EP42. Reversed Dawn — 彼女が最初に還る日
記録送信者:矢那瀬アスミ
打ち合わせは、戦争前の天気予報みたいなもの。
晴れと告げられても、心のどこかで傘を握りしめる。
W1の残響はまだ消えない。私の内側で、いくつかの場面が“再演”を虎視眈々と狙っている。
そんな私の横で、ユウマは平然と——いや、平然を装って、誰かの名を口の中で転がす。
観測と感情は同じ波形だと彼は言った。
ええ、知ってる。
だから、嫉妬もまた干渉なの。
今日は事前打ち合わせ。
天城×影村×NOX×映画研の共同会議。
安全と段取りを詰める日。
……なのに、光は人の都合をよく知らない。
準備は、だいたい本番になる。
——交差する視線
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——双灯祭、前週の水曜・午後。
天城総合学園と影村学園、ふたつの灯りは同じ週末に重なる。
その名はDual Lumen(双灯祭)。
今日はその合同事前打ち合わせ。
天城は〈Chrono-Lab 展示室〉——量子実験を“見せる”舞台の安全審査。
影村は〈映画研究会シアター〉——映像を“観せる”暗室の運用説明。
直線距離で数百メートル。配電盤もネットワークも完全分離。
分離されているはず。でも、光は本質的に“重なりたがる”。
だから私は、傘を握ってここにいる。
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◆岡崎ユウマ視点(議事録:技術デモ)/天城総合学園・実験展示ホール
「次、干渉パターンの再現、入ります——」
打ち合わせ用に明るさを落とす。320lx→30lx。観客はいない。いるのは委員と担当者だけ。
正面に2mスクリーン。下手には教育用モジュールにデチューンしたChrono-Scope。
表は赤レーザーの二重スリット、裏では本番機のSPDCを疑似同期。
朝の校正で可視度V=0.94。**“予定”**どおりにいけば、当日は拍手が起きる。
ここでは拍手は要らない。安全だけが必要。
プレゼンは僕、監修にアスミ、安全管理でミサキ。
アスミはタブレットでIRB(倫理・安全)のチェックリストを潰す鬼。
ミサキは白衣の袖を一折り、救護バッグを置いて僕の手首を取って脈を読む(やめて)。
「ユウマ、HR96。**“見られてる”**自覚して?」
「量子も僕も、観測されると乱れるんだよ」
「乱れてカッコいいのは映画だけ。——はい、深呼吸」
反論の余地、ゼロ。
マイクはオフ。説明は最小限。
「本実験では、“見ていること”が結果に与える微小な影響を、事前に可視化します。当日はもっと地味にやる」
スクリーンに黒白の規則正しい縞。そこまでが予定。
——で、ここからが予定外。
濃淡が脈打つ。心音みたいに、呼吸みたいに。
アスミがタブレットから目を上げる。
「……振幅変調。外因っぽい」
ミサキも端末を覗き込み、小声。
「ユウマ、異常信号——また来てる」
「外部観測反応?」
「うん。S/N×3.2。前回より強い」
教育モジュールには存在しないはずの外部観測ログが、本番機との疑似同期でにじむ。
干渉縞の暗帯に、夕方の赤が滲む。
スクリーン中央で、ノイズが人の輪郭に収斂していく。
髪の揺れ。制服の襟。焦点の浅い、その一瞬の笑み。
——“フィルム越し”のこちらを、確かに見ている少女。
委員には「演出」で片付くくらいの小さな不可解。
けれど僕には、現実の側へ手を伸ばす衝撃。
「……誰だ、君は」
声には出していない。意味だけが投げられた感覚。
横でアスミの瞳が鋭くなる。
「今の、誰?」
「僕にも、わからない」
彼女の唇が僅かに吊り上がる。氷の縁。
「——名前をログで拾えたら、削除する」
温度が落ちる。恋愛的殺気は、氷点下。
ミサキが即座に間へ指を差し入れる。
「待って主任。患者(=ユウマ)に急性失語が出るから、冷凍は後」
「主任呼びは今やめて」
小声で刺々しくやり合いながら、二人とも僕の前に立つ。
——護り方は違うのに、目的地は同じ。救いであり、厄介。
そのとき、干渉縞が一度だけ完全に消えた。
スクリーンが均一光になり、ゼロの中央で何かが微笑む。
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◆綾白ひより視点(議事メモ:上映系)/影村学園・映画研究会シアター
暗転の演習と同時に、空気の密度が上がる。
小劇場の3割だけ——今日は打ち合わせだから。
パーライトはブラインド、プロジェクタはDLP 6000lm、音響は簡易2.1。
オープニングは私とメイの短編『観測と記録』——仮上映。
0.4秒、画面が知らない景色に乗っ取られた。
光学台。白衣。電子音。
そして、そこに立つひとりの男子。
髪は少し乱れて、目はまっすぐ。スクリーンの向こうから誰かを見ている。
視線がぶつかった瞬間、彼はわずかに驚いて息を呑んだ。
「……ウソ。生ライブ?」
隣のメイが私の肘をつつく。
「接続、してないよ? こっちは」
「でも、見られたって思った」
喉だけが乾く。
見られている——いや、見ている。お互いに。
スクリーンのノイズが人に収束する。
夕方の赤の中で、彼が口を開く。
音はない。でも、意味だけが届いた。
観測者——聞こえる?
