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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
固定点1981編

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112/121

EP117. 声で縫われる学園

 昭和の学校には、二つの“電波塔”がある。


 ひとつは職員室。

 黒電話と書類の山でできた、紙のサーバ室。

 大人の言葉が、正しさという名前で流通する場所。


 もうひとつは放送室。

 赤いランプが点けば、ひとつの声が校舎を支配する。


 私はいま、その二つの間に立っている。


 質問で囲まれ、

 善意で分類され、

 そして“声”でまとめられようとしている。


 昭和五十六年。

 影村学園。


 ここでは、同調が優しい顔をしてやってくる。


 私はまだ、同調しない。


 観測者でいる。


 戌神キョウジと別れたあと、私は玖条リツコに引きずられるみたいに職員室へ向かった。


 引きずられる、という表現は誇張じゃない。

 彼女の歩幅は規範のテンポで、私はそのテンポに合わせないと「異物」になる。


 異物は見つかる。

 見つかった異物は、だいたい標本にされる。


 廊下の突き当たりに、木の引き戸。

 ガラス越しに見えるのは、紙の山、灰皿、黒電話、スチールの棚。

 画面もタブもない世界に、情報だけが紙で積み重なっている。


 ——これが昭和の“サーバ”なのね。


 引き戸を開けた瞬間、空気が変わった。

 生徒の空気じゃない。大人の空気。

 支配と手続きと、勝手な善意の匂い。


 私は本能的に——嫌いだと思った。

 理屈じゃない。

 この匂いは「君のため」という顔で、勝手に君の可能性を決める。


 「おう、玖条。……お、誰だ?」


 振り向いた男は二十代半ばくらい。若いのに、若さを大人の型に押し込めてる顔。

 白いワイシャツの袖を雑にまくって、ネクタイは緩い。

 緩いのに、目の奥が緩くない。


 「教師の生島トオルだ。担当は——まあ色々」


 色々、という言い方。

 この手の人間が言う“色々”は、だいたい全部に口を出す免罪符だ。


 リツコが即座に紹介した。


 「こちら、矢那瀬アスミさんです。……転校生、みたいな」


 “みたいな”。そういうしかないよね。

 その曖昧さが、今の私の命綱でもある。


 生島先生——生島トオルは、私を見た。

 見方が、嫌だった。

 人を見るんじゃない。“情報”を見る目。


 「矢那瀬。へえ。どっから来た? どの辺? 親は?兄弟は? なんで今?」


 根掘り葉掘り。

 息継ぎの隙間を与えない。質問で相手の言葉を誘導して、勝手に分類するやり方。


 私は唇の裏を噛んで、反射を殺す。

 ここで「関係ないでしょ」なんて言ったら、私が悪者になるのは昭和のルールだ。


 リツコが一歩前に出た。


 「先生、そんなに一気に聞いても……」


 「あ、いや、心配なんだよ。新しい生徒ってのはさ」


 “心配”。

 来た。大人の便利な単語。

 責任を正当化する魔法の言葉。


 生島が、リツコの名札を指で軽く叩いた。


 「それにさ、玖条は生徒会だろ? 風紀も含めて面倒みろよ」


 「……先生、それ今言う必要あります?」


 リツコが即ツッコミを入れる。

 声は抑えてるのに、刺さる。刺さり方が、正しい怒りの刺さり方。


 けれど玖条リツコも生徒会?

 これは偶然?


 生島は「いやいや」と笑った。

 笑い方が軽い。軽いのに、逃げ道を塞ぐ笑い。


 「いや、ほら、こういうのって大事じゃん? だってさ、今年ってさ、流行も色々あるし。

  矢那瀬、知ってる? ほら、最近さ——」


 出た。文化講釈で距離を縮めた気になるやつ。


 「テレビ観るか?聖子ちゃんとかさ。あのアイドルとか。あと、ルービックキューブはやった?

  すげえ流行ってんだぞ。友達できるぞ」


 ……知らない。

 というか、知識として知ってても、リアルタイムの“熱”がわからない。

 そして一番問題なのは、私が今、この場で「知ってる」と言う根拠がないことだ。


 過去に落ちた人間は、知識が武器になる。

 でも武器は、出し方を間違えると即バレる。


 私は笑って誤魔化した。


 「……すみません。いま、ちょっと頭が混乱してて」


 「混乱? そりゃ大変だ。保健室——」


 「要りません」


 反射で強く言いすぎた。

 一瞬、職員室が静かになる。


 生島は口角を上げたまま、目だけ細めた。

 嫌な大人の目だ。

 “従わない子”を見つけたときの、興味の目。


 「強いなあ。いいね、最近の子は。……で、矢那瀬。好きな音楽とかある?

