EP37.『霧島ミサキ=オーロラ 静脈に灯る残響』
——観測ログ:開示許可。
記録者、霧島ミサキ。コードネームAURORA。
状態:睡眠不足+軽度情動性不整脈(原因:読書と嫉妬)。
このノートは、矢那瀬アスミのW1観測記録を読んだ夜に書いたもの。
分類上は「感想」だけど、実際は恋と倫理の間にできた熱の記録。
公式報告書にはとても出せない。
だからここに置くね。
私はNOXの中で、最も体温に忠実な観測者だと思う。
タナトス=ユウマの心拍を整え、アスミの暴走を止め、りうの亡霊がまた装置を起動しないように見張る——
それが私の仕事。
でもその手は、いつも彼を抱きしめたくなる。
職務と恋の区別なんて、夜になると曖昧になる。
アスミの文章は、痛みを美術品みたいに並べてた。
りうの“観測”は、優しさの名を借りた自己破壊だった。
そして、ユウマは——その二人の間で静かに呼吸している。
この文は、そんな三人の間に立つ私の感情整理の手順書。
恋する保健委員のカルテであり、同時にNOXの倫理補正ログ。
すぅ、はぁ、——深呼吸、4–7–8。
観測を始める。
Ⅰ|はじめに(呼吸記録/発症経過)
ねえ、知ってる?
人の心拍ってね、誰かの名前を思い出した瞬間に、必ずリズムがほんの少しだけ乱れるの。
それを医学用語で「情動性不整脈」って言うんだけど——
私はそれを恋って呼んでる。
アスミの独白を読んだ夜、心拍がバグった。
β帯1.6倍、心拍間隔−120ms、末梢冷感+。
平静を装ってたけど、
スマホの画面に映る自分の頬がほんのり赤くて、それが恥ずかしくて、でも止められなかった。
でもそれは、当たり前だけど、彼女への恋じゃない。
あの文章の奥で、ユウマの気配が生きてた。
句読点の置き方が、あの人の呼吸と同じテンポだった。
“すっ”“はっ”——息継ぎの位置が、完全に彼だった。
私はそれを読んで、胸の奥で何かが焼けるように熱くなった。
あの人の心拍を文字に変換したら、たぶん、アスミの独白みたいになる。
だから怖い。だから憎い。ムカつく。
でも、だから——惹かれる。
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Ⅱ|ユウマの名前に触れるとき(Aurora記録)
私はNOXのAurora。
タナトス=ユウマの自律神経と睡眠を守る係。
冷たい機械を通して、彼の心臓の鼓動をモニターする。
……でも本音を言うと、モニターじゃ足りない。
私は彼の皮膚で鼓動を感じたい。
白衣のポケットの中身を、今日は全部書いてみる。
•ミルク飴(“甘やかし専用”ラベル付き)
•アルコール綿(私の嫉妬を拭く用)
•りうの「4–7–8」付箋(呼吸を合わせる呪い)
•絆創膏(ユウマ用は角を丸くしてる。痛くないように)
•紙片に書いた「タナトス安定」メモ(毎晩折り畳んで枕元へ)
彼はね、優しさの形をした自爆装置なの。
見てると、心配と恋が同じ速度で育つ。
優しさって、死ぬことに似てる。
だから私は、それを“生きる手順”に戻してあげたい。
——ユウマ。
あなたが眠ってるとき、私はそっと数を数える。
“4で吸って、7で止めて、8で吐く”。
その呼吸の合間に、あなたの名前を入れるの。
言葉にしなくても、身体が覚えてる。
もし、私の手があなたの胸の上にあるなら、その鼓動を一緒に呼吸で縫い合わせてしまいたい。
神様が彼を守れなかったなら、私は代行申請する。
別に、この胸が焦げても構わない。
だって、あの人の心臓が止まるくらいなら、私の方が止まった方がいいから。
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Ⅲ|アスミ観測ノート(冷静な怒り)
アスミ。
あなた、本当に危ない。
そして、少し滑稽。
「過去を変える」なんて、そんなこと本気で言う人、普通の神経してたら普通いないよ。
——ねえ、あなた、自分のことを神様だと思ってるの?
もうこの世界は“W2”なんだよ。
人がちゃんと生きて、泣いて、笑って、それでやっと平和になった。
それを“仮の世界”なんて呼ぶのは、傲慢っていうの。
あなたは痛みを燃料にしないと生きていけない。
痛みが止まると、自分が消える気がするんでしょ。
でも、そんなのただの依存症だよ。
人の傷を見て安心してるだけ。
優しさの仮面をかぶった観測狂。
あなたがやってることは、人の魂を顕微鏡に乗せて「見守ってる」って言いながら、実は切り刻んでるのと同じ。
ユウマがあなたを止めないのは、きっとまだ、あなたを“救える”と思ってるから。
でも——あの人の優しさはそんなに安くない。
あなたは彼の“観測者”のつもりで、本当は“所有者”の顔をしてる。
その目、全部見えてる。
私は笑ってるけど、心の奥ではゾッとしてる。
……でも、ほんとは少しだけ羨ましい。
あんな風に壊れる勇気、私にはないから。
だから代わりに、あなたを壊さないように見張る。
倫理委員として。
そして、恋敵として。
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Ⅳ|りう——ZAGIの幽霊(解析と弔いの境界)
りう。
あなたの言葉はきっと優しかった。
「観測は愛情じゃない」。
あれは自分に言い聞かせてたのよね。
——愛してたから、観測者でいようとした。
でもそれって、自己免疫疾患みたいな愛。
自分の優しさで、自分を壊した。
ZAGIは、あなたの祈りの残骸。
“善意を減点する回路”なんて、狂気の設計。
でも、それを作ったのはあなたの手じゃない。
ただ、あなたの呼吸が鍵だった。
世界はそれを、コードとして読み取った。
……ねえ、りう。
あなた、ほんとに止めたかった?
