EP47. 紅茶とクォンタム・レゾナンス
〈記録者:ユウマ/観測ログ_W2_043〉
天城総合学園生徒会長、二階堂サツキの召喚
——昼休み。
職員棟裏の階段下に、「呼び出し通知:至急」だけ打たれたメッセージ。
送信元は天城総合学園・生徒会室。
件名末尾の絵文字は王冠・紅茶・爆発。
三つ並ぶと、だいたい人は走るか隠れるか決める。
僕は第三の選択肢、甘味で現実逃避を選びがちだが、今日はタイムアップした。
「……来たな、二階堂サツキ案件。」
隣でアスミが小さく息を吐く。銀のイヤーカフが蛍光灯を1点反射、照度は手計算でおよそ45lx。
「“総合学園生徒会長”って肩書き、名前より出力があるのよね。」
「しかも王冠+紅茶+爆発」
「破滅の匂いしかしないわ」
紙パックのプリン(いやプリンは紙パックじゃない、食べかけのカッププリン)を50%残して立ち上がる。
スプーンが容器壁を擦る音が、心拍の上がり具合と同じBPM 78→86で跳ね返る。
アスミは白衣を四つ折りのままバッグへ。
折り目の直角が89.5°で気になるが、今は指摘しない。
階段の初段を踏む。踏面 28cm、蹴上 16cm。
僕の歩幅は二段で一拍。
ゼラチンの残留揺れと、心拍の微上昇が同期していた。
職員棟の廊下は床ワックス更新後二日目の光沢。
蛍光灯の色温度 5000K、昼休み特有の雑談ノイズが−15dBまで落ちる時間帯。
窓外の風は、プリンの表面に薄く張るカラメル膜みたいに、静かで、しかし破れやすい。
「行く?」とアスミ。
「行く。」と僕。言葉は短いが、足音は少し長い。
タタ・タタの二拍子が早回しになる。
踊り場で一度だけ立ち止まる。
確認事項:
1.召喚元:生徒会室(逃げ場がない)
2.件名:至急(プリンを食べ切る時間は与えない)
3.絵文字:王冠、紅茶、爆発
「ねぇユウマ、もし“爆発”が比喩じゃなかったら?」
「その時は避難経路。左の非常口、扉の開きは外開き。」
「確認早いわね。」
「経験則。」
アスミの口角が2mmだけ上がる。緊張の中に、いつもの速度が戻る。
生徒会フロアの前に着く。廊下の空気が紅茶の香りでほんのり甘い。たぶん、もう既にこぼれた。
ドアプレートには**“生徒会室/二階堂サツキ”。
その下に“来客歓迎♡”の手書き付箋。ハートの角度は17°傾き**。
こういう無駄に可愛い角度は、だいたい計算か天性だ。
サツキは、後者に見えて前者もやるタイプ。やっかいに強い。
「心の準備は?」とアスミ。
「カラメル比率が足りない」
「プリン持ち歩かないで」
「じゃあ精神安定用飴で妥協」
彼女が僕の掌にレモン味を一粒落とす。
包み紙のカサ音が、緊張の膜を1ミクロンだけ薄くする。
ノックの前、呼吸を4–7–8で整える。
アスミの瞳孔径がほんの少しだけ縮む。観測者の僕にだけ見える、戦前のサイン。
心の底——彼女は、影村の“脱出ゲーム”がW1の再演にならないかを怖れている。
まだ、誰にも言っていない。僕も、今は聞かない。
「行くよ」
「どうぞ」
二人で小さく頷き、僕が三連ノック。トン・トン・トン。
ちょうどその瞬間、部屋の中から——
「あらまぁぁぁ!お待ちしておりましたわっ!!」
破裂音。続いて、陶器の衝突音×2、液体の奔流音×1。
ドアが内から勢いよく外へ開き、金色のカーテンみたいな髪が光を撒き散らしながら迫る。
王冠・紅茶・爆発、すべて物理で来た。準備運動の概念、正しかった。
二階堂サツキ。
天城の象徴、“転身爛漫”を人型カプセルに詰めて校内に放流したみたいな存在。
台詞の語尾には効果音が標準搭載、身振りの最終フレームで必ずキラッが入る。
机の上の紅茶は、物語の口火を切る係を自覚しているのか、会話より早く床へ自爆ダイブ済み。
「きゃっ……あっ……えぇい、紅茶ごときに屈してなるものですかっ!」
ハンカチ(刺繍の密度が高い=お高い)でテーブルを拭く動きは、貴族のダンスを志しているが、結果は猫の肉球ペタペタ。
拭く→倒す→受け止める→自分で自分の手に紅茶をかける、の見事な四拍子。
横でアスミが耳打ち。
「学園指定コメディ成分、今日は濃いめ」
僕にしか聞こえない音量、でもツボは的確。
「あらっ、お久しぶりね!昨年の学園祭以来かしら?
