EP43. 恋と観測のクロスシンク
光って、予告編を作るのが上手い。
本番なんてまだ始まっていないのに、心臓だけを勝手に照らしてくる。
W1の残響はまだ胸の奥で鳴っている。
崩壊の波形。あの日、私が壊したもの。私を壊したもの。
ユウマは笑って「観測の結果」と言った。
でも、観測と罪悪感の境界を、私はいまだ測れない。
……だから、せめて恋をしてみようと思った。
恋は、現実よりは軽い。少なくとも、測定不能な痛みよりはまし。
今日は影村学園との顔合わせ会。
綾白ひより、夕咲メイ——そして、私たち天城側。
Dual Lumen〈双灯祭〉の本番前。
舞台裏のような午後に、私は少しだけ化粧を濃くした。
戦場に立つ時と、同じ儀式。
——天城総合学園・展示ホール前ラウンジ。
午後四時の光。アクリルの壁面が、ちょうど“反射”と“透過”の中間。
天城と影村の代表が集まり、名前と顔を合わせる。
ユウマはシャツの袖を折り、ノートPCを片手に立っていた。
ミサキは医療バッグを椅子に置き、テーブルに紅茶を並べる。
私はその隣。何を話すでもなく、ユウマの声を背景音として聞いていた。
「……というわけで、同期映像のトリガーはChrono-Scopeのミラー信号に合わせて送ります。
反射率は30%。光量は会場ごとで調整を」
彼はあくまで冷静。——まるで昨日、ひよりと視線を交わしていなかったかのように。
そこへ、影村の扉が開いた。
メイが軽やかに入ってくる。ひよりを引っ張って。
黒猫のステッカーが貼られたカメラバッグを肩に。
ひよりは……思っていたよりずっと小柄で、声が静かだった。
「初めまして。影村学園映画研究会、監督の綾白ひよりです」
深く頭を下げる。
語尾にほとんど音がない。空気が整うような話し方。
ユウマが自然に一歩前に出た。
「岡崎ユウマ。天城の……まあ、Chrono-Scope担当。
昨日は——いや、昨日は言わない方がいいな」
言葉が照れたように途切れる。
ミサキが横目で見て、無言で“心拍数+10”の顔。
メイが笑顔で空気を戻す。
「今日の目的は仲良く喧嘩すること!
映画部的にも科学部的にも、同時上映を“ドラマティック”にしたいので!」
レイカがすぐ反応する。
「メイ!舞台照明の同期はこっちに任せて! 演出部、照度120%でいくわよ!」
彼女はテンションが上がると声が舞台用になる。会議室が一瞬で劇場。
トウタが背後でスマホを掲げた。
「今この会議スレ立てた! タグ #双灯予告 #クロスシンク #現場沸騰中」
やめて。そういう拡散速度で世界がバグる。
ミナトはタブレットを見ながら眉をひとつ上げる。
「……理論的には、二つの光源の同期は偶然には起きない。
つまり、“何か”が誘導してる。どちらのシステムにも存在しないはずのリンクキー」
「観測者補正、ですか?」ひよりが小さく返す。
ミナトは微笑む。「正解。だけど“誰”が補正したのかは——まだ観測中」
その“誰”の中に、私が入っている気がして、息が少し詰まった。
——で、波が落ち着いたタイミングで、チイロ先輩がスライドドアを足で蹴って入ってきた。
制服の上にパーカー、カフェインを失ったゾンビみたいな顔。
だけど口元は元気。言葉だけはいつも処刑ナイフみたいに研がれてる。
「ふ〜ん、みんな“文化交流”とか言って、実質“青春合戦”じゃん。
あれあれあれ?? どうしたんスか私の生意気後輩のアスミさん!
