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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
固定点1981編

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116/122

EP121. 映像は、逃げ道さえも焼く

 紙は疑える。


 印刷は、嘘をつける。

 改ざんできる。

 固有名詞は塗り替えられる。


 でも映像は違う。


 映像は“あったこと”の顔をして、

 人の判断を先に奪う。


 新聞が一致したとき、私は冷えた。

 テレビが一致したとき、私は悟った。


 ここは、私のいた世界じゃない。


 でもそれ以上に嫌なのは、私が逃げるために用意した“仮想の名前”が、この世界では普通に使われていることだ。


 国政連盟。

 黒川総一郎。

 南浜沖地震。


 私は現実を直視しないために、固有名詞をすり替える癖がある。


 それを、この世界は知っているみたいに振る舞う。


 偶然?

 違う。


 偶然は、ここまで私に都合よく整わない。


 映像は焼き付ける。

 そして焼け跡には、逃げ道が残らない。


 これは、ブラウン管が、私をこの世界に固定しようとした瞬間の記録だ。


 図書館を出た瞬間、外の空気が軽く感じた。


 軽い、というのは安心の軽さじゃない。

 圧が変わっただけだ。紙の匂いと梁の軋みと、背中に貼りつく視線の粘度――あれらが、いったん薄まった。


 薄まっただけで、消えてはいない。


 私は歩きながら、自分の中で言葉を整理する。


 (紙は偽造できる。……でも生活の記憶は偽造しにくい。

  なら次は、“生活そのものを流す装置”で照合する)


 テレビ。


 この時代のテレビは、今みたいな「各自の端末」じゃない。

 部屋に置かれた、一つの目玉。家族の視線を同じ方向に揃える装置。


 赤ランプが校舎の心拍を揃えるなら、テレビは家庭の心拍を揃える。


 どっちも嫌いだ。

 でも、今の私にはその「揃えられ」を利用するしかない。


 私は自分に言い聞かせる。

 (観測。観測だけ。介入は後)



 玖条家の玄関に戻ると、屋敷は相変わらず“広さ”で圧をかけてきた。


 門をくぐるだけで、世界が別の規模になる。

 三千坪。個人の領地。

 そこに足を踏み入れるたび、私は「ここにいる」ことを自分で認めさせられる。


 (馴染むな。馴染むな)


 馴染むな、と念じながら歩くのは矛盾だ。

 だって、歩き方そのものが生活だから。


 玄関で靴を脱ぐ。

 木の床が、きゅ、と鳴る。

 “家の音”。


 その音に、私は昨日から妙に敏感になっている。


 音は、世界線を縫う。



 居間は、客室ほど広くない。

 でも“家格”が滲む。


 座卓じゃなく、少し背のあるテーブル。

 飾り棚。掛け時計。花瓶。

 生活の必需品のフリをした“家の履歴”。


 リツコが先に入って、少し困った顔をした。

 「……テレビ、見る?」


 その聞き方が、なぜか可笑しい。

 今の私はテレビを見るために走って帰ってきたのに、彼女は「暇つぶし?」みたいな温度で聞く。


 私はなるべく軽く返した。

 「うん。ちょっと……ニュース」


 “ニュース”という言葉は便利だ。

 記憶喪失ラベルにも、混乱ラベルにも馴染む。


 リツコは頷いて、テレビのスイッチを入れた。


 ――ぶつ。


 ブラウン管が一瞬、白く膨らむ。

 ノイズ。走査線。

 画面が落ち着くまでの“間”が、今の私にはやけに怖い。


 現代の画面は起動が速すぎて、考える余白がない。

 昭和の画面は遅い。

 遅いから、こちらの脳が先に想像を挟む。


 その想像の中に、ZAGIが入り込む余地がある気がした。

 (やめろ。余計な因果を作るな)



 ニュースが流れた。

 硬い声のアナウンサー。

 抑揚が少ない。語尾が整っている。

 言葉が“個人の感情”を運ばないように作られている。


 そして、テロップ。


 「国政連盟 予算修正協議」

 「改革同盟・市民前線 共同声明」


 来た。

 私は呼吸が一拍遅れる。

 (……一致)


 図書館の紙面と、テレビの映像が一致している。

 一致した瞬間、人は安心する。世界が一枚になるから。

 でも私は、安心の代わりに、胃が冷えた。

 (一致する=この世界は“そういう世界”として固い)


 紙が偽造だとしても、テレビまで同じなら話が変わる。

 少なくとも、“公共の現実”として整合が取れている。

 なら、私のいた世界――2025年の私の現実とは、もう同じ地図を共有していない。


 世界線が違う。


 私は湯呑みを持つふりをして、指先に力を入れる。

 震えないように。


 リツコは普通に茶をすする。

 普通の顔で言う。

 「……黒川さん、また復興って言ってる」


 黒川さん。

 首相を「さん」付けで呼ぶ生活感が、胸に刺さる。

 (本当にいるんだ。黒川総一郎は)


