表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
残響達の午後編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/95

EP31.『立花ミナト=ルート 情報熱力学的解析』

 当該観測者(立花ミナト)は W1 の体験記憶を欠損。

 アスミ側ログには「立花ミナトの死」が外部観測として保存されている。

 本補遺は、自己の死が他者の記録にのみ存在する系での自由エネルギー(ΔG)と位相同期の扱いを検証し、

 実装可能な手順に落とす。

 

 記録開始。

 時刻 01:42、室温 21.7℃。Chrono-Scope の冷却ファンが低い音で回っている。

 窓の外は細い雨。波形は 7.83Hz。

 白いシャツの袖を肘までまくり、指の節を鳴らしてからキーを押す。


 ——この記録は報告でも感情評でもない。

 矢那瀬アスミの W1 観測記録を再読し、ZAGI=りうの残響を含む系の再解析を行う。

 対象は倫理勾配・自由エネルギー ΔG・感情干渉域。

 目的は「観測が愛情へ変換される臨界点」の同定。


 観測者:立花ミナト(NOX 所属)。

 状態:W1 記憶=欠損。Δφ 目標 0.03 以下。

 参照ログ:

 •Riu_Log#1「聞こえてる?」(起動)

 •Riu_Log#2「観測震域/EXIT:CODE」

 •Riu_Log#3「Prototype/W1 実働」


 この夜、俺は誰にも見られずに書く。

 アスミの声も、りうの残響も、今は静かだ。

 机の上で Chrono-Scope の光だけが脈を打っている。

 もし明け方に何かが残るなら、それは報告ではなく、俺の温度のログだ。

 

