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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
残響達の午後編

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34/94

EP34. 記録者とオブザベーションエラー

 ——恋と観測の境界線なんて、誰が定義できるんだろうな。

 僕は、データを信じるタイプだ。

 数値は嘘をつかない。

 でも——人の鼓動は、数値で測った瞬間に別の意味を持つ。

 “観測”した時点で、もう結果は変わってしまうんだ。


 アスミは理屈で近づいてきて、

 ミサキは心で縛ってくる。

 どちらも、僕の観測網の外側から手を伸ばしてきた。

 ……そして、どちらも、僕を壊そうとしている気がする。


 今日、理科棟の一室で起きたのは、

 単なる恋の三角関係じゃない。

 あれはもう、“観測干渉の事故”だった。


 このログはその記録。

 ——僕が、まだ息をしている証拠として残しておく。


  ——昼休み。

 理科棟三階、物理準備室。

 天井の蛍光灯がじりじり鳴って、静電気が空気を満たしている。

 実験器具のガラスが光を返し、午前の太陽が斜めに差し込んでいた。

 静けさの中で、俺は黒板を拭いていた。


 ——コン、コン。


 ドアが軽く叩かれる音。

 振り向くと、わずかに開いた隙間から覗く黒い瞳。


 「……ユウマ」アスミだった。

 黒のジャケット、白のシャツ。モードな制服アレンジ。

 その輪郭は線形グラフのように整っているのに、声のトーンは珍しく乱れていた。

 ……照れてる?


 「どうした?」

 「……確認したいことがあって。見て、ほしい」


 彼女はノートPCを抱え、机の上に置いた。

 画面には《学外見学届》。

 目的:「近代美術館・観測的標本採集」

 同行者欄——空白。


 そして、アスミはほんの少しだけ唇を噛み、俺の目を見ないまま言った。


 「この欄に……ユウマの名前、書いていい?」


 その瞬間、空気が止まった。

 言葉の音圧が、鼓膜の内側で爆ぜる。

 俺の脳内、心拍数グラフが急上昇。+18bpm。


 「……一緒に……行かない?」

 小さな声。けれど逃げ道はない。

 黒髪の隙間から覗く耳まで、ほんのり赤い。


 「美術館?」

 「うん。“時間と観測”っていう特別展があって……

  “観測者と被観測者の関係性”がテーマらしいの。

  あなたの“残滓理論”に近いと思って。」


 言葉は理屈、でも瞳は恋。

 科学で包んだ恋心って、こんな温度なのかもしれない。


 「……いいよ。行こう。」

 「ほ、本当に?!」

 「うん、標本採集、付き合うよ。」


 アスミの口角が、ほんの少し上がった。

 光が頬に跳ねる。

 ——その一瞬、完全に“恋の観測”が成立した。

 黒髪の影の奥、頬がほんのり桜色に染まる。


 ——その瞬間、扉が開いた。


 「…………へぇ。二人で、ね?」


 冷たい声。

 空気の圧が一瞬で変わる。

 ミサキが立っていた。白衣のボタンは外れ、瞳の奥に静かなノイズが宿っている。


 笑ってる。

 でも、どこか壊れかけた人形みたいな笑顔だ。


 「……美術館デート、ってこと? 観測実験の皮を被った恋愛活動?