その顔。システムログに“恋愛バグ”出てません?」
「出てない。……たぶん」
「いや出てるよ。“既知の未練を最新バージョンに移植しますか?”って顔してるもん」
「どういう意味?」
「“推しが他校の映画ヒロインにバグ転送”ってこと」
「わかりやすいけど殺意が湧く」
「だよね。殺意と恋はほぼ同列プロトコル。
発火条件:『自分が必要とされてる確信がない時』ってやつ」
その瞬間、心臓がちくりと動いた。
チイロの言葉はいつも冗談めいているくせに、必要なところだけ直撃する。
彼女は私の先輩。つまり、私が“まだ壊れきっていない”時代を知っている人間だ。
「……チイロ先輩? 今の性格悪い」
「褒め言葉。アスミの顔、いま“恋と自己否定の干渉縞”出てる」
「測定しないで」
「測ってない。見えてるだけ。あと、ミサキの視線が後ろからレーザー照射してるから」
後ろを見ると、ミサキがいつもの“優しい殺意”を静かに携えて立っていた。
笑顔だけが温かい。温度差で心拍が少し跳ねる。
先輩はそれを見て、にやりと笑う。
「ミサキが刺す前に言っとくけど、アスミ、恋でW1を誤魔化すと、観測精度が落ちる」
「……分かってる」
「分かってる人はそんな目しない。
でもまぁ、それでバランス取れるなら、推奨行為。
“恋愛は観測ノイズを一時的に安定化させる”って論文も出てたし」
「どこの学会よ」
「Pixiv。一次創作学会」
——この人、ほんとに救いの手なのか災厄なのか分からない。
でも、彼女がここにいるだけで、現実に踏みとどまれる気がする。
W1の記憶も、ユウマへの感情も、彼女に茶化されると一瞬だけ呼吸できる。
レイカとミナトが物理的テンションで議論を再開し、会議室が再び騒がしくなる。
トウタのスマホ通知音が鳴り、誰かが小さく笑った。
その喧騒の中で、先輩がひそやかに囁く。
「ねえ、アスミはさ、“誰かに必要とされたい”って思ってるけど、
本当は“誰かを必要としてる自分”が怖いだけなんじゃない?」
言葉が、胸の奥の暗い空洞にすとんと落ちた。
私は何も返せなかった。
先輩はそれを見て、肩をすくめる。
「まぁいいや。どうせ本番で全部バレる。光は嘘つけないから。
——じゃ、私、コーヒー買ってきまーす」
彼女が出ていく時、背中越しにひらひらと手を振った。
軽くて、正確。ミームみたいに、意味があとから効いてくる。
チイロ先輩の言葉は、いつも笑いながら私を解体する。
「恋でW1を誤魔化すと観測精度が落ちる」——それはたぶん真理。
でも、観測だけじゃ息が続かない。
私は人間である前に観測者だった。
だからこそ、恋のノイズが少しだけ心を人間に戻す。
ひよりの笑顔は無垢で、怖い。
彼女はまだこの世界の痛みを知らない。
ミサキはそれを見抜いている。だから彼女の笑顔は温度を保っている。
そして意地の悪い先輩は、それを全部見抜いた上で——わざと私を煽る。
私はまだ、“必要とされる”ことに飢えている。
でも、誰かに必要とされたいと願う瞬間こそ、人間としての観測なのかもしれない。
レイカは笑いながら舞台案の資料を掲げる。
「わたし達の舞台シーン、映画研究会の映像と同時に走らせたら最高だよ!」
ミナトが即答。「理論的には、秒間24フレームで同期すれば干渉率0.8以上。成功確率72%。」
「ちょっと低くない!?」レイカが詰め寄る。
「だから、照明で補正すればいい」
「任せて!」
——この二人、物理と演劇を混ぜたら核融合する。
ユウマが最後に会議を締める。
「じゃあ——本番当日、17:00。Chrono-Scopeと映画研究会の上映を同時に開始。
干渉域のリンクタイミングは、**“光が見つめ返した瞬間”**で合わせよう」
その言葉に、ひよりがわずかに笑う。
光の粒を数えるような、静かな笑い。
「じゃあ、その時——ちゃんと見返せるようにしますね!」
……負けたと思った。
言葉でも、間でも。
彼女はまだ恋を知らない。けれど、無意識で“正しい距離”を掴んでいる。
私はそれを、何度やっても掴めない。
打ち合わせが終わって、みんなが帰り支度をする。
チイロが私の肩にひょいと触れる。
「アスミ、無理して笑うの昔から下手だよね」
「……分析報告ありがとう」
「ねえ、でもさ。もしも世界がもう一回壊れても、それがアスミのせいだって、私は絶対言わねーから」
その言葉に、少しだけ息が止まった。
チイロ先輩の目は冗談のフリして、どこか優しい。
“意地悪な先輩”の癖に、勘だけは致命的に鋭い。
帰り際、ユウマが小さく呟く。
「光が重なる瞬間、何かを失うんじゃなくて、何かを取り戻せるといいな」
それを聞いて、私は何も言えなかった。
——だって私が“失わせた”側だから。
会議は終わった。
でも、心の中ではまだ何も始まっていない。
私の中の“W1”はまだ呼吸している。
あの日、観測を誤って崩壊を起こした私の記憶は、いまだにリセットできない。
ユウマのそばに立つ時、私はいつも罪悪感と恋の中間にいる。
ひよりはまだその重力を知らない。だからこそ、彼女の無垢さが私には痛い。
ミサキは気づいている。私の目の下の青。呼吸のリズムのずれ。
彼女は“優しい殺意”で見守っている。——チイロ先輩がそう呼んでいた。確かに正しい。
私は自分が誰かに必要とされているのか、今でも分からない。
でも、今日ひよりが見せた笑顔が、私の中の“嫉妬”を一瞬だけ止めた。
観測と愛情の波形が一致した瞬間。
それが、恋なのか、それとも赦しなのか——まだ判断できない。
本番まで、あとわずか。
私の心は静かに壊れて、また少し、形を持ち直す。
その繰り返しを、“観測”と呼ぶなら。
私はきっと、もう逃げない。