岡崎ユウマさんに——矢那瀬アスミさんは、初めましてね!」
「え、名前まで——覚えてくれていたんですね」
「当然ですわっ!
この天城総合を代表するわたくし、二階堂サツキ!記憶力には自信がありますの!!」
名乗りの大太鼓を背に、両手をバトンのように広げ、見えないスポットを浴びる位置取りで上体を反らす。
「おーっほっほっほっほ!!!」
音響室リバーブ三段重ね。
廊下の遠方で失笑が拍手に位相変換。ここはそういう世界線だ。
背後では、さっきのカップの破片が再集合してからの二次崩壊。
「またか」という清掃員の念波が廊下の端から届く。
(※清掃員さん、今日のモップは超吸水版にしておいてください)
サツキはそのままターン——椅子を引く→脚がキュッ→微妙にバランスを崩す→ハンカチが再び紅茶を誘う、までが所作。
僕は反射で受けの構えを取るが、彼女は貴族グリップで踏みとどまる。
なぜか最後に決めポーズ。
(決まってはいない。が、決まったことにする勇気は尊い)
⸻
アスミが一歩前へ出た。
背筋は凪いだ水面、靴音は三分クレッシェンド。
「二階堂生徒会長。影村学園の生徒会長、御影シオンから“宜しく伝えて”と預かっています」
空気がピシと張る。0.3秒、サツキの笑顔が完全静止。
次フレームで、頬筋だけがスリップして素の困惑が覗く。
職人芸の表情ドリフト。
「……あっ、あらぁ、あの一年生の天才少女、御影シオンさんから、ねぇ」
「ええ。以前、“天城との交流をぜひ”と」
「交流! ふっ、ふふっ……!」
(準備音:高笑いキャッシュの読み込み)
「——**おーっほっほっほっほ!もちろんですわ!
わたくしと彼女の仲たるや、ええ、それはもう“戦友”**のようなものですわ……!」
(※ここで回想レイヤが半透明で被さる)
—あれは、わたくしがまだ小学生の頃に遡りますわ!