  ラジオ聴く? オールナイトニッポンとかさ」


 ラジオ。

 この世界のネットワークは、電波と紙でできてる。

 だからこそ、放送は強い。

 放送は、世界線に“同じ音”を貼りつける。


 ——嫌な一致。


 私が何も言えずにいると、リツコが堪えたように息を吐いた。


 「先生。アスミさん、迷子なんです。いまは聞き取りより、落ち着く場所が必要です」


 迷子。

 その言い換えをしてくれるの、助かる。

 助かるけど、胸が少し痛い。

 私は迷子じゃない。迷子になってるのは世界線の方だ。

 ……でも、その言い訳を口にした時点で、私は怪しい。


 生島は、机に肘をついて私を覗き込んだ。


 「落ち着く場所ねえ。……玖条、どこ連れてく気?」


 リツコが、迷いなく言った。


 「部室です」


 「部室?」


 「放送部」


 生島が「へえ」と声を出した。

 へえ、の言い方が、妙に気に入らない。

 人の居場所を“教材”扱いする感じがする。


 「いいじゃん。放送部。声出せば元気になるぞ」


 ——違う。

 声は情報だ。声は奪われる。

 でもここは昭和。声の価値は、私の世界よりさらに重い。


 私はリツコの背中を見て、やっと頷いた。


 「……行く」


 リツコが小さく頷き返す。

 正しい人の頷き。

 その正しさが、いまは救いだった。



 部室棟は、校舎の端にあった。

 木の匂いが濃い。換気が下手で、熱が溜まる。

 熱は感情を煮詰める。感情が煮詰まる場所には、物語が生まれる。


 扉の横に貼られた紙。


 『放送部 関係者以外立入禁止!特に放送中は入室禁止!』

 手書き。インクの濃淡。筆圧。

 人間の癖が残る字は、逆に怖い。

 癖は追跡の入口になる。


 リツコがノックもせずに開けた。


 「入るよ」


 中は——機材の墓場だった。

 テープ、リール、ミキサーらしき箱、マイクスタンド、スピーカー。

 金属と埃と、電気の匂い。


 そして、空気が“明るい”。


 明るいっていうのは照明の話じゃない。

 人間の雑さがある。雑さが、息を許す。


 「リツコー! おかえり!」


 飛び出してきた女子が、笑顔で両手を振った。

 距離感が早い。

 でも早さが、計算じゃない。天性のやつ。


 「……え、誰?新顔さん!?はじめまして!鳴海シズク!二年です!」


 彼女は私を見て、即座に「味方」扱いする目をした。

 怖い。怖いのに、救われる。

 こういう人は、世界の境界を薄くする。


 リツコが簡潔に言った。


 「矢那瀬アスミさん。……事情があって、少しここに」


 「事情! 大好き!」


 シズクが目を輝かせた。

 この人、絶対に倫理より好奇心が先に走るタイプだ。

 つまり——NOXに近い。


 私は内心で、ため息をついた。

 似てる場所は危険だ。

 似てる場所は、私を定着させる。


 「で、アスミさん。放送部、興味ある? うち、めっちゃ楽しいよ!」


 「……まだ、状況が飲み込めてない」


 私がそう言うと、シズクは「わかる〜!」と勝手に共感した。

 わかってないのに共感するやつ。

 それが人間の良さでもあり、弱さでもある。


 リツコが、部屋の奥を指した。


 「あとで部長も来る。……説明はそのとき」


 「部長?」


 「三年。手塚ケイ先輩」


 その名前を聞いた瞬間、私は根拠なく身構えた。

 “部長”という役職は、組織の固定点だ。

 固定点は、世界線を縫う針になる。


 シズクが嬉しそうに頷く。


 「ケイ先輩、最高だよ。怖いけど」


 「怖いのは最高じゃないでしょ」


 「最高だよ。怖いから」


 ……この放送部、危険だ。

 危険なのに、居心地が良さそうなのがもっと危険だ。


 そして、シズクがさらっと言った。


 「あ、戌神くんもすぐ来ると思う」


 ——戌神キョウジ。

 あの軽い笑い。背後の黒髪。

 “ずっとそう”という言葉。


 私は、喉の奥が冷えた。

 過去の固定点が、私の周囲に集まり始めている。



 扉が開いた。

 入ってきたのは、三年の女子。


 背筋がまっすぐ。

 制服の着方がきっちりしてるのに、どこか“舞台”の匂いがする。

 髪のまとめ方、視線の置き方、間の取り方。

 この人は、自分が見られることを前提に生きてる。


 「リツコ……新しい子?」


 声が落ち着いてる。

 落ち着いてるのに、心拍が上がるタイプの声。

 抑揚が少なくて、逆に圧がある。


 リツコが説明しようとしたが、ケイが先に私を見た。


 「さっき生島から聞いた。矢那瀬アスミ。……だよね?」


 当てられた。

 名乗ってないのに。

 いや、名乗ったけど、この部屋ではまだ言ってない。


 私の背筋が固くなる。

 観測されてる。

 この人、情報の回し方が上手い。放送部の部長らしい。


 シズクがニヤニヤしながら言った。


 「ケイ先輩、嗅ぎつけた!」


 ケイが小さく笑った。笑い方が薄い。


 「うん。今日の放送、ちょうど“お客”が欲しかった」


 ……お客。

