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Chron0//≠BreakerS  作者: 時任 理人
固定点1981編

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111/121

EP116. 夕暮れの教室は、現在を裏切る

 私は「過去」って言葉が嫌いだ。

 過去は美化されるか、怨念になるか、その二択みたいな顔をする。どっちに転んでも、今を削る。

 科学的に言えば、過去はただの記録だ。観測された痕跡の束。

 でも人間はその束に“物語”を貼る。貼った瞬間、記録は刃物になる。


 私は、刃物の扱いには慣れてる。

 独白を武器にしてきた。式に落として、毒にして、触れた相手の手首を切る。

 だから、読まれない場所に仕舞い込んでいた。

 読まれなければ負けない。

 ……そんな子どもみたいな理屈を、いまだに信じてた。


 それが壊れたのが、ノード・ゼロだった。


 『ZAGI』。

 あの四文字は、警告じゃない。条件分岐だ。

 私の神経を鍵にして、勝手に扉を開く。

 開いた先がどこかなんて、私の同意は必要ないらしい。


 そして私は、夕暮れの教室で目を覚ました。

 “自然”の匂いがする場所。

 自然すぎる場所。


 机は木。チョークは粉。ガラスは古い。

 ――文明が違う。

 違うのに、肌だけはすぐ馴染みそうになる。


 馴染むな。

 馴染んだ瞬間、私はここに定着する。

 定着した瞬間、ノード・ゼロは夢になる。


 夢にする気はない。

 私は観測者だ。

 観測は、現実にしか意味がない。


 だから私は、教室の「物理」から疑った。

 疑って、確定して、次に進む。


 再起動直後:教室の「物理」が違う


 目を開けた瞬間、私はまず“光”を疑った。


 夕暮れの橙は橙なのに、スペクトルの端が雑だ。

 青成分が妙に沈んでいて、窓ガラスの反射が鈍い。

 高透過率のコーティングがない。つまり、ガラスが古い。

 古いガラスは、時代を持っている。

 時代は、物理のふりをして人間の皮膚に貼りつく。


 教室の匂いが、刺さった。


 チョーク。

 ワックス。

 木の机のささくれ。

 古い紙の繊維と、インクの揮発。

 それらが混ざって、私は一瞬で「ここは“自然”だ」と脳が誤判定しかける。


 自然すぎる、が一番怖い。


 私は椅子の座面に指を押しつけ、反力を見る。

 柔らかすぎない。硬すぎない。

 樹脂じゃない。合板でもない。

 “木”だ。乾いている木。


 机の天板に爪を立てる。

 白い痕が残る。塗装が薄い。

 薄い塗装は、丁寧な安全より、手間と予算の匂いがする。


 窓際の黒板の端。

 消し跡の粉が舞って、光に乗って落ちる。

 その粉の落ち方が、妙に重い。

 最近の粉塵抑制チョークじゃない。粒径分布が粗い。

 ──昭和のやつ。


 私は息を吸う。二拍。吐く。三拍。

 落ち着け。観測しろ。

 介入は、その後。


 それでも、胸の奥がひどく冷える。

 だってここには“端末”がない。

 胸ポケットを探っても、ない。

 掌を見ても、ない。

 机の上にあるのは、知らない筆箱と、知らないノート。


 ノートの紙が黄ばんでいる。

 黄ばみ方が自然。

 “意図した黄ばみ”じゃない。

 時間の酸化だ。

 時間は偽装できるけど、紙の酸化は、コストが合わない。


 私は、黒板に残った文字を読む。


 「昭和五十六年 六月 ——」


 そこで、胃が一段沈んだ。


 昭和56年。

 1981年。


 「……は?」


 また、間抜けな声が出た。

 最近の私、ほんと語彙が死んでる。

 というか語彙以前に、状況が悪趣味すぎる。


 私は窓の外を見た。


 校庭は砂。

 整地の粗さ。

 ラインの白さが、粉っぽい。

 防球ネットの支柱が太い。

 校舎の外壁は、くすんだクリーム色。

 ガラス窓はアルミサッシじゃない。鉄の匂いがする。


 空の色だけは、同じ夕暮れなのに。


 同じ夕暮れが、違う時代に貼り付くと、世界は“似ているふり”ができる。


 似ているふりをした世界は、だいたい罠だ。



 私は制服を見下ろす。


 スカート。

 短い。

 いつもの私の改造制服の短さじゃない。

 というか、布の質が違う。厚い。

 化繊の混紡率が低い。

 擦れる音が、乾いている。


 襟元の形。

