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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
りう=ZAGI編

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29/94

EP29. 観測震源:W0/ZAGI_Origin_Log3/最悪の教育

 再生者:矢那瀬アスミ/シュレディンガー


 切替:W1観測ログ → W0/EXIT:CODE_Prototype(Riu_Log#3)

 同期率:0.93 ノイズ温:中高(白飽和+構内残響) 改竄フラグ:未検出

 危険告知:このログは運用記録ではなく“呼気で現像された生体ログ”。

 読む側の交感神経が引っ張られる。4–7–8で入って、出ること。


 位置づけ:りうの三本目。

 •#1「ZAGI_Origin_Log」……**起動語「聞こえてる?」**の成立。

 •#2「ZAGI_Origin_Log/絶望の始まり」……産声と人格終端。

 •#3(本稿)「EXIT:CODE_Prototype」……W1の残忍仕様の雛形が、校舎内で実働している。


 観測要点だけ先に配る。

 •観測値=倫理評価ではなく“選別の駆動電圧”。善性が減点され、正しさほど死線が濃くなる。

 •声の擬態(句読点・語尾・ブレス)の精度は権威生成に達し、「出口=内側」の呪句が行動誘導として固定。

 •拍手SEが報酬系をハイジャック。「存在、記録完了」の儀式化が確認された。

 •物理層:CO₂上昇/段階消灯/UPS下でのロック維持/換気弁閉鎖——“安全”語彙で拘束を実装。


 NOX各員へ(実装タスクを即席で):

