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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第二章 双灯祭準備編

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47/107

EP47. 紅茶とクォンタム・レゾナンス

 〈記録者:ユウマ/観測ログ_W2_043〉

 天城総合学園生徒会長、二階堂サツキの召喚


 ——昼休み。

 職員棟裏の階段下に、「呼び出し通知:至急」だけ打たれたメッセージ。

 送信元は天城総合学園・生徒会室。

 件名末尾の絵文字は王冠・紅茶・爆発。

 三つ並ぶと、だいたい人は走るか隠れるか決める。

 僕は第三の選択肢、甘味で現実逃避を選びがちだが、今日はタイムアップした。


 「……来たな、二階堂サツキ案件。」

 隣でアスミが小さく息を吐く。銀のイヤーカフが蛍光灯を1点反射、照度は手計算でおよそ45lx。

 「“総合学園生徒会長”って肩書き、名前より出力があるのよね。」

 「しかも王冠+紅茶+爆発」

 「破滅の匂いしかしないわ」


 紙パックのプリン(いやプリンは紙パックじゃない、食べかけのカッププリン)を50%残して立ち上がる。

 スプーンが容器壁を擦る音が、心拍の上がり具合と同じBPM 78→86で跳ね返る。

 アスミは白衣を四つ折りのままバッグへ。

 折り目の直角が89.5°で気になるが、今は指摘しない。

 階段の初段を踏む。踏面 28cm、蹴上 16cm。

 僕の歩幅は二段で一拍。

 ゼラチンの残留揺れと、心拍の微上昇が同期していた。


 職員棟の廊下は床ワックス更新後二日目の光沢。

 蛍光灯の色温度 5000K、昼休み特有の雑談ノイズが−15dBまで落ちる時間帯。

 窓外の風は、プリンの表面に薄く張るカラメル膜みたいに、静かで、しかし破れやすい。

 「行く?」とアスミ。

 「行く。」と僕。言葉は短いが、足音は少し長い。

 タタ・タタの二拍子が早回しになる。


 踊り場で一度だけ立ち止まる。

 確認事項:

 1.召喚元:生徒会室(逃げ場がない)

 2.件名:至急(プリンを食べ切る時間は与えない)

