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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第二章 双灯祭準備編

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43/94

EP43. 恋と観測のクロスシンク

 光って、予告編を作るのが上手い。

 本番なんてまだ始まっていないのに、心臓だけを勝手に照らしてくる。

 W1の残響はまだ胸の奥で鳴っている。

 崩壊の波形。あの日、私が壊したもの。私を壊したもの。

 ユウマは笑って「観測の結果」と言った。

 でも、観測と罪悪感の境界を、私はいまだ測れない。


 ……だから、せめて恋をしてみようと思った。

 恋は、現実よりは軽い。少なくとも、測定不能な痛みよりはまし。


 今日は影村学園との顔合わせ会。

 綾白ひより、夕咲メイ——そして、私たち天城側。

 Dual Lumen〈双灯祭〉の本番前。

 舞台裏のような午後に、私は少しだけ化粧を濃くした。

 戦場に立つ時と、同じ儀式。


 ——天城総合学園・展示ホール前ラウンジ。


 午後四時の光。アクリルの壁面が、ちょうど“反射”と“透過”の中間。

 天城と影村の代表が集まり、名前と顔を合わせる。

 ユウマはシャツの袖を折り、ノートPCを片手に立っていた。

 ミサキは医療バッグを椅子に置き、テーブルに紅茶を並べる。

 私はその隣。何を話すでもなく、ユウマの声を背景音として聞いていた。


「……というわけで、同期映像のトリガーはChrono-Scopeのミラー信号に合わせて送ります。

 反射率は30%。光量は会場ごとで調整を」

 彼はあくまで冷静。——まるで昨日、ひよりと視線を交わしていなかったかのように。


 そこへ、影村の扉が開いた。

 メイが軽やかに入ってくる。ひよりを引っ張って。

 黒猫のステッカーが貼られたカメラバッグを肩に。

 ひよりは……思っていたよりずっと小柄で、声が静かだった。


 「初めまして。影村学園映画研究会、監督の綾白ひよりです」

 深く頭を下げる。

 語尾にほとんど音がない。空気が整うような話し方。

 ユウマが自然に一歩前に出た。

 「岡崎ユウマ。天城の……まあ、Chrono-Scope担当。

 昨日は——いや、昨日は言わない方がいいな」

 言葉が照れたように途切れる。

 ミサキが横目で見て、無言で“心拍数+10”の顔。


 メイが笑顔で空気を戻す。

 「今日の目的は仲良く喧嘩すること!

 映画部的にも科学部的にも、同時上映を“ドラマティック”にしたいので!」

 レイカがすぐ反応する。

 「メイ!舞台照明の同期はこっちに任せて! 演出部、照度120%でいくわよ!」

 彼女はテンションが上がると声が舞台用になる。会議室が一瞬で劇場。


 トウタが背後でスマホを掲げた。

 「今この会議スレ立てた! タグ #双灯予告 #クロスシンク #現場沸騰中」

 やめて。そういう拡散速度で世界がバグる。


 ミナトはタブレットを見ながら眉をひとつ上げる。

 「……理論的には、二つの光源の同期は偶然には起きない。

  つまり、“何か”が誘導してる。どちらのシステムにも存在しないはずのリンクキー」

 「観測者補正、ですか?」ひよりが小さく返す。

 ミナトは微笑む。「正解。だけど“誰”が補正したのかは——まだ観測中」


 その“誰”の中に、私が入っている気がして、息が少し詰まった。



 ——で、波が落ち着いたタイミングで、チイロ先輩がスライドドアを足で蹴って入ってきた。

 制服の上にパーカー、カフェインを失ったゾンビみたいな顔。

 だけど口元は元気。言葉だけはいつも処刑ナイフみたいに研がれてる。


 「ふ〜ん、みんな“文化交流”とか言って、実質“青春合戦”じゃん。

  あれあれあれ?? どうしたんスか私の生意気後輩のアスミさん!