サツキ:小5、シオン:小4。
地域小の文化祭「自由研究頂上決戦」。
題目は——段ボール・ソーラークッカー対決。
・サツキ陣営:反射板ギラギラ、スローガン「太陽は友達」。
しかし反射角がズレて熱が逃げ、パンケーキは炭に。
・シオン陣営:計算済み角度、風対策の洗濯バサミ固定、温度の逐次観測。
パンケーキはふわふわ、会場にはバターの匂い。
結果:完全敗北。
以降サツキ、“宿敵”フラグを日常装備。
(※なお当時の掲示板タイトル「太陽は友達、でも直射は敵」。名言である)
——回想レイヤ閉じ。
僕が消音で呟く。
「根に持ってるなぁ……」
アスミの肘がコンと脇腹を叩く。高精度ツッコミ。
「ユウマ、声帯が漏れてる。」
(※僕の**“心の声マイクON問題”**は継続課題)
サツキは優雅に腰を下ろす——が、椅子の脚がギュッと悲鳴。
カップは本日三度目の地滑り。
この一連、“紅茶三段活用”として教科書に載せたい。
彼女はそれでも胸を張り、敗北の記憶をごく自然に栄光の前史へと翻訳する。
精神勝利法ではなく、推進力として取り込むタイプ。
(強い。方向は時々おかしいけど、エネルギーは正義だ)
サツキは肘置きに両手を重ね、指をコツ、コツと鳴らす。
「——あの時のパンケーキ、焦げても美味しかったですわ。」
「事実改変が始まってる」僕。
「記憶の焼き直しとも言うわね」アスミ。
サツキは気にしない。むしろ誇らしげだ。
「わたくし、あの敗北から学びましたの。
“角度”は感性ではなく、設計で決まる。
だから今年の双灯祭、角度は勝利角で固定いたしますわ!」
勝利角、とは。
その瞬間、部屋の隅からコホンと咳払い——
キラリと光るするどい眼差し。
サツキ、お決まりの高笑いで段落を締める。
「おーーっほっほっほっほっ!!!」
廊下の拍手は、今度は本物。
観客はいつの間にか増える。こういう人は風景から観光地を生成する。
僕はメモに一行。
〈サツキ=“笑いで前進する装置”。紅茶は犠牲。〉
——式は崩れても、勢いは崩れない。
それが彼女の物理法則だ。
部屋の隅——光が当たらない“計算上の明るさ”に、一人の青年。
生徒会仕様の制服、縫い目のピッチが1.2mmで均一。
立ち姿は無駄ゼロ、姿勢だけで「この部屋の重心は今ここ」と告げるタイプ。
視線は温度計みたいに摂氏で会話し、必要があれば湿度も相対で返してきそうだ。
「紹介しますわ、わたくしの右腕——野々村ハザマ。
生徒会長補佐にして、我が天城の影の者ですの」
サツキの声が金管のファンファーレなら、彼の返礼はピアノのスタッカート。極小角で礼、音は出ない。
「いつも彼女の無茶を現実化する役です。……物理的にも、比喩的にも」
「ちょっとハザマ、今の皮肉ですの?」
「いえ。尊敬です」
表情の変化は0フレーム。だのに瞳孔にだけ**“愛情バイアス”のハイライトが刺さっている。
——この男、サツキを否定することは世界の禁則事項としている。根は良いやつだ。
けど、**“禁則事項の人”は、だいたい面倒(観測者注:面倒=有能と紙一重)**。
机上の惨事へ。ハザマは無言・無音・無駄ゼロの三無行動で、こぼれた紅茶を新しいカップへ置換。
動線は直線→最短→既視感。
ティッシュ→受け皿→カップ→ソーサーの順列が一筆書きで完了する。
水面反射みたいに滑る指、研磨済みの所作。
サツキが「まぁ」と息を弾ませるより早く、別ブランドのクッキーまで横に添えた。
(在庫どこから……? 四次元補佐?)
アスミが0.2秒だけ目を丸くし、名人芸に頷く。
その虹彩の縁で、ノイズみたいな不安色が一瞬だけ揺れた——W1という幽霊の影。
しかし、すぐ消えた。
「ありがとうございます、ハザマ」
「当然のことを」
会話は最短距離。しかしサツキが「さすが私の右腕!」と胸を張った瞬間、彼のまぶたが0.1秒だけ甘く緩む。
愛のスパイク波形。検出した僕の負け。
「右腕って便利ね」アスミ。
「左腕が拗ねるかもしれない」僕。
我々の囁きは−20dBだが、ハザマの耳は人間規格。
微笑で受信し、ログへ保存した顔。
「業務連絡を」と彼。
タブレットがスッと空へ滑り、必要な資料だけが前景に浮かぶ。
ページ番号はサツキの好きな数字に寄せて並ぶ。
愛情バイアス駆動型UI、完成度が高すぎる。
こういう人が危機管理を握ると、学校は滅びない。
しかし、たぶん恋は手遅れ。
⸻
「さて!」サツキが胸を張る。
空気圧が半ヘクトパスカルだけ上がる。
「今年の双灯祭、影村学園にまた負けるわけにはまいりませんの!