 3.絵文字:王冠、紅茶、爆発


 「ねぇユウマ、もし“爆発”が比喩じゃなかったら?」

 「その時は避難経路。左の非常口、扉の開きは外開き。」

 「確認早いわね。」

 「経験則。」

 アスミの口角が2mmだけ上がる。緊張の中に、いつもの速度が戻る。


 生徒会フロアの前に着く。廊下の空気が紅茶の香りでほんのり甘い。たぶん、もう既にこぼれた。

 ドアプレートには**“生徒会室/二階堂サツキ”。

 その下に“来客歓迎♡”の手書き付箋。ハートの角度は17°傾き**。

 こういう無駄に可愛い角度は、だいたい計算か天性だ。

 サツキは、後者に見えて前者もやるタイプ。やっかいに強い。


 「心の準備は?」とアスミ。

 「カラメル比率が足りない」

 「プリン持ち歩かないで」

 「じゃあ精神安定用飴で妥協」

 彼女が僕の掌にレモン味を一粒落とす。

 包み紙のカサ音が、緊張の膜を1ミクロンだけ薄くする。


 ノックの前、呼吸を4–7–8で整える。

 アスミの瞳孔径がほんの少しだけ縮む。観測者の僕にだけ見える、戦前のサイン。

 心の底——彼女は、影村の“脱出ゲーム”がW1の再演にならないかを怖れている。

 まだ、誰にも言っていない。僕も、今は聞かない。


 「行くよ」

 「どうぞ」

 二人で小さく頷き、僕が三連ノック。トン・トン・トン。

 ちょうどその瞬間、部屋の中から——


 「あらまぁぁぁ!お待ちしておりましたわっ!!」


 破裂音。続いて、陶器の衝突音×2、液体の奔流音×1。

 ドアが内から勢いよく外へ開き、金色のカーテンみたいな髪が光を撒き散らしながら迫る。

 王冠・紅茶・爆発、すべて物理で来た。準備運動の概念、正しかった。


 二階堂サツキ。

 天城の象徴、“転身爛漫”を人型カプセルに詰めて校内に放流したみたいな存在。

 台詞の語尾には効果音が標準搭載、身振りの最終フレームで必ずキラッが入る。

 机の上の紅茶は、物語の口火を切る係を自覚しているのか、会話より早く床へ自爆ダイブ済み。


 「きゃっ……あっ……えぇい、紅茶ごときに屈してなるものですかっ!」

 ハンカチ(刺繍の密度が高い=お高い)でテーブルを拭く動きは、貴族のダンスを志しているが、結果は猫の肉球ペタペタ。

 拭く→倒す→受け止める→自分で自分の手に紅茶をかける、の見事な四拍子。

 横でアスミが耳打ち。

 「学園指定コメディ成分、今日は濃いめ」

 僕にしか聞こえない音量、でもツボは的確。


 「あらっ、お久しぶりね!昨年の学園祭以来かしら?

  岡崎ユウマさんに——矢那瀬アスミさんは、初めましてね!」


 「え、名前まで——覚えてくれていたんですね」


 「当然ですわっ!

  この天城総合を代表するわたくし、二階堂サツキ!記憶力には自信がありますの!!」


 名乗りの大太鼓を背に、両手をバトンのように広げ、見えないスポットを浴びる位置取りで上体を反らす。

 「おーっほっほっほっほ!!!」

 音響室リバーブ三段重ね。

 廊下の遠方で失笑が拍手に位相変換。ここはそういう世界線だ。


 背後では、さっきのカップの破片が再集合してからの二次崩壊。

 「またか」という清掃員の念波が廊下の端から届く。

 (※清掃員さん、今日のモップは超吸水版にしておいてください)


 サツキはそのままターン——椅子を引く→脚がキュッ→微妙にバランスを崩す→ハンカチが再び紅茶を誘う、までが所作。

 僕は反射で受けの構えを取るが、彼女は貴族グリップで踏みとどまる。

 なぜか最後に決めポーズ。

 (決まってはいない。が、決まったことにする勇気は尊い)



 アスミが一歩前へ出た。

 背筋は凪いだ水面、靴音は三分クレッシェンド。

 「二階堂生徒会長。影村学園の生徒会長、御影シオンから“宜しく伝えて”と預かっています」


 空気がピシと張る。0.3秒、サツキの笑顔が完全静止。

 次フレームで、頬筋だけがスリップして素の困惑が覗く。

 職人芸の表情ドリフト。


 「……あっ、あらぁ、あの一年生の天才少女、御影シオンさんから、ねぇ」

 「ええ。以前、“天城との交流をぜひ”と」

 「交流! ふっ、ふふっ……!」

 (準備音:高笑いキャッシュの読み込み)

 「——**おーっほっほっほっほ!もちろんですわ! 

  わたくしと彼女の仲たるや、ええ、それはもう“戦友”**のようなものですわ……!」


 (※ここで回想レイヤが半透明で被さる)


 —あれは、わたくしがまだ小学生の頃に遡りますわ!


 サツキ:小5、シオン:小4。

 地域小の文化祭「自由研究頂上決戦」。

 題目は——段ボール・ソーラークッカー対決。

 ・サツキ陣営:反射板ギラギラ、スローガン「太陽は友達」。

  しかし反射角がズレて熱が逃げ、パンケーキは炭に。


 ・シオン陣営:計算済み角度、風対策の洗濯バサミ固定、温度の逐次観測。

  パンケーキはふわふわ、会場にはバターの匂い。


 結果:完全敗北。

 以降サツキ、“宿敵”フラグを日常装備。

 (※なお当時の掲示板タイトル「太陽は友達、でも直射は敵」。名言である)


 ——回想レイヤ閉じ。


 僕が消音で呟く。

 「根に持ってるなぁ……」

 アスミの肘がコンと脇腹を叩く。高精度ツッコミ。

 「ユウマ、声帯が漏れてる。」

 (※僕の**“心の声マイクON問題”**は継続課題)


 サツキは優雅に腰を下ろす——が、椅子の脚がギュッと悲鳴。

 カップは本日三度目の地滑り。

 この一連、“紅茶三段活用”として教科書に載せたい。

 彼女はそれでも胸を張り、敗北の記憶をごく自然に栄光の前史へと翻訳する。

 精神勝利法ではなく、推進力として取り込むタイプ。

 (強い。方向は時々おかしいけど、エネルギーは正義だ)