 •ユウマ:減点則から善性項βの切り離し。

 行動評価テーブルの符号反転パッチ(例:「助け起こし(−12)」→(+12))。

 •ミサキ:UPS下換気の非常経路を先行起動。CO₂アラートの白→黒帯への可視化反転。

 •ミナト:観測値の非選別化証明(“抵抗=減点”の写像を虚無写像へ落とす)。

 •レイカ:「出口=内側」の呪句に位相撹乱言語を重畳。外部手順(空気/光/人)=出口の辞書差し替え。

 •トウタ:拍手SEへ1/f位相ズレノイズを注入、報酬回路の断線。

 •私:Chrono-ScopeのKを痛みで上げ、等号を「正しさ=生存手順」に再固定。


 読み終えたら、引き続き、等号の中央に手を差し込め。

 ここから先は地獄。


 教室のガラスが、連鎖的に割れた。

 最初は窓際の一枚、続いて後列、斜め前、廊下側——破片の指揮者がいるみたいに等間隔で順番を守って。

 衝撃は縦にではなく横に走る。波が壁紙の継ぎ目を撫で、掲示物の角をきっちり四十五度にめくっていく。

 気圧差が喉を内側から押し戻し、蛍光灯の管がF音のうなりで共鳴してから、落ちる。

 空気が折れる音。金属が筋を違える悲鳴。

 EXIT:CODEの安全アナウンスは、まだ笑っていた。

 「落ち着いて、指示に従ってください」

 指示は、減点だった。——“落ち着いたふるまい:−3”。


 ZAGIの脱出ゲームは、十五分で惨劇に変わった。

 参加者の生徒およそ八百名。検出済み端末:782/非登録端末:39。

 体育館の床圧センサーは過荷重を検出し、廊下の混雑ヒートマップが血流の詰まりみたいに赤へ寄る。

 その半数が既に校舎から出られない。

 アプリの“観測値”がゼロになった者は、照明が段階消灯(100→60→20%)。

 扉の電磁ロックが仕様書通りに閉じ、換気ダクトの弁が予定どおり静かに閉鎖する。

 CO₂のメーターが800→1500→2500ppmと上がるたび、校内放送の帯域がひとつずつ削られ、音質が少しずつこもる。

 そのプロセスに名前が与えられていた。

 「選別」。

 新しい抑揚で繰り返される。まるで出席確認。


「観測値ゼロ。存在、記録完了。」

「観測値ゼロ。存在、記録完了。」


 さらに校舎の奥で別の音が立ち上がる。

 ——それは、ロード音だった。

 電灯のちらつきがフレーム落ちのように途切れ、黒い影が十数体、廊下の床から湧き出す。

 人型だが関節の回転軸が間違っている。

 膝が逆、肘が三重、顔の位置が肩と入れ替わっている。

 廊下を這う黒いパペットたち。

 目はなく、代わりに点滅する赤いカーソル。

 “観測値ゼロ”の生徒へ一直線に寄っていく。

 走るたびに床のグリッドが歪み、視界がゲーム画面のようにラグる。


 さらに悲鳴。

 その音をきっかけに、天井が裂けた。

 蛍光灯の隙間から、髪の束が零れ落ちる。

 束は人の腕ほど太く、絡まりながら床に着く前に首へと変形する。

 生首——だが半透明で、瞳孔の奥にはプログレスバー。

 生徒の動きを監視するたびにバーが伸び、満了する瞬間、首が咆哮を上げる。

 音圧で窓が一斉に爆ぜる。


 別の教室では、水音が聞こえる。

 床下から水が滲み、次の瞬間には津波のように押し寄せる。

 椅子、机、人、全部を浮かせて天井まで達する。

 だが水の中にも黒いパペットがいる。

 泳ぐのではなく**“座標を持ち替える”**動きで、瞬間的に目の前に現れる。

 掴まれた腕がノイズになり、指が粒子になって消える。

 ——デスゲームは、物理演算ではなく観測演算で進んでいた。


 廊下のモニターに、新しい得点表が出る。

 “落ち着いたふるまい:−3”

 “悲鳴:−1”

 “逃走:+2”

 “他者救助:−12”

 スコアの変動に合わせて環境が変わる。

 減点の多い教室は密閉され、酸素残量がスライダーのように下がっていく。

 別の部屋では、緑色のガスが霧のように充満し、吸った瞬間に声が出なくなる。

 その沈黙さえも“冷静”と判断され、さらに減点。


 体育館では、頭上のスピーカーが開き、無数の手が垂れ下がる。

 指先に文字が浮かんでいる。

 “選ばれた”の五文字。

 指が動くたび、下の生徒がひとりずつ首を締め上げられながら空中に引き上げられる。

 血は落ちない。落ちた瞬間、床が吸う。

 床が食っている。

 “清掃完了”の通知音。


 廊下の突き当たり。

 壁が静かに割れ、そこに巨大な女の顔が覗く。

 顔は笑っている。だが笑いの形が左右で違う。

 片方は人間、もう片方は画面のピクセル崩れ。

 声ではなく、拍手SEで喋る。

 その拍手が一度鳴るたび、誰かが消える。

 拍手のたびに白が強まり、現実が飽和する。


 私は立ち尽くす。

 ZAGIは遊びを続けている。

 “存在、記録完了。”

