細


 ■ゲーム名:「 狼椅子オオカミイス


 企画者: 御影シオン(影村学園 生徒会長/1年)

 目的: 「信頼の閾値を可視化する」

 形式: 人狼型・電流実験ゲーム



 【1】構成とルール概要

 参加者は生徒会の5名。

 椅子は5脚。全て金属フレームで、低電圧制御が可能。

 各椅子の下には独立回路と共通母線。

 それぞれの座席には赤・白のLEDが埋め込まれており、進行役の制御によって発光・電流流入が行われる。


 「本来は教育展示の“電流経路の可視化”装置を流用したんです」

  ——御影シオン/談

 •各プレイヤーには**“役職カード”**が配布される。

 •狼:1名

 •村人:3名

 •観測者:1名(傍観と記録を担う)


 ただし——

 誰が“観測者”かを、全員が知らない。



 【2】勝敗条件

 通常の人狼と異なり、討論は一切禁止。

 代わりに、30秒間の「沈黙の時間」が設けられる。

 沈黙中、全員が心拍計センサーを装着。

 平均心拍数が最も高い者を「狼の疑いあり」とし、その者の椅子に微電流(約8〜10mA)**が流れる。


 電流は**“処罰”ではなく“確認”**の意味を持つ。

 照明が落ち、赤いランプが点灯する。

 その間、他の4人はただ見ている。

 電流が止まったあと、再び沈黙の時間に戻る。


 ——これを5ラウンド繰り返す。

 ゲーム終了時、誰が狼だったかは開示されない。



 【3】電流のトリガー

 シオンの真の仕掛けはここにある。

 電流を流す制御プログラムには、

 **「誰が狼でも、最も“狼に見えなかった者”に流す」**という逆ロジックが組まれている。


 つまり——

 「信頼された人間ほど、電流が走る」。


 その構造を知っているのは、進行役のシオンだけ。


 「信頼を集めた人が傷つく構造。

  社会って、だいたいそうですよね?」

  ——御影シオン/開発メモ



 【4】終局

 最終ラウンド後、照明が再点灯し、全員の椅子が同時に**“短い振動”**を返す。

 電流の正体は、もはや罰ではない。

 **「共有された痛み=共同体の証明」**として、シオンはそれを“儀式化”した。


 だが、その夜。

 最後の一回で、全椅子が同時に作動した。

 本来はあり得ない。

 共通母線がショートした痕跡も、プログラムの暴走ログも残っていない。


 「でも、全員が笑ったんです。

  “これで対等になれたね”って」


 ——そう、シオンは言った。

 その微笑みが、私の背筋を氷のように冷やした。

 「誰も責めない罰」こそが、最も美しい地獄だから。



 【5】アスミの補遺メモ(W2観測)

 •この“狼椅子”はW1の“観測装置”と酷似。

 •信頼値を基準に選別される構造は、倫理を物理に変換した装置。

 •シオンがそれを「ゲーム」と呼ぶ理由は、倫理を統計処理できると信じているから。

 •彼女自身は罪悪を感じていない。ただ、機構の美しさに魅了されている。



 「ゲームって、痛みを平等にするための道具なんです。

 でも、たまに平等すぎて、何も残らない」

 ——御影シオン



 ペン先が震える。

 インクが滲む。

 私は呟く。


 「——これは、双灯祭の臨界域だ」


 会議は終わり、通路の白い照明が現実に戻す。

 私は歩きながら、胸の中のノイズフロアを測る。まだ高い。

 W1が時々、夢の形で蘇る。

 崩壊の音は耳鳴りに似て、治りにくい。


 “観測されることは愛されること”。

 レイカの主題は軽くない。でも、持てる。

 私はその言葉の前で、正直になれない。

 観測されたい自分と、観測から逃げたい自分が、干渉して濁るから。


 さっき、ユウマの視線が私を通り抜けた。

 観測と認識の中間で、ほんの一瞬。

 ——あれは、見られたと呼んでいいのか。

 呼んでしまえば、私は楽になれるのか。

 嫉妬は、だいたい自己診断不可の疾患だ。


 ミサキは気づいている。脈、歩幅、瞬き。

 彼女の“優しい殺意”は、私を守る刃だ。

 チイロのミームは、冗談の顔で救命具を投げてくる。

 ——可愛くない後輩。なのに、致命的に優しい。


 本番まで、もう少し。

 光が二つ重なれば、干渉が起きる。

 また何かが壊れて、別の何かが生まれる。

 私は、その全部を記録する。

 誰も見ない、観測ログの片隅に。

 そこは私の避難所であり、証言台だ。


 観測継続。

 舞台開演前夜。

 紅茶は、まだこぼれていない。

 ——それだけで、今日は勝ち。


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