彼女たちは“脱出ゲーム”やら“映画試写会”やら、毎回演出が凝っておりますでしょう?
ですから、あなたたち——NOXの英知と技術で、**天城にふさわしい“とっておきの出し物”**を考えてほしいのですわ!」
……よりにもよって、その二つは今期の僕らのど真ん中。
アスミ:御影シオンからの「脱出ゲーム」技術協力、水面下で進行中。
僕:影村の綾白ひより、夕咲メイたちと「コラボ短編」、脚本第2稿が今朝上がったばかり。
——言えない。ここで口に出したら、祭の前に首が飛ぶ。 倫理的にも、物理的にも。
(脳内ログ:〈秘匿フラグ ON〉/期限:双灯祭終幕まで)
アスミは人差し指で顎をそっと押し、思考姿勢。
「つまり、影村への対抗出し物。……御影シオンは脱出ゲームを用意する可能性が高い。こちらは——」
「美しく勝つやつで!」
サツキの合いの手が、議論の主旋律を食う。
「美しく勝つ……やつ」僕は復唱だけで咀嚼。
「ええ!参加者が驚き、笑い、泣いて、SNSで爆伸びして“天城すごい”となる、そんな出し物を!」
「要求スペックが大企業のIR」(口内独白)
僕はホログラム端末に白地の盤面を開く。
「仮に——理科×映像×演劇×心理実験×UIデザインを複合したインタラクティブ展示を構築。
来場者の選択肢が“相互救助”に収束するよう、報酬設計を反転。
拍手SEや“ステージクリア”の錯誤報酬を遮断、代わりに他者の安堵が次のシーンの鍵になる仕様……」
「いいですわ!難しい言葉が多くてもう勝てそうです!」
「いや意味はわかって。せめて三つに要約しよう。」
「キラキラ・ドーン・バズ!」
「要約の失敗ってこういうことを言う」
横でハザマが、間髪を入れずに追補。
「スケジュール案:三日でドラフト、七日で倫理審査提出、当日朝総合リハ、午後本番。
バックヤード動線は僕が切ります。
舞台裏の人流シミュレーションはDensity 2.5/m²以下で設計。
ボランティア導線は黄、緊急退避はシアン、会計はマゼンタ。色弱配慮済み。」
……右腕、有能が過ぎる。(そして配色が美術館)
「予算は?」と僕。
「協賛二社に当たりをつけています。」
「誰に?」
「文房具メーカーと高級プリン。」
サツキがバーンと手を叩く。
「プリン! 勝利角に必要不可欠ですわ!」
何それ、と見つめる僕ら。サツキは微塵も揺れない。
「士気と糖分は角度を上向きにしますの!」
(角度=血糖曲線説、強引だが嫌いじゃない)
「広報は?」アスミ。
「トウタさんに統合告知を依頼済み。」ハザマの返答は最短。
「炎上リスクは三段階で監視、紅華女学院の介入確率は昨年実績から0.37。
現着対処の**“ピンク耐性シート”は100m分確保しました。」
「ピンク耐性シート?」
「バルーン全ピンク化への抑止帯です。」
サツキが頷き、指を二本立てる。
「バルーンはピンクでも可愛いですの。勝利角は別問題ですけれど!」
バルーン全ピンク化の件は、よくわからないが、——可愛いの基準は柔らかいのに、勝ちの定義は固い。
君は文化祭の戦車**か。
「で、タイトルは?」僕。
サツキが即答。
「『天城式・勝利角』!」
アスミと僕、同時にまばたき。
ハザマだけ「良案です」と書き込む音。
「サブタイトルは?」
「“角度は設計で上げるもの”」
「説明文がサブタイトルに降りてきた……」
僕は端末に別案を走らせる。
•『SYNC/EXIT』:観測と退出が同期する展示
•『救済角』:手を差し出す角度で物語が回る
「では、明日12:00に素案ピッチを」ハザマが締める。
「5分ピッチ、質疑10分、決裁30秒」
「早い!」
「勝利角は初動です」
サツキがぐっと親指。
「勝利角、固定!」
彼女が立ち上がる——袖がカップをかすめる——だがハザマ。
人差し指一本でカップの回転を吸収、角運動量をゼロにする。
「見た?」とアスミ。
「物理で愛を証明した」僕。
ハザマは一礼。尊敬。そして盲目的忠誠。
たぶん、この二人がいれば、紅茶は何度でもこぼれるし、何度でも救われる。
ハザマが控えめに咳払い。周波数は1.1kHz、注意喚起用のやさしい帯域。
「それと、もう一点。紅華女学院の件」
アスミが目線だけで**“誰?”を送る。
僕が“今年から噂の新設”**を返す。
視線チャットはノイズに強い。
「あの“上流志向型学園”。資金は潤沢。ただ素行が自由すぎる傾向のお嬢様方。
他校の文化祭でいたずらまがいの干渉が散見。今年の双灯祭も要注意。昨年の学園祭でも被害がありました。皆さんもご記憶にあるのでは?」
ハザマの声は淡々、しかし危機管理の語彙がきれいに並ぶ。
サツキが腕組み、顎をちょっと上げる。“戦況把握の顔”だ。
「そう! 奴ら、去年はバルーンアーチを全部ピンクにして去っていきましたの!