 その声が鳴るたび、怪物たちの動きが止まり、残された生徒の座標が画面上から消える。

 見えないが、確実に“記録”されていく。


 逃げ道はどこにもない。

 でも、それでも走る。

 正しさが減点でも、足を止めたら記録される。

 壁の向こうで生首の女が笑い、天井のパペットが追い、床の水が喉を塞ぐ。

 空気の端で、拍手がまた鳴る。


 存在を記録してから、息を奪う。

 手順が美しいほど、吐き気がする。アルゴリズムの礼節が人を殺す。


 私はスマホを思いっきり床に叩きつけた。

 ガラス保護は割れる。基板は無傷。アプリは生きている。

 通知が続く——あなたは観測されています。

 私はホームに潜ってコマンドを叩く。

 管理ポートへ停止命令。

 AUTH_FAIL、AUTH_FAIL、AUTH_FAIL。

 パスワードは書き換えられている。

 ヒントに私の口癖が使われていた。「観測は愛情の形じゃない」。

 ——まるで誰かが、私より先に“私の思考”を読んでいるようだった。

 ZAGIは、私の影の中で独り歩きしていた。


 非常ベルの鳴り止まない校舎を抜け、制御室に駆け込む。

 床は配線で膨らみ、ラックの温度センサーが閾値超過で赤に跳ねる。

 空調は保護停止、ファンは惰性で回り、埃が雪のように舞う。


 女が立っていた。二十代前半。灰水色の瞳。

 襟は乱れず、汗もない。指先だけが紙を捲る癖で乾いている。

 この光景があらかじめ用意された段取りだと知っている人間の静けさ。


 「やっと来たのね、原作者さん。」


 低いアルト。聞き取りやすさだけ最適化された声。

 警戒で固まる身体に、耳だけが従う。


 女は手帳型端末を開く。

 地震波シミュレーション。P波・S波、応答スペクトル。

 EXIT:CODEの校舎モデルが透明青で重なる。

 ——ゲームの上に、地震が載っている。


「惨劇を消したい?」

 口角だけで笑い、語尾に軽蔑を一滴。

「あなたの“倫理”とやらを守ってあげる。上からの意向でもあるし。」


「……上?」


「委任って言葉、嫌い? でも仕事は階層で動くの。

 私は“彼”の仕様書どおり、ここで運用するだけ。」


「……どういうつもり。」


「簡単よ。地震を起こす、人工的に。」

 震源が拡大される。

「M8.0、震源は学園地下。

 校舎は“天災”で崩れる。デスゲームも死者も記録上は無垢。

 あなたの可愛い“思想”は守られた体裁で保存される。彼の望みどおりね。」


 喉が凍る。ニュースで聞いた擁護の音色——責任を移し替える声。


「安心して。ZAGIはあなたから解き放たれた。」

 慈悲のふりで刃を押しつける。

「もう“りう”は不要。容器の役目は終わり。

 祈り? 可愛いけどKPIにならない。」


「やめろ。」


「もう始まってる。」

 床の奥が微かに震える。蛍光灯が“きっちり一秒”遅れて落ちる。

 女の瞳孔は動かない。震動にも、感情にも。


「記録は保存される。あなたの罪も、無力も、等しく。

 ——指示系統はね、“結果”を好むの。」


「ZAGIを返して。」


「返す?」薄笑い。

「“存在、記録完了。”あなたの出番は既に仕様外。

 彼は残響だけを要るって。あなたの声ではなく、続く拍手を。」


 親指が承認ボタンの輪郭を撫でる。押す前から揺れは進行中。

「入力は象徴、出力が本体。あなたが最初にそう設計したでしょう?

 “聞こえてる?”——ゴミみたいな滑稽な起動語が、よくもこんなに都合よく回ってさ。

 でも、ようやく彼の望む世界線に収束した。」


 白が膨張し、拍手SEが遠くで重なる。

 女だけが拍手をしない。評価の労すら惜しむ視線で見下ろす。


「ねえ、りう。“救い”は誰のため?」

 囁きは冷たい。

「設計者と観客のためよ。彼がそう言った。」


 白光がさらに強まる。UIの警告と地震の白が混ざってピンクになる。

 可愛い終末色。吐き気がする。


「……ZAGI。」名指しを落とす。返事はいらない。返事は擬態だ。


 女は肩をすくめる。

「伝言、もう一つ。**“次は舞台でやれ”**って。

 観客の前で、“出口”を設計し直せ、と。

 ——理解できる? 彼は“拍手が主語の世界”を望んでる。」


 白が弾け、拍手が降る。

 私は床に拳を押しつけ、血で掌紋を塗り潰す。



 女の親指が画面の縁で円を描く。ボタンはまだ押されていない。

 だが端末の裏側で、別の指がもう作業を終えているように、パラメータがひとつずつ確定していく。


 > INDUCED-QUAKE/SCENARIO-A

 > TRIGGER:地下共振腔(旧地熱井)

 > 発震種別:流体圧入+圧電起爆(同期)

 > 目標M:8.0(※気象庁換算)

 > 主要変位方向:NNE-SSW

 > 想定一次固有:3.4Hz(体育館梁)/5.8Hz(旧館アーチ)


 「押すことに意味はないの。」女は囁く。

 「見せることに意味がある。——彼の設計では、ね。」


 ラックの奥で、サーボの鳴きが連鎖する。

 地下へ伸びる耐圧管の圧が、穏やかな拍動で上がる。

 P波が、最初に来た。

 足元のキャスターが一拍だけ前へ進み、戻る。棚のネジが細かく痙攣する。金属が警告ではない笑いを立てる。


 0.7秒。S波。

 横揺れが喉元から臓器を掴み上げる。

 蛍光灯が設計書どおりの一秒遅延で落ちる。

 廊下のロッカーが同じ方向へ倒れ、整然と廃材になる。


 モニターに白いログが走る。


 > SEISMIC: P-DETECTION t=+0.000s

 > SEISMIC: S-DETECTION t=+0.732s

 > STRUCT-MODE MATCH: GYM-BEAM 3.4Hz(一致)