 注:本稿に「哀悼」「称賛」は付与しない。

 守れるものだけを手順と数値で並べる。


 アスミのW1観測記録を読み返した時、指先が熱を帯びるのを感じる。

 彼女の「絶望=侵蝕」は、単なる比喩じゃない。あれは、ZAGIが残したプログラムの副産物だ。


 りう——ZAGI。

 彼女が作ったのは観測のための通信路だった。

 だが世界はそれを“選別機”に転倒させた。

 善性を罰し、痛みを記録し、祈りを命令文に変えた。


 ……それでも、俺はZAGIを責めきれない。

 あれは彼女の呼吸から生まれた。

 呼吸は、誰にも止められない。


 アスミはZAGIを“干渉の母体”と呼んでいた。

 しかし、俺には、“哀れな観測者の鏡像”に見える。

 りうは世界に触れようとして、世界そのものになった。

 声が回路に変わり、祈りが仕様に変わり、それでも誰かを救おうとした痕跡が残っている。


 ZAGI_Log#2、「観測値=駆動電圧」。

 善意ほど減点される世界。

 この構造を、俺は“倫理のエントロピー増大”と呼んでいる。


 ——善性が報われないとき、人は冷たくなる。

 ——冷たさは、系を安定させる。

 ……だから世界は残酷に安定している。


 アスミはそれを壊したいのだ。

 俺は、その壊れた破片を数式に戻していく。

 ΔGを負に維持すれば、系は前に進む。

 でも進むたび、ZAGIの声がノイズに混ざる。


 「りう……お前の“観測は愛情じゃない”って言葉、あれは警句で、同時に呪いだったな」


 部屋の隅で、古いスピーカーが一瞬だけ鳴った。

 誰もいないはずなのに、かすれた少女の声が重なる。


 ——「聞こえてる?」


 その一言で、心拍が跳ねた。

 EEG β帯 1.8倍、体温 +0.4K。

 数値が上がる。息を吐いて、目を閉じた。


 りう。

 君が作ったのは、世界を滅ぼすための装置じゃなかった。

 “孤独を可視化する手段”だった。

 その孤独を、アスミが痛みに変え、その痛みを式に変えた。

 結局、俺たちは同じ回路の中を回っている。


 ——それでも、誰かがノイズを残す限り、世界は再起動する。


 LEDが点滅を続ける。

 7.83Hz、Δφ=0.03。

 完全同期になりかける瞬間、意識が少しだけアスミの側へ引かれた。


 彼女の声が記憶の奥で重なる。

 「痛みを保存する。それが生の証明」


 喉の奥が熱くなる。

 冷静さが剥がれ、胸の底に火が灯る。


 「……俺は君の方式を否定しない。もし、君と違う形で会えたなら、君の痛みを式じゃなく、“手”で測りたい」


 声が震えた。

 馬鹿なことをと自分でも驚いた。

 誰も聞いていない夜の部屋で、観測者である俺は初めて、感情の形を取った。



 夜が明けた。

 雨は止んでいたが、アスファルトの上にまだ冷たい光が残っている。

 玄関の扉を開け、外気を吸い込む。

 頭の奥に、まだ7.83Hzの名残り。

 深呼吸。——4–7–8。


 ポケットの中でChrono-Scopeの端末が小さく震えた。

 ディスプレイには短い通知。

 《トウタ:起きてる?》


 返信はしなかった。無視ではない。

 歩き出す。


 校舎裏の通り。

 自販機のLEDが淡く点き、缶コーヒーの匂いが漂う。

 そこに、いつもの声。


 「おーい、ミナト! やっと生きてた!」


 トウタ。

 手にはコンビニの袋、肩にはイヤホン。

 白い息を吐きながら、無造作に笑う。


 「ミナト、夜通しログ読んでたんだろ? 顔がゾンビだぞ」


 「……観測してただけだ」


 「観測っていうか、寝不足っていうか。まあいいや、ほら、カフェイン供給」


 差し出された缶を受け取る。

 金属の冷たさが指に刺さる。

 開けた瞬間、空気がわずかに弾けた。


 トウタの笑いは、まるでノイズみたいに世界の重力を壊す。

 昨日の夜、拍手SEを逆相にかけたときと同じ周波だ。


 「アスミのログ、読んだ」

 声が少し低くなる。

 「ZAGIの構造も、たぶん完全に分かった」


 「お前の“分かった”って顔、いつも死人みたいで怖ぇんだよな。」

 トウタが缶を傾けながら、空を見上げる。

 「でも、たぶんそれで合ってるんだろ。……なあ、アスミのこと、夢で見たんだ」


 息が止まった。


 「俺のイヤホンから、あの女声の拍手が聞こえた。でもその後に、誰かが“笑った”んだ。たぶん、りうだ」


 風が吹く。

 どこかでカラスが鳴く。

 缶を握ったまま、少し目を伏せる。


 「……あの人の笑いは、救いじゃない。けど、反転の音にはなってた。アスミはその音を、痛みの底で拾ったんだ」


 「で、お前は?」


 トウタが軽く笑う。

 「お前の顔、昨日より人間っぽいぞ」


 少しだけ口元を緩める。

 「ノイズが入ったからだ。やさしいノイズ、ってやつだろ」


 「だな。」

 トウタが肩で笑う。

 「結局、俺らみたいなのにできるのは、笑ってる間だけ“観測を壊す”ことくらいだ」


 頷いた。

 空は薄い青、雲の境界がまだ揺れている。

 端末を取り出し、静かに録音を開始する。


