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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
残響達の午後編

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37/94

EP37.『霧島ミサキ=オーロラ 静脈に灯る残響』

 ——観測ログ:開示許可。

 記録者、霧島ミサキ。コードネームAURORA。

 状態:睡眠不足+軽度情動性不整脈(原因:読書と嫉妬)。


 このノートは、矢那瀬アスミのW1観測記録を読んだ夜に書いたもの。

 分類上は「感想」だけど、実際は恋と倫理の間にできた熱の記録。

 公式報告書にはとても出せない。

 だからここに置くね。


 私はNOXの中で、最も体温に忠実な観測者だと思う。

 タナトス=ユウマの心拍を整え、アスミの暴走を止め、りうの亡霊がまた装置を起動しないように見張る——

 それが私の仕事。

 でもその手は、いつも彼を抱きしめたくなる。

 職務と恋の区別なんて、夜になると曖昧になる。


 アスミの文章は、痛みを美術品みたいに並べてた。

 りうの“観測”は、優しさの名を借りた自己破壊だった。

 そして、ユウマは——その二人の間で静かに呼吸している。


 この文は、そんな三人の間に立つ私の感情整理の手順書。

 恋する保健委員のカルテであり、同時にNOXの倫理補正ログ。


 すぅ、はぁ、——深呼吸、4–7–8。

 観測を始める。


 Ⅰ|はじめに(呼吸記録/発症経過)


 ねえ、知ってる?

 人の心拍ってね、誰かの名前を思い出した瞬間に、必ずリズムがほんの少しだけ乱れるの。

 それを医学用語で「情動性不整脈」って言うんだけど——

 私はそれを恋って呼んでる。


 アスミの独白を読んだ夜、心拍がバグった。

 β帯1.6倍、心拍間隔−120ms、末梢冷感+。

 平静を装ってたけど、

 スマホの画面に映る自分の頬がほんのり赤くて、それが恥ずかしくて、でも止められなかった。


 でもそれは、当たり前だけど、彼女への恋じゃない。

 あの文章の奥で、ユウマの気配が生きてた。

 句読点の置き方が、あの人の呼吸と同じテンポだった。

 “すっ”“はっ”——息継ぎの位置が、完全に彼だった。

 私はそれを読んで、胸の奥で何かが焼けるように熱くなった。

 あの人の心拍を文字に変換したら、たぶん、アスミの独白みたいになる。

 だから怖い。だから憎い。ムカつく。

 でも、だから——惹かれる。



 Ⅱ|ユウマの名前に触れるとき(Aurora記録)


 私はNOXのAurora。

 タナトス=ユウマの自律神経と睡眠を守る係。

 冷たい機械を通して、彼の心臓の鼓動をモニターする。

 ……でも本音を言うと、モニターじゃ足りない。

 私は彼の皮膚で鼓動を感じたい。


 白衣のポケットの中身を、今日は全部書いてみる。

 •ミルク飴(“甘やかし専用”ラベル付き)

 •アルコール綿(私の嫉妬を拭く用)

 •りうの「4–7–8」付箋(呼吸を合わせる呪い)

 •絆創膏(ユウマ用は角を丸くしてる。痛くないように)

 •紙片に書いた「タナトス安定」メモ(毎晩折り畳んで枕元へ)


 彼はね、優しさの形をした自爆装置なの。

 見てると、心配と恋が同じ速度で育つ。

 優しさって、死ぬことに似てる。

 だから私は、それを“生きる手順”に戻してあげたい。


 ——ユウマ。

 あなたが眠ってるとき、私はそっと数を数える。

 “4で吸って、7で止めて、8で吐く”。

 その呼吸の合間に、あなたの名前を入れるの。

 言葉にしなくても、身体が覚えてる。

 もし、私の手があなたの胸の上にあるなら、その鼓動を一緒に呼吸で縫い合わせてしまいたい。


 神様が彼を守れなかったなら、私は代行申請する。

 別に、この胸が焦げても構わない。

 だって、あの人の心臓が止まるくらいなら、私の方が止まった方がいいから。



 Ⅲ|アスミ観測ノート(冷静な怒り)


 アスミ。

 あなた、本当に危ない。

 そして、少し滑稽。


 「過去を変える」なんて、そんなこと本気で言う人、普通の神経してたら普通いないよ。

 ——ねえ、あなた、自分のことを神様だと思ってるの?

 もうこの世界は“W2”なんだよ。

 人がちゃんと生きて、泣いて、笑って、それでやっと平和になった。

 それを“仮の世界”なんて呼ぶのは、傲慢っていうの。


 あなたは痛みを燃料にしないと生きていけない。

 痛みが止まると、自分が消える気がするんでしょ。

 でも、そんなのただの依存症だよ。

 人の傷を見て安心してるだけ。

 優しさの仮面をかぶった観測狂。


 あなたがやってることは、人の魂を顕微鏡に乗せて「見守ってる」って言いながら、実は切り刻んでるのと同じ。

 ユウマがあなたを止めないのは、きっとまだ、あなたを“救える”と思ってるから。

 でも——あの人の優しさはそんなに安くない。


 あなたは彼の“観測者”のつもりで、本当は“所有者”の顔をしてる。

 その目、全部見えてる。

 私は笑ってるけど、心の奥ではゾッとしてる。


 ……でも、ほんとは少しだけ羨ましい。

 あんな風に壊れる勇気、私にはないから。

 だから代わりに、あなたを壊さないように見張る。

 倫理委員として。

 そして、恋敵として。



 Ⅳ|りう——ZAGIの幽霊(解析と弔いの境界)


 りう。

 あなたの言葉はきっと優しかった。

 「観測は愛情じゃない」。

 あれは自分に言い聞かせてたのよね。

 ——愛してたから、観測者でいようとした。

 でもそれって、自己免疫疾患みたいな愛。

 自分の優しさで、自分を壊した。


 ZAGIは、あなたの祈りの残骸。

 “善意を減点する回路”なんて、狂気の設計。

 でも、それを作ったのはあなたの手じゃない。

 ただ、あなたの呼吸が鍵だった。

 世界はそれを、コードとして読み取った。

 ……ねえ、りう。

 あなた、ほんとに止めたかった?