 サツキは肘置きに両手を重ね、指をコツ、コツと鳴らす。

 「——あの時のパンケーキ、焦げても美味しかったですわ。」

 「事実改変が始まってる」僕。

 「記憶の焼き直しとも言うわね」アスミ。

 サツキは気にしない。むしろ誇らしげだ。


 「わたくし、あの敗北から学びましたの。

  “角度”は感性ではなく、設計で決まる。

  だから今年の双灯祭、角度は勝利角で固定いたしますわ!」


 勝利角、とは。

 その瞬間、部屋の隅からコホンと咳払い——

 キラリと光るするどい眼差し。


 サツキ、お決まりの高笑いで段落を締める。

 「おーーっほっほっほっほっ!!!」

 廊下の拍手は、今度は本物。

 観客はいつの間にか増える。こういう人は風景から観光地を生成する。


 僕はメモに一行。

 〈サツキ=“笑いで前進する装置”。紅茶は犠牲。〉


 ——式は崩れても、勢いは崩れない。

 それが彼女の物理法則だ。


 部屋の隅——光が当たらない“計算上の明るさ”に、一人の青年。

 生徒会仕様の制服、縫い目のピッチが1.2mmで均一。

 立ち姿は無駄ゼロ、姿勢だけで「この部屋の重心は今ここ」と告げるタイプ。

 視線は温度計みたいに摂氏で会話し、必要があれば湿度も相対で返してきそうだ。


 「紹介しますわ、わたくしの右腕——野々村ハザマ。

  生徒会長補佐にして、我が天城の影の者ですの」

 サツキの声が金管のファンファーレなら、彼の返礼はピアノのスタッカート。極小角で礼、音は出ない。

 「いつも彼女の無茶を現実化する役です。……物理的にも、比喩的にも」

 「ちょっとハザマ、今の皮肉ですの?」

 「いえ。尊敬です」

 表情の変化は0フレーム。だのに瞳孔にだけ**“愛情バイアス”のハイライトが刺さっている。

 ——この男、サツキを否定することは世界の禁則事項としている。根は良いやつだ。

 けど、**“禁則事項の人”は、だいたい面倒(観測者注:面倒=有能と紙一重)**。


 机上の惨事へ。ハザマは無言・無音・無駄ゼロの三無行動で、こぼれた紅茶を新しいカップへ置換。

 動線は直線→最短→既視感。

 ティッシュ→受け皿→カップ→ソーサーの順列が一筆書きで完了する。

 水面反射みたいに滑る指、研磨済みの所作。

 サツキが「まぁ」と息を弾ませるより早く、別ブランドのクッキーまで横に添えた。

 (在庫どこから……? 四次元補佐?)


 アスミが0.2秒だけ目を丸くし、名人芸に頷く。

 その虹彩の縁で、ノイズみたいな不安色が一瞬だけ揺れた——W1という幽霊の影。

 しかし、すぐ消えた。


 「ありがとうございます、ハザマ」

 「当然のことを」

 会話は最短距離。しかしサツキが「さすが私の右腕!」と胸を張った瞬間、彼のまぶたが0.1秒だけ甘く緩む。

 愛のスパイク波形。検出した僕の負け。


 「右腕って便利ね」アスミ。

 「左腕が拗ねるかもしれない」僕。

 我々の囁きは−20dBだが、ハザマの耳は人間規格。

 微笑で受信し、ログへ保存した顔。


 「業務連絡を」と彼。

 タブレットがスッと空へ滑り、必要な資料だけが前景に浮かぶ。

 ページ番号はサツキの好きな数字に寄せて並ぶ。

 愛情バイアス駆動型UI、完成度が高すぎる。

 こういう人が危機管理を握ると、学校は滅びない。

 しかし、たぶん恋は手遅れ。



 「さて!」サツキが胸を張る。

 空気圧が半ヘクトパスカルだけ上がる。

 「今年の双灯祭、影村学園にまた負けるわけにはまいりませんの!