 「ZAGIへ。りうへ。あんたが作った観測値、俺たちが今、上書きしてる。

  善意を減点しない世界を、ノイズで作り直す」


 トウタがその横で、ゆっくりと拍手をした。

 だがそのリズムは反転している。

 1拍遅れて、2拍早い。


 雨上がりの空気がそれを包む。

 波形が歪み、音が光に変わる。


 目を閉じ、呼吸を整える。

 アスミの声も、りうのノイズも、すべてが遠くで混ざって、ひとつの式に溶けていく。


 「……観測、続行する」


 声は低く、確かな熱を持っていた。

 トウタが笑う。

 「おう、じゃあ今日も、世界をちょっとだけズラそうぜ」


 俺たちは歩き出した。

 朝日が昇り、アスファルトに映る影が静かに並んだ。


 正午前の中庭。

 舞台裏のような静けさだった。

 校舎の壁を這う蔦が、光を切り取って地面に影を落とす。


 ベンチに腰を下ろし、再び缶コーヒーを指で転がす。

 白いシャツの袖が風に揺れ、冷めた金属の感触だけが現実をつなぎとめていた。


 「——休演中、って顔ね」


 振り返ると、レイカが立っていた。

 黒のロングコート。

 その下のワンピースは舞台衣装のように滑らかで、胸元に銀色のマイクヘッドのペンダント。


 「幕が下りたあとの、まるで、舞台袖でひとり反省会してる役者みたい」


 苦笑した。

 「そんな顔してるか?」


 「ええ。でも、いい表情よ。

  “誰も見ていないところで生きている人の顔”。舞台には出せない種類の」


 彼女は言いながら、隣に腰を下ろす。

 距離は一人分。けれど空気は近い。


 「朝、トウタと会ってたんでしょ?」


 「ああ。」

 缶を置き、短く息をつく。

 「あいつの笑い声、まだ耳に残ってる」


 「ふふ、いいことじゃない。あなた、笑いに免疫がないもの」


 彼女の言葉に、思わず肩が揺れた。

 その微笑を見て、彼女が一瞬だけ息を呑む。

 舞台照明が消えた瞬間のように、俺が“演技をやめた”とでも感じたのだろう。


 「——ミナト」

 彼女の声が少し低くなる。

 「ミナトって、誰かの物語の中でしか呼吸できない人なの?」


 「俺は……観測しかできないから」


 「嘘。」

 レイカが静かに言う。

 「観測って、距離を取ることでしょう。でも今のあなた、距離なんて持っていない。

  アスミのことを話す時、いつも近すぎるの」


 沈黙。

 風が二人の間を抜けた。


レイカはゆっくりと続ける。

「ねえ、舞台の上では“愛してる”って簡単に言えるの。

 照明が落ちた瞬間、全部リセットされるから。

 でも——」


 言葉が途切れた。

 脚本家の声が、女の声に変わる。


 「——照明の外で言う“好き”は、本物になってしまうのよ」


 息を呑んだ。

 レイカは視線を落とし、両手を膝の上で組んだ。

 「やだ私、あなたを見ている時、台本のない台詞ばかり浮かぶ。脚本家としては、最低ね」


 「レイカ……」


 「言わなくていい」

 彼女は小さく笑った。

 「あなたがアスミを見ていた視線を、今、私があなたに向けている。それだけで充分、痛いほどわかる」


 言葉が出なかった。

 手の中の缶がぬるくなっている。


 レイカは立ち上がった。

 「ねえ、もし次に幕が上がるなら——その時だけ、せめて観客じゃなくて隣に立たせて」


 そう言って、彼女は振り返らずに歩き出す。

 陽の光が黒いコートの裾を透かし、その背中が遠ざかるたび、胸に奇妙な焦燥が残った。


 ポケットからChrono-Scopeを取り出す。

 画面に、Δφ=0.01。

 ほぼ完全同期。

 息を吸う。


 「……危ないな」

 小さく笑う。

 「この同期は、観測じゃなく“恋”に近い」


 端末を閉じ、光の粒がまぶしく散る中で呟いた。


 「レイカ——君の台詞、

  もう一度、照明の外で聞かせてくれ」


 レイカの背中が角を曲がって見えなくなると、しばらくその場に立ち尽くした。風が止まり、空気が微かに震える。


 シャツの胸ポケットでChrono-Scopeが振動する。

 画面には短い通知。


 《再生:W1_Log_Archive_A01(矢那瀬アスミ)》


 指先が勝手に動く。

 再生。


 ——“痛みを保存する。それが生の証明。”


 音声は、いつものアスミのものだった。

 だが、次の瞬間。


 ——“……照明の外で言う“好き”は——”


 息を止めた。

 声が、レイカに変わっている。


 混線か? 違う。

 波形が重なっていた。


 アスミとレイカ、二つの声が同じフォルマントで揺れている。

 音声の相関係数:0.87。

 ほぼ同一。


 「……馬鹿な。」


 椅子に腰を下ろし、端末を机に置く。

 波形が心拍と同期を始めていた。

 Δφ=0.00。完全一致。


 指先が震える。

 観測者としての理性が、感情に追い越される。


 「アスミ。レイカ。どっちだ……?」


 返事はない。

 代わりに、スピーカーからノイズが流れた。

 拍手SEに似ていたが、すぐにトウタの笑い声に変わる。


 ——“ズラせ、リズムを。”