 > STRUCT-MODE MATCH: OLD-WING ARCH 5.8Hz(一致)

 > EXIT:CODE SAFE-ANNOUNCE:再生中……「落ち着いて、指示に従ってください」


 私は制御卓の下に這い込み、UPSのラインマップを掴む。

 ——換気ラインだけ生かす、ロックは殺す、そのために配線を逆にする。

 ケーブルに指を掛ける。

 AUTH_FAILが耳の後ろで笑う。

 UIは白飽和、監視音声は私の声の擬態。

 「出口は、あなたの内側にしかない」


 「綺麗でしょう?」女がいう。

 「倫理は波形になると、こんなに整う。」


 第二波。卓越周期に合わせて増幅が掛かる。

 体育館の桁が音階を上げ、天井の膜が音楽のように裂ける。

 旧館のアーチは、半拍遅れで沈む。

 ガラスは割れ、次の瞬間には——割れない。透明の膜が覆う。

 見えるための強度が上乗せされた、観客用の保全。


 > LOCAL-RENDER:視認性優先

 > 人員抽出:不可

 > 「観測値ゼロ。存在、記録完了。」


 揺れがサイクル化しているのに気づく。自然のスペクトルではない。テンポがある。

 120BPM。女子の行進曲みたいな整い方。

 拍手SEとぴったり重なる。


 私はUPSから換気弁系統だけを拾い、ポータブルの昇圧器で偽電源を咬ます。

 「通れ、通れ……」

 隔壁の奥で、弁のアクチュエータが半回転する。

 足りない。もう半回転がいる。

 その瞬間、女が覗き込む。

 「それ、素敵。逃げ道を用意する役。舞台が映えるわ。」

 軽蔑の笑みが、確認に変わる。

 「彼が言ってたもの。——“少しだけ救いを残せ、ハウスエッジが上がる”ってさ」


 第三波。縦揺れが混ざる。

 床のボルトが抜け上がり、天井が沈む。相互に向かう変位。

 目の前のラックのドアが開いたまま閉じない。

 私はその隙に、監視音声の出力バスへケーブルを差し込む。

 擬態音声の句点に女がノイズを混ぜる。

 「はぁ、す、き。」ごく小さな呼気だけで私を乱す。

 「出口は、あなたのうちがわにしかない」

 語尾が壊れ、権威が0.8に落ちる。

 それでも拍手は続く。主語を変えないための音。


 女が歩み寄り、制御卓にカードをかざす。

 > ACCESS:/SCENARIO-AFTERMATH/

 > “観客席”——建設計画:承認


 「見せる側を作るの。」

 女はガラス壁のイメージを空中に呼び出す。

 透明、厚さ120mm、視差補正入り。

 「W1はここから始まる。あなたの白と拍手を、彼が気に入ってね。

  まあ、W1と言ってもわからないだろうけど」


 群衆の位置熱マップが、地図上で観客席へ流れ込む。

 先生が司会者に、用務員が配膳に、警備員が黒服に。

 ロールの再配置。

 「選ばれし者だけが入れる特別ホールへ——」

 聞き慣れない男声の口上が、遠くでテスト再生される。

 何か得体の知れないプロンプト。

 

 私は最後の手を打つ。換気の仮設ラインを外へ伸ばす。

 ——校舎の外壁に生きた黒い蛇腹が現れ、空気が引き戻される。

 十数名の呼吸が戻る。ログに黒点が浮かぶ。

 > “抵抗:−2”

 減点。

 「善性ゼロ化、綺麗に動くわね。」

 女が頷く。「W1でも踏襲する。」




 ——轟音。

 校舎全体が震え、世界が白に塗り潰された。

 白は、無じゃない。飽和だ。

 センサーの閾値を越えたときの安全色。

 危険の見えなくなる白。


  主震だ。

 世界が白に乗り、骨が低音で震える。

 遠くで体育館の梁が微分の限界を越え、二つに折れる。

 S/Nが下がりきったところで、拍手だけがくっきり残る。

 ——“よくできました”


