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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
第二章 双灯祭準備編

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40/94

EP40.干渉とスレッショルド

 映画は“呼吸”でできている。

 光の取り回し、沈黙の長さ、視線の折り返し。台詞はあとから乗るレイヤ。

 私の役目は、骨を立てるメイの脚本に酸素を回すこと。

 観客が無意識に吸って吐く、そのタイミングを設計すること。

 ——だから、今日この部屋で起きた“1秒に満たない呼吸”の乱れは、私には過敏に聞こえた。

 それは、物語の外から差し込んだ誰かの息だった。


 ——放課後。

 影村学園・西校舎三階、映画研究会の部室。

 窓は西日を拡散するすりガラス。光はフィルム粒子みたいに空気に漂う。

 ガムテで黒塗りした遮光カーテンの継ぎ目から、35mm換算で1/8段だけ赤が漏れる。

 ホワイトボードの端で反射して室内のコントラストを0.12下げていた。

 “現実のガンマ曲線”が、ほんの少し寝ている。

 やわらかい午後。


 「——あ、ストップ。今のトーンで固定」

 メイの声が跳ねる。

 俳優役の男子が「カット!」と同時に膝の力を抜き、ローリングシャッターの縞みたいに体をたわませた。

 (※演技のシャッター角、今日は180°で統一してるのに、彼はいつも200°。可愛いけどブレる)


 「ごめん、照明、あと0.5段下げて。影がきつい。フェザーで落として、壁バウンス増やして」

 「はーい、ひよりん監督〜。ISO据え置きでいくね?」

 「うん、ノイズ増やしたくない。false colorで肌45〜55IREに合わせて」


 “監督”って呼ばれても、まだしっくり来ない。

 私の領域はショットの指示より、空気の微調整——温度、匂い、沈黙の長さ。

 メイが脚本で物語の骨を立て、私は呼吸の位置を刻む。

 骨と呼吸。それが私たちの分担だ。


 今日は空気が、いつもより映画寄りにずれていた。

 ディマーを捻って光量を0.5段落とした瞬間、モニターに縞状ノイズがふわっと走る。

 電源のハムじゃない。周波数が揺れる。

 ——あ、これは“音”じゃなくて光の揺れ。


 「……ん?」

 私は12bitの波形モニターを睨む。LUTはRec.709。

 なのに上端が呼吸する。ヒストグラムの裾で、ありえない粒立ち。

 **Fourier変換で拾いきれない帯域の“何か”**が、じりっと立ち上がる。


 カメラの背面液晶に顔を寄せ、ピーキングOFF。

 その中央、ノイズの塩胡椒から**“人影”が1秒以下**の刹那、立つ。

 逆光で顔は潰れる。白いシャツ、きれいな肩線、胸郭の上下。

 