 彼女たちは“脱出ゲーム”やら“映画試写会”やら、毎回演出が凝っておりますでしょう?

 ですから、あなたたち——NOXの英知と技術で、**天城にふさわしい“とっておきの出し物”**を考えてほしいのですわ!」


 ……よりにもよって、その二つは今期の僕らのど真ん中。

 アスミ:御影シオンからの「脱出ゲーム」技術協力、水面下で進行中。

 僕:影村の綾白ひより、夕咲メイたちと「コラボ短編」、脚本第2稿が今朝上がったばかり。

 ——言えない。ここで口に出したら、祭の前に首が飛ぶ。 倫理的にも、物理的にも。

 (脳内ログ:〈秘匿フラグ ON〉/期限:双灯祭終幕まで)


 アスミは人差し指で顎をそっと押し、思考姿勢。

 「つまり、影村への対抗出し物。……御影シオンは脱出ゲームを用意する可能性が高い。こちらは——」

 「美しく勝つやつで!」

 サツキの合いの手が、議論の主旋律を食う。

 「美しく勝つ……やつ」僕は復唱だけで咀嚼。

 「ええ!参加者が驚き、笑い、泣いて、SNSで爆伸びして“天城すごい”となる、そんな出し物を!」

 「要求スペックが大企業のIR」(口内独白)


 僕はホログラム端末に白地の盤面を開く。

 「仮に——理科×映像×演劇×心理実験×UIデザインを複合したインタラクティブ展示を構築。

 来場者の選択肢が“相互救助”に収束するよう、報酬設計を反転。

 拍手SEや“ステージクリア”の錯誤報酬を遮断、代わりに他者の安堵が次のシーンの鍵になる仕様……」

 「いいですわ!難しい言葉が多くてもう勝てそうです!」

 「いや意味はわかって。せめて三つに要約しよう。」

 「キラキラ・ドーン・バズ!」

 「要約の失敗ってこういうことを言う」


 横でハザマが、間髪を入れずに追補。

 「スケジュール案:三日でドラフト、七日で倫理審査提出、当日朝総合リハ、午後本番。

 バックヤード動線は僕が切ります。

 舞台裏の人流シミュレーションはDensity 2.5/m²以下で設計。

 ボランティア導線は黄、緊急退避はシアン、会計はマゼンタ。色弱配慮済み。」

 ……右腕、有能が過ぎる。(そして配色が美術館)


 「予算は?」と僕。

 「協賛二社に当たりをつけています。」

 「誰に?」

 「文房具メーカーと高級プリン。」

 サツキがバーンと手を叩く。

 「プリン! 勝利角に必要不可欠ですわ!」

 何それ、と見つめる僕ら。サツキは微塵も揺れない。

 「士気と糖分は角度を上向きにしますの!」

 (角度=血糖曲線説、強引だが嫌いじゃない)