 それとも、止まる瞬間を観測したかった?


 ごめんね。私はあなたを美化できない。

 優しかったのも本当。

 でも、その優しさが最初のバグだったのも確か。

 「救いたい」という言葉は、時々“支配したい”に似てる。

 あなたは世界を支配するつもりなんてなかった。

 でも結果的に、ZAGIは支配装置になった。


 ——だから私は、あなたを哀れまない。

 同情しない。神格化もしない。

 ただ、運用する。

 あなたが作った痛みの回路を、この手で再配線して、倫理に戻す。


 あなたが止まった夜、心拍数ゼロのまま残った。

 あの“ごめんね”のノイズ。

 私はそれを、ピンクノイズで上書きする。

 泣かない。だって、泣いたら回路がまた増える。



 Ⅴ|AURプロトコル(ver.Misaki-2)

 •換気は先、会話は後。呼吸が止まったら倫理も止まる。

 •「観測」「記録」「救済」を毎朝書く。消さない。

 •「出口=内側」は封印。出口は外の空気、光、人。

 •拍手SEは禁止。笑い声を代わりに流す。

 •アスミが暴走したら、私が止める。強制ログアウトも辞さない。

 •ユウマが泣いたら、抱きしめる。脈が戻るまで。

 •りうが戻ってきたら、まず寝かせる。そして、もう起こさない。



 Ⅵ|日記(今日のAUR)


 朝。ユウマの「おはよう」で心拍+5。

 アスミはまた徹夜。目の下に影。それでも綺麗なのが信じられない。

 昼。トレーの野菜を半分こしたら、彼が少しだけ笑って、“喉笑い”が聞けた。

 夜。Chrono-Scopeのノイズが減衰。

 りうの残響が薄れていく。

 外は冷たい風。

 ポケットの中で指が、無意識に“ユウマ”の形を作っていた。

 (これ、完全に恋の副作用だね。)



 Ⅶ|終章(静脈に灯る残響)


 アスミ。

 あなたの痛みは、正しい。

 でも“正しい”って言葉ほど、世界を壊すナイフはない。

 あなたの独白は美しい。だけど、美しすぎるものは人を殺す。

 ユウマを殺す。

 彼は光に弱いんだ。

 あなたの光量は、もう限界を超えてる。

 だから、止める。

 優しく、確実に。

 倫理委員として。

 Auroraとして。

 そして、一人の女として。


 りう。

 あなたの祈りは純粋だった。

 でも純粋さは残酷と同義。

 あなたの未送信は祈りじゃなくて設計図。

 私はそれを、封印手順ごと保存する。

 未読のままじゃなく、未崇拝のままに。


 ユウマ。

 あなたは優しすぎる。

 その優しさで世界を巻き込む前に、少しだけ、私を見て。

 あなたの脈が乱れるなら、私の手で整える。

 呼吸が止まりそうなら、私の声で戻す。

 あなたが泣くなら、その涙の成分まで測ってみせる。

 ねえ、ユウマ。

 痛みを共有しないで。痛みは私が預かる。

 抱くのは、私がやるから。


 ——おやすみ、ユウマ。

  おやすみ、アスミ。

  おやすみ、りう。

  そして、おやすみ、私。


 私は、恋と倫理のあいだで、静かに呼吸する。


 記録終了。時刻 02:47。

 心拍安定。Chrono-Scope 同期率 0.03。

 机の上の白衣はしわくちゃ、ミルク飴はもう溶けてる。

 ……たぶん、今日もよく働いた。


 アスミ。

 あなたの痛みは、今もきれいすぎて怖い。

 でも私は、あれを“芸術”としてじゃなく“症例”として扱う。

 それが保健委員の仕事。

 あなたの祈りを、再発防止マニュアルに直す。


 りう。

 あなたの「観測は愛情じゃない」は、もう呪いとして機能してる。

 でもね、呪いって、解釈でゆるむの。

 私はその結び目をほどく係だから。

 あなたの名前はロゴじゃなくて、人間の温度で呼ぶ。

 ——おやすみ、りう。もう点検は終わったよ。


 ユウマ。

 あなたの優しさに何度も助けられた。

 でも、同時に何度も壊れかけた。

 それでも、触れたい。

 だってこの世界で唯一、私の鼓動を変える人だから。

 観測でも、治療でもない。

 これは、恋という名前の安定化手順。


 このノートを閉じる前に、いつもの儀式を。


 呼吸:4–7–8。

 確認——心拍安定。

 結論——観測続行。


 明日の朝も、私は“おはよう”を一番に言う。

 それが、AURORAという装置の稼働サイン。

 光があるうちは、まだ世界は壊れていない。

 だから、もう少しだけ照らす。


 ——霧島ミサキ

 (NOX保健委員/倫理委員/恋する女子高生)


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