 男子のシルエット。


 「……え、今の誰?」

 「え? なにが?」メイが首をかしげる。

 「ここ、今……誰か通ったよね?」

 「誰もいないよ? ひよりん、また幽霊モード?」

 「違うって……」


 録画を巻き戻し、24pを1/8スロー。

 180°のはずのシャッターが、その“一瞬”だけ0°に近い。

 モーションブラーが消える——観測が像を結ぶ瞬間。


 そこに“彼”がいた。

 ブレザーじゃない。

 見慣れない制服。

 左手首に銀の時計。

 視線はこちら側。

 “見た”というより、“見られた”。体内のどこかが確信する。


 心臓が、映画のプレビュー音+0.5拍で跳ねた。

 耳奥のノイズフロアが上がる。

 「……誰?」


 「ひより?」

 「……ううん」

 液晶のガラスを指でなぞる。触れるのは冷たい導電ガラスと静電気だけ。

 像は触れない。だけど、触られた気がした。


 メイがケラケラ笑う。

「ねぇ、今日ぜったい出るでしょ、グランプリ——って、ひよりんの顔どうしたの。色温度下がった?」

「たぶん、脳内ホワイトバランスが狂ってる」

「新しい恋はだいたい白バラ狂うよ。おめでとう」

「だから違うってば」


 録画ファイルのメタを開く。開始時刻16:12:08。35mm、F2.0/T1.9。

 全て正常。なのに、補助ログの入射光スペクトルだけが「——」。

 **“知らない光”**を受け取った記録。


 「メイ、この映像、消さないで」

 「どしたの?」

 「たぶん、——私が撮ってない映像だから」

 「???」


 メイはバッテリーを替えつつ首を傾げる。

 私は笑ってごまかし、胸の震えを観察する。

 「今日のテーマ、“観測と記録”。……記録、勝手に増えたかも」

 「じゃ、“おまけカット”ラベルつけとく?」

 「うん。ラベルは——“干渉の閾値”」


 閾値。

 ——それを超えると、世界は少し違う露出で見え始める。



 機材が落ち着いた頃、メイがカード束を掲げる。

 角がR1.5で優しい名刺。

 「それでね、合同学園祭なんですけど、彼らとコラボしませんか?」

 部室の空気が表面張力+0.1。私の心拍+4。


 「影村×天城コラボ企画。短編のAパートを影村で、Bパートを天城で同時上映。

  エンディングは二会場の観客の選択で書き換わる、相互干渉型上映にするの!」

 メイはリムライトを自前でまとっている。眩しい。

 「それと——天城に“救助者”がいるの。猫と私をプリンセスキャッチで救った人。

  黒猫“ユーラー”が証人。可愛いで補正可能」

 「最後の行、審査通らない」私は即ツッコミ。

 でも、面白い。

 私の中の編集点が「カチン」と入る。


 「生徒会の脱出ゲームとも連動しよう?」メイの熱は続く。

 「脱出のラストキーを上映後のQRに仕込む。

  “映画を見終えた人のひと押しで、向こうの扉が開く”やつ!」


 天城の誰かと、こちらの観客が互いに助け合う——相互救助がトリガーか。

 (今の“彼”の目線と、さっきの相互救助が、頭のどこかで重なる)


 「通信遅延は?」

 「最大の敵だね。±150ms以内で同期。非常動線は二会場で同設計」

 理性が返事する。感情は「やりたい」と叫ぶ。

 メイは満面。

 「仮タイトル『交流特別/Save the Us』! “私”じゃなく“私たち”を助ける」

 いい。等号じゃなく連結子音でつながってる感じ。


 部員たちが拍手。ユーラー(想像上)もゴロ24Hz→25Hz。

 私はホワイトボードに走り書き。

 〈相互救助=次シーン解放/同期±150ms/IRB×2〉

 視界の片隅で、波形ゼロ線が1pxだけ再び揺れた。

 ——来てる。



 “彼”の正体はまだ不要(でも会いに行く手順は決める)


 「ロケハン行くなら、天城は私が行く」と口が先に動いた。

 メイがにやり。

 「じゃあ名刺係もひよりんで。可愛いで補——」

 「書類で補正!」

 部室が笑いで温まる。歪み率低い好い笑い。


 私はメモを新規作成。

 〈観測ログ/16:12:08〜09〉

 ・視認:男性(制服不明/左手首銀時計)

 ・眼差し:こちら(“目が合った感覚”強)

 ・物理:心拍+12、呼吸+2、皮膚電気反応+

 ・機材:波形ゼロ線−1px、スペクトル補助ログ空欄

 ・主観:懐かしさ(初見なのに)/安心(理由不明)

 ・行動:保存/隔離/バックアップ3重

 ・タグ:#干渉の閾値 #SaveTheUs #未知光線


 懐かしい。

 

 初めてなのに、もう知ってるみたい。

 夢の中で予告編だけ何度も流されてた感じ。

 観測者としては未証明。干渉者としては合格。


 「……会ったら、わかる気がする」

 独り言が埃に紛れる。

 メイはいたずらっぽく笑い、タイトル案をもう一つ。

 「“君のノイズをください”」

 「……センスが好きすぎる」

 「やった⭐︎」


 その“やった”の上に、カメラの内蔵時計が+0.03秒進む。

 気づくのはきっと私だけ。観測のご褒美みたいな“ずれ”。


 私はもう一度、黒い液晶をなぞる。届かない像に、届かない名前を思う。

 呼吸を一拍整え、心の中でだけ、名前を名乗ってみる。


 私は、——綾白ひより。


 スクリーンの向こうの誰かに届くように。

 まだ“出会い”じゃなくても、予告編として十分な、干渉の午後だった。


 光は嘘をつかない。

 誰かの視線がこちらへ差し込めば、波形は1pxでも沈む。

 今日の部室には、“知らない光”が来た。

 カメラは正直に「——」と空欄で答えた。

 その空欄は、たぶん名前のための余白。

 “救助者”と“猫”、“交流特別”と“相互救助”。

 メイと呼吸(私)が組んだ企画は、まだ鼓動を待っている。

 鼓動の主は、もしかしたら——君かもしれない。


 次に再生ボタンを押すとき、0.03秒のずれがまた祝ってくれますように。

 では、カチンコをもう一度。「テイク2、用意——」


 (記録者:綾白ひより)


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