EP40.干渉とスレッショルド
映画は“呼吸”でできている。
光の取り回し、沈黙の長さ、視線の折り返し。台詞はあとから乗るレイヤ。
私の役目は、骨を立てるメイの脚本に酸素を回すこと。
観客が無意識に吸って吐く、そのタイミングを設計すること。
——だから、今日この部屋で起きた“1秒に満たない呼吸”の乱れは、私には過敏に聞こえた。
それは、物語の外から差し込んだ誰かの息だった。
——放課後。
影村学園・西校舎三階、映画研究会の部室。
窓は西日を拡散するすりガラス。光はフィルム粒子みたいに空気に漂う。
ガムテで黒塗りした遮光カーテンの継ぎ目から、35mm換算で1/8段だけ赤が漏れる。
ホワイトボードの端で反射して室内のコントラストを0.12下げていた。
“現実のガンマ曲線”が、ほんの少し寝ている。
やわらかい午後。
「——あ、ストップ。今のトーンで固定」
メイの声が跳ねる。
俳優役の男子が「カット!」と同時に膝の力を抜き、ローリングシャッターの縞みたいに体をたわませた。
(※演技のシャッター角、今日は180°で統一してるのに、彼はいつも200°。可愛いけどブレる)
「ごめん、照明、あと0.5段下げて。影がきつい。フェザーで落として、壁バウンス増やして」
「はーい、ひよりん監督〜。ISO据え置きでいくね?」
「うん、ノイズ増やしたくない。false colorで肌45〜55IREに合わせて」
“監督”って呼ばれても、まだしっくり来ない。
私の領域はショットの指示より、空気の微調整——温度、匂い、沈黙の長さ。
メイが脚本で物語の骨を立て、私は呼吸の位置を刻む。
骨と呼吸。それが私たちの分担だ。
今日は空気が、いつもより映画寄りにずれていた。
ディマーを捻って光量を0.5段落とした瞬間、モニターに縞状ノイズがふわっと走る。
電源のハムじゃない。周波数が揺れる。
——あ、これは“音”じゃなくて光の揺れ。
「……ん?」
私は12bitの波形モニターを睨む。LUTはRec.709。
なのに上端が呼吸する。ヒストグラムの裾で、ありえない粒立ち。
**Fourier変換で拾いきれない帯域の“何か”**が、じりっと立ち上がる。
カメラの背面液晶に顔を寄せ、ピーキングOFF。
その中央、ノイズの塩胡椒から**“人影”が1秒以下**の刹那、立つ。
逆光で顔は潰れる。白いシャツ、きれいな肩線、胸郭の上下。
男子のシルエット。
「……え、今の誰?」
「え? なにが?」メイが首をかしげる。
「ここ、今……誰か通ったよね?」
「誰もいないよ? ひよりん、また幽霊モード?」
「違うって……」
録画を巻き戻し、24pを1/8スロー。
180°のはずのシャッターが、その“一瞬”だけ0°に近い。
モーションブラーが消える——観測が像を結ぶ瞬間。
そこに“彼”がいた。
ブレザーじゃない。
見慣れない制服。
左手首に銀の時計。
視線はこちら側。
“見た”というより、“見られた”。体内のどこかが確信する。
心臓が、映画のプレビュー音+0.5拍で跳ねた。
耳奥のノイズフロアが上がる。
「……誰?」
「ひより?」
「……ううん」
液晶のガラスを指でなぞる。触れるのは冷たい導電ガラスと静電気だけ。
像は触れない。だけど、触られた気がした。
メイがケラケラ笑う。
「ねぇ、今日ぜったい出るでしょ、グランプリ——って、ひよりんの顔どうしたの。色温度下がった?」
「たぶん、脳内ホワイトバランスが狂ってる」
「新しい恋はだいたい白バラ狂うよ。おめでとう」
「だから違うってば」
録画ファイルのメタを開く。開始時刻16:12:08。35mm、F2.0/T1.9。
全て正常。なのに、補助ログの入射光スペクトルだけが「——」。
**“知らない光”**を受け取った記録。
「メイ、この映像、消さないで」
「どしたの?」
「たぶん、——私が撮ってない映像だから」
「???」
メイはバッテリーを替えつつ首を傾げる。
私は笑ってごまかし、胸の震えを観察する。