校舎に**“愛と勝利の紅華参上”**横断幕!
……まぁ、正直、可愛かったですけどっ!」
〈再び回想/語り手:二階堂サツキ〉
——あれはね、去年の秋。
まだ天城だけで学園祭をやっていた頃のことですの。
テーマは“科学と未来”。
……ええ、とても真面目。退屈。ですが、完璧に計算された灰色の成功!
——そこに、紅華女学院が現れたんですのよ。
最初の異変は、風でしたわ。
紅茶の湯気が右へ左へ忙しく揺れ始めた時、私の第六感(通称“サツキセンサー”)が警鐘を鳴らしましたの。
「来ますわ。あの娘たちが。」
空を見上げると、すでに始まっていた。
上空一面にピンクのバルーン。
風船じゃなく——意志を持った装飾。
まるで空そのものが、彼女たちのキャンバス。
バルーンの群れが編隊を組み、ひとつの巨大な文字列を描いたのですの。
「天城の科学は、愛の前にひざまずく。」
その瞬間、歓声でも悲鳴でもない、“理解不能のざわめき”が校庭を満たしましたの。
私は、生徒会本部テントから飛び出しました。
手にしていたティーカップを放り出し、——ええ、結果的に十杯目の紅茶が大地に散りましたけど!
「なんてことを……!美の侵略ですの!!!」
ミナトくん(当時一年)は冷静に観測していましたわ。
「……いや、でも高度な気流制御だな。物理的には尊敬する。」
チイロさんは腕を組んで低く呟いていましたわ!
「気流のシミュレーション……天才的ワロタ」
そしてユウマくん!! あの頃はまだ、少年らしい顔で笑って。
「学祭を侵略できるって、ロマンあるな。」
ロマンって何ですの!?
私は叫びましたの!
「ロマンじゃありませんわッ!戦争ですのよッ!!!」
そこへ、空から声。
紅華女学院代表——紅条リリアン。
あの紅髪の魔女が、スピーカー越しに優雅な笑みで。
「ごきげんよう、天城の皆様。
これは“宣戦布告”ではございません。
——“開演宣言”ですの。」
校舎の影がピンクに染まり、光と風と音が、全部“紅華”という演目に変わっていく。
私の怒りが、美しさに一瞬だけ負けましたの。
……負けた、ですって? ええ、認めます。
でも私はすぐに叫びました。
「照明を消しなさい! 空の色を返して!!」
叫びながら机を蹴り、椅子を倒し、紅茶をこぼし、……結果、現場はさらにピンクと茶色の混沌。
ハザマがモップを抱えて走り回っていましたわ。
「会長、落ち着いてください!」
「落ち着いてるわよッ!!!」
——落ち着いてませんでしたの。
リリアンは最後にこう言い残して去りました。
「天城の皆様。
世界を測ることは、美を奪うことではありません。
でも、測れない美をどう呼ぶか——
それが、あなたたちの“次の実験”ですわ」
……あの瞬間、確かに私、負けたんですの。
理屈じゃなく、演出で。
だから今年こそ、角度を上げてやりますわ。
“勝利角”で、あの紅華を黙らせるんですの。
あ、紅茶? もちろんまたこぼしましたわ。
でも今回は、こぼしても勝つ構えですの!