 縫製の粗さ。

 糸の太さ。

 そして──ボタン。


 プラスチックの軽さじゃない。

 硬質の、安い樹脂。

 時代の安さ。


 私はポケットをもう一度探る。

 スマホは当然ない。

 イヤホンもない。

 ケーブルもない。

 NOXのチップも、バイタルパッチも、予備のトークンも。


 つまり私は、剥がされた状態で投げ込まれている。


 「……わざとね」


 誰かが、私の“現代”を切り落とした。

 切り落とされた瞬間、人間は“ただの肉体”に戻る。

 肉体は、ここでは一番弱い。


 でも同時に、一番誤魔化せる。


 端末がないなら、私は口で観測する。

 足で距離を測る。

 視線で統計を拾う。

 人間の感覚は、最後のアナログ機器だ。


 私は教室のドアを押した。


 軋む。

 蝶番が古い。

 油を差しても、癖が抜けていない。

 廊下に出ると、足音が硬い。

 Pタイルじゃない。モルタルっぽい、乾いた床。

 反響が長い。

 音が“残る”ということは、吸音材が少ない。

 学校がまだ「音を消す」という発想を持ってない。


 廊下の掲示板には、紙が画鋲で留められている。

 プリンターじゃない。

 ガリ版の匂い。

 コピー機の紙粉。


 ──確定。

 ここは1981年。過去の影村学園。


 そして、ここまで来ると、逆に笑えてくる。


 「……私、タイムリープしたの? マジで?」


 冗談みたいに口にしたら、ほんの少しだけ呼吸が楽になった。

 冗談は酸素だ。

 酸素は助かる。

 でも酸素は、火も呼ぶ。



 階段を降りる。

 手すりの塗装が剥げて、掌に粉がつく。

 粉がつく建物は、手入れが追いついていない。

 手入れが追いついていない場所は、必ず「ルール」が増える。


 影村学園。

 影が村を作る。

 名前からしてもう、縁起が悪い。


 昇降口の下駄箱。

 木製。番号札が黄ばんでいる。

 靴は上履き。赤いライン。

 今みたいな抗菌加工の匂いじゃない。

 ゴムの匂いが強い。

 ゴムは時間を閉じ込める。


 外へ出ると、夕暮れの風が顔に当たった。


 湿度が高い。

 夏の手前の、重い湿度。

 でも“都市の匂い”が薄い。

 排気ガスが少ない。

 車の音が、遠い。


 私は校舎を見上げた。

 窓の数。

 屋上のフェンスの低さ。

 今なら絶対に通らない安全基準の低さ。


 「……危ない」


 小さく言って、すぐ自分に舌打ちした。

 危ない、じゃない。

 危ないのが“当たり前”な時代なんだ。


 当たり前が違う世界では、正しさは武器にならない。

 正しさはただの孤立になる。


 私は歩き出す。

 とにかく校内の地図を取る必要がある。

 職員室の位置。

 校門。

 寮があるなら寮。

 保健室。

 電話。

 ……そう、電話だ。


 1981年なら、公衆電話か職員室の内線が唯一の外部ラインになる。


 私はその計画を頭の中で組み立てて、「今から私は冷静」って顔を作った。


 作った瞬間──背後から声が来た。



 「あなた」


 声が硬い。

 硬いけど、嫌味じゃない。

 規範の硬さ。

 制服のボタンみたいに、時代の硬さ。


 私は振り向いた。


 そこにいたのは、同じ制服の女子生徒。

 髪はきっちり。

 前髪の幅が狭い。

 目つきが真面目で、真面目すぎる。

 真面目な人は、時代のルールを代弁しがちだ。


 彼女は私のスカートを見て、眉を寄せた。


 「スカートの丈が短すぎます。……風紀が乱れますよ」


 ……来た。

 昭和の鉄板イベント。


 私は一瞬、反射で言い返しそうになった。

 「私の自由でしょ」とか、そういう現代のテンプレを。

 でも、ここは現代じゃない。


 自由は制度の上にしか乗らない。

 制度が違うなら、自由はただの挑発だ。


 私は、口角だけで笑う。


 「……指摘ありがとう。うん、善処する」


 自分で言って、微妙に腹が立つ。

 私が“善処”って単語を使うの、最悪だ。

 NOXが一番好きな曖昧語じゃん。


 女子生徒は名札を指で押さえた。

 見せるように。


 「玖条くじょうリツコです。二年」


 ……玖条。


 心臓が、ほんの少しだけ跳ねた。


 「玖条……?」


 私の声が、勝手にその苗字をなぞった。

 舌が覚えてるみたいに。


 玖条リリ。

 リリの苗字。

 同じだ。


 血縁? それとも……世界線の反復?