 私の逃げ道として作った架空名が、この世界では生活として呼ばれている。

 その事実が気持ち悪い。

 気持ち悪いのに、どこかで腑に落ちる。

 (私の思考癖を知ってる何かが、この世界を“私が逃げられない形”に整えてる)


 私はテレビに視線を固定する。

 視線を逸らしたら、背中の視線に負ける気がした。


 ニュースは続く。


 「北洋連邦、海域演習を拡大」

 「大西合衆圏、強く抗議」


 図書館と同じ。


 一致は確定だ。

 確定は、牢屋の鍵だ。



 それなのに。


 画面の隅に映る“街”は、影村の街だった。

 影村学園の坂道。

 見慣れた門の形。

 リツコたちがいる世界。


 つまり、ここには“私の仮想”と“私の知らない現実”が混在している。


 国政連盟は、私の仮想の匂いを持つ。

 でもリツコは私の仮想じゃない。

 彼女の声も、癖も、切れ味も――私が用意できるものじゃない。


 混在。


 (どういう混ざり方? 世界線が違うなら、全部が違うべきなのに)


 違うのに、似ている。

 似ているのに、固有名詞がズレる。

 ズレるのに、私の逃げ道の固有名詞は一致する。


 私の脳は、勝手に結論へ走る。

 (……私が“観測”した部分だけ、ズレの方向が最適化されてる)


 観測した部分だけ。


 それは、ノード・ゼロに近い。

 観測が現実を固定する。

 固定された現実が、観測者の逃げ道を塞ぐ。


 私の呼吸が浅くなる。

 (まだ証拠が足りない)



 ニュースが終わり、番組表の告知が流れた。

 そこで、私は画面の文字に釘付けになる。

 「特集ドキュメント:炎の校舎——影村・天城 学園抗争の記録」


 嘘……来た。よりにもよって、こんな昼間に……。


 リツコが何気なく言う。

 「それ、今日やるんだ」


 「……え?」


 声が掠れた。

 私の声が掠れるときは、ほぼ確定で嫌な予感が当たる。


 リツコは肩をすくめる。

 「うちの父が好きでさ。こういうの。

  『歴史を忘れるな』って」


 “歴史”。


 歴史という言葉は、教科書の中に閉じ込めてほしい。

 生活の中で語られる歴史は、強すぎる。


 私は言葉を選ぶ。

 「……見るの?」


 「うん。アスミさんも見る?」


 断れるわけがない。

 断った瞬間、私は“見ない理由”を持つ人間になる。


 理由は固定点になる。

 固定点は糸を引く。


 私は頷いた。

 「そうだね……見ようか」


 声が、自分の口から出たのが腹立たしい。

 でも、それ以上に怖いのは、ここで黙り込むことだ。

 黙り込むと、背中の視線が喜ぶ。



 番組が始まった。


 古いフィルムの粒子。

 画面の端の歪み。

 色が薄い。音が割れる。


 それだけなら、ただの古い映像だ。

 でも、内容が――違う。


 最初に映ったのは、校舎の窓ガラス。

 割れている。

 そして、その割れたガラスの向こうに、教室が見える。


 机が積まれている。

 黒板にはスローガン。

 壁に貼られた紙。

 廊下には人。


 人の密度が、異常に高い。

 そして――カメラが、近い。

 (……近すぎる)


 現代の報道だったら、ここまで寄れない。

 寄ったら危ないからじゃない。

 倫理と法律と、撮影同意と、編集ガイドラインがあるから。


 でも、この映像は寄っている。


 顔の汗。

 唾が飛ぶ瞬間。

 拳が震える指。

 目の血走り。


 カメラが、群衆の中に“入っている”。

 まるで、撮影者自身がバリケード側の人間みたいに。


 私の喉の奥が冷える。

 (この撮影、危険とかそういうレベルじゃない。

  “今ならアウト”の密度で、全部が映ってる)


 火炎瓶が映った。

 投げる瞬間じゃない。

 もっと嫌なところ。


 瓶に布を詰める手。

 ガソリンの匂いが画面越しに伝わってきそうな手つき。

 火をつける指先。


 そして、燃える音。


 画面が揺れ、炎が走る。


 校舎の壁が燃える。


 その瞬間、私は思ってしまった。

 (……赤ランプの赤より、こっちの赤が本物だ)

