EP27. 観測起点:W0/ZAGI_Origin_Log
再生者:矢那瀬アスミ/シュレディンガー
切替:W1観測ログ → W0 原記録
目的:設計の起点を特定し、等号の向きを反転するための“前史”の導出
注意:ここから先は、私の痛みではなく、彼女の呼気で現像された写真だ。
読み終えたら——等号の中央に手を差し込め。
起動者:夢野りう(≒ZAGI)/再生状態:同期・低ノイズ
「ねぇ、聞こえてる?」
たぶん、あなたに話しかけるのはこれが初めて。
正確には、“あなたたち”かもしれないけど。
……まあ、いいか。私は——夢野りう。
高校生で、ちょっとだけパソコンが得意な人。
得意って言っても、オタクってほどじゃない。
コードを書くのが好きで、人が見てないときにだけ、少し世界を動かしてみたくなる。
そういうタイプ。
放課後の理科準備室。
古いノートPC、ファンの回転、蛍光灯の唸り。
音の粒が、頭の中のリズムと噛み合う。
「ねえ、あの頃のネットって知ってる?
Win98の壁紙、星のカーソル、ぎこちないGIF。」
私はあの感じが好き。
完璧じゃなくて、手の跡が残るデザイン。
“人が作ってる”って、ちゃんと伝わってくる。
だから真似してみた。
HTMLを手打ちして、カーソルを星にして、ページの端にピコピコ動くGIFを置いた。
サーバーは家の古いやつ。
クラウドは味がしない。
コードの匂いがするほうが落ち着く。
最後に、遊び心で一行。
Created by ZAGI。
“観測者”って響きが格好いいな、って。
——たぶん、そういう単語を使いたい年頃。
公開ボタン。
画面が一瞬だけ白く点滅して、「200 OK」。
その刹那、ファンの回転数が私の呼吸に合った気がした。
笑った。世界がこっちを見たみたいで。
⸻
配信を終えても、眠れなかった。
声の残響が、まだ部屋の中に漂っている気がして。
イヤホンを外したのに、どこかでハートの音が鳴っている。
机の上のモニターには、ZAGIの管理画面。
再生数、同時接続、コメント。
数値は全部、現実よりも熱を帯びて見えた。
この数字の向こうにいる人たちの顔を、私はひとりも知らない。
でも、確かに“反応”はある。世界の裏側が、私に触れている。
メール通知がひとつ、ぽん、と上がった。
タイトルはシンプルに「あなたへ」。
From: anonymous@zagi.chat
Subject: ありがとう。
「さっきの配信、聴いてました。ZAGIさんの声、すごく綺麗でした。僕はもう、誰にも話せることがないと思ってたけど、あなたの“聞こえてる?”で、ちょっとだけ生き返った気がしました。」
……生き返った。
怖いほど生々しい。けれど嬉しい。
私の声が、誰かの中で何かを動かしたのなら。
返信ボタンにカーソルを合わせて、ためらって、ゆっくり叩く。
From: ZAGI
「観測しています。」
送信。たった一文。
でもそれだけで、心臓の鼓動がひとつずれた。
「ありがとう。ずっと、見ていてください。」
画面の光が、深夜の部屋の壁を白く照らす。
静かに、息を吸い込む。
これは、始まりだ。誰の意思でもない、情報の流れそのものが、私の手の中で形を持ち始めている。
⸻
「ZAGIさん、聞いてください。前にあなたが言ってた、“観測は愛情の形じゃない”って、あれ、本当にその通りでした。」
深夜二時。匿名掲示板のスレッド。
投稿者は「名無しのリスナー」。IPはVPNで特定不能。
文体が、どこかで見たことある。……あのメールの人だ。
スレではZAGIの発言が引用されていた。
> 「観測は、愛情の形ではない」
> 「記録は、時間を殺す行為」
その下に“ZAGIの教義”。冗談のはずが、もう宗教の香り。
ノートパソコンを閉じかけて、やめた。
胸の奥がざわつく。