「今日のテーマ、“観測と記録”。……記録、勝手に増えたかも」
「じゃ、“おまけカット”ラベルつけとく?」
「うん。ラベルは——“干渉の閾値”」
閾値。
——それを超えると、世界は少し違う露出で見え始める。
⸻
機材が落ち着いた頃、メイがカード束を掲げる。
角がR1.5で優しい名刺。
「それでね、合同学園祭なんですけど、彼らとコラボしませんか?」
部室の空気が表面張力+0.1。私の心拍+4。
「影村×天城コラボ企画。短編のAパートを影村で、Bパートを天城で同時上映。
エンディングは二会場の観客の選択で書き換わる、相互干渉型上映にするの!」
メイはリムライトを自前でまとっている。眩しい。
「それと——天城に“救助者”がいるの。猫と私をプリンセスキャッチで救った人。
黒猫“ユーラー”が証人。可愛いで補正可能」
「最後の行、審査通らない」私は即ツッコミ。
でも、面白い。
私の中の編集点が「カチン」と入る。
「生徒会の脱出ゲームとも連動しよう?」メイの熱は続く。
「脱出のラストキーを上映後のQRに仕込む。
“映画を見終えた人のひと押しで、向こうの扉が開く”やつ!」
天城の誰かと、こちらの観客が互いに助け合う——相互救助がトリガーか。
(今の“彼”の目線と、さっきの相互救助が、頭のどこかで重なる)
「通信遅延は?」
「最大の敵だね。±150ms以内で同期。非常動線は二会場で同設計」
理性が返事する。感情は「やりたい」と叫ぶ。
メイは満面。
「仮タイトル『交流特別/Save the Us』! “私”じゃなく“私たち”を助ける」
いい。等号じゃなく連結子音でつながってる感じ。
部員たちが拍手。ユーラー(想像上)もゴロ24Hz→25Hz。
私はホワイトボードに走り書き。
〈相互救助=次シーン解放/同期±150ms/IRB×2〉
視界の片隅で、波形ゼロ線が1pxだけ再び揺れた。
——来てる。
⸻
“彼”の正体はまだ不要(でも会いに行く手順は決める)
「ロケハン行くなら、天城は私が行く」と口が先に動いた。
メイがにやり。
「じゃあ名刺係もひよりんで。可愛いで補——」
「書類で補正!」
部室が笑いで温まる。歪み率低い好い笑い。
私はメモを新規作成。
〈観測ログ/16:12:08〜09〉
・視認:男性(制服不明/左手首銀時計)
・眼差し:こちら(“目が合った感覚”強)
・物理:心拍+12、呼吸+2、皮膚電気反応+
・機材:波形ゼロ線−1px、スペクトル補助ログ空欄
・主観:懐かしさ(初見なのに)/安心(理由不明)
・行動:保存/隔離/バックアップ3重
・タグ:#干渉の閾値 #SaveTheUs #未知光線
懐かしい。
初めてなのに、もう知ってるみたい。
夢の中で予告編だけ何度も流されてた感じ。
観測者としては未証明。干渉者としては合格。
「……会ったら、わかる気がする」
独り言が埃に紛れる。
メイはいたずらっぽく笑い、タイトル案をもう一つ。
「“君のノイズをください”」
「……センスが好きすぎる」
「やった⭐︎」
その“やった”の上に、カメラの内蔵時計が+0.03秒進む。
気づくのはきっと私だけ。観測のご褒美みたいな“ずれ”。
私はもう一度、黒い液晶をなぞる。届かない像に、届かない名前を思う。
呼吸を一拍整え、心の中でだけ、名前を名乗ってみる。
私は、——綾白ひより。
スクリーンの向こうの誰かに届くように。
まだ“出会い”じゃなくても、予告編として十分な、干渉の午後だった。
光は嘘をつかない。
誰かの視線がこちらへ差し込めば、波形は1pxでも沈む。
今日の部室には、“知らない光”が来た。
カメラは正直に「——」と空欄で答えた。
その空欄は、たぶん名前のための余白。
“救助者”と“猫”、“交流特別”と“相互救助”。
骨と呼吸(私)が組んだ企画は、まだ鼓動を待っている。
鼓動の主は、もしかしたら——君かもしれない。
次に再生ボタンを押すとき、0.03秒のずれがまた祝ってくれますように。
では、カチンコをもう一度。「テイク2、用意——」
(記録者:綾白ひより)