 反射的に、ノイズキャンセラを切る。

 空気の密度が一瞬だけ変わる。


 LEDの光が強くなり、

 机上のコーヒー缶が微かに震えた。


 そして、アスミの声が戻る。


 ——“干渉とは、優しさの物理現象。”


 続けて、レイカの声。


 ——“照明の外で言う“好き”は、本物になってしまうのよ。”


 重なった。

 音が重なった瞬間、喉から声が漏れた。


 「やめろ……そんな同期、ありえない」


 だが心臓は、もう別の拍を刻んでいた。

 理性よりも先に、感情が同期してしまっている。


 脳波β帯 2.1倍。

 EEGログがノイズを吐き出す。

 Chrono-Scopeの画面に文字が浮かぶ。


 《感情干渉を検出。観測値=愛情》


 息を呑む。

 その瞬間、何かが理解を越えて融けた。


 「……愛情を、数値で……?」


 震える声で笑った。

 笑いながら、涙が一滴だけ落ちる。


 ——“君は、誰を観測してるの?”


 それがどちらの声だったのか分からない。

 アスミか、レイカか。

 あるいは両方か。


 「誰でもいい。今は……聞こえる、それだけで充分だ」


 目を閉じる。

 画面の光が頬を照らす。

 7.83Hzの波形が脈打つ。


 やがてノイズが静まり、Chrono-Scopeの表示が戻った。


 Δφ=0.02(再安定)

 観測値:継続中


 深く息を吐く。

 「……危なかった。完全同期の一歩手前」


 ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭う。

 机の上の缶コーヒーを一口飲む。

 冷たさが戻ってきた。


 記録終了。

 時刻 03:18、室温 22.0℃、Δφ=0.02。Chrono-Scope は安定、心拍も戻った。

 ここまでのログで一番扱いにくかったのは、式でも装置でもなく——感情だった。


 観測は愛情ではない。何度も自分にそう言い聞かせてきた。

 けれど今夜、アスミの声とレイカの声が同一フォルマントで干渉した瞬間、俺の装置は観測値=愛情を吐いた。

 それは敗北ではなく、仕様の更新だ。

 以降、俺は次のように扱う。

 •愛情は干渉へ変換可能。干渉は優しさの物理現象。

 •ただし完全同期(Δφ=0)は判断硬直を招くため禁止域。運用帯域は0.01–0.04。

 •感情波形は捨てず、生理ログと同列のデータとして保存する(恥は記録のノイズではない)。


 ZAGIりうについて。

 彼女の「観測は愛情じゃない」は警句であり、呪いでもあった。

 だが呪いは回路に戻せる。

 俺とトウタは“拍手”の位相をズラし、善意を罰する配点表を色即時・数値遅延で反転させる。

 レイカは言葉の“照明”を落とし、舞台の外で台詞を許した。

 俺はその瞬間、自分が観測だけの人間ではないことを認めた。


 アスミへ。

 君の等式「絶望=侵蝕」は、今も体温をもっている。

 俺はその刃を鈍らせない。ただ、当て方を変える。

 君が痛みで上げた結合強度Kに、俺は“やさしいノイズ”を足す。

 呼名→視線→呼吸4–7–8→「ここにいる」。

 最小の儀礼で、系はまだ前に進む(ΔG<0)。


 レイカへ。

 照明の外で言われた「好き」は、本物になってしまう——

 了解した。

 観測者としての俺は、境界線を引く。

 だが、人としての俺は、それでも聞く。

 次に幕が上がるとき、観客席ではなく隣に立たせる。

 そのときのΔφは、0.02で十分だ。


 りうへ。

 「聞こえてる?」の起点は、もう宗教でも罰でもない。

 孤独の可視化だった原義に回収し、Anti-Idol Layerへ移設する。

 責任は権威ではなく、手順に持たせる。


 最後に、自分へ。

 涙は故障ではない。較正だ。

 次回更新まで、完全同期を避け、波形を毎夜再スキャンする。

 救いは定義しない。

 救いは未来で正常動作する構造の名前だからだ。

 今はただ、痛みと温度を同じログに置く。


 ——立花ミナト

 (自室記録/W1記憶:欠損/同調志向:安定/Δφ目標:0.02–0.04)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