EP15. 影村学園とイニシャライズ
……また、声が戻ってきた。
匿名の文字列に混ざって、あの夜と同じリズムを踏む“告知”。
誰かが遊んでいるわけじゃない。これは手順だ。冷たい運搬の、再演の手続き。
俺にとっては単なるネットのざわめきじゃない。
心拍を半拍ずらす、鉄の味を呼ぶ呼び声だ。
あの惨劇を知っている者なら、文体の拍だけで十分に理解できるはず。
ここから先は、俺がタナトスに切り替わる直前の記録。
ノード・ゼロで、仲間の声と数字が重なる空気を、読み取ってくれ。
ノード・ゼロの空気は、夜になると“機械の海”みたいな塩味を帯びる。冷却ファンのうなりが床下配線で低く共鳴し、青いLEDが脈拍のように明滅する。その海の岸辺で、スペクター――亞村トウタ――は回転椅子を指で弾き、半回転ごとに三枚のモニターを舐めるように見渡していた。
「……来てる。いや、“戻ってきた”が正しいか」
彼は雑談みたいな声で言うけれど、指の動きは雑じゃない。スクロール、選択、抽出、保存。ブラウザ、端末エミュレータ、独自の可視化ツールが同時に踊る。俺は(タナトスである前に)ユウマとして、その動きの無駄のなさが少し羨ましい。
「何が」
「“影村の旧体育館で儀式”スレと、“次の演目は影村”タグ。――今夜に入って急激増殖。ログ自体は雑音だけど、文体が完全に一致」
“完全に一致”の四文字で、俺の心拍が半拍だけ増えた。
「それは、w1の世界でも同じ状況だったのでは?と仮説を立てていた、あの夜と?」
「うん」
トウタはタブレットの角で机をとん、と叩く。画面にはテキストが並ぶ。匿名の書き込み、煽り、釣り、嘘、嘘、嘘――その海の中に、妙に冷えた直線が一本、刺さっている。
【告知】校庭の鐘、二十二時。
終了まで目を離さないこと。
古臭い言い回し。具体性の欠如。なのに“場”の温度を確実に下げる配列。俺の喉の奥で、鉄の味がにじむ。
「一致って、どのレベルだ」
「スタイロメトリ。Jensen–Shannon距離:0.07。人格同一、又はロバスト模倣の閾値を切ってる。句読点の拍、助詞の揺れ、“あと◯分”みたいな時間句の置き方。ついでにUnicodeの仮名の混入パターンと、全角スペースの癖まで」
ルート――立花ミナト――が無言で隣の端末を傾け、可視化グラフをこちらへ向けた。青と赤の二本線が、ほとんど重なって走っている。片方はw1当時の“告知”。もう片方は今夜の“ざわめき”。
「NCD(正規化圧縮距離)も低い。0.12。文字列としての圧縮“しやすさ”が同等。生成過程の圧縮性が似ている」
「生成過程?」
「人は癖という名の圧縮アルゴリズムで文章を書く。どこで言い換えるか、どこで削るか。それが似てるって話」
ミナトの声は相変わらず冷却装置の低音みたいに平板で、でも熱量がゼロじゃないのは知っている。
トウタがさらに指を滑らせ、別のウィンドウを立ち上げる。時間分布のヒートマップ。深夜帯に出現する“告知”の群れが、毎時22分を中心に薄く鐘形を描いている。
「時刻の癖も同じ。“二十二時”“校庭の鐘”――文言と、投稿時刻そのものが時計仕掛け。トリガーはRT60長めの鐘音。こっちは音じゃなく数字だけどね。――で、問題は出どころ」
画面が更に切り替わる。Tor出口ノード、セルラーCGNAT、海外VPS。プロキシの層が幾重にも重なり、発信者は氷河みたいに滑っていく。
「“匿名”の純度が高すぎる。普通の愉快犯はここまでやらない。発信地の擬態が自動化されてる。地理座標の分散は広いのに、レスポンス遅延の分布が異常に狭い。同一制御の確率が高い」
「一人の手か」
「“ひとつの手続き”。人かどうかは置いとく」
サイレン――火宮レイカ――が肩越しに覗き込み、珍しく芝居のない低い声で言った。
「“次の演目”って言い方、嫌な胸騒ぎがするね。舞台人の勘として」
言葉が胸骨の内側に刺さる。演目。俺の脳裏に、女声のアナウンスが再生される。
「関連ミームの拡散速度、どうだ」
「指数的。R_t ≈ 1.7。流入のコアは“学校の怪談”スレ群。若年層クラスタに偏ってる。**“写真スポット”**が火を噴くタイプ……だったら、広報で消せる。でもこれは違う」
トウタがキーボードを二度叩き、Bot/人間判定の散布図を呼び出す。クラスタが二つ。片方は揺れている。片方は揺れない。揺れない方が、発火点。
「感情ベクトルが動かない。喜怒哀楽の推移がフラットなアカウント群が、一糸乱れず“告知”を運ぶ。人間の熱で燃えてるんじゃない。冷たい運搬が先にある」
「“冷たい運搬”……」
俺は口の中で反芻する。冷たい運搬。体温のない手。w1の夜に、あった。人の熱でできた悲鳴の上を、氷みたいに滑っていくアナウンス。