心臓が二拍遅れて跳ねる。
私は先に答えていた。
干渉者——応答できる?
背後でメイが配線図を睨み、即答。
「映像系、完全スタンドアロン。ありえない方の“あり”」
私は笑えない。怖さと嬉しさが同じ重さで胸に乗るから。
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◆同時刻・交差視点(A/Bスクリーン)—※ここまで**“議前リハ”**の記録
【スクリーンA:天城 / ユウマ】
干渉縞の呼吸が止まり、中央に輪郭。
僕は声ではなく、意図を投げる。
「観測者、応答——できるか?」
【スクリーンB:影村 / ひより】
映写機のシャッターがスローになったみたいに、時間が伸びる。
私は自然と返す。
「干渉者、——聞こえる?」
委員はただの演出説明だと思っている。
二つのスクリーンが相互干渉に入っていることも、
音声も電波も繋がっていないのに意味だけ同期していることも——まだ、誰も気づかない。
【A】「きみはどこにいる」
【B】「あなたはどこから見てるの」
【A】「距離は——数百メートル(直線)」
【B】「遠いのに、近くに感じる」
【A】「僕の名前は——」
【B】「その前に、あなたの目の色を教えて」
——ラブコメの取り回しは、ときどき物理法則を凌駕する。
Chrono-Scope のSNSPDが飽和、タイムタグガーがエラー・ビープ。
天城の袖でミサキの半分悲鳴。
「ユウマ、オーバーロード! 切断して!」
「まだ。これはノイズじゃない」
後列の警備担当がメモに「演出に見える異常→当日控えめに」と書く。そうじゃない。
影村の小劇場。メイが非常灯に触れてやめる。
「ひよりん、続けよう。映像は嘘もつくけど、真実も映す」
「うん」
私の喉は怖いのに、言葉は前へ出る。
二つの光が、極大で重なる。
干渉縞は消え、スクリーンは純白に。
そのゼロの中央で、ふたりの声が重なる。
【A】ユウマ:「——名前を!」
【B】ひより:「——綾白ひより!」
議事録:ここで映像は同時にブラックアウト。
会議室側モニタはフリーズ、ログは保存。
拍手はない。あるのは、沈黙の圧とペン先の震え。
スクリーンは真黒。Chrono-Scope は自動停止。
ログの末尾だけが、事実を残す。
[Chrono-Scope / LINK — DRY RUN]
External Link Candidate Detected
Observer: AYASHIRO_HIYORI
Link quality (est.): V = 0.62
NOTE: Meeting Mode / No Public Audience
◆余韻:二つの灯りの温度(会議テーブル)矢那瀬アスミ視点
天城・側テーブル
非常灯の緑が定盤の端を撫でる。打ち合わせは続行。
ユウマは制御盤から手を離し、手の甲を見る。
触れていないはずの場所に、微かな温度。——光の跡。
「観測、じゃない。……これは出会いだ」
その言葉が、私の心拍を乱す。
私はタブレットに指を置いたまま、温度を下げる言い方を選ぶ。
「綾白ひより。監視対象に追加。削除は保留」
「ちょ、待って。用語が物騒」
ミサキが白衣の袖でユウマの手を包む。
「主任、語尾が凶器。患者の心拍が上がる」
「上げてるのは——あの子よ」
私は目を伏せる。認めるのは、負けみたいで癪だから。
でも、ミサキの親指がユウマの手背を一度だけ押すのを見て、
胸のどこかで古いカーテンが鳴った。
◆影村・側テーブル 綾白ひより視点
上映後の控室は、使い切った光の匂い。
私はカメラを抱えたまま、椅子に降ろし忘れた体で止まっている。
メイが紙コップの水と、黒猫ステッカーを差し出す。
「はい、ユーラー印。鎮静に効く」
「猫に薬理作用ある?」
「可愛いは概ね万能」
論破の仕方が可愛いで暴力。
「ひよりん、さっきの彼、どう感じた?」
「怖かった。でも、安心した」
「二語で映画が撮れる」
メイがぽんと手を叩く。
「決まり。双灯祭は『観測と記録:相互上映』。天城と影村で“同時接続”。
最後に——名前をもう一度呼んでみよ」
「呼べるかな」
「呼ぶの。それが映画。観測はいつだって干渉へのラブコールだから」
私のポケットでスマホが震える。
——Unknown: “見えてる/聞こえる?”