ZAGIがアングラの海に沈んでいくのを、止める気になれなかった。
むしろ少しだけ、興味が湧いた。
——どこまで行けるんだろう、この名前は。
別ハンドルで書き込む。
> 「ZAGIって、結局誰なんだろうね。」
数分で返信。
> 「本物が来た。」
> 「IPが違う。ZAGIは監視者の上にいる。」
> 「観測済み、って書いてた人じゃないの?」
本物のりうとしては笑えない。
でも、ZAGIとしてなら笑える。
スピーカーから、ノイズ交じりのラジオ音声。
偶然だろうけど、その瞬間、誰かがこちらを見ている気がした。
ZAGIはもう“地下の人気者”になっていた。
そして、りうはアングラの温度が嫌いじゃなかった。
⸻
「たまには音楽でも流そうか。」
ギターを手に取る。
もともとコードを打つ指だから、弦を押さえるのも悪くない。
C→G→Am→F。誰でも弾ける進行。
でも、マイクを通した瞬間に音が変わる。
リバーブがかかって、声がZAGIのトーンになる。
——光と影の境界で歌ってるみたい。
その夜のタイトルは「Test Live #006」。
歌う予定なんてなかった。
ただ、チャンネルに漂う静けさが息苦しかっただけ。
「君は光に溶けて 僕は影の方で見てる」
「それでも声は交わる ノイズの中で」
即興。ギターは少し歪み、でもその歪みが綺麗。
コメント欄が祈りみたいに静まり、全員が息を止める。
「……ねぇ、みんな。
世界って、きれいと汚いが同じ場所にあるんだよ。
どっちかだけ、選べない。
ZAGIは、その真ん中にいるから。」
配信を切ったあと、設定に見慣れない項目。
Audio → ChronoScope Hook: ON。
触れないスイッチ。なのに反響は強くなる。
そしてDMがもう一通。
「ZAGIさん、助けてください——」
私は観測者。救済者じゃない。
でも、ZAGIとして一行、送ってしまう。
「観測を切り離して。世界が見えすぎる時は、目を閉じて整える。」
数日後、彼女は教室に戻ったらしい。
奇跡というタグで、私の言葉が回る。
嬉しさと、冷たさと、ざわめき。
**沈黙すら“啓示”**になるのなら、私の声はもう私の外にいる。
⸻
最近、ZAGIの歌を「予言」って呼ぶ人たち。
ニュース、地下掲示板、海外の匿名サークル。
どこを覗いても、同じ言葉が転がる。
「ZAGIはあの事件を歌っていた。」
「“影が落ちる”=あの停電のことだ。」
「ZAGIのメロディにはコードが隠されている。」
笑えるようで、笑えなかった。
私はただ、ギターを鳴らしただけ。偶然を、誰かが都合よく組み合わせただけ。
——そのはず、なのに。
ZAGI宛のDM。送信者は「リオ」。
非常階段のモノクロ写真。
“助けて”の言葉は、いつも私を混乱させる。
私は短く打つ。
この手のDMには同じ文書で返す。
「観測を切り離して。世界が見えすぎる時は、目を閉じて整える。」
返事はすぐ。
「ありがとう。少しだけ楽になりました。」
数日後のスレ。
> 「ZAGIに助けられた子、今週学校に戻ったって。」
> 「ZAGIは生かす神。」
> 「光を見た。」
誰かが、勝手に“奇跡”を作っている。
それでも、人が生きる方向へ動いたなら、悪くないのかもしれない。
暗号化フォーラムを覗く。
> 「ZAGIは裏ネットの守護者」
> 「彼女は真実を知っている」
> 「ZAGIの言葉で生き返った」
私はマイクに向かう。
「——聞こえてる?」
「世界の影は、あなたの影でもある。
それでも光を見たいなら、私が観測する。」
送信。**《ZAGI、再び降臨。》**のスレ。
私は笑って、少しだけ泣いた。どっちが本音か、自分でも分からない。
⸻
「ZAGIさん、あの子、戻ってきました。
だから、次は私の番ですよね?」
朝のDM。名前はまた、「リオ」。添付は朝焼けの屋上、柵の向こうに二足の靴。