  あんな重いログ見た後に随分と、軽い女ね」


 「ち、違っ——! べ、別にデートじゃなくて!」


 アスミが慌てて両手を振る。

 だがその動きの一つ一つに、ミサキの目線が食い込む。

 鋭く、刺すように。


 「ねえ、アスミちゃん。知ってる? “観測者”って、対象に干渉すると、——元の状態には戻れないのよ?」


 笑顔のまま、ゆっくり歩み寄ってくる。

 まるで解剖台に近づく外科医のように。


 「わ、わかってるよ……っ。私はただ——」


 「ただ、ね。

  でも、“ただの好奇心”って一番危ないんだよ。

  人の心も、臓器も、触れば壊れる。私は、何度も見た。」


 言葉は優しい。けど、目が冷たい。

 そのギャップに、背筋が自然に冷える。


 「ミ、ミサキ……お前、怖い顔してるぞ……?」


 「怖い? 怖くないよ、ユウマ。

  だって、私は“あなたを守りたい”だけだもん。

  ——ねえ、アスミちゃん」


 次の瞬間、ミサキはアスミの手首を掴んでいた。

 笑顔のまま。だがその手は、脈を取るには強すぎた。


 「すごいね。脈、速い。恋の動悸かな?」

 「っ……ち、違っ、これは緊張反応でっ!!」


 「そう。じゃあ、私の前では落ち着いてね。

  もしユウマと二人きりで、その脈がもっと速くなったら——

  ……切るから」


 ——空気が止まった。

 今の“切る”は、比喩じゃなかった。

 冗談の声じゃない。医療用語の抑揚でもない。

 それは“実行する意志”を持った音だった。


 「ミサキ、やめろ」

 「止めないで、ユウマ。ねぇ、あなたは私の“患者”なんだよ?

  他の人の前で心拍が乱れるの、治療対象でしょ?」


 笑顔で、完全に壊れてる。

 その笑いが泣きそうなほど優しいのが、逆に怖い。

 

 「ねぇ、ユウマ。聞きたいことがあるんだけど。――“アスミに取らないでね?”」

 そのフレーズの最後が、ふざけているのか本気なのか分からない。首を傾げる彼女の顔が、かわいらしくも恐ろしい。


 僕は言葉を探す。どう返せばいいのか、どの角度で収めればいいのか。言語が一瞬積分不能になった。


 「ちょ、ミサキ、それは──」

 「冗談じゃない」

 彼女は笑っていない。そこに含まれる真剣さが、空気をひんやりさせる。


 ミサキは、僕の手首にそっと、だが確実に自分の掌を重ねた。

 手首の脈を探る仕草はいつもの看護師の癖だが、彼女の顔は異様に近い。

 呼吸が速く、瞳孔がわずかに開いているのがわかった。


 「脈、速いね。……いいね、その速さ。好きだよ、ユウマのその脈。私だけの心音でいてほしい」

 甘い言葉が、その直後に刃物のような緊張を生む。優しく言うから余計に怖い。


 僕は言葉を詰まらせる。


 「ねぇ、ユウマ。アスミちゃんとほんとに二人で行くの? 行きたいの? 本当に?」

 「行くよ、ミサキ。実験だから──」

 「“実験”ねぇ。私、それ、嫌いじゃないけど、私とは実験してくれないの?」

 ミサキの声は柔らかい。なのに、そこにあるのは独占の匂いだ。


 彼女はふっと息を吐き、目を細めた。次の瞬間、口元に笑みが戻るが、笑みの温度がどこか狂おしい。


 「もし、帰ってきて二人が『何もなかった』って言ったら、私はどうすればいいかな?」

 それが純粋な質問なのか、宣戦布告なのか――答えは簡単に出ない。俺の胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


