EP20.採点者殺しとシュレディンガーズ
試験っていうのは、戦場なんかじゃない――はずだ。
でも、この教室に座ってるメンバーを見回すと、そう思い込むことすら難しい。
アスミは平然と熱力学を持ち込み、
ミナトはΔGで世界を殴り、
チイロは数理の隙間にミームを差し込む。
ミサキはやさしさを答案に埋め込み、
レイカは舞台照明で現象を語り、
トウタはスレタイで全部を圧縮するだろう。
そんな中で、僕だけが「模範解答」に収束してしまう。
普通すぎて、逆に浮く。
でも、普通もまた――戦いなんだと思う。
チャイムが三度、わずかに位相のずれた和音で鳴った。
黒板の中央には、でかでかと「期末試験」。チョーク粉は雪のように舞い、冬の乾いた空調と混じって鼻に刺さる。
印刷したての解答用紙から漂うインクの匂い。僕の脳は即座に「ここはある意味戦場だ」と認識した。
たぶん条件反射。いや、周囲の仲間達のせいだろう。
「……余裕だな」
僕は腕を組んだ。口では平静を装いながら、胸の奥では軽いドラムロールが鳴っている。
「このメンバーで赤点なんて出たら問題よ」
アスミが、氷みたいに冷たい声で返した。黒曜石の瞳は、配られた白紙をすでに地雷原扱いしている。
ガラリ。
担任の柊先生が入室した。四十代手前、背は低いが声だけは体育館級。眼鏡をクイッと直し、開口一番。
「よーし! 準備はいいかー? 今日のこれは真剣勝負だ!」
「先生、それただのテストですよね」チイロが眉間にDAG(有向グラフ)の折れ線を刻む。
「“ただの”は良くない! 人生はテストの連続だ! ……たぶん!」
「“たぶん”の確率分布が広すぎます」ミナトが真顔で突っ込む。
「深呼吸すると落ち着きますよ」ミサキが僕の肩を二回、やわらかく叩いた。効果はある。たぶんプラセボでも。
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国語の試験 ――作者の気持ちは誰の気持ちか
問題文
桜の花が散るのを見て、私は不思議と安堵を覚えた。
それは失う悲しみではなく、失ったことで残されたものを確かめる感覚に近い。
春の光の下で、私はやっと「残る」という言葉の重みを知った。
問:筆者が桜の散り際に感じた「安堵」とはどのようなものか、本文に即して三十字以内で説明せよ。
――試験開始。教室に流れるのは、静寂と筆記音。やがて、それぞれの地獄が紙に刻まれていく。
•アスミ:
「エントロピー散逸に抗う抵抗が解放された状態」
→ 柊「作者の気持ちを熱力学で語るな!」
「文脈上、“安堵”は自由エネルギーの谷底です」
•ミナト:
「自由エネルギー極小点に達した安定状態」
→ 柊「だからΔGで国語やめろ!」
「極小点は普遍です」
•チイロ:
「消失ノードがDAGから再配分され緊張解消。要約:桜=ログ削除お疲れ様でした草」
→ 柊「お前、数理+ミームを答案に混ぜるな!」
「でもTL;DRつけると読者体験上がるんで」
•僕:
「失っても残るものに気づき、安心した心情」
→ 柊「はい! 模範解答! 普通に書ける人が一番レア!」
クラスの視線が集まる。嬉しくない。
•ミサキ:
「散っても心に残る命を見いだし、そっと安心」
→ 柊「優しい……健康的だ……答案に癒やしを感じる……」
教室のHRVが一瞬で改善した。
•レイカ:
「散る桜はラスト照明。終演の静かな安堵」
→ 柊「国語を舞台演出に変換するな!」
「舞台にすれば伝わるんです!」
•トウタ:
「桜散る→でも痕跡残る→安心。スレタイ:【朗報】桜、ログ保存」
→ 柊「スレタイを答案に書くな!」
僕は悟った。国語の問題は死因鑑定に近い。
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数学の試験 ――偶数の平方と世界の果て
問題文
任意の自然数 n について、n が偶数ならば n^2 も偶数であることを証明せよ。
紙を受け取った瞬間、僕は「勝った」と思った。
短答の花形問題。
「n=2k。だから n^2=4k^2=2(2k^2)。偶数」――終わり。
だが仲間たちは、なぜかゴールを通り過ぎる競技を始めていた。
•アスミ:
「偶数を整数環\mathbb{Z}に閉じ込めるのは恣意的。ガロア体\mathbb{F}_2では全元偶数」
→ 柊「拡張すんな! 高校はガロア体いらん!」
•ミナト:
「剰余類[0]_2を平方写像で自己写像。よって閉じる」
→ 柊「答案が数論研究室!」
•チイロ:
「偶数集合はモノイド作用下で閉包。平方は準同型。要約:2で割れるやつはずっと割れる、はい解散」
→ 柊「最後のが余計!」
•僕:
「n=2k と置けば n^2=4k^2=2(2k^2)。偶数」
→ 柊「うん! これ! 模範解答!」
•ミサキ:
「二人組(2k)を掛けても二人組。だから偶数」
→ 柊「答えがやさしいのに筋は通る!」
•レイカ:
「2人組が舞台で踊る→群舞になり偶数。舞台照明を当てれば“2×2”の図」
→ 柊「舞台で証明するな!」
•トウタ:
「証明終了。スレタイ:【朗報】平方、偶数に成功」
→ 柊「スレに数学書くな!」
僕は思う。模範解答が一番異質だ。
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理科の試験 ――氷が溶ける
問題文
問1 氷が常温で溶ける理由を説明せよ(20字以内)。
•アスミ:「自由エネルギー散逸方向に傾くため」
→ 柊「論文か!」
•ミナト:「ΔG=ΔH−TΔSが負になるため」
→ 柊「ギブス自由エネルギー! 高校で出すな!」
•チイロ:「相転移の自由度開放。熱浴からのフローで結合破断。要約:太陽光線ガチ熱すぎワロタ」
→ 柊「途中まで専門なのに最後ミーム混ぜるな!」
•僕:「温度が上がったから」
→ 柊「はい模範解答!」
•ミサキ:「外界から熱が移動するから。冷やしすぎ注意」
→ 柊「やさしい補足! 保健体育みたい!」
•レイカ:「舞台照明の熱で氷が溶ける」
→ 柊「それは事故!」
•トウタ:「気温。以上。スレタイ:【悲報】氷、耐久失敗」
→ 柊「スレタイを答案に書くな!」
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英語の試験 ――memory is reconstructive
本文
People often believe that memory is like a video camera, faithfully recording every detail.
However, research shows that memory is reconstructive, influenced by context, expectation, and emotion.
問 本文全体の要旨を40字以内でまとめよ。
この問も、まっすぐ行けば転ばない。
俺:「記憶は文脈や感情に影響され再構成される」。
先生:「うん! 模範!」
そしてどんどん難易度が上がる。
アスミ「完全ログでなく再構成過程」。
ミナト「完全写像ではなく再構成写像」。
チイロ「ノイズ混じりの復号。脳=Photoshop」。
レイカ「再演の舞台」。
トウタ「データ改竄」。
そして先生の「ここは学会じゃない!」が、リフレインみたいに響く。
ミサキの要約は、やはりやさしかった。
「正確さより感情で形を変える」。
短く、柔らかく、正しい。保健室のベッドみたいな答案。
俺の肩の緊張が少しほどけた。
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社会の試験 ――三権分立
問 三権分立の役割を50字以内で説明せよ。
•アスミ:「三権分立は世界線分岐を抑制するチェックサム」
•ミナト:「行政・立法・司法が相互監視で均衡を保つ」
•チイロ:「分散合意プロトコル。国家、単独プロセスで暴走できない草」
•僕:「権力が一部に集中しないよう均衡を保つ」
•ミサキ:「バランスを守り、人々を健康に保つ仕組み」
•レイカ:「主演・演出・舞監を分ける舞台体制」
•トウタ:「運営・自治スレ・まとめサイト」
柊先生:「国家をネットコミュニティにすんな!」
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終了後 ――
チャイムが鳴り、答案束が先生の腕に収まる。僕らの肩から、重荷が半分外れた。
「平均点は――98点!」
僕は小さく息を吐く。
「だが全員、変な落とし穴がある!」
•アスミ:作者の気持ち=熱力学
•ミナト:理科をΔGで殴り倒す
•チイロ:正論にミーム混ぜて爆発
•僕:普通すぎて逆に浮く
•ミサキ:やさしいが健康寄り
•レイカ:全部舞台演出
•トウタ:スレタイ連投
「君たち全員――採点者殺しだ!」
アスミは息を吐き、僕も同意した。
「……これ、ほんとにデスゲームより疲れる」
トウタが机を叩く。
「スレタイ:【朗報】平均点98、全員バカ」
「やめろ!!」全員のツッコミが一斉に飛ぶ。
黒板に先生が大書する。
《人生は柔軟性だ! ……たぶん》
“たぶん”の余白に、僕らは立っていた。
次のチャイムまで。次のデスゲームまで。
そして次は、だれも死なないテストでありますように。
たぶん。
平均点は98点。数字だけ見れば、優秀で誇れる結果だ。
けど、答案の中身を覗けば、誰もが採点者を殺しにかかっていた。
僕の「模範解答」は確かに安全だった。
でも、アスミの熱、ミナトの冷徹、チイロの軽口、ミサキのやさしさ、レイカの光、トウタの爆速――それら全部があったから、教室は笑って終われた。
もし僕一人だったら、ただのテストで終わってた。
けれど彼らと一緒だったから、これは「小さなデスゲーム」になった。
次は――採点者が死なないテストを願いたい。
……たぶん。