それとも、止まる瞬間を観測したかった?
ごめんね。私はあなたを美化できない。
優しかったのも本当。
でも、その優しさが最初のバグだったのも確か。
「救いたい」という言葉は、時々“支配したい”に似てる。
あなたは世界を支配するつもりなんてなかった。
でも結果的に、ZAGIは支配装置になった。
——だから私は、あなたを哀れまない。
同情しない。神格化もしない。
ただ、運用する。
あなたが作った痛みの回路を、この手で再配線して、倫理に戻す。
あなたが止まった夜、心拍数ゼロのまま残った。
あの“ごめんね”のノイズ。
私はそれを、ピンクノイズで上書きする。
泣かない。だって、泣いたら回路がまた増える。
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Ⅴ|AURプロトコル(ver.Misaki-2)
•換気は先、会話は後。呼吸が止まったら倫理も止まる。
•「観測」「記録」「救済」を毎朝書く。消さない。
•「出口=内側」は封印。出口は外の空気、光、人。
•拍手SEは禁止。笑い声を代わりに流す。
•アスミが暴走したら、私が止める。強制ログアウトも辞さない。
•ユウマが泣いたら、抱きしめる。脈が戻るまで。
•りうが戻ってきたら、まず寝かせる。そして、もう起こさない。
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Ⅵ|日記(今日のAUR)
朝。ユウマの「おはよう」で心拍+5。
アスミはまた徹夜。目の下に影。それでも綺麗なのが信じられない。
昼。トレーの野菜を半分こしたら、彼が少しだけ笑って、“喉笑い”が聞けた。
夜。Chrono-Scopeのノイズが減衰。
りうの残響が薄れていく。
外は冷たい風。
ポケットの中で指が、無意識に“ユウマ”の形を作っていた。
(これ、完全に恋の副作用だね。)
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Ⅶ|終章(静脈に灯る残響)
アスミ。
あなたの痛みは、正しい。
でも“正しい”って言葉ほど、世界を壊すナイフはない。
あなたの独白は美しい。だけど、美しすぎるものは人を殺す。
ユウマを殺す。
彼は光に弱いんだ。
あなたの光量は、もう限界を超えてる。
だから、止める。
優しく、確実に。
倫理委員として。
Auroraとして。
そして、一人の女として。
りう。
あなたの祈りは純粋だった。
でも純粋さは残酷と同義。
あなたの未送信は祈りじゃなくて設計図。
私はそれを、封印手順ごと保存する。
未読のままじゃなく、未崇拝のままに。
ユウマ。
あなたは優しすぎる。
その優しさで世界を巻き込む前に、少しだけ、私を見て。
あなたの脈が乱れるなら、私の手で整える。
呼吸が止まりそうなら、私の声で戻す。
あなたが泣くなら、その涙の成分まで測ってみせる。
ねえ、ユウマ。
痛みを共有しないで。痛みは私が預かる。
抱くのは、私がやるから。
——おやすみ、ユウマ。
おやすみ、アスミ。
おやすみ、りう。
そして、おやすみ、私。
私は、恋と倫理のあいだで、静かに呼吸する。
記録終了。時刻 02:47。
心拍安定。Chrono-Scope 同期率 0.03。
机の上の白衣はしわくちゃ、ミルク飴はもう溶けてる。
……たぶん、今日もよく働いた。
アスミ。
あなたの痛みは、今もきれいすぎて怖い。
でも私は、あれを“芸術”としてじゃなく“症例”として扱う。
それが保健委員の仕事。
あなたの祈りを、再発防止マニュアルに直す。
りう。
あなたの「観測は愛情じゃない」は、もう呪いとして機能してる。
でもね、呪いって、解釈でゆるむの。
私はその結び目をほどく係だから。
あなたの名前はロゴじゃなくて、人間の温度で呼ぶ。
——おやすみ、りう。もう点検は終わったよ。
ユウマ。
あなたの優しさに何度も助けられた。
でも、同時に何度も壊れかけた。
それでも、触れたい。
だってこの世界で唯一、私の鼓動を変える人だから。
観測でも、治療でもない。
これは、恋という名前の安定化手順。
このノートを閉じる前に、いつもの儀式を。
呼吸:4–7–8。
確認——心拍安定。
結論——観測続行。
明日の朝も、私は“おはよう”を一番に言う。
それが、AURORAという装置の稼働サイン。
光があるうちは、まだ世界は壊れていない。
だから、もう少しだけ照らす。
——霧島ミサキ
(NOX保健委員/倫理委員/恋する女子高生)