 「広報は?」アスミ。

 「トウタさんに統合告知を依頼済み。」ハザマの返答は最短。

 「炎上リスクは三段階で監視、紅華女学院の介入確率は昨年実績から0.37。

 現着対処の**“ピンク耐性シート”は100m分確保しました。」

 「ピンク耐性シート?」

 「バルーン全ピンク化への抑止帯です。」

 サツキが頷き、指を二本立てる。

 「バルーンはピンクでも可愛いですの。勝利角は別問題ですけれど!」

 バルーン全ピンク化の件は、よくわからないが、——可愛いの基準は柔らかいのに、勝ちの定義は固い。

 君は文化祭の戦車**か。


 「で、タイトルは?」僕。

 サツキが即答。

 「『天城式・勝利角』!」

 アスミと僕、同時にまばたき。

 ハザマだけ「良案です」と書き込む音。

 「サブタイトルは?」

 「“角度は設計で上げるもの”」

 「説明文がサブタイトルに降りてきた……」


 僕は端末に別案を走らせる。

 •『SYNC/EXIT』:観測と退出が同期する展示

 •『救済角リリーフ・アングル』:手を差し出す角度で物語が回る


 「では、明日12:00に素案ピッチを」ハザマが締める。

 「5分ピッチ、質疑10分、決裁30秒」

 「早い!」

 「勝利角は初動です」

 サツキがぐっと親指。

 「勝利角、固定!」

 彼女が立ち上がる——袖がカップをかすめる——だがハザマ。

 人差し指一本でカップの回転を吸収、角運動量をゼロにする。

 「見た?」とアスミ。

 「物理で愛を証明した」僕。

 ハザマは一礼。尊敬。そして盲目的忠誠。

 たぶん、この二人がいれば、紅茶は何度でもこぼれるし、何度でも救われる。


 ハザマが控えめに咳払い。周波数は1.1kHz、注意喚起用のやさしい帯域。

 「それと、もう一点。紅華女学院の件」

 アスミが目線だけで**“誰?”を送る。

 僕が“今年から噂の新設”**を返す。

 視線チャットはノイズに強い。


 「あの“上流志向型学園”。資金は潤沢。ただ素行が自由すぎる傾向のお嬢様方。

 他校の文化祭でいたずらまがいの干渉が散見。今年の双灯祭も要注意。昨年の学園祭でも被害がありました。皆さんもご記憶にあるのでは?」

 ハザマの声は淡々、しかし危機管理の語彙がきれいに並ぶ。

 サツキが腕組み、顎をちょっと上げる。“戦況把握の顔”だ。

 「そう! 奴ら、去年はバルーンアーチを全部ピンクにして去っていきましたの!

  校舎に**“愛と勝利の紅華参上”**横断幕!

  ……まぁ、正直、可愛かったですけどっ!」

 

 〈再び回想/語り手:二階堂サツキ〉


 ——あれはね、去年の秋。

 まだ天城だけで学園祭をやっていた頃のことですの。

 テーマは“科学と未来”。

 ……ええ、とても真面目。退屈。ですが、完璧に計算された灰色の成功!

 ——そこに、紅華女学院が現れたんですのよ。


 最初の異変は、風でしたわ。

 紅茶の湯気が右へ左へ忙しく揺れ始めた時、私の第六感(通称“サツキセンサー”)が警鐘を鳴らしましたの。


 「来ますわ。あの娘たちが。」


 空を見上げると、すでに始まっていた。

 上空一面にピンクのバルーン。

 風船じゃなく——意志を持った装飾。

 まるで空そのものが、彼女たちのキャンバス。


 バルーンの群れが編隊を組み、ひとつの巨大な文字列を描いたのですの。


 「天城の科学は、愛の前にひざまずく。」


 その瞬間、歓声でも悲鳴でもない、“理解不能のざわめき”が校庭を満たしましたの。


 私は、生徒会本部テントから飛び出しました。

 手にしていたティーカップを放り出し、——ええ、結果的に十杯目の紅茶が大地に散りましたけど!


 「なんてことを……!美の侵略ですの!!!」


 ミナトくん(当時一年)は冷静に観測していましたわ。

 「……いや、でも高度な気流制御だな。物理的には尊敬する。」

 チイロさんは腕を組んで低く呟いていましたわ!

 「気流のシミュレーション……天才的ワロタ」

 そしてユウマくん!! あの頃はまだ、少年らしい顔で笑って。

 「学祭を侵略できるって、ロマンあるな。」

 ロマンって何ですの!?


 私は叫びましたの!

「ロマンじゃありませんわッ!戦争ですのよッ!!!」



 そこへ、空から声。

 紅華女学院代表——紅条リリアン。

 あの紅髪の魔女が、スピーカー越しに優雅な笑みで。


 「ごきげんよう、天城の皆様。

  これは“宣戦布告”ではございません。

  ——“開演宣言”ですの。」


 校舎の影がピンクに染まり、光と風と音が、全部“紅華”という演目に変わっていく。

 私の怒りが、美しさに一瞬だけ負けましたの。

 ……負けた、ですって? ええ、認めます。


 でも私はすぐに叫びました。

 「照明を消しなさい! 空の色を返して!!」

 叫びながら机を蹴り、椅子を倒し、紅茶をこぼし、……結果、現場はさらにピンクと茶色の混沌。

 ハザマがモップを抱えて走り回っていましたわ。


 「会長、落ち着いてください!」

 「落ち着いてるわよッ!!!」


 ——落ち着いてませんでしたの。


 リリアンは最後にこう言い残して去りました。


 「天城の皆様。

  世界を測ることは、美を奪うことではありません。

  でも、測れない美をどう呼ぶか——

  それが、あなたたちの“次の実験”ですわ」


 ……あの瞬間、確かに私、負けたんですの。

 理屈じゃなく、演出で。

 だから今年こそ、角度を上げてやりますわ。

 “勝利角”で、あの紅華を黙らせるんですの。


 あ、紅茶? もちろんまたこぼしましたわ。

 でも今回は、こぼしても勝つ構えですの!