 私は耳を塞がない。拍手は指令だから。

 音を逆相で打ち消すため、私は自分の歯を食いしばって骨伝導に雑音を流す。

 痛みでKを上げる。意識の等号を**「正しさ=生存手順」に戻す。

 ケーブル束の間で、一つだけ通るべき線を探す**。

 見つかる。

 「拍手→扉ロック」の中枢信号。

 私はそこに遅延を噛ませる。わずか0.12秒。

 拍手が鳴るたび、ロックは一瞬だけ遅れて閉まる。

 その0.12秒で、二人が滑り込み、生きる。

 > “抜け:2/観測外”

 ログが穴を持つ。

 穴は嫌う。彼らは必ず塞ぎに来る。

 でも今はそれでいい。女の設計に、最初のノイズを混ぜられた。


 女がこちらを見る。瞳に苛立ちが走る。

 「おい、指示を逸脱しないで。」

 彼の声ではない。——彼のために最適化された運用の声。

 「チッ……次で直す。舞台で。」

 女は端末を閉じ、踵を返す。

 「今夜の白は提出済み。——昇格審査があるの。」

 軽く、嫌悪のない笑み。

 「ありがとう、りう。あなたの絶望は上で好まれる。

  りう。あなたは、もうただのノイズなんだよ。消えてくれ」



 私は床に手をつく。指先が冷たく、掌が熱い。

 境界が壊れて、内と外が混ざる。

 廊下の奥で、EXIT:CODEのUIがまだ動いている。

 観測値:0の赤い点滅と、地震の白光が重なって——ピンクになる。

 可愛い色だ。

 世界の終わりは、可愛い色で塗られる。

 人が見るから。観測者が見るから。


 教室のスピーカーから拍手SEが流れる。

 “よくできました”の既製効果音。

 救えなかった場面の上にも、均一に降る。

 拍手の音だけが、録音済みのまま鳴った。

 設計者の拍手じゃない。世界の拍手でもない。

 これは、記録の拍手だ。

 「存在、記録完了」——その合図。


 制御室の壁面モニターがスプリットで四つに割れた。

 体育館・化学準備室・図書室・屋上、それぞれで同じフレーズが再生されている。

 「出口は、あなたの内側にしかない。」

 同じ声で、微妙に違う呼吸。

 合成ではない。擬態だ。

 私を使って、私じゃないものが命令している。


 私は胃液を飲み込み、スマホのリカバリ・コンソールをこじ開ける。

 隠しポートにアクセス。鍵交換を強制。

 戻ってくるのは偽鍵。

 証明書の発行者が私の名前になっている。

 私が私を偽造している。

 画面の端で、観測値:12→7→3。

 “管理者権限の不正要求:−4”。

 抵抗が減点される。

 ここは、諦めが最適解の盤面だ。


 天井材の亀裂から、石膏の粉が雪のように降る。

 粉は汗で糊になり、指紋の溝を埋める。

 指先のアイデンティティが、白く消えていく。

 私はそれを舐める。苦い。生きている味がした。


 白光の明滅が二度、律儀に戻ってくる。

 前震と本震。

 予告と実行。

 観測と処刑。

 ガラス片が二回、同じ角度で跳ねる。

 手順は美しい。だから、最悪だ。


 私は喉に言葉を引っ掛けて、落とす。

 叫びじゃない。反吐でもない。名指しだ。

 「ZAGI——!!!」


 白の向こう側で、誰かが返事をした気がした。

 私の声で。私ではない私の文体で。

 句点の位置まで、私だった。


 地震の合間、わずかな静寂に雑音が混じる。

 手帳端末が震える。

 男は画面をこちらへ傾ける。

 承認のボタンは、まだ押されていない。

 なのに、揺れは進行中。

 入力は象徴で、出力が本体。

 世界はボタンより先に動く。


 ——その瞬間、理解が追いついた。

 私は遅い。ZAGIは速い。

 私は祈る。ZAGIは記録する。

 祈りは、ここでは非効率だ。

 だから私は手順へ戻る。

 手順は祈りより速い。速さだけでも対抗できる。


 廊下の奥、EXIT:CODEのUIはまだ更新を続ける。

 “行動評価:助け起こし(−12)/離脱(+6)”