  その顔。システムログに“恋愛バグ”出てません?」


 「出てない。……たぶん」


 「いや出てるよ。“既知の未練を最新バージョンに移植しますか?”って顔してるもん」


 「どういう意味?」


 「“推しが他校の映画ヒロインにバグ転送”ってこと」


 「わかりやすいけど殺意が湧く」


 「だよね。殺意と恋はほぼ同列プロトコル。

  発火条件:『自分が必要とされてる確信がない時』ってやつ」


 その瞬間、心臓がちくりと動いた。

 チイロの言葉はいつも冗談めいているくせに、必要なところだけ直撃する。

 彼女は私の先輩。つまり、私が“まだ壊れきっていない”時代を知っている人間だ。


 「……チイロ先輩? 今の性格悪い」

 「褒め言葉。アスミの顔、いま“恋と自己否定の干渉縞”出てる」

 「測定しないで」

 「測ってない。見えてるだけ。あと、ミサキの視線が後ろからレーザー照射してるから」


  後ろを見ると、ミサキがいつもの“優しい殺意”を静かに携えて立っていた。

  笑顔だけが温かい。温度差で心拍が少し跳ねる。

  先輩はそれを見て、にやりと笑う。


 「ミサキが刺す前に言っとくけど、アスミ、恋でW1を誤魔化すと、観測精度が落ちる」

 「……分かってる」

 「分かってる人はそんな目しない。

  でもまぁ、それでバランス取れるなら、推奨行為。

  “恋愛は観測ノイズを一時的に安定化させる”って論文も出てたし」

 「どこの学会よ」

 「Pixiv。一次創作学会」


 ——この人、ほんとに救いの手なのか災厄なのか分からない。

 でも、彼女がここにいるだけで、現実に踏みとどまれる気がする。

 W1の記憶も、ユウマへの感情も、彼女に茶化されると一瞬だけ呼吸できる。


 レイカとミナトが物理的テンションで議論を再開し、会議室が再び騒がしくなる。

 トウタのスマホ通知音が鳴り、誰かが小さく笑った。

 その喧騒の中で、先輩がひそやかに囁く。


 「ねえ、アスミはさ、“誰かに必要とされたい”って思ってるけど、

  本当は“誰かを必要としてる自分”が怖いだけなんじゃない?」


 言葉が、胸の奥の暗い空洞にすとんと落ちた。

 私は何も返せなかった。

 先輩はそれを見て、肩をすくめる。


 「まぁいいや。どうせ本番で全部バレる。光は嘘つけないから。

  ——じゃ、私、コーヒー買ってきまーす」


 彼女が出ていく時、背中越しにひらひらと手を振った。

 軽くて、正確。ミームみたいに、意味があとから効いてくる。


  チイロ先輩の言葉は、いつも笑いながら私を解体する。

 「恋でW1を誤魔化すと観測精度が落ちる」——それはたぶん真理。

 でも、観測だけじゃ息が続かない。

 私は人間である前に観測者だった。

 だからこそ、恋のノイズが少しだけ心を人間に戻す。


 ひよりの笑顔は無垢で、怖い。

 彼女はまだこの世界の痛みを知らない。

 ミサキはそれを見抜いている。だから彼女の笑顔は温度を保っている。

 そして意地の悪い先輩は、それを全部見抜いた上で——わざと私を煽る。


 私はまだ、“必要とされる”ことに飢えている。

 でも、誰かに必要とされたいと願う瞬間こそ、人間としての観測なのかもしれない。


 レイカは笑いながら舞台案の資料を掲げる。

 「わたし達の舞台シーン、映画研究会の映像と同時に走らせたら最高だよ!」

 ミナトが即答。「理論的には、秒間24フレームで同期すれば干渉率0.8以上。成功確率72%。」

 「ちょっと低くない!?」レイカが詰め寄る。

 「だから、照明で補正すればいい」

 「任せて!」

 ——この二人、物理と演劇を混ぜたら核融合する。


 ユウマが最後に会議を締める。

 「じゃあ——本番当日、17:00。Chrono-Scopeと映画研究会の上映を同時に開始。

 干渉域のリンクタイミングは、**“光が見つめ返した瞬間”**で合わせよう」


 その言葉に、ひよりがわずかに笑う。

 光の粒を数えるような、静かな笑い。

 「じゃあ、その時——ちゃんと見返せるようにしますね!」


 ……負けたと思った。

 言葉でも、間でも。

 彼女はまだ恋を知らない。けれど、無意識で“正しい距離”を掴んでいる。


 私はそれを、何度やっても掴めない。


 打ち合わせが終わって、みんなが帰り支度をする。

 チイロが私の肩にひょいと触れる。

 「アスミ、無理して笑うの昔から下手だよね」

 「……分析報告ありがとう」

 「ねえ、でもさ。もしも世界がもう一回壊れても、それがアスミのせいだって、私は絶対言わねーから」

 その言葉に、少しだけ息が止まった。

 チイロ先輩の目は冗談のフリして、どこか優しい。

 “意地悪な先輩”の癖に、勘だけは致命的に鋭い。


 帰り際、ユウマが小さく呟く。

 「光が重なる瞬間、何かを失うんじゃなくて、何かを取り戻せるといいな」


 それを聞いて、私は何も言えなかった。

 ——だって私が“失わせた”側だから。


 会議は終わった。

 でも、心の中ではまだ何も始まっていない。

 私の中の“W1”はまだ呼吸している。

 あの日、観測を誤って崩壊を起こした私の記憶は、いまだにリセットできない。


 ユウマのそばに立つ時、私はいつも罪悪感と恋の中間にいる。

 ひよりはまだその重力を知らない。だからこそ、彼女の無垢さが私には痛い。

 ミサキは気づいている。私の目の下の青。呼吸のリズムのずれ。

 彼女は“優しい殺意”で見守っている。——チイロ先輩がそう呼んでいた。確かに正しい。


 私は自分が誰かに必要とされているのか、今でも分からない。

 でも、今日ひよりが見せた笑顔が、私の中の“嫉妬”を一瞬だけ止めた。

 観測と愛情の波形が一致した瞬間。

 それが、恋なのか、それとも赦しなのか——まだ判断できない。


 本番まで、あとわずか。

 私の心は静かに壊れて、また少し、形を持ち直す。

 その繰り返しを、“観測”と呼ぶなら。

 私はきっと、もう逃げない。


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