文字列じゃない。感覚みたいな通知。
私は画面を閉じ、代わりにレンズキャップを外す。
撮るしか、私にはできない。それで充分だと、私は思いたい。
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◆サイドのざわめき(生徒会/技術班・議前版)
天城・生徒会テント(臨席)
広報が問い合わせ草案29件を並べ替える。
「表現は『シンクロ演出(予定)』で統一。安全最優先。差し込みは後日の特設ページへ」
副会長は平熱で指示を飛ばし、最後に小さく。
「にしても、ロマンチックね」
書記が赤面して付箋を落とした。拾え。仕事だ。
影村・映研ブース(同席)
技術班が配線図をもう一度なぞる。
「一切繋がってない。なのに同期」
照明係がぽつり。
「光って、二つあると重なっちゃうんだね」
メイが肩をすくめて笑う。
「それを映画って呼ぶの。二つの灯りでひとつの影を作る」
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◆夜の端:リンクの残滓(議事録・補遺)記 矢那瀬アスミ
会議は散会。祭の照明はまだ点いていない。
私はログをもう一度開く。HIYORIの文字列の脇に、3フレームだけ奇妙な欠落。
単なる欠損ではない。誰かがそっと削ったみたいな、優しい断絶。
ユウマが、誰もいない廊下で名前を声に出す。
「——綾白ひより」
名前は干渉の最小単位。
呼んでしまえば、世界の縁にしわが寄る。
その瞬間、私には、ユウマの前に少女の姿がみえた。
私は背中から彼を止めない。止められなかった。
代わりに言う。
「呼ぶの、癖にしないで」
隣で、ミサキの声が綿のように柔らかい。
「でも、一回だけ許す。医療行為として」
ズルい。二人とも。
私は笑って、罪悪感と職務の同位体を同時に飲み込む。
観測は安全、選択は痛い。
——それでも今日は、越えた。干渉域の閾値を。
議前のはずが、心が先に本番を迎えた。
私の中のW1は、まだ鎮火しない。
失ったもの、失わせたもの、失わせないために選んだ刃。
それらが夜毎、私の頬を撫でる。
ユウマはどう思っているのか。私のことを。
あの子——綾白ひよりと視線が同期した瞬間、彼は救われた顔をした。
誰かを救うことに長けた人が、誰かに救われる瞬間。
それが彼の弱点だと、私は知っている。
妬み? ええ、認める。嫉妬は私の中で臨界を回った。
でも、私は観測で逃げない。言葉で留める。手順で守る。
ミサキはうすうす気づいている。私の温度の変化に。
彼女は“縫合”で人を救うタイプ。私は“切開”で手順を通すタイプ。
どちらも必要。どちらも欠ければ、ユウマは壊れる。
——そして、私も。
双灯祭まで、あと少し。
事前打ち合わせは形を整えた。
でも、本番はいつも、心から始まる。
私は監視ではなく、看護として彼を見張る。
W1の再演をさせないために。
そして、彼が選ぶ言葉に、私自身が耐えられるように。
閾値同期。
光が重なる時、影は濃くなる。
それでも、二つの灯りでひとつの道が見えるのなら——
私はその道に最初のコーンを立てる人間でいたい。
**安全第一。**そして、ロマンは二番目。
でも……ほんとうは、順番を変えたい夜もあるけれど。
わたしは、この日を、私は“ただの事前リハ”だと記録した。
けれど今にして思えば、あれが“最初の本番”だったのかもしれない。
Chrono-Scope のログには、微妙な欠落が残った。
誰かが削ったみたいに、優しい断絶。
あのとき、確かに二つの光が重なっていた。
それが何を意味するのか、私はまだ語れない。
ただ、のちに分かる。あの日が、誰かの時間のはじまりだったと。
まるで彼女の世界線が、あの瞬間から生成されたように。
観測とは、ときに創造を兼ねる。
干渉とは、世界が誰かを“戻す”ときの優しい言い訳。
ユウマはあの夜、光の中で名前を呼んだ。
彼にとっては、それが出会い。
でも彼女にとっては、あれが“最初の記憶”だったのかもしれない。
——私たちは知らないうちに、ひとつの時間を越えた。
私は、観測を続ける。
この目に映る限りの未来と過去を、すべて手順に記す。
光が重なったあの日を、
私は「安全審査記録」として処理した。
でも、本当の分類名はきっと違う。
——発火点、そして救いの座標を留めるアンカー
それが何を引き起こすのか、まだ誰も知らない。
けれど私は知っている。
あの日の光は、もう二度と“事前”ではなかったことに。