 昨日、キョウジが語った“七〇年代の熱”が、映像として襲ってくる。


 リツコが小さく言う。

 「……やっぱり、これ、嫌」


 嫌。

 その言葉が救いになる。

 彼女も、ただ消費してるわけじゃない。

 目を背けたいと思っている。


 私は言う。

 「……嫌だね」


 言いながら、目を逸らせない。

 映像はさらに進む。

 廊下で殴り合い。

 教師が引き剥がされる。

 教師が怒鳴る。

 生徒が泣きながら笑っている。


 そして――

 カメラが、窓際で倒れた女の子を映した。


 私は息を止めかけて、止めない。


 倒れた女の子。

 周囲の靴。

 踏みつけられそうな距離。

 誰かが何かを叫んでいるのに、声が割れて聞き取れない。


 その「聞き取れなさ」が、残酷だった。

 (……誰の声も、その子の声を聞いてない)


 昨日の怪談の一節が、映像に接続される。

 怪談は作り話だと、言えなくなる。

 だって映像がある。

 映像は“証拠”の顔をして、世界を固定する。


 私は背中がぞくりとした。

 背中の視線が――強くなる。


 (見たでしょ?)


 そんな圧。


 リツコがテレビの音量を少し下げた。

 「……これ、放送部でも話題になるんだよ。

  天城と影村の“因縁”って、こういうとこから始まってるって」


 因縁。

 言葉が軽い。

 でも映像は重い。


 私は、また混在を感じる。

 この世界の政治は、私の仮想と一致している。

 この世界の歴史は、私の常識よりも剥き出しで、危険な形で残っている。

 そして、リツコたちはちゃんと“生活”としてそれを受け止めている。


 私だけが、どこにも足場がない。



 番組が終わるころ、私は気づく。

 私は今、テレビという装置で“確定”させてしまった。

 国政連盟が実在すること。

 黒川総一郎が首相であること。

 南浜沖地震が生活の記憶として語られること。

 影村と天城の学生運動が、映像として残っていること。


 確定は、逃げ道を狭くする。

 でも、確定しなければ、私は何もできない。


 矛盾は増える。

 そして最大の矛盾は、やっぱりここだ。

 (私の架空の設定が、この世界では現実として流れているのに、リツコたちは私の架空じゃない)


 この混在は、偶然じゃない。

 “誰か”が、私に合わせて世界を編んでいる。


 その誰かがZAGIなら――この屋敷も、図書館も、テレビも、全部「固定化」のための足場だ。


 背中の視線が、また一段濃くなる。

 私が“分かった”瞬間を、見逃さない視線。


 (……次は、沿革)


 影村学園の沿革。

 天城の設立。

 学生運動の記録。

 昨日の怪談に出てきた“死んだ子”の名前。


 そこに名前が載っていたら、私はいよいよ逃げられない。

 でも――見ないと、もっと逃げられない。


 私は立ち上がった。

 リツコがこちらを見る。

 「……大丈夫?」


 大丈夫じゃない。

 でも、この世界の中で“大丈夫じゃない”は危険な単語だ。


 私は少しだけ笑う。

 「うん。大丈夫。……たぶん」


 たぶん、という逃げを残して、私は部屋を出た。

 廊下の床が、きゅ、と鳴る。


 その鳴り方が――

 さっきテレビで見た、燃える校舎の木の音と、同じ種類に聞こえてしまって私は笑えなかった。


 でも、動く。

 二日目はもう始まっている。


 そしてこの世界は、紙よりも強い“映像”で、私を囲い始めている。


 紙はまだ優しい。


 閉じれば、視界から消える。

 破れば、なくなる。

 読まなければ、存在しないことにできる。


 でも映像は違う。


 一度見たら、残る。

 目の裏に焼き付く。

 音と光と、群衆の熱が、消えない。


 学生運動の映像は、怪談より残酷だった。


 怪談は想像の余白がある。

 でも映像は余白を奪う。


 炎の色。

 殴る音。

 倒れた少女の画角。


 あのカメラは、倫理よりも“記録”を優先していた。


 それが、この時代の熱だ。


 そして私は、そこで理解した。


 この世界は、私の仮想と一致する部分だけを選んで、現実として固定している。


 でもリツコは仮想じゃない。

 キョウジも仮想じゃない。

 彼らは、私の逃げ道とは無関係に生きている。


 混在。


 それがいちばん不気味だ。


 もし全部が私の思考由来なら、まだ戦える。

 でも、混ざっている。


 誰かが編集している。

 私の記憶と、この世界の歴史を。


 そして、背後の視線。


 あれは幽霊じゃない。

 あれは“感情”だ。

 私が何かを理解するたび、強くなる。


 気づくな。

 確定するな。


 そう言われているみたいに。

 

 私はまだ帰れていない。


 紙は疑える。

 映像は焼き付く。

 じゃあ次は何だ?


 ――名前だ。


 名前が一致したら、私は本当に逃げられなくなる。

 だから観測する。


 絶対に、“この世界に慣れるな”。


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