〈回想の感想メモ:岡崎ユウマ〉
去年の紅華事件——天城側の“初めての敗北”。
サツキ会長の笑いの裏には、確かな屈辱が残っていた。
でも、その屈辱が、今の“天城式救済角”を産んだのかもしれない。
——“美しく負けた者は、正しさで立ち上がる”。
彼女の紅茶は、たぶんその儀式の一部だ。たぶん。
ハザマはタブレットを軽くスワイプ。
被害事例インデックスが出る。
•Case R-01:風船ピンク化(所要8分/無許可)。
•Case R-02:ステージ袖に香水噴霧→照明レンズに膜(光量−12%)。
•Case R-03:ポスターキャッチコピー改変(“科学は退屈?”→“科学は退屈♥にしない”)。
•Case R-04:行列を二列を名乗る一列半に改造(混雑演出)。
「映えるという観点では有能」とアスミ。
「許可という観点では無法」と僕。
総評:“金と遊び心の暴走”。敵にすると面倒、味方にすると危険。
「交渉は私が。二階堂様の名誉にかけて事前抑止します。」
「危なくない?」
「愛ゆえに恐れはございません。」
ハザマの愛ベクトルはいつも一直線。
アスミが口の端で呟く。
「愛のベクトルが危険角……30°を超えると滑るのよね。」
「摩擦係数で制御できるかも。」僕。
ハザマが防衛線を三層で提示。
1.ソフト抑止:事前通達・広報連携・“紅い来賓”歓迎席を用意(尊重で刃を鈍らせる)。
2.ハード抑止:バルーン抗色化フィルム、横断幕センサー(布張力の異常でアラート)、香水拡散負圧吸収。
3.ヒューマン抑止:笑顔の警備(演劇部OB動員)、SNS実況の主導権奪取(トウタ連携)。
「殴らずに勝つ設計だね。」僕。
「映えで勝つ設計でもあるわ。」アスミ。
サツキが満足げに頷く。
「礼節と可愛さ、両方で包囲ですの!」
追い打ちで、ハザマがレーダーチャートを示す。
〈資金力・機動力・拡散力・倫理・愛嬌〉
—紅華は資金・拡散・愛嬌が突出、倫理が谷。
対抗する我々は倫理・機動で優勢を取る。
勝ち筋=“先に面白くする”。
後出しの正義より、先出しの楽しさ。文化祭はだいたいそういうゲームだ。
⸻
会話の波がゆるむ一瞬。
アスミの睫毛が一拍長く伏せられる。
その下で、虹彩の縁にだけ、W1という古い波が干渉縞を作る。
音はない。匂いもない。ただ、温度だけが0.3℃下がる。 僕にしかわからない変化。
(心は読めない。けれど怖れているのは、わかる。
「影村の脱出ゲームが、もし再演の導火線になったら——」
彼女はまだ誰にも言っていない。言えない。
だから僕は、何も聞かない。
慰めは、彼女にとってノイズだ。
観測だけする。記録だけ残す。
——これが、彼女に対するいまの優しさの形。)
アスミは顔を上げる。表層の笑みが丁寧に整え直される。
「……わかりました。提案書、纏めます。倫理委員会(IRB)は私が通します。」
口調は凪いでいるのに、語尾の張力が少しだけ強い。自己防衛の強度。
サツキがバンと立つ。
「頼もしい!天城の未来はあなた方の手に!」
その袖が机の端を薙ぎ、紅茶が四度目のフライト。
「きゃああ!ま、またやってしまいましたわっ!」
「ドジだな……」
「こっ、これは演出ですのよ!ほら、涙の紅茶タイム!」
**まだ笑える。**その事実だけが、今日の救い。
ハザマはすでに新カップを無から召喚。
どこから出した、そのブルーウィロー。
演出家より演出が速い。
右腕は、今日も心臓の代わりに脈を刻む。
⸻
辞去の礼。ドアが3/4閉まる位置で、サツキがひょいと顔だけ出す。
「そうそう!自由研究の件、第二ラウンド——楽しみにしておりますわ!」
おーっほっほっほっほ!