 私は人間なのに、役割にされる。

 NOXの匂いがする。最悪。


 「今日は怪談回の曜日ですからね!」


 シズクが嬉しそうに言う。

 曜日で怪談回を固定してる時点で、この部活はもう儀式だ。

 儀式は危険だ。儀式は世界を縫い留める。


 私は困惑して、声が乾いた。


 「……怪談回? 何それ」


 ケイが、楽しそうでもないのに楽しそうに言った。


 「怖い話をする回。放送部だから、音でやる。……影村学園は、そういうの似合うでしょ」


 似合う、という言葉が刺さる。

 似合う=定着。

 私は似合いたくない。私はここに居たくない。


 でも——拒否する言葉が、昭和の空気で鈍る。



 そのとき、廊下の向こうから足音。

 軽い。走ってる。

 そして扉が勢いよく開いた。


 「おっす。——部長、来たぞ」


 戌神キョウジ。

 やっぱり、空気が一段明るくなる。

 本人の意思なのか、周囲の錯覚なのか、判別がつかない明るさ。


 彼はケイに軽く頭を下げた。


 「手塚先輩、今日もよろしく」


 「よろしく。——で、戌神。あなた、今日も後ろの連れてきたの?」


 ケイの視線が私に落ちる。

 落ち方が、もう“キャスティング”。


 戌神が私に気づいた瞬間、目が少しだけ柔らかくなった。

 嬉しそう、というより、“面白い偶然”を拾った顔。


 「お。アスミ。——放送部にようこそ」


 「ちょっと待って」


 反射で言った。

 声が大きい。

 大きいのに、部室の空気が笑う。

 笑う空気は、抵抗を冗談に変換する。


 「勝手に入部させるな!」


 言い切ってから、私は気づいた。

 これ、NOXで何回も言ったやつだ。

 勝手に“メンバー”扱いされて、勝手に“役割”を押し付けられて、でも結局助け合うやつ。


 ——最悪。

 懐かしい。

 懐かしいのが、もっと最悪。


 頬が熱くなる。

 赤面。

 自分でも分かるのが腹立たしい。


 シズクが笑った。


 「ツッコミ鋭い! いいね! アスミさん、絶対向いてる!」


 「向いてない!」


 「向いてるよ。ツッコミは放送で重要!」


 ケイが淡々と頷く。


 「うん。ラジオトークにもちょうどいい」


 私の胃が沈む。

 演目。

 この人たち、私を“素材”にするのが早すぎる。


 戌神が、マイクを手に取った。

 古いダイナミックマイク。コードが太い。

 握ると、金属が冷たい。冷たいのに、熱を呼ぶ。


 彼は部室の中央に立って、息を吸った。

 吸い方が自然。

 自然すぎて、怖い。

 “慣れ”は固定点の匂いだ。


 「アスミの前じゃヘタはできないな」


 そして戌神は、軽い笑いで言う。


 「さあ——よってらっしゃい、これから世にも恐ろしい話を始めようか」


 マイク越しの声が、部室の空気を変えた。

 声は、電気に乗って、スピーカーから出て、校舎に染みる。

 昭和の放送は、校内の世界線を一つに揃える。


 揃う。

 位相が揃う。

 ——ノード・ゼロで私が嫌だったやつに、似ている。


 私は、背中に寒気を感じた。

 それでも、部室の空気は明るい。

 笑っている。

 人間の熱が、ここにはある。


 だから余計に、怖い。


 “楽しい”は、定着の罠になる。

 私は戻る道を探しに来た。

 なのに、私は今、放送部という“小さな世界線”の中心に立たされている。


 リツコが小さく言った。


 「……アスミさん。とりあえず、座って。『逃げる』なら、そのあとでもいい」


 逃げるなら、今のうち。

 戌神の言葉が重なる。


 私は椅子に座りながら、胸の奥で命令する。


 観測しろ。

 介入は、その後。

 ——でも、笑ってしまうなら、その瞬間の自分も観測しろ。


 戌神の声が校内に流れ始めた。

 怪談回。

 昭和五十六年の、影村学園で。


 そして私ははっきり理解した。


 この放送部には、NOXに似た匂いがある。

 雑で、明るくて、無責任で、でも——

 誰かの孤独を見逃さない匂い。


 ……それが、一番厄介だ。


 生島トオルの質問は、書類のインクみたいに乾いていた。


 玖条リツコの言葉は、規範という定規でまっすぐだった。


 鳴海シズクの笑いは、無防備で、少し危険だった。


 手塚ケイは、人を“演目”に変える才能を持っていた。


 そして戌神キョウジは——

 マイクを握るだけで空気を揃える。


 昭和の放送は、誰かを傷つけるためじゃない。

 でも、気づかないうちに、同じ周波数へと整列させる。


 私は戻る道を探しに来たはずなのに、いま、校内放送の中に座っている。


 笑ってしまった。

 少しだけ。


 それを観測している自分がいる。


 ……それが、一番、危ない。


 赤ランプが点いている。

 まだ、消えない。


 そして私は思う。


 この放送部は、世界線よりも厄介だ。


 人の“居場所”という名の、最強の固定点だから。


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