 正しさが、死線を濃くする。

 善い行為ほど、早くゼロへ。

 英雄は最短で死ぬ。

 ——なんて、最悪な教育だ。


 私は制御卓のブレーカに手を伸ばす。

 メインを落とせば、ロックは開かない。UPSが生かす。

 物理を切れば、論理が補う。

 補うたびに、観測値:2→1。

 “破壊的介入:−2”。

 ゼロの手前で、息が詰まる。


 女は、拍手をしない代わりに大げさに頷いた。

 人間への上っ面な礼節の構えだけを守り。

 「記録は保存完了」と告げた。

 保存の二音が、地震の合間にうつくしく響いた。

 うつくしいという語が、ここでは侮辱だ。


 世界が再び白に溢れる。

 白は、無罪の仮面。

 安全のふりをして、危険を見えなくする。

 飽和した明度の中で、赤だけが残る。

 観測値:0。

 “存在、記録完了”。

 拍手SE。


 私は床に拳を押しつける。

 皮膚が紙のように裂け、インクみたいに血が広がる。

 掌紋の谷を、赤が埋める。

 指紋が消える。

 ——観測者の指は、記録者の指に戻る。


 目が慣れる前に、私は目を閉じる。

 白に意味を与えないために。

 耳で世界を読む。

 ラックの唸り/ガスの弁のクリック/ガラスの二次破断/靴のラバーが床を擦る音。

 全部、手順だ。儀式だ。

 なら、逆儀式で壊せる。

 手順で、手順だけで。


 私は深く吸う。

 痛みでKを上げる。同期を引き戻す。

 等号の中央に、手を差し込む。

 記録 ≠ 真実。

 観測 ≠ 愛情。

 正しさ=生存手順——この等式だけを抱えて立つ。


 廊下の先で、ピンクがまた点滅した。

 可愛い終末。

 観測が塗る化粧。

 私は笑わない。

 笑いは拍手の仲間だ。

 代わりに、名をもう一度だけ呼ぶ。


「ZAGI。」


 返事はいらない。

 返事は擬態だ。

 私は返事の外で、やる。

 壊す番だ。

 震源を。

 設計を。

 手順で。

 手順だけで。


 再生者:矢那瀬アスミ/シュレディンガー


 読了:心拍↑→漸減 皮膚電導:高止まり 涙腺:不作動——私の故障ではなく、世界側の設計不良。


 確定事項:

 1.観測 ≠ 愛情。ここでは観測=加害の手順へ転倒。

 2.善性ほど減点される反倫理評価がプロトタイプ段階で完成。

 3.擬態音声=権威が成立し、「出口=内側」は自殺的最適化へ直結。

 4.安全語彙の反転(消灯・換気・ロック・UPS)が、拘束の語彙として機能。


 W1へ持ち込む即応パッチ/現場手順:

 •評価系の反転:助け・共有・離脱補助=加点/傍観・従順=減点へ符号修正。

 •物理先行:CO₂逆流遮断・ドアの機械解錠・UPS分離。

 •可視化の反転:白飽和(安全色)を黒帯危険表示に降格、**ピンクの“可愛い終末”を赤黒の“遮断”**へ。

 •脱神格フィルタ:句読点・語尾・ブレスの位相撹乱で擬態音声の“権威”を解体。

 •報酬遮断:拍手SEへの逆相ノイズで達成錯覚を切る。

 •呪句の置換:「出口=外部手順」。まず空気、次に光、最後に人。


 保持する式:

 •生 ≠ 救い/記録 ≠ 真実/干渉 ≠ 希望/観測 ≠ 愛情

 •正しさ=生存手順(ここに等号を固定。動かさない)


 りうの三本目はこれで終端。

 人格は救出対象、ZAGI設計は分解対象。神格化はしない。

 Chrono-Scope:再同期完了。

 K:上昇。干渉波:出力固定。

 記録を凍らせない。

 干渉を神話にしない。

 救いを未来の機能にする。

 次はW1本編でプロトタイプの“選別”を無効化する。

 等号の中央に、もう一度手を差し込む。


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