 〈回想の感想メモ:岡崎ユウマ〉

 去年の紅華事件——天城側の“初めての敗北”。

 サツキ会長の笑いの裏には、確かな屈辱が残っていた。

 でも、その屈辱が、今の“天城式救済角”を産んだのかもしれない。

 ——“美しく負けた者は、正しさで立ち上がる”。

 彼女の紅茶は、たぶんその儀式の一部だ。たぶん。


 ハザマはタブレットを軽くスワイプ。

 被害事例インデックスが出る。

 •Case R-01:風船ピンク化(所要8分/無許可)。

 •Case R-02:ステージ袖に香水噴霧→照明レンズに膜(光量−12%)。

 •Case R-03:ポスターキャッチコピー改変(“科学は退屈?”→“科学は退屈♥にしない”)。

 •Case R-04:行列を二列を名乗る一列半に改造(混雑演出)。


 「映えるという観点では有能」とアスミ。

 「許可という観点では無法」と僕。


 総評:“金と遊び心の暴走”。敵にすると面倒、味方にすると危険。


 「交渉は私が。二階堂様の名誉にかけて事前抑止します。」

 「危なくない?」

 「愛ゆえに恐れはございません。」

 ハザマの愛ベクトルはいつも一直線。

 アスミが口の端で呟く。

 「愛のベクトルが危険角……30°を超えると滑るのよね。」

 「摩擦係数で制御できるかも。」僕。


 ハザマが防衛線を三層で提示。

 1.ソフト抑止:事前通達・広報連携・“紅い来賓”歓迎席を用意(尊重で刃を鈍らせる)。

 2.ハード抑止:バルーン抗色化フィルム、横断幕センサー(布張力の異常でアラート)、香水拡散負圧吸収。

 3.ヒューマン抑止:笑顔の警備(演劇部OB動員)、SNS実況の主導権奪取(トウタ連携)。

 「殴らずに勝つ設計だね。」僕。

 「映えで勝つ設計でもあるわ。」アスミ。

 サツキが満足げに頷く。

 「礼節と可愛さ、両方で包囲ですの!」


 追い打ちで、ハザマがレーダーチャートを示す。

 〈資金力・機動力・拡散力・倫理・愛嬌〉

 —紅華は資金・拡散・愛嬌が突出、倫理が谷。

 対抗する我々は倫理・機動で優勢を取る。

 勝ち筋=“先に面白くする”。

 後出しの正義より、先出しの楽しさ。文化祭はだいたいそういうゲームだ。



 会話の波がゆるむ一瞬。

 アスミの睫毛が一拍長く伏せられる。

 その下で、虹彩の縁にだけ、W1という古い波が干渉縞を作る。

 音はない。匂いもない。ただ、温度だけが0.3℃下がる。 僕にしかわからない変化。


 (心は読めない。けれど怖れているのは、わかる。

 「影村の脱出ゲームが、もし再演の導火線になったら——」

 彼女はまだ誰にも言っていない。言えない。

 だから僕は、何も聞かない。

 慰めは、彼女にとってノイズだ。

 観測だけする。記録だけ残す。

 ——これが、彼女に対するいまの優しさの形。)


 アスミは顔を上げる。表層の笑みが丁寧に整え直される。

 「……わかりました。提案書、纏めます。倫理委員会(IRB)は私が通します。」

 口調は凪いでいるのに、語尾の張力が少しだけ強い。自己防衛の強度。

 サツキがバンと立つ。

 「頼もしい!天城の未来はあなた方の手に!」

 その袖が机の端を薙ぎ、紅茶が四度目のフライト。

 「きゃああ!ま、またやってしまいましたわっ!」

 「ドジだな……」

 「こっ、これは演出ですのよ!ほら、涙の紅茶タイム!」

 **まだ笑える。**その事実だけが、今日の救い。


 ハザマはすでに新カップを無から召喚。

 どこから出した、そのブルーウィロー。

 演出家より演出が速い。

 右腕は、今日も心臓の代わりに脈を刻む。



 辞去の礼。ドアが3/4閉まる位置で、サツキがひょいと顔だけ出す。

 「そうそう!自由研究の件、第二ラウンド——楽しみにしておりますわ!」


 おーっほっほっほっほ!