 名字は、偶然にしては強すぎるタグだ。


 私は、無意識に一歩近づいていた。


 「あなた、見ない顔ね。転校生?」


 リツコの目が私を測る。

 測るというより、“品定め”じゃない。

 “分類”。

 分類されるのは嫌いだ。

 分類されると、枠に押し込まれる。


 「……そういう感じ。ちょっと、迷子」


 私が言うと、リツコは小さく息を吐いた。


 「迷子? 校舎で?」


 「校舎というより……人生で」


 言った瞬間、自分で笑いそうになった。

 笑えないのに。


 リツコはその冗談を真面目に受け取って、真面目に少しだけ表情を柔らかくした。


 「ふざけてる場合じゃないでしょう。……案内します。用があるなら、職員室はこっち」


 助かる。

 助かるけど、怖い。


 親切は、世界が私を“ここに定着させる”第一歩になりうる。

 私は定着したら終わる。

 定着した瞬間、ノード・ゼロは遠くなる。


 それでも、今は情報が必要だ。


 「ありがとう、リツコ。……玖条さん」


 呼び方を迷った。

 「リツコ」って呼ぶ距離じゃない。

 「玖条さん」だと硬い。

 硬い方が安全。

 だから硬い方を選ぶ。


 リツコは頷いた。


 「“玖条”でいいです。苗字の方が、正しい」


 正しい、という言葉が刺さった。

 正しさは危険だ。

 正しさは硬直する。

 硬直は装置に利用される。


 ──装置。

 ZAGI。

 ノード・ゼロ。

 私はまだ、そこから切れてない。


 背中に、見えない追跡が貼りついている気がした。




 リツコの案内で歩き出した、その角で。


 「うわっ」


 誰かとぶつかった。


 肩が当たる。

 教科書が落ちる。

 紙の重さ。

 今の薄い教科書じゃない。

 紙が厚い。インクが濃い。


 私は反射で、落ちたものを拾おうとして、相手の手が先に伸びてきた。


 「大丈夫か?」


 男子生徒。

 背が高い。

 制服の着崩しが自然。

 自然すぎる。

 自然な着崩しは、“こいつはここで強い”のサイン。


 手を差し出された。


 私はその手を握った。


 握った瞬間。


 背筋が凍った。


 男子生徒の背後。

 廊下の光が届かない場所。

 そこに──悍ましい影が立っている。


 真っ黒な長い髪。

 顔が見えない。

 見えないのに、見られている。

 視線だけが、私の皮膚の裏を撫でる。


 あのW1のアニマトロニクスとは、違う。

 機械の規格化された恐怖じゃない。

 もっと古い。

 もっと湿った。

 生身の執着。


 私は息を止めた。


 止めた瞬間、男子生徒の目が細くなった。

 ──気づいた。

 私が見たことに。


 彼は、平然と笑った。


 「気にするな」


 笑い方が軽い。

 軽いのに、軽さが“慣れ”に裏打ちされている。

 慣れてる。

 つまり、あれは日常だ。


 「こいつは嫉妬してるだけだ」


 ……嫉妬。


 嫉妬という単語が、場違いなほど人間臭くて、逆に怖さを増幅する。


 私は、手を握ったまま固まっていた。

 握っている手が熱い。

 熱いのに、汗は冷たい。


 リツコが男子生徒を見て眉を寄せた。


 「戌神くん、廊下でふざけないで。……また問題になるよ」


 戌神。


 男子生徒は、肩をすくめて笑う。


 「問題って何。問題があるから学校楽しいんじゃん」


 最悪の陽キャ理論。

 でも、言い方が憎めない。

 憎めないのが怖い。

 人間は、憎めない相手に“定着”しやすい。


 彼は私を見た。

 目が妙に澄んでいる。

 澄んでるのに、底が読めない。


 「で、君は?」


 質問が軽い。

 軽い質問は、相手のガードを下げる。


 私は名乗るべきか迷った。

 名前はタグだ。

 タグは追跡を呼ぶ。

 でも名乗らないのは不自然で、ここでは不自然が目立つ。


 私は一拍置いて、言った。


 「矢那瀬アスミ」


 戌神が口の中でその名前を転がす。


 「アスミ。へぇ。いい名前」


 言い方が妙に優しい。

 優しいのに、背後の黒髪が揺れた気がした。

 揺れ方が、風じゃない。

 反応だ。


 戌神が、私の手を軽く握り返してから放した。


 「俺、戌神キョウジ。よろしく。……で」


 彼は、私の目線が背後に吸われているのを見て、わざと明るく言った。


 「ほんと気にすんな。あいつ、ずっとそうだから」


 ずっと。

 ずっと、そう。


 その言葉が、心臓の奥を冷やした。


 “ずっと”がある世界は、逃げ道が減ってる。

 逃げ道が減ってる世界は、装置が勝つ。


 私は、黒髪の影から目を逸らした。