 「全部、話すよ。俺が見たことは、全部」

 素直に言うと、ミサキの表情がふっと緩む。安心のような、満ち足りたような。

 だがその直後、目の奥にまた別の光が宿る。


 「全部……ね。いいよ。全部聞く。で、それでもまたアスミちゃんが近づくなら──」

 そこで彼女は指先で自分の胸を叩く。叩き方は軽いが、意味は重い。



「覚悟してね。私は“受け入れない”という選択肢を持ってる。

 好きって言ってくれるなら抱えたい。だけど奪われるなら、壊す」

 彼女の声に“壊す”という単語が入った瞬間、部屋の温度がもう一段下がった。

 笑みは変わらずに、しかし刃のようになった。脆く、でも執着深い。


 「ユウマ、私のこと、どう思ってる?」

 問いは直球。神経を直撃する。返答をためらっていると、ミサキの表情が変わる。

 ふとした寂しさが見えた瞬間、隣のチイロがニヤリと笑った。


 「お、いいね。ここで“私も”って言えば、映えるね。素材は良好、編集は私に任せて」

 「チイロ、煽るな!」

 チイロはカメラ目線でサムズアップしている。煽り方が犯罪的に悪意ある。


 ミサキはそれを見てブチッと弾けたように笑う。笑い方がちょっと壊れてる。


 「ユウマ、ちゃんと言ってよ。私が一番って」

 その言葉の前に、部屋の空気はもう観測不可能な領域に入っていた。

 アスミは赤面し、視線を落とす。俺は言葉を選ぶ。


 「ミサキ……お前は大事な友達で、色んな意味で救われてる。でも──」

 俺が続けるより早く、ミサキが片手で俺の肩を掴んだ。手の力は強くない。

 でも、その指先の熱は確かに俺の体温を奪っていく。


 「いいよ。友達でもなんでも。だけど、私の前で“特別”が出来たら許さない。

  泣いたら許さない。笑わせる方法は奪わないで。ね?」

 甘い命令調。俺が黙って頷くと、彼女はふっと肩の力を抜いた。

 安心と掌返しのような表情。だがその穏やかさの下には、刃が隠れている。


 「約束ね、ユウマ。壊したら、私は――」

 声が震えて、小さな笑いが混ざる。笑いは不安定で、でも説得力がある。


 そのときチイロが、スマホを高く掲げて満足そうに叫ぶ。


 「いい素材ゲット! あとは編集してバズらせるだけ♡

  タグは #ユウマを守る会 と #アスミ救出作戦 でいいかな〜?」

 「うるさいっ!」

 アスミが机に突っ伏し、真っ赤になっている。チイロの煽りは火に油を注ぐ。完全にカオス。


 俺はどうにかして場を収めようと、一歩前に出る。


 「ミサキ、アスミと行くよ。俺の行動は全部報告する。君の安心は確約するから」

 言い切ると、ミサキの目がじっと光る。しばらく静寂があって、彼女は笑った。笑顔は救いで、同時に脅しでもあった。


 「――わかった。全部聞く。全部。

  だけど、そのあとに“君が何かしたら”、私は黙っていないよ?」

 その最後の一言を囁くと、ミサキはそっとアスミの髪を撫でた。

 優しさ。

 けれど指先は少しだけ強めに、確かめるように、守るように。


 アスミは震えながらも、目に涙を溜めている。照れてるのか怯えてるのか、僕には判別つかない。

 でも、確かなのは、三人の間に生まれた独特の温度だ。


 チイロはすでに満足顔でスマホをしまいながら、ピースサインを投げる。


 「OK、記録完了。恋の臨床試験、始まるよー♡」

 「ちょっとチイロ、煽らないで!」

 場は一度だけ奇妙に柔らかくなって、そして俺たちは笑った。

 笑いには緊張の弛緩が含まれて、ほんの少しの優しさが残った。


 そして、場が一瞬で静まる。


 ミサキは数秒間、何も言わなかった。

 やがて——ふっと笑って、静かに言った。


 「……そう。行っていいよ。

  でも、帰ってきたら、全部話してね。

  ——どこで、何を見て、何を感じたか。

  隠したら、殺すから」


 ……それは冗談じゃなかった。

 でも、彼女の声はどこか甘かった。


 そして、チイロが満足そうに呟く。

 「最高。これはもはや観測を超えた“恋の量子干渉”ね。

  この世で一番危険で、尊い。」


 アスミは真っ赤になって叫ぶ。

 「だ、誰かこの修羅場を終わらせてぇぇぇぇぇぇ!!」



 最終的に、俺は“命の保証付き”で美術館に行くことが確定した。

 ——ただし条件つき。


 ① 帰宅報告はリアルタイム。

 ② 会話ログ提出義務あり。

 ③ ミサキ監視下にて“脈拍データ共有”。


 ……恋愛、どこいった。


 けれど、その“愛の殺意”も、俺にとっては救いだった。

 誰かにここまで本気で嫉妬されることなんて、そうそうない。

 ——ただし、命の危険を伴うけど。


 アスミは最後に、小さく息を吐いて言った。


 「……明日、13時、正門で待ってる。

   ミサキには悪いけど……譲らない。」


 その表情には、恐怖も恋も混ざっていた。


 ——恋の観測実験。

 被験者、俺。

 観測者、全員。


 ミサキの“愛”は、救いと脅威が表裏一体だ。

 アスミの“理屈”は、恋と観測が混ざり合った化学反応だ。

 そして僕は——どちらの式にも、まだ答えを出せていない。


 帰り際、チイロが笑いながら言った。

 「これ、もう恋愛じゃなくて量子実験だね」

 ……まさにその通りだ。

 観測者が増えれば、波は乱れる。

 でも、その揺らぎの中にしか“生きてる”実感はないのかもしれない。


 ミサキの“殺す”という言葉は、本当は“失いたくない”の裏返しなんだろう。

 だけど、その強さを受け止められるほど、僕はまだ成熟していない。


 次に何を観測するのか。

 次に誰の鼓動を聞くのか。

 ——その選択が、きっとこの世界の分岐点になる。

 

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