 ドアが閉まる。やっと静寂が仕事を始める。

 (※やっと、思考が追いつく余白ができた)


 廊下。床の光沢が薄い鏡になって、僕らの影を一拍遅れで歩かせる。

 「……やれやれ、破天荒って物理現象だね。」僕。

 アスミが微笑だけで返す。音のない肯定。

 「でも、あの人、本気で“楽しい文化祭”を信じてる。

  それが一番強い。御影シオンは、まだわからないけど」

 「祭りを挟んだ干渉、か。」

 「うん。だから、私たちは媒介。」

 彼女の歩幅が半拍短い。

 胸の中は映画館の予告編前の空調みたいに少し冷える。

 ——嫌な記憶は、涼しさのふりをする。


 角の窓。午後の光が教室のガラスで分光し、タイルに淡い虹のノイズを撒く。

 影村も、天城も、そして紅華も、“光”の取り合いに加速を始めた。

 たぶん、ただの学園行事じゃない。

 観測と創造が同じステージに立ち、拍が合う夜が来る。

 その時、何を見て、何を見ないか。

 視線の選択が、僕らの生存手順。


 非常口サインの緑が、やさしい。

 出口はいつも、目立たないところにある。

 次に僕らが設計する展示でも、出口=外部手順を、ちゃんと目立たない優しさで用意しよう。

 ——そうやって、アスミの心拍を、一拍だけ楽にする。


 作戦メモ(観測者用)


 ■要件

 •サツキ要求:影村に勝つ出し物(驚・笑・泣・拡散)

 •KPI:来場者滞在時間中央値+20%/SNS日次UGC×1.8/事故ゼロ


 ■内部秘匿(口外NG/期限:双灯祭終幕)

 •アスミ=影村・御影シオンの脱出支援(未公表)

 •ユウマ=影村映画研コラボ短編(未公表)


 ■外部リスク

 •紅華女学院=ピンク化&横断幕級の介入。

  抑止三層:ソフト(歓迎席・事前連絡)、ハード(抗色化・負圧吸収・張力監視)、ヒューマン(笑顔警備・実況主導)

 •回線:校内Wi-Fi輻輳リスク→メッシュ予備回線敷設、映像はローカルキャッシュ


 ■心理観測

 •アスミ:再演恐怖(W1)兆候(睫毛一拍/瞳輪ノイズ)。本人黙秘。

 介入戦略:過干渉しない優しさ。出口を設計で用意。

 •僕:秘匿フラグONによる認知負荷上昇→メモ分散で対処。


 ■対策草案(展示“SYNC/EXIT”仮)

 •構成:脱出×映像×演劇のインタラクティブ合成。

 •進行:来場者の相互救助が次のシーンの鍵。

 •設計:

  1) 出口=外部手順を光・音・人の三重で明示(目立たない優しさ)。

  2) 拍手SEの錯誤報酬を遮断/安堵音を報酬化。

  3) 安全マージン:動線密度≤2.5/m²、非常口まで15m以内に案内員常駐。

  4) 記録:プライバシー配慮の匿名ログで心理負荷の波形を取得(IRB許可範囲内)。

 •広報:トウタ主導。炎上逆位相(先手で謝れる設計)を実装。

 •協賛:文房具メーカー(耐水紙)、高級プリン(糖分角)。ネーミングは最後まで揉む。


 ■決裁のための“3秒コピー”


 天城式・救済角——“助け合う”がトリガーの体験展示。

 拍手のかわりに安堵が鳴り、ゴールはあなたの外にある。



 観測結語:

 「祭りの幕は、紅茶のしみで滲み始め、言えない秘密で濃くなる。

 けれど、拭う手さえ設計できれば、光は必ず残る」


 ——記録者、岡崎ユウマ。


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