 見続けたら確定してしまう。

 確定したら、私がその存在に名前を与えてしまう。

 名前を与えたら、世界がそれを“本物”にする。


 私はまだ、確定しない。

 確定は、回収されるから。


 リツコが小さく咳払いをした。


 「……戌神くん。あなた、その言い方が余計に怖いの」


 「えー? 優しさじゃん」


 「優しさの方向が間違ってる」


 ……この二人、距離感が出来上がってる。

 つまり、彼らは“この時代の固定点”に近い。


 固定点。

 世界線の固定点。


 私は、胸の奥で小さく震えた。

 震えを隠すために、口だけが勝手に動く。


 「……ねえ、ここ。影村学園だよね?」


 二人が同時に私を見る。

 リツコは怪訝。

 戌神は面白がる。


 「そりゃそうだろ」


 戌神が笑う。


 「影村学園。逃げるなら今のうち」


 冗談みたいに言った。

 冗談みたいなのに、背後の黒髪が、また静かに揺れた。


 リツコが真面目に言う。


 「変なこと言わないで。……アスミさん、職員室に行くんでしょう? 来て」


 来て。

 その一言が、私の足首に糸を結ぶみたいに聞こえた。


 私は、結ばれたくないのに。

 結ばれないと、今は何もできない。


 私は一歩、踏み出す。


 夕暮れが、廊下を赤く染める。

 赤は嫌いだ。

 ZAGIの赤を思い出すから。


 でもこの赤は、紙と木と埃の赤だ。


 ──過去の赤。


 そして私は理解する。


 時代的に“自分の過去”じゃない。

 でも、私の神経はもう、この時代に触れてしまった。


 触れたら最後。

 観測は始まる。


 私は、胸の奥で命令する。


 観測しろ。

 介入は、その後。

 ……ただし今度は、戻る道も同時に探せ。


 黒髪の影が、笑った気がした。

 笑ったのは戌神かもしれない。

 影かもしれない。

 区別がつかないのが、一番悪い。


 その瞬間、私は確信した。


 この学園には、私の知らないルールがある。

 そしてそのルールは、私の独白より厄介だ。


 ──幕が上がった。


 夕暮れの赤は、優しいふりをする。

 優しい赤は、人を油断させる。

 油断した人間から先に、世界は“正しい居場所”を奪っていく。


 私は今、影村学園の廊下を歩いている。

 歩けてしまっている。

 それが一番、気持ち悪い。


 この時代には端末がない。

 戻るためのショートカットもない。

 NOXのログも、監視の薄い隙間も、救難信号も。

 あるのは、紙と木と埃と、規範と、空気の反響だけ。


 そして――人。


 玖条リツコ。

 苗字が刺さった。

 玖条リリの苗字。偶然で片付けたら、私はたぶん死ぬ。

 偶然は、装置が一番好きな言い訳だから。


 戌神キョウジ。

 軽くて、澄んでいて、底が読めない。

 “ここで強い人間”の匂いがする。

 強い人間は、ルールを知っている。

 ルールを知っている人間は、私を導ける。

 導ける人間は――最短距離で私を殺せる。


 そして、背後の黒髪。


 あれはW1のアニマトロニクスみたいに、解析できる嘘じゃない。

 湿った執着。

 生身の、あるいは生身を装った“何か”。

 名前をつけたら、世界が本物にする。

 だから私は、まだ確定しない。


 でも確定しないまま、進むのは難しい。


 影村学園には、私の知らないルールがある。

 ルールはいつも、親切な顔をして近づく。

 「案内します」

 「気にするな」

 「逃げるなら今のうち」

 その全部が、糸みたいに私の足首へ絡んでくる。


 私がするべきことは三つ。


 一つ。

 この時代の“固定点”を特定する。玖条と戌神がどこまで固定なのか、黒髪が何に紐づいているのか。


 二つ。

 『ZAGI』の発火条件を逆算する。私の神経が鍵なら、鍵穴の形を知る必要がある。


 三つ。

 戻る道を探す。

 探しながら、定着しない。

 定着しないまま、人と関わる。――最悪の縛りゲーだ。


 それでも私は観測をやめない。

 観測して、式に落として、必要なら介入する。


 だって私は、箱の中の保留に飽きた。

 保留にするなら、今度は私が相手を保留にする。


 夕暮れの廊下で、私は息を整える。

 吸う、二拍。吐く、三拍。


 呼吸が安定している限り、私は私だ。


 そして次の瞬間――

 黒髪の影が、もう一度だけ静かに揺れた。

 風じゃない。反応。

 私がここにいることを、誰かが“歓迎”している。


 ……冗談じゃない。


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