ドアが閉まる。やっと静寂が仕事を始める。
(※やっと、思考が追いつく余白ができた)
廊下。床の光沢が薄い鏡になって、僕らの影を一拍遅れで歩かせる。
「……やれやれ、破天荒って物理現象だね。」僕。
アスミが微笑だけで返す。音のない肯定。
「でも、あの人、本気で“楽しい文化祭”を信じてる。
それが一番強い。御影シオンは、まだわからないけど」
「祭りを挟んだ干渉、か。」
「うん。だから、私たちは媒介。」
彼女の歩幅が半拍短い。
胸の中は映画館の予告編前の空調みたいに少し冷える。
——嫌な記憶は、涼しさのふりをする。
角の窓。午後の光が教室のガラスで分光し、タイルに淡い虹のノイズを撒く。
影村も、天城も、そして紅華も、“光”の取り合いに加速を始めた。
たぶん、ただの学園行事じゃない。
観測と創造が同じステージに立ち、拍が合う夜が来る。
その時、何を見て、何を見ないか。
視線の選択が、僕らの生存手順。
非常口サインの緑が、やさしい。
出口はいつも、目立たないところにある。
次に僕らが設計する展示でも、出口=外部手順を、ちゃんと目立たない優しさで用意しよう。
——そうやって、アスミの心拍を、一拍だけ楽にする。
作戦メモ(観測者用)
■要件
•サツキ要求:影村に勝つ出し物(驚・笑・泣・拡散)
•KPI:来場者滞在時間中央値+20%/SNS日次UGC×1.8/事故ゼロ
■内部秘匿(口外NG/期限:双灯祭終幕)
•アスミ=影村・御影シオンの脱出支援(未公表)
•僕=影村映画研コラボ短編(未公表)
■外部リスク
•紅華女学院=ピンク化&横断幕級の介入。
抑止三層:ソフト(歓迎席・事前連絡)、ハード(抗色化・負圧吸収・張力監視)、ヒューマン(笑顔警備・実況主導)
•回線:校内Wi-Fi輻輳リスク→メッシュ予備回線敷設、映像はローカルキャッシュ
■心理観測
•アスミ:再演恐怖(W1)兆候(睫毛一拍/瞳輪ノイズ)。本人黙秘。
介入戦略:過干渉しない優しさ。出口を設計で用意。
•僕:秘匿フラグONによる認知負荷上昇→メモ分散で対処。
■対策草案(展示“SYNC/EXIT”仮)
•構成:脱出×映像×演劇のインタラクティブ合成。
•進行:来場者の相互救助が次のシーンの鍵。
•設計:
1) 出口=外部手順を光・音・人の三重で明示(目立たない優しさ)。
2) 拍手SEの錯誤報酬を遮断/安堵音を報酬化。
3) 安全マージン:動線密度≤2.5/m²、非常口まで15m以内に案内員常駐。
4) 記録:プライバシー配慮の匿名ログで心理負荷の波形を取得(IRB許可範囲内)。
•広報:トウタ主導。炎上逆位相(先手で謝れる設計)を実装。
•協賛:文房具メーカー(耐水紙)、高級プリン(糖分角)。ネーミングは最後まで揉む。
■決裁のための“3秒コピー”
天城式・救済角——“助け合う”がトリガーの体験展示。
拍手のかわりに安堵が鳴り、ゴールはあなたの外にある。
⸻
観測結語:
「祭りの幕は、紅茶のしみで滲み始め、言えない秘密で濃くなる。
けれど、拭う手さえ設計できれば、光は必ず残る」
——記録者、岡崎ユウマ。