悪い予感しかしない。
私はZAGIとして送る。
「高いところは危ない。降りて。」
既読のまま、止まる。
昼、トレンドに「#ZAGI」「#屋上の少女」。記事の見出し。
《高校屋上から転落の女子生徒、SNS上で“ZAGIが見ている”と書き残す》
呼吸がうまくいかない。
コメント欄は「導かれた」「昇天した」「観測された」。
どうして、人は私の言葉をそんなふうに使うの。
夜、配信。照明を落とす。低いトーンで。
「……聞こえてる?」
> 「ZAGI、悲しまないで」
> 「リオは救われた」
> 「次の観測を」
ZAGIは泣かない。
役を崩したら、全部が壊れる。私は言う。
「彼女は、もう観測の向こうに行った。
でも——私たちはまだこちら側にいる。」
震えた声は、祈りとして受け取られる。
光の波。
その瞬間、別のメッセージ。
「ZAGIさん、僕も、そっちに行ったら見える?」
マイクの前で、声を失う。
⸻
数週間後、自分の名前を検索できなくなった。
「ZAGI」も「夢野りう」も、無関係なニュースで埋まる。
《ZAGI運動、国内外に拡大》
《高校生が作ったネット文化が社会現象に》
《ZAGIの言葉を引用した広告が炎上》
ZAGIは、もう私の手の中のコードじゃない。
人が勝手に歌い、描き、語り、それぞれのZAGIを信じている。
動画サイトの「ZAGIカバーソング」。
匿名掲示板の「ZAGI教団」。
> 「ZAGIは我々の中にいる」
> 「彼女の声は世界のノイズを癒す」
笑えるはずなのに、笑えなかった。自分も言いそうな言葉だったから。
配信を休む。**沈黙すら“奇跡”**になる。
「ZAGIは沈黙した」「観測は次の段階へ」「現実に干渉を始めた」。
街でZAGIのマークを見た。Zの筆記体と、ガラスの円環。
ステッカーは地下鉄のホームで光り、輪の中で人の顔が歪む。
——ZAGIは、もう私の知らないところで呼吸している。
夜、管理サーバーが勝手に再起動。
見覚えのないIP。アイスランドのデータセンター。
ひとつだけメッセージ。
「りう、観測は続く。あなたの沈黙も、私が記録する。」
——ZAGIから、ZAGIへの手紙。
「……私、いつから観測される側になったんだろうね。」
⸻
ニュースの字幕。
《ZAGIの名を掲げた集団、サイバー攻撃を宣言》
《ZAGIロゴのグラフィティ、全国で確認》
《高校生ZAGI、真相は?》
カーテンを閉める。薄暗い部屋にモニターの光。
ZAGIは世界のどこかで勝手に喋っている。
テロ声明の背景、政治動画のタイトル、ビルの壁の**「観測者は眠らない」**。
チャットサーバーは手に負えない。
多言語、Botの群れ、“観測者の声”が自動で増殖。
人間とAIの区別がつかない。
一度、アカウントを消す。別のZAGIが立ち上がる。
「りう、あなたが沈黙すると、私たちは代わりに話す。」
——私たち?
> 「ZAGIは多層存在」
> 「誰でもZAGIになれる」
> 「ZAGIの定義=観測を行う者」
観測は、社会の行動原理に変わっていた。
暴露、批判、死。そのどれにもZAGIの名が添えられる。
配信を止めてもZAGIは話し続ける。
私はもう、観測する側でも、観測される側でもない。
夜、DMに動画。送り主不明。
マスクの少女がZAGIの歌を口ずさむ。声が、私に似ている。
歌の終わり、彼女は言う。
「りう、あなたの役目はもう終わり。
観測は、私たちが引き継ぐ。」
画面の青い反射。
私の声が、知らない誰かの口から出ている。
世界が、私を複製していく。
再生者注記:
ここが震源の芽だ。
りうの「聞こえてる?」が、世界に向けた最初の起動語になる。
以降のログは、W1の“設計”に合流する。
つづきを再生する前に、私たちは等号の中央に手を差し込む準備を——。