「文体のコア、解析を拡張。n-gramの加重に加えて句読点カデンス、リズム応答。キーボードレイアウト誤打の癖――JISとUS配列のズレ、シフトの入り方。全角/半角の切替ラグ。句点前の妙な空白」
「ホモグリフも。ラテン小文字に紛れたキリル文字、ギリシャ文字。意図的なゆらぎ」
「そこまでやる奴は“遊び”じゃない」
ミナトが短く頷く。
「一次ソース。w1の“告知”に直結。コピーとしての誤差が逆に少なすぎる。普通の模倣なら揺れが入る。これは揺れない。生成器が同じだから」
「生成器、ね」
俺の口が勝手に反芻する。生成器。同じ女声。同じ終演。同じ冷たさ。
「まとめる」
トウタはくるりと椅子を回し、俺を見る。目の上の長い前髪が揺れ、画面の青白い光が頬骨のあたりで跳ねた。
「これは愉快犯じゃない。w1の“残滓”がw2に混入――いや、再演しようとしてる。告知はそのガイダンス。**“次の演目は影村だ”**っていうタイトルコール」
「“再演”がネットから始まってる」
「ネットは空気のスピーカー。場の空気を震わせる前段。現地の残響と同期するためのクリックトラックだよ」
レイカが思わず口元を押さえる。舞台用語で言えば、稽古段階から既に本番のテンポを指定してくる“声”。最悪だ。
「“校庭の鐘、二十二時”。このメタファ、w1と同じ。でもw2の影村学園には鐘なんかない。あるのは体育館の残響、配管の鳴り、水の音」
水の音――その語が出た瞬間、俺の指先が冷たくなる。床を引っかくみたいな、冷たい水の走る音。耳の底に、もう鳴っている。
「ルート」
「監視網、拡張済み。学園外縁の交通カメラ、近隣防犯カメラ、残響解析。RT60の異常値が出れば発火として拾う」
「スペクター」
「噂の火力は下げる。でも完全には消さない。火を移す――別の“怪談”に分散させる。一極集中を壊す」
彼は笑わない。いつもの軽口は、たぶん自分の心拍を上げすぎないための儀式だ。今は儀式を捨てている。その事実が、状況の重さを端的に示す。
「一応言っとくけど」トウタが手を挙げる。「文体一致は“犯人が同じ”の証明じゃない。犯行手続きが同じっていう警報だ。誰かが、同じ手順で空気を冷やしてる」
「犯人じゃなく演出家」
レイカの声が細く落ちる。
「演者はどこだ」
「影村学園・旧体育館。投稿の座標比喩が一致。“校庭の鐘”=残響核。体育館西面の配管が鳴ってる」
ミナトがタブレットを叩き、熱マップに音響ベクトルを重ねる。旧体育館の西側に赤い楕円。そこが鳴っている。
「ユウマ」
ミサキ――オーロラ――の声がインカム越しに落ちる。拠点の別室で、彼女は俺の心拍と皮膚温を監視している。
『心拍、少し上がってる。……無理はしないで』
「しない」
俺は答える。するつもりでも、ここではしないと言うのがプロトコルだ。
トウタがスクリーンの最後のタブを開き、w1の“告知”から抽出した特徴量のリストを淡々と読み上げる。句読点比、接続詞密度、文末記法、時間表現の粒度、固有名詞の避け方。そして、w2で今夜立ち上がっている“ざわめき”から抽出した同じ指標を横に並べる。差は、ほぼゼロ。
「――同じ声が、また鳴ってる」
俺の口が、勝手に結論を言った。トウタとミナトが短く頷く。レイカは唇を噛み、ミサキがインカム越しに息を呑む音が入る。
w1の夜、女の声が告げた。《あと◯分で演目終了です》。何が終了したのか。舞台? 違う。生だ。あの声は終わりを数えた。
今夜、再演のカウントが始まっている。
「出る」
言葉が、落ちた。俺の声はユウマで、すぐにタナトスへ移行する。
「スペクター、噂を分散。ルート、監視網の目潰しを継続。サイレン、群衆誘導。オーロラ、生命線を握ってろ」
『「「「了解」」」』四つの声が重なった。トウタの指はさらに速く走り、ミナトの画面には侵入経路が三本描かれる。レイカはすでに偽の通行止めと停電情報を投下し、現地の人の流れを曲げ始めている。
ノード・ゼロの青い光が、少しだけ寒くなった気がした。俺は深く息を吸う。w1の冷たい水の匂いが、鼻の奥にうっすら戻る。それでも、足は前へ出る。
再演は許さない。
舞台を空にするのは、俺たちの役目だ。
“冷たい運搬”は、まだネットの奥で蠢いている。
句読点のリズム、全角スペースの癖、RT60に合わせて揺れる残響。
全部、俺の耳にとっては銃声と同じだ。
――これは「犯人の声」じゃない。演目の指揮棒なんだ。
影村学園は、まだ“舞台装置”として息を潜めている。
けれどわかる。もう始まっている。
「観測されない演目」なんてものは存在しない。
だったら、俺が観測し、俺が潰す。
